第22話 それでも俺は戻らない
第一便が出たあと、ラト村には静かな疲労が残った。
薬は届いた。
重傷者は送り出した。
馬も少し休めた。
勇者は謝った。
だが、これで終わりではない。
魔物の斥候はまだ森にいる。遠征隊は撤退準備をしなければならない。ラト村には備蓄を戻す必要がある。リンドホルムでは治療院と神殿が次の荷を待っている。
レンは村の広場で、戻りと第二便の予定を書いていた。
アルヴィンが近づいてくる。
「レン」
「はい」
「遠征隊は撤退する」
その言葉に、周囲の護衛兵が少しざわついた。
ダリオは不満そうだったが、黙っている。
リゼットは唇を尖らせ、エリナはほっとした顔をした。
「リンドホルムへ?」
「まずはラト村を空にしない範囲で南へ下がる。お前の案の通りだ」
「わかりました」
レンは板書を書き換える。
北方遠征隊、撤退。
ラト村、短期防衛。
第二便、補給兼撤退支援。
アルヴィンはそれを見ていた。
「俺は、勝つことしか考えていなかった」
「勇者ですから」
「それは言い訳になるか」
レンは筆を止めた。
「なりません」
アルヴィンは苦笑した。
「容赦がない」
「必要なので」
「ああ」
勇者は村の外を見た。
「リンドホルムに戻ったら、王都に報告する。補給担当の権限を上げる。遠征前の物資確認を義務にする。お前の名前も」
「俺の名前は出さなくていいです」
「なぜ」
「必要なのは、俺を褒めることではなく、仕組みを変えることです」
アルヴィンは黙った。
それから、深く頷く。
「そうか」
そのとき、村の入口で声が上がった。
第一便を見送ったはずの記録係が、引き返してきたのだ。
「魔物の斥候が南の本道に出ています! 北水路補給路はまだ無事ですが、急がないと塞がれる可能性があります!」
レンはすぐに板書を見た。
撤退可能時間、短縮。
第二便、前倒し必要。
ラト村滞在、危険増。
「予定を変えます」
アルヴィンが剣を取る。
「戦うか」
「戦闘は最小限。補給隊と負傷者を先に通します。勇者パーティーは最後尾で牽制」
ダリオがようやく笑った。
「殿ってやつだな」
「追撃されないようにするだけです。深追い禁止」
「わかってる」
「本当に?」
「……たぶん」
リゼットが吹き出した。
緊張の中で、少しだけ笑いが生まれた。
撤退準備は一気に進んだ。
村に残す塩と保存食。
遠征隊が持つ薬。
リンドホルムへ戻す空瓶と壊れた装備。
馬の休憩順。
すべてに札をつける。
札がなければ、混乱で消える。
ダリオは最初、札をつける作業を嫌がった。
「俺は字がうまくない」
「読めればいいです」
「読める字かどうかが怪しいんだよ」
そう言いながら、彼は壊れた盾に札を結んだ。
破損。
修理可能。
リンドホルム鍛冶場行き。
字は曲がっていたが、読めた。
リゼットは残った魔石を一つずつ手のひらに乗せていた。
「小、三。中、一。ほとんど空、一」
「ほとんど空?」
「火花くらいなら出る。見栄を張るなら中って書くけど、実戦では役に立たない」
レンは頷いた。
「では、空に近い魔石として分けます」
「嫌な言い方」
「必要なので」
「知ってる」
リゼットは小さく息を吐き、札に自分で書いた。
魔石、小三。
中一。
空近、一。
「これでいい?」
「はい」
「……面倒ね」
だが彼女は、その札を外さなかった。
レンは荷札を書き続けた。
その手を、アルヴィンが見ていた。
「レン」
「はい」
「お前は戻らない。それでも、俺たちを助けるのか」
「はい」
「なぜだ」
レンは少し考えた。
恨みがないからではない。
許したからでもない。
勇者に認められたいからでも、見返したいからでもない。
胸の奥には、まだ痛みがある。
焚き火の前で笑われたこと。
荷物番はいらないと言われたこと。
自分の警告が、士気を下げる不吉な言葉として捨てられたこと。
それらは消えない。
けれど、それより奥にあるものがある。
「薬があるからです」
アルヴィンは目を見開いた。
「薬があって、必要な人がいる。なら、届かせます」
それがレン・アスターという人間の、たぶん一番奥にあるものだった。
アルヴィンは長く黙っていた。
「俺は、お前を失ったんだな」
レンは答えられなかった。
失った。
その言葉は、少し違う気もした。
レンは物ではない。
だが、勇者パーティーが失ったものは確かにある。
補給係。
荷札を見る目。
止まれと言う声。
そして、勝利の前に帰り道を考える人間。
「リンドホルムには、俺が必要な仕事があります」
レンは言った。
「だから戻りません」
「わかった」
アルヴィンは静かに頷いた。
夕方前、ラト村から撤退第一陣が出た。
先頭は補給隊。
中央に負傷者と、村へ残す物資の記録札。
最後尾に勇者パーティー。
森の向こうで魔物の影が動いた。
リゼットが煙を散らし、ダリオが追撃を牽制し、アルヴィンは最後尾で振り返らずに歩いた。
ダリオは一度、前へ出かけた。
魔物の影が近い。
いつもの彼なら、ここで踏み込んで斬っていた。
だが、背後には負傷者を乗せた荷車がある。馬は疲れている。剣を振るために道を荒らせば、荷車が沈む。
「深追い禁止、だったな」
彼は誰にともなく言い、剣の腹で魔物の鼻先を払った。
倒すためではない。
寄せないための一撃。
リゼットも大きな火球を作らなかった。代わりに、低い煙を地面に這わせる。
「派手じゃないわね」
「派手にすると馬が暴れます」
「言われなくてもわかってる」
彼女はそう言いながら、煙を荷車の後ろだけに流した。
魔力残量、低下。
だが、制御は安定。
レンは先頭近くで荷車の揺れを見ている。
第一荷車、負傷者、安定。
第二荷車、空瓶・壊れた装備、固定。
第三荷車、ラト村残置の記録札、確認済み。
補給路、通行可能。
戻るのではない。
届ける。
そして、帰る。
リンドホルムへ。
北水路臨時補給路の入口に差しかかったとき、レンは一度だけラト村を振り返った。
村の入口には、残置物資の札が揺れていた。
置いていったのではない。
次につなぐために、残した。
その違いを、いつかもっと多くの人がわかるようにしなければならない。
レンは前を向いた。
彼の帰る場所は、もう決まっていた。




