旧友
「疲れたな…」
そうひとりごちながら、静まりかえった廊下を一人で歩く。
電脳者補佐室の書類仕事を終えて、他局へ行く前の、いくばくかの休憩だった。
片岡事務次官に目をつけられてしまったのはしょうがないから、それに対抗できるように人脈を作っておかなければならない。
せめて、利用できる駒として見られるほどにならなければ、すぐに端っこに追いやられて潰される。
それを避けるためにも、俺自身の価値を高める必要制があった。
簡単に潰すには惜しい人材にならなければ。
まあ、それが簡単にできていれば、こんなに苦労はしない。
ほぼ新卒で、省庁のことを何も知らないまま電脳者補佐室に出向されたのだから、つながりも何もって感じだ。
前いた文部科学省でも、俺の教育担当だった佐々木先輩ぐらいしか、ちゃんと話せる人いなかったし…。
ふっと息を吐くつもりが、思っていたよりも重々しい吐息が漏れた。
慣れない環境にやったことのない仕事。
どうやら俺は、予想以上に疲れているらしい。
気合を入れようと、自販機に小銭を入れて、無糖のコーヒーでも飲もうと、ボタンへと手を伸ばした。
「お前、これ好きだろ」
後ろから走行がしたかと思うと、勝手にホットココアのボタンを押されて、ガタン、と缶が落ちる音がした。
「どーせコーヒーでも飲んで、カフェイン入れようとか思ってたんだろーけど、甘いモンのほうが百倍いいって。これ、ゲロ甘いし、ちょうどいいだろ」
「静岡、やっぱお前か…」
後ろを振り返ると、競技運営局の局員である、静岡海平が笑いながら立っていた。
ココアと数枚の小銭を受け取り口から抜き取って、俺に渡す。
そのまま自分は無糖のコーヒーを、スマホを翳して決済する。
俺の時よりも大きな音を立てて、落ちてきたそれを、手を突っ込んで取っていた。
しかも500mlのでかいやつかよ。
人に言ったことを忘れたのか?
「まあまあ、そんな怒んなって。松島、お前に今必要なのはカフェインじゃなくて糖分だよ」
「そう、人を理解したような言動は変わってないな、静岡。苛つかせるところも含めて」
「ひでー言われよう」
静岡とは、中高の同級生だ。
同じクラスだったことも何回かあって、割と仲良くしていた。
まさか、こんなところで再開するとは思っていなかったけれど、知っている奴がいるのは存外心強いものだ。
「わざわざ俺の様子を見に来たってわけじゃないんだろ?話があるなら手短にしろ」
「これでも、フツーに心配もしてるんだけどな」
静岡は頭をかきながら、すこしバツが悪そうにそう言った。
その言葉に嘘はないだろうが、心配以外が本題だろう。
「松島が思ってるほど深刻なモンじゃねぇよ。心配7割、思惑3割ってところだ」
「思惑、ねぇ?」
静岡の意味深な言いように、思わず口元がゆがむ。
言いたいことはだいたいわかるが、俺の気分を損ねないように、下から伺うような態度が気に入らない。
単純に、お願いしますと頭を下げればいいものを。
「要は、俺、ひいては神ケ谷さんにサイバー・フロンティアを引っ掻き回してほしいって要望だろ?優勝すれば最高ってわけか」
「まあ、そりゃバレるわな。お前相手じゃ」
人懐っこい笑みを崩して、眉を下げる静岡。
無理に隠そうとするなよ。
お前、昔から嘘つくの下手なんだから。
「俺等みたいな、電脳者補佐室以外の局は、サイバー・フロンティアが成功しないと旨みがない。曲がりになりにも国主導と銘打った大会だから、順位は必ず出る。そこで優勝者の担当職員は何かを得るんだ」
「新井室長も言ってたな。いいことがあるって」
「そう、それだ。たぶん、片岡事務次官の片腕としてのポジションを与えられるんじゃないかと、俺は思ってるけどな」
まあ、そんなところだろう。
金銭の発生はいろいろと手続きが面倒だが、政界の重鎮の好感度なら、それも必要ない。
単純に、新しいプロジェクトの上役を決めるときに、軽く口添えするだけだ。
〇〇だったら上手くやると思うよ、とか。
「だが、考えても見ろ。片岡事務次官の思惑通り、サイバー・フロンティアが失敗したら?担当ゲーマーっていう酒呑すら持たない俺らは一体どうなる?」
「一大プロジェクトを失敗させた奴ら、ってことで、立派な日陰者か」
「だから、賭けることにした」
ペットボトルに口をつけて、意を決したように静岡は言う。
手に持っていたココアも、もうだいぶぬるくなっていた。
「松島。お前が担当の神ケ谷純を優勝させるんだ。それも、エンターテインメントとして大成させて」
「理屈はわかるが、なんで俺と神ケ谷さんなんだ?参加ゲーマーはきっかり百人。ゲー振省で一人を推すとしても、選択肢はもっとあるだろ」
「カンだよ」
静岡は、ペットボトルを手にした左手の人さし指で、こめかみあたりをトントンと叩く。
「俺らの立ち位置を忘れたか?参加するゲーマーも、その職員も全員ちゃーんと把握してる」
「企画、運営が仕事だもんな」
「ああ。だから要は、全ての参加者のパラメーターを覗けるんだよ。その上での、ウチの局長の判断だ」
「局長?静岡、お前と他の局員の話じゃないのか」
「あ?ちげーよ。それも、ウチの石神局長だけじゃねぇ。技術保安局の神加瀬局長と、広報戦略局の神道局長も、だ」
「全局の総意じゃないか!」
「だから、そう言ってんだろ。俺らは崖っぷちに追い詰められてんだよ。そこに局員も局長も、局そのものさえ関係ない。そういう意味で、俺らは運命共同体なんだ」
「重すぎる」
「文字通り、人生かかってるからな。あ、聞かなかったふりはナシだぞ!まあ、聞いちゃっただけでもお前は意識しちまうだろうけど」
「それが、3割の思惑か」
「そう」
ひどい話だ。
いつの間にか知らない室へ出向され、片岡事務次官から目をつけられ、数十人もの人生を背負わされることになるなんて。
「残りの7割は、単純な心配だよ」
「自分たちの命を乗っけてるからか?」
「それもそうだし、松島、お前はゲーマーのことを…神ケ谷純のことを、まだ理解していない。だからこそ、賭けるだけの価値があるとも言えるが…」
「よくわからないな。もうちょっとかみ砕いて話してくれ。ゲームに関する造詣は激浅だそ、俺は」
「あ"ー、だから、そうだな。…ゲームが強いって、どういうことだと思う?」
「どうって、勝つことができるってことじゃないのか?」
「まあ、間違いじゃあないな」
煮え切らない答えに、俺は少し焦った。
それ以外、何かあるっていうんだ?
「強さには、いくつかの要素がある。段階って言ってもいいな」
ペットボトルのコーヒーを飲み干して、静岡はそう続けた。
「まず、一つ目は捜査の精度。思ったことを、思ったとおりに動かせる能力だ。リズムゲームとかで、音楽に合わせてタップするだろ?あれを、どれだけ正確にできるかって話」
「次、二つ目は情報処理と知識量。相手の行動から意図を想像したり、ゲームのルールを理解して、リスクとリターンのバランスを見極めて、自分の行動を選択できる知性だ。正確に行動できても、その行動自体が自分に不利に働いたら、目も当てられない」
「そんで3つ目は、メンタルの強さと適応力。心理的なプレッシャーに耐えて、逆に劣勢の状況を利用したりできるかどうか。過去の失敗を引きずらない、機械的な判断力が必要だ」
「最後、4つ目は環境の支配。ゲームのシステム自体を利用して、自分の勝利の糧とする能力だな。ルールの穴をついた行動をしたり、ギャラリーの反応さえも巻き込んで、最終的に勝ちへ持ち込む」
「大まかに分けてこの4つで、勝利は構成されている。そう、分析した」
「それで?勝ち方に色々とあるのは分かったが、肝心なところを説明しろよ。言っとくけど、神ケ谷さんはゲーム弱いぞ」
勝利の要素については納得したが、この話と神ケ谷さんはどうつながってくる?
「神ケ谷純は強いよ。化け物レベルの腕前だ」
「だから、一体どこが…」
「ゲームをしているのは?作ったのは?考えたのは?ぜんぶ、人間だろ」
相変わらず、要領を得ない話に、半ば苛立ち気味に返事をすると、それを押さえつけられるように言葉を返された。
「神ケ谷純は、人間を理解する能力に長けている。理解の擬人化と言ってもいいぐらいだ。ゲームをしている、作っている、考えている人間のことを理解しながらプレイするゲーマーを、最強以外のなんだって言うんだ?」
笑う静岡の瞳には、ほのかな恐怖が映っていた。
「だが、勝ちに固執していないところが懸念点だ。相手のゲーマーを理解できるなら、自ら望んで負けかねない。だから、そこをお前がどうにかするんだよ、松島」
「どうにかって…」
「唯一の、理解できない人間としてそばにいろ。お前の精神構造は複雑だから、そのまま何もしなくていい。神ケ谷純がお前を選んだのも、理解したいっていう欲の表れだろうよ」
俺は、そこまで言われるような、理解しがたい人間だろうか?
むしろわかりやすい方だと自負しているのだが。
まあ、静岡の言っていることは概ね理解できる。
神ケ谷さんが、人のことを理解したがっている…分かり合いたがっているのは確かな事実なのだし。
「3日後に初戦だ。もう書類は受理してある」
「仕事が早いな…」
完全に囲い込まれている。
逃げられそうにもなかったし、俺自身としてもこのまま舞台に上がるほかなかった。
「勝てよ」
様々な意図が絡み合う、サイバー・フロンティア初戦。
一体どんな戦いになるのだろうか。
俺は、空になった缶をゴミ箱へ投げ入れた。




