第14話 領主の命令書
補給路ができても、荷は勝手には流れない。
北水路臨時補給路。
ミナの案内をもとに整備したその道は、小型荷車なら通れる。南宿場から回収した薬もある。旧倉庫街の荷車も二台、どうにか走る。
だが、実際に救援第二便を出そうとした瞬間、今度は人が止めた。
「うちの馬は出せません」
馬車組合の代表は、共同倉庫の前でそう言った。
痩せた中年の男だ。顔には疲労があり、服の袖には馬の毛がついている。敵意だけではない。困り切っている顔だった。
「昨日から、鉱山事故、塩の放出、治療院、神殿で馬を使いっぱなしです。これ以上出せば、馬が潰れます」
ガルドが苛立った声を出す。
「勇者遠征隊への救援だぞ」
「だから何です。馬が倒れたら、明日から街の荷が動きません」
正しい。
レンは代表の言葉を否定できなかった。
馬は道具ではない。
動かせば疲れる。飼葉がなければ倒れる。倒れれば、荷車はただの木の箱になる。
「馬の数と状態を見せてください」
レンが言うと、代表は警戒した顔をした。
「何のために」
「無理に出す馬と、休ませる馬を分けます」
「あんた、馬も見るのか」
「物資ほど詳しくはありません。でも、飼葉と稼働時間は見られます」
代表はセリアを見た。
セリアは頷く。
「お願いします。強制ではなく、使える範囲を確認したい」
馬車組合の厩舎へ向かうと、問題はすぐに見えた。
馬、二十六頭。
即時稼働可能、六頭。
軽作業可能、八頭。
休養必要、十頭。
治療必要、二頭。
飼葉、残量不足。
レンは息を吐いた。
「代表の言う通りです。無理に出せば、馬が潰れます」
ガルドが顔をしかめる。
「じゃあ救援は」
「出します。ただし、馬を使う区間を短くします」
セリアが聞く。
「どういうことですか」
「リンドホルムから北水路補給路の入口までは馬で引く。ぬかるみ区間は人力で押す。炭焼き小屋で馬を休ませる。ラト村手前でまた馬を使う。ずっと引かせない」
馬車組合の代表が考え込む。
「それなら、軽作業の馬でもいけるかもしれない」
「飼葉は救援荷と分けます。馬用を削ると、帰りに詰みます」
「帰り?」
「負傷者や空箱を戻します。馬を帰せなければ、次の便が出ません」
代表は初めて、少しだけレンを見る目を変えた。
「そこまで考えているなら、二頭出します」
「三頭必要です」
「無理です」
「二頭で二便に分けると時間がかかります。ラト村の滞在限界が短い。三頭なら一便で医療物資と飼葉を分けて運べます」
「馬が潰れる」
「休養必要な十頭からは出しません。即時稼働可能六頭のうち三頭。ただし帰還後二日休ませる。その間、市内配送は手押し車と人力に切り替えます」
ミナが手を挙げた。
「回収班、やるよ」
代表はミナを見た。
「子供に市内配送を?」
「軽い荷だけです」
レンが言う。
「清潔布、荷札、空瓶、伝言、古着。重い樽や薪は運ばせません」
代表はしばらく黙り、やがてセリアを見た。
「領主様。馬を出すなら、命令書をください。後で市場の商人に責められるのは、うちです」
セリアは頷いた。
「書きます」
共同倉庫へ戻ると、今度は別の問題が待っていた。
矢羽根を扱う職人街が、納品を渋っているという。
「勇者隊向けの矢羽根? 先払いでないと出せないそうです」
使いに出ていた若者が報告する。
ガルドが怒った。
「この非常時に」
レンは首を振る。
「職人も材料を買わないと作れません。踏み倒された経験があるのかもしれない」
セリアが少し苦い顔をする。
「王国軍の支払いは遅れがちです」
「なら、領主家の命令書だけでは足りません。支払い保証も必要です」
セリアは迷わず筆を取った。
「書きます」
「セリア様」
ガルドが低く言う。
「領主家の負担が増えます」
「わかっています」
「王都は返してくれませんよ」
「それでも、矢羽根がなくて遠征隊が崩れれば、リンドホルムも危険になります」
セリアの声は穏やかだった。
「それに、職人に無償で出せとは言えません」
レンはその横顔を見た。
昨日より、セリアは少し変わっている。
領主として命令するだけでなく、誰に負担が落ちるかを見ている。
命令書はただの紙ではない。
責任の行き先を決めるものだ。
その後も、必要な命令書は増え続けた。
馬車組合へ、馬三頭の一時徴用と二日間の休養保証。
職人街へ、矢羽根二束の緊急納品と支払い保証。
神殿へ、古着毛布の提供と洗浄記録。
治療院へ、救援薬の使用記録と空瓶返却。
門番へ、救援荷の優先通行。
倉庫組合へ、旧倉庫街荷車の補給隊貸し出し記録。
回収班へ、市内軽配送の許可と食事支給。
セリアは一枚ずつ書いた。
レンは横で、必要事項を読み上げる。
ガルドは、書かれた命令書を順に確認する。
ミナは、乾かした荷札に紐を通している。
倉庫が、役所のようになっていた。
だが、紙がなければ物は動かない。
誰が持っていくのか。
誰が支払うのか。
誰が返すのか。
誰が責任を取るのか。
それが曖昧な荷は、必ずどこかで止まる。
「レン」
セリアが筆を置いた。
「これで足りますか」
レンは命令書を確認した。
馬。
荷車。
矢羽根。
防寒具。
医療物資。
通行。
記録。
支払い。
補給隊の骨は揃った。
「足ります。少なくとも、出発はできます」
「あなたは行きますか」
また、その問いだった。
レンは答えられず、作業台の上の荷札を見た。
リンドホルム共同倉庫、仮補給担当、レン・アスター。
北方遠征隊救援。
医療優先。
戻り便あり。
自分が行けば、現地で判断できる。
自分が残れば、リンドホルム側の補給を続けられる。
どちらが被害を減らすか。
まだ迷っている。
そこへ、ラト村からの伝令が戻ってきた。
顔が青い。
「報告します。勇者アルヴィン様は待機を継続。ただし、魔物の斥候が近づいており、明日中に移動を決める必要があります」
「負傷者は」
レンが聞く。
「軽傷者八名。重傷者一名。薬は、最初の救援荷で少し持ち直しました」
「馬は」
「一頭、脚を痛めています」
レンは目を閉じた。
馬が倒れる。
九日目に馬が二頭倒れる。
自分の警告より少し早い。
「橋は?」
「大型は不可。小型なら人力で」
「魔物の位置は」
「北東の森。本道に近いです。裏道の方は、まだ確認されていません」
レンは板書を見た。
情報は揃った。
足も、物資も、命令書も、最低限は揃った。
残る問題は、現地判断だ。
「セリア様」
レンは言った。
「行きます」
倉庫内が静かになった。
ミナが目を丸くする。
ガルドは、そう言うと思っていた、という顔をした。
セリアは静かに頷いた。
「理由は」
「現地で、進むか、戻るか、待つかを判断しなければなりません。物資だけ送っても、使い方を間違えればまた詰まります」
「勇者パーティーへ戻るのではなく」
「届けに行きます」
セリアは一枚の命令書を取った。
最後の一枚。
そこには、こう書かれていた。
リンドホルム臨時補給隊、隊長代理。
レン・アスター。
レンはその文字を見て、息を止めた。
「隊長代理?」
「正式な役職ではありません。ですが、道中で判断する権限が必要でしょう」
「俺に」
「あなたに」
セリアは命令書を差し出した。
「行ってください。戻るためではなく、届けるために」
レンは命令書を受け取った。
紙一枚。
だが、その重さは薬箱より重かった。
ガルドが言った。
「明日の夜明けに出すぞ。今夜中に荷を組む」
ミナが飛び跳ねた。
「あたしも行く!」
「「「行かない」」」
レン、ガルド、セリアの声が揃った。
ミナはむくれた。
「三人で言わなくてもいいじゃん」
セリアは少し笑い、ミナの肩に手を置いた。
「あなたには、街の中を任せます。補給隊が出た後、ここを回す人が必要です」
「ここを?」
「ミナの回収班が、市内配送を支えます」
ミナの表情が変わった。
行くことだけが役目ではない。
残って届ける役目もある。
レンは彼女に言った。
「俺たちが戻るまで、治療院と神殿と倉庫の間を頼む」
ミナは少しだけ黙り、やがて頷いた。
「わかった。戻ってきたら、地図の絵、描き直してね」
「検討します」
「約束」
「……約束します」
ガルドが笑った。
夜通し、倉庫の明かりは消えなかった。
領主の命令書が、荷に結ばれていく。
権限が、紙となって物資に宿る。
そしてリンドホルム臨時補給隊は、夜明けを待っていた。




