第21話 勇者の謝罪
第一便がリンドホルムへ向けて出る前、アルヴィンはレンを村の井戸端へ呼んだ。
朝の風は冷たい。
遠くで、荷車に重傷者を乗せる声が聞こえる。エリナが薬箱を確認し、ダリオが荷車の横で壊れた剣を固定している。リゼットは煙を散らすための魔法陣を小さく描いていた。
昨日までの勇者パーティーなら、誰もしていなかった作業だ。
ダリオは荷紐の結び方がわからず、何度も舌打ちしていた。
「くそ、剣の柄なら一発で締まるのに」
近くの護衛兵が見かねて手を伸ばす。
「そこは二重に。揺れると抜けます」
「知ってる」
「今、ほどけました」
「……教えろ」
不機嫌そうに言いながらも、ダリオは手を止めなかった。
リゼットはリゼットで、魔法陣の横に小石を並べている。
「風向きが変わったら煙が戻るわ。こっちに二つ、あっちに一つ。……何よ、見るんじゃないわよ」
誰に向けた言葉でもなかった。
ただ、彼女は初めて、自分の魔法がどこへ流れるかを待っていた。
戦場で放つ火球ではなく、荷車を隠す煙。
それもまた、今は必要な仕事だった。
レンは短く聞いた。
「何か問題が?」
「いや」
アルヴィンはしばらく黙っていた。
勇者が言葉を探している。
それは、レンにとって少し奇妙な光景だった。
彼はいつも、前へ進めと言う側だった。迷うことを許されず、迷わないことを期待されていた。焚き火の前でレンを追放したときも、彼は決定を下す者としてそこにいた。
今は違う。
「レン」
「はい」
「すまなかった」
言葉は短かった。
だが、軽くはなかった。
レンはすぐには答えられない。
アルヴィンは続けた。
「お前の警告を、士気を下げる言葉だと思った。箱の数ばかり気にしていると思った。戦えない者が、戦う者の足を引っ張っていると」
井戸の水面が揺れている。
「違った。俺たちは、お前が見ていたものを見ていなかった」
レンは胸の奥が熱くなるのを感じた。
怒りが消えたわけではない。
傷つかなかったわけでもない。
あの焚き火の前で笑われた声は、まだ耳の奥に残っている。
士気を下げる荷物番はいらない。
その言葉で切られた痛みが、一度の謝罪で消えるほど簡単なら、きっと最初からここまで苦しくなかった。
それでも、アルヴィンは謝っている。
言い訳ではなく、言葉を選んで。
「謝罪は受け取ります」
アルヴィンの表情が少し緩む。
「ありがとう」
「でも、今は謝罪より決めることがあります」
アルヴィンは苦笑した。
「そう言うと思った」
「遠征隊はリンドホルムへ撤退してください。ラト村には最低限の防衛を残し、第二便で補給を戻します」
「俺も戻るべきか」
「はい」
ダリオなら反発したかもしれない。
アルヴィンは黙って頷いた。
「わかった」
それだけで、レンはまた少し驚く。
アルヴィンはその反応を見て、自嘲するように笑った。
「そんなに意外か」
「はい」
「正直だな」
「よく怒られます」
二人の間に、ほんの少しだけ空気が緩んだ。
だがアルヴィンは、すぐに真剣な顔へ戻る。
「レン。リンドホルムに戻ったら、もう一度俺たちの補給係に」
「戻りません」
言葉は、自然に出た。
アルヴィンは口を閉じる。
水を汲みに来た村の少女が、二人の様子を見てそっと引き返した。
「……そうか」
「俺は今、リンドホルムの補給隊としてここにいます」
「わかっている」
アルヴィンはそう言ったが、目には痛みがあった。
初めて、彼も何かを失ったのだとわかった。
レンを追放したのはアルヴィンだ。
けれど追放とは、追い出した側にも戻らないものを作るのだ。
「ただ」
レンは続けた。
「補給の相談には乗れます。遠征を続けるなら、補給担当を正式に置いてください。荷を数える人を、戦闘職の下に置かないでください」
「わかった」
「わかるだけでは足りません。権限が必要です」
「権限も与える」
「責任も」
「責任も」
「補給担当が止まれと言ったら、止まる仕組みも」
アルヴィンは少しだけ目を伏せた。
「それが一番難しいな」
「はい」
「だが、やる」
その言葉が本当に王都で通るかは、まだわからない。
だが、以前の彼ならこの会話すらできなかった。
第一便が出発した。
重傷者を乗せた荷車が、北水路臨時補給路へ向かう。エリナが付き添い、ミナの地図を持った記録係が先導する。
出発直前、エリナがレンに頭を下げた。
「薬箱のこと、教えてくれてありがとう」
「俺だけではありません。エリナさんが記録したから、次から使えます」
エリナは少しだけ笑った。
「次から、ですね」
それは、遠征隊が変わるための小さな言葉だった。
ダリオが荷車の後ろで、固定した壊れ剣をもう一度揺らした。
「動かねえ」
「よかったです」
「別に、お前のためにやったんじゃない」
「はい」
「でも、途中で落ちたら邪魔だろ」
「はい」
ダリオはそれ以上言わなかった。
リゼットは煙の流れを見ながら、ぽつりと言う。
「魔力、あと半分」
エリナが顔を上げる。
「珍しい。自分で言うなんて」
「うるさい。足りなくなってから騒ぐの、もう嫌なだけよ」
レンはその言葉を聞いて、胸の奥で何かが小さく動くのを感じた。
数えるのは、荷だけではない。
自分の限界を数えることも、たぶん補給の一部だ。
レンは荷車の揺れを見送った。
届いてくれ。
その願いは、もう一人で抱えるものではなかった。
アルヴィンが隣に立つ。
「レン」
「はい」
「俺は、勝つことしか知らなかった」
「これから、帰ることを覚えればいいと思います」
勇者は目を丸くし、それから小さく笑った。
「厳しいな」
「必要なので」
井戸端に、ほんの少しだけ朝日が差した。




