第17話 馬が倒れた日
リンドホルム臨時補給隊は、北水路臨時補給路を進んでいた。
ミナの地図は、絵こそ怪しかったが役に立った。
三本腕の木。
倒れた石像。
炭焼き小屋。
水路脇のぬかるみ。
じゃがいも石像、と本人が呼んでいた目印まで、意外なほど正確だった。
レンは荷車の横を歩きながら、道と荷を見続けた。
第一荷車、医療物資。
揺れ、許容内。
第二荷車、飼葉・保存食。
固定、良好。
第三荷車、防寒具・戻り便用空き。
問題なし。
馬、疲労軽度。
補給路、通行可能。
「止めてください」
レンが言うと、御者が手綱を引いた。
護衛の一人が眉をひそめる。
「また止まるのか」
「前のぬかるみに板を敷きます」
「勢いをつければ抜けられる」
「抜けられるかもしれません。でも車輪が沈めば、薬箱が傾きます。薬箱が傾けば、瓶が割れる。瓶が割れれば、急いだ意味がなくなります」
護衛は口を閉じた。
レンは回収班が用意してくれた薄板を地面に敷かせた。荷車が一台ずつ通る。時間はかかるが、車輪は沈まない。
小さな遅れを避けようとして、大きな遅れを招く。
それは遠征隊でも、街でも、どこでも同じだった。
昼前、隊は炭焼き小屋へ着いた。
屋根は半分落ちていたが、風を避けるには十分だ。ここで馬を休ませる。水袋を少しずつ与え、飼葉を分ける。
御者が焦ったように言った。
「ラト村まで、まだかかるぞ」
「だから休ませます」
「急がなくていいのか」
「急ぐために休ませます」
御者は納得しきれない顔をした。
だが、半刻後に馬の呼吸が落ち着き、歩きが戻ると、黙ってレンに頷いた。
レンはその頷きを見て、少しだけ息をついた。
補給隊はまだ寄せ集めだ。
御者も護衛も人夫も、レンの指示に慣れていない。レン自身も、誰かを率いることに慣れていない。
それでも、荷は進んでいる。
午後、ラト村手前の丘に差しかかったとき、遠くで騒ぎが聞こえた。
馬の悲鳴。
人の怒号。
レンの足が止まる。
嫌な音だった。
補給隊が村へ入ると、広場の端で馬が一頭倒れていた。脚を痛め、横たわったまま荒い息をしている。周囲には護衛兵と村人が集まっていた。
「水を!」
「立たせろ、道を塞ぐ!」
「無理に引くな!」
声だけが多く、誰も何を優先するべきかわかっていない。
アルヴィンが馬のそばに立っていた。
レンと目が合う。
ほんの一瞬、二人とも動かなかった。
昨日の焚き火。
追放。
濡れた薬箱。
戻るのではない。
届ける。
先に動いたのはレンだった。
「馬を囲まないでください。人を下げて。水は少しずつ。いきなり飲ませないで」
村人たちが反射的に動く。
レンは膝をつき、馬の脚を見た。
脚部負傷。
過労。
飼葉不足。
復帰不可、最低三日。
「この馬は、すぐには使えません」
アルヴィンが低く聞いた。
「助かるのか」
「馬として走るのは無理です。でも、休ませれば命は助かる可能性があります」
「そうか」
アルヴィンの声には、安堵と悔しさが混じっていた。
ダリオが近づき、倒れた馬を見て顔を歪める。
「九日目に馬が倒れる、だったか」
レンは答えない。
実際には、警告より少し早かった。
予定より戦闘が増えた。
飼葉を削った。
馬を休ませなかった。
理由は一つではない。
「他の馬も見ます」
レンは言った。
アルヴィンは頷く。
「頼む」
頼む。
その言葉が、レンの胸に小さく刺さる。
以前のアルヴィンなら、命じただろう。
いや、そもそも馬の状態など聞かなかったかもしれない。
レンは遠征隊の馬を一頭ずつ見た。
使用可能、三頭。
軽作業、二頭。
休養必要、四頭。
負傷、一頭。
飼葉、不足。
「撤退時に全員の荷を載せるのは無理です」
アルヴィンが苦い顔で頷く。
「わかった」
「荷を減らします。不要な戦利品、余分な装飾品、壊れた武器の一部は置いていく。薬と食料と防寒具を優先」
ダリオが顔を上げる。
「戦利品を置いていくのか」
「戦利品は傷を治しません」
ダリオは一瞬むっとしたが、倒れた馬を見て、何も言わなかった。
アルヴィンは広場の端へ歩き、荷を見回した。
「レン」
「はい」
「来てくれて、助かった」
その声は、広場の騒ぎの中でもはっきり聞こえた。
謝罪ではない。
許しでもない。
ただ、今必要な言葉だった。
レンは少しだけ息を吸った。
「まだ助かっていません」
アルヴィンは静かに頷いた。
「これからか」
「はい」
勇者の顔から、以前のような眩しい自信は薄れていた。
だが、そのぶん初めて、目の前の荷と馬と人を見ようとしているように見えた。
レンは補給隊に指示を出した。
「第一荷車は納屋の裏へ。医療物資はすぐ開けない。まず遠征隊と村の在庫を全部出します。第二荷車は馬小屋へ。飼葉は遠征隊用と村用に分ける。第三荷車は空きを残したまま。戻り便に使います」
護衛が聞く。
「戻り便は誰を」
「まだ決めません」
レンは倒れた馬を見た。
「決めるために、まず数えます」
ラト村の広場に、リンドホルムの荷札が並び始めた。
補給隊は到着した。
だが、本当の仕事はここからだった。
北東の森から、二度目の遠吠えが響く。
今度は、近かった。




