第23話 帰る場所
リンドホルムの北門が見えたとき、レンは初めて自分が疲れていることに気づいた。
荷車は戻ってきた。
重傷者は治療院へ送られた。
遠征隊は一部をラト村に残し、アルヴィンたちはリンドホルムへ下がった。
誰も失わずに済んだ。
それでも、すべてが解決したわけではない。
北門の内側では、ミナが手押し車の上に立って待っていた。
「レン!」
「危ないから降りて」
「おかえり!」
「ただいま」
その言葉を口にした瞬間、レンは少しだけ驚いた。
ただいま。
自然に出た。
ミナは満足そうに頷く。
その後ろには、回収班の子供たちが並んでいた。
全員、首から荷札を下げている。ミナほど大きな声は出さなかったが、戻ってきた荷車を見る目は真剣だった。
「空瓶、ある?」
一人が聞く。
「あります」
「壊れてない?」
「壊れていないものも、壊れたものもあります。分けます」
子供たちは一斉に頷いた。
ほんの数日前なら、空瓶を気にする子供などいなかっただろう。
空瓶が戻れば、次の薬を入れられる。
壊れた瓶は、数えなければ不足が見えない。
街は、少しずつ物の戻り方を覚え始めている。
「荷車も帰ってきた」
「約束したから」
「地図は?」
「あとで描き直します」
「忘れてないね」
ガルドが門の中から現れた。
「無事か」
「はい」
「荷は」
「空瓶、壊れた装備、負傷者の記録、ラト村の備蓄表を持ち帰りました」
「人より先に荷の報告か」
「必要なので」
ガルドは笑った。
セリアは治療院前で負傷者の受け入れを指揮していた。レンを見ると、短く頷く。
「おかえりなさい」
「戻りました」
「ラト村は」
「短期なら持ちます。ただ、第二便と橋の修理が必要です」
「わかりました」
会話は短い。
だが、それで通じる。
治療院の入口では、エリナがリンドホルムの医師に薬箱を渡していた。
「使った薬と残した薬を、こちらに記録しています」
彼女はそう言って、板書を差し出す。
医師が驚いた顔をした。
「勇者隊の神官が、ここまで記録を?」
「必要だと教わりました」
エリナは少しだけレンを見た。
レンは軽く頭を下げる。
一人で見なくてもいい。
その実感が、また一つ増えた。
勇者アルヴィンは少し離れた場所に立っていた。
リンドホルムの人々は彼を見てざわつく。勇者が戻ってきた。だが勝利の凱旋ではない。補給に支えられて帰ってきた撤退だった。
アルヴィンはレンに近づいた。
「世話になった」
「まだ終わっていません」
「そうだったな」
彼は苦く笑う。
「リンドホルムの物資を、俺たちだけのものにしない。セリア様にもそう伝える」
「お願いします」
アルヴィンは手を差し出しかけ、迷い、引っ込めた。
「また、相談してもいいか」
「補給の相談なら」
「ああ」
それだけ言って、アルヴィンは治療院へ向かった。
ダリオとリゼットも、その後に続いた。
ダリオはレンの横を通り過ぎる前に、ぼそりと言った。
「戦利品、置いてきた」
「その方が馬が持ちます」
「わかってるよ」
不機嫌そうだったが、怒ってはいなかった。
彼は背中の大剣を少し持ち上げる。
「あと、壊れた盾を鍛冶場行きに分けた。捨てるには早いんだろ」
「修理できるなら、次の護衛に使えます」
「だと思った」
ダリオは鼻を鳴らした。
「戦う道具も、戻すんだな」
「はい」
「面倒くせえ」
「でも、やりますか」
「やるよ。足りなくなってから騒ぐ方が、もっと面倒だ」
リゼットは肩をすくめる。
「次から、魔力残量も数えられるのかしら」
「俺には見えません」
「じゃあ私が数えるわ。嫌だけど」
彼女は腰の魔石袋を軽く叩いた。
「空に近い魔石って札、腹立つけど便利だった。使えないものを使える顔で持ってる方が危ない」
「はい」
「だから次から、私の魔石は私が見る。魔力も。……それで文句ないでしょ」
「ありません」
「ならいいわ」
彼女もそれだけ言って、治療院へ入っていった。
小さな変化だ。
だが、確かに変化だった。
勇者パーティーは、まだ補給を好きになったわけではない。
ダリオは札を面倒だと言い、リゼットは数えることを嫌がる。
それでいい。
好きでなくても、必要だとわかれば手は動く。
レンは、それだけでも十分に大きな変化だと思った。
戻る場所は、もう勇者パーティーではない。
レンは共同倉庫を見た。
扉が開き、人が出入りし、荷札が揺れている。
そこが今の帰る場所だった。
北門の周りには、いつの間にか人が集まっていた。
治療院の助手。
神殿の若者。
旧倉庫街の回収班。
馬車組合の御者。
昨日までなら、勇者アルヴィンの姿にだけ歓声が上がっただろう。だが今日は違った。人々の目は、勇者の後ろを進む荷車にも向いている。
空瓶が戻ってきた。
壊れた装備が戻ってきた。
負傷者が戻ってきた。
そして、荷車そのものが戻ってきた。
「戻り便って、本当に戻ってくるんだな」
誰かが言った。
レンはその声に、少しだけ胸が詰まった。
荷は出したら終わりではない。
戻るものが戻るから、次の荷が出せる。
人も同じだ。
帰る場所があるから、また出ていける。
だが、倉庫前には新しい問題が待っていた。
ユリウス・バルトが、帳簿を抱えて立っている。
「お帰りなさい、レンさん」
「何かありましたか」
「あります」
ユリウスは微笑んだ。
「ヴェルナー大商会の二枚帳簿が見つかりました」




