第15話 補給隊、出発
夜明け前のリンドホルムは、まだ眠っているように見えた。
だが共同倉庫だけは違った。
魔石灯の青白い光の下で、人が動いている。荷札を結ぶ者、薬箱を布で包む者、馬の脚を確認する者、命令書を筒に入れる者、荷車の車輪に油を差す者。
リンドホルム臨時補給隊。
そう呼ぶには、まだ小さすぎる一団だった。
小型荷車、三台。
馬、三頭。
御者、二人。
護衛、四人。
倉庫人夫、三人。
記録係、一人。
そして、隊長代理レン・アスター。
レンは作業台の前で、最後の確認をしていた。
第一荷車。
医療物資。
治療薬、十本。
清潔布、十二包。
消毒用蒸留酒、一箱。
乾燥薬草、二箱。
空瓶返却用木箱、二つ。
第二荷車。
飼葉、二日分。
保存食、三日分。
矢羽根、四束。
修理用縄、二束。
小型工具箱、一つ。
第三荷車。
防寒具。
毛布、二十枚。
担架材。
水袋。
戻り便用の空き。
完璧ではない。
足りないものは、いくらでもある。
だが、出せる中では最善だった。
「レン」
ガルドが声をかけた。
「はい」
「薬箱は全部乾いた布で包んだ。瓶は中央に固定してある。揺れは少ない」
「ありがとうございます」
「礼は戻ってからにしろ」
昨日から何度も聞いた言葉だ。
レンは頷いた。
セリアは倉庫の入り口で、補給隊の者たちに命令書を渡していた。
「北水路臨時補給路を使用します。医療物資を最優先。ラト村到着後、村長、勇者アルヴィン、神官エリナの三者に在庫確認をさせてください。勝手に全量を渡してはいけません」
護衛の一人が少し驚く。
「勇者様に、全量を渡さないのですか」
レンが答えた。
「渡しません。ラト村にも残します」
「ですが、勇者様の救援では」
「遠征隊が使い切れば、村の備蓄が崩れます。村が崩れれば、遠征隊も戻れなくなる」
護衛は黙った。
セリアが続ける。
「現地判断はレンに委ねます。命令書にも明記しています」
その言葉で、何人かの視線がレンに集まった。
隊長代理。
紙にはそう書かれている。
だがレンは、剣を振るえるわけではない。魔法で敵を焼けるわけでもない。できるのは、数え、分け、届かせることだけだ。
それでも今は、それを必要とする人たちがいる。
ミナが手押し車を押してやってきた。
「市内配送、準備できたよ」
手押し車には、治療院向け清潔布、神殿向け塩袋、倉庫へ戻す空瓶が載っている。ミナの後ろには、回収班の子供たちが数人並んでいた。皆、首から荷札を下げている。
「補給隊が出た後は、こっちは任せて」
ミナは胸を張った。
ガルドが低く言う。
「無理するなよ」
「わかってる」
「重いものは持つな」
「わかってる」
「危ない道は」
「行かない」
「本当だな」
「本当」
レンはミナへ小さな板書を渡した。
治療院、神殿、共同倉庫、旧倉庫街、市場。
それぞれの軽配送の順番を書いたものだ。
「順番通りに。途中で頼まれても、勝手に変えない」
「なんで?」
「一つ変えると、後ろが全部遅れる」
「わかった」
「困ったらガルドさんに聞く」
「レンじゃなくて?」
「俺はいない」
そう言うと、ミナは少しだけ寂しそうな顔をした。
すぐに隠したが、レンにはわかった。
「戻ります」
レンは言った。
「荷車も?」
「荷車も」
「地図の絵も?」
「描き直します」
ミナは満足そうに頷いた。
「じゃあ、行っていいよ」
前にも聞いた言葉だ。
今度は、レンの方が少し笑った。
「行ってきます」
補給隊は北門へ向かった。
街はまだ薄暗い。
パン屋の煙突から細い煙が上がり、神殿の鐘が一度だけ鳴った。市場の店主たちが戸を開け始め、治療院の前では昨日運ばれた負傷者の家族が眠そうな顔で立っている。
彼らの前を、補給隊の荷車が通る。
荷車に結ばれた札が、朝の風に揺れた。
医療優先。
飼葉・保存食。
戻り便あり。
リンドホルム臨時補給隊。
誰かが小さく言った。
「あれ、勇者様への荷か」
別の誰かが答える。
「いや、ラト村にも残すってよ」
「村にも?」
「補給って、そういうもんらしい」
レンはその声を聞きながら歩いた。
補給とは、ただ前線に送ることではない。
途中の村を潰さず、戻り道を残し、次の便が出られるようにすることだ。
北門では、セリアが最後に追いついてきた。
「レン」
「はい」
彼女は小さな革袋を差し出した。
「領主印の予備札です。現地で新しい指示が必要になったときに使ってください」
「俺が使っていいんですか」
「隊長代理ですから」
レンは革袋を受け取った。
中には、セリアの印が押された未記入の小札が数枚入っている。
重い。
権限とは、便利な道具ではない。
間違えれば、誰かの荷を止める。
誰かの命を遅らせる。
「乱用はしません」
「してください」
レンは驚いて顔を上げた。
セリアはまっすぐこちらを見ている。
「必要なら、迷わず使ってください。そのために渡します。責任は私が取ります」
「でも」
「レン。責任を持つ者が権限を渡し、現場にいる者が判断する。あなたが私に言ったことです」
レンは言葉に詰まった。
自分で言った。
そして今、その言葉が自分に返ってきている。
「……わかりました」
セリアは頷いた。
「帰ってきてください」
「はい」
「それと」
「はい」
「勇者アルヴィンに会ったら、伝えてください」
レンは少し身構えた。
「何を」
「リンドホルムは、あなたたちを助ける。けれど、リンドホルムの物資は、あなたたちだけのものではない、と」
レンは静かに頷いた。
「伝えます」
北門が開いた。
まだ薄暗い街道の先に、北水路臨時補給路へ続く分かれ道がある。
補給隊が進み始めた。
最初は石畳。
次に土の道。
やがて、ミナの地図に描かれた三本腕の木が見えてくる。
レンは荷車の横を歩きながら、道と荷を見続けた。
第一荷車、揺れ、許容内。
第二荷車、飼葉固定、良好。
第三荷車、防寒具、問題なし。
馬、疲労軽度。
補給路、通行可能。
空は明るくなり始めている。
北方街道の先には、ラト村がある。
その先には、勇者アルヴィンたちがいる。
レンを追放した人たち。
レンの警告を笑った人たち。
そして今、薬を待っている人たち。
胸の奥に、まだ痛みはある。
だが足は止まらない。
薬はある。
布もある。
飼葉も、保存食も、矢羽根もある。
なら、届かせなければならない。
レンは北の空を見た。
勝っているのに帰れなくなりかけている勇者たちへ。
その帰り道を、作りに行く。
リンドホルム臨時補給隊は、朝靄の中、北方街道へ向けて進んだ。




