お屋敷の主
7.お屋敷の主
着物の上に羽織を羽織った店の主人の後を、ジャックと2人で距離を置かずについていく。主人はアーケードの中を裏通りの方向へ歩いていき、アーケードを突っ切って裏通りも超えた先の入り組んだ路地の角をいくつも曲がりながら、それでもずんずんと進んでいった。
後ろから付いて行くジャック達を撒きたいかのように、小走りぎみに後ろの様子など意に介さない様子で進んでいく。
やがて路地が途切れて見晴らしがよくなった辺りで、高い塀に行く手を阻まれた。道に迷ったのかとも思ったが、店の主人は気にもせずに右へ曲がり塀に沿って歩き始め、ジャック達もそれに従う。長い長い塀に沿って歩いていくと、そのうちに大きな瓦屋根の門に辿り着いた。
「多分ここが、あの小男のアニキとかいうやつのお屋敷だろう。冒険者崩れのやくざもんと聞いてはいたが、結構いい生活をしてやがる。弟とともにあくどい商売で稼いでやがるんだろうな。
いいか、この先どんなことがあっても、自分の身を守ることだけを考えろ。俺のこともそうだが、お前の妹のことも心配するな。妹は何があっても俺が面倒を見てやる。だから心配せずに、自分の身の安全だけを最優先して考えろ、いいな?」
大きな門の脇の通用口の前で店の主人が立ち止まるのを確認して、ジャックが美都夫に話しかけてきた。
「えっ?ふ……双葉のこと?」
「いや……だから……ここで何があろうとも、お前は自分の身の安全だけを考えろと言っているんだ!」
ジャックは呑み込みの悪い美都夫に対し、再度念を押すように告げる。
(恐らくやくざもんのアニキとやらと一戦交えるかもと考えているんだろう。相手の陣地へ行くわけだからな、罠がないとも限らないわけだ。その時にジャックのことなど気にせずに、お前の身の安全を第一に考えろとさ。状況にもよるけど、下手に抵抗せずに逃げ回っていろということだろうな。)
「わ……分かった……。」
「じゃあ、行くぞ。」
店の主人に続いてジャックとともに通用口の小さな扉から、美都夫は頭をぶつけないよう気を付けながらゆっくりと中へ入って行く。
塀の中は広い庭先だった。右手には3階建てくらいの高さの大きな土蔵があり、芝が途切れた通路には玉砂利が敷かれ点々と飛び石のように表面を平らに加工された岩が置かれ、はるか向こうの母屋の玄関先まで緩やかに蛇行しながら続いているようだ。
左手には手入れの行き届いた松が数本、きれいな枝ぶりを見せていて、その下には岩を並べて仕切られた池がある。恐らく高価な錦鯉なんかが泳いでいるのであろう。
「やあ、アニキ……。」
ジャックに促され事務所で店の主人が電話で用件を伝えてあったためか、玄関からは恰幅のいい洒落た着物姿の男と、着流し風を気取った男たちが数人出てきた。
「そいつらがお前の店で働いていた元使用人と、お前から依頼されたクエストを反故にした冒険者か?金を要求されているって?」
広い肩幅で、でっぷりと太った貫禄のある体格をした男は、キセルをくゆらせながら小男の後方の2人の男たちを睨みつけた。
「はっはい……元使用人に支払っていなかった給料を全額払えと……で……ですが……もともと店で働いていた女の子供でして……店の2階に住まわせていたのです。ところが女が配達の途中の事故で亡くなってしまって、子供たちを追い出す代わりに働けといったら承知したので……ですから給金なんぞ……。」
「そいつは嘘だな……妹を学校へ通わせてやると、きちんと雇用契約を結んでタイムカードまで作っておきながら、売り上げが上がらないから給料は待ってくれと言い続けて……相手は確かに小学生の子供だ……体は大きいがね。今でも歳から言えば中学生でしかない。大人に言いくるめられて騙されて働かされていた。
ここにタイムカードの控えと、給料の支払い記録がある。なぜかこの子に対して毎月給料が支払われたことになってはいるが、この子の手には渡っていないようだ。」
小男のいい訳をすぐさまジャックが否定する。
「い……いや……あの……その……。」
「ふん……お前は俺の妹の婿養子だが……小心者のほうが悪いことしないからいいと思って妹に紹介して結婚させたんだが、どうやら見込み違いだったようだな。
お前の店は十分潤っていて……特に3年半ほど前からはよく働く従業員のおかげで売り上げが5割増しと言っていたはずだな。おかげで従業員の給料も通常よりも多めに支払っていると報告を受けていたんだが、そのすべてを着服してやがったのか……。
しかも先日は……元従業員の子供が身寄りがなくて店を頼ってお貰いに来て困っているというから、手下を貸してやってクエストを引き受けそうな冒険者も紹介してやったんだ。ゲス野郎が……お前は帰れ……。」
恰幅のいい男は、キセルをくゆらせながら小男を睨みつけた。
「ひ……ひえ……。」
頼りの兄に見捨てられ、小男は肩を落として引き返していった。
「身寄りがない子供だが体は丈夫そうなので、人買いに売ればかなりの儲けにもなると聞いたんだが……確かにずいぶんと育った子供のようだな……まだ中学生くらいの歳なのか?名は何という?」
男はキセルを一口吸うと、ゆっくりと息を吐きながら視線を美都夫に移した。
(おいっ、名前を聞かれているぞ。今の話し方からすると、あの小男の義理の兄らしいが、どうやら奴の味方ではなさそうだ。名前くらいなら言っておけ。)
「み……美都夫です。」
「美都夫か……妹がいたのか?小学生なのに妹を学校へ通わせるために働こうとするとは感心だ。えらい兄さんだな……だが悪い大人にあっちまったな……3年間も騙され続けていたのかかわいそうに……。
まあ、普通の大人ならいくら体が大きくても小学生を雇おうとはしないから、親を失った子供をかわいそうとは思うが、なかなか手を差し伸べることも出来やしないのだがな。
騙されたとはいえ、おかげで3年間は食うには困らなかったんだろ?不詳の弟のしでかしたことは確かに悪だが、勘弁してやってくれ。住むところを追い出されて、幼い妹を抱えたまま野垂れ死に……ではなかったからよかったとでも思ってくれるとありがたい。」
男はそういうと、うまそうにもう一口キセルを吸った。
(まずいな……こいつはうまい事言って、貯まった給料払わずに逃れようとしてやがる。)
「おいおい……3年間食わせたんだからありがたく思え……ってことで、済まそうってえ魂胆か?だったらこっちは警察へ訴えるまでだ。そうなったらお前の義理の弟はどうなる?」
すぐにジャックが切り返す。
(ふう……ジャックがいてくれてよかった……)
「ああ……次郎のことか?あいつならどうなっても構わないさ……店としては確かに給料を支払った記録はあるのだろ?着服したのは次郎だ、全ての罪を奴が背負って刑務所へ行ってくれるだろう。
妹にはすぐに三下り半を書かせるよ……それで済だ。」
男は平然とキセルを楽しんでいる。
「ちょ……ちょっと待ってくれアニキ……。」
美都夫たちを通り過ぎて通用口へ向かっていた次郎が、振り返って駆け足で戻って来た。
「お前は帰れといっただろ?いい稼ぎになるといっていたはずなのに一転して、どうして大金を払わなければならない羽目になったんだ?その責任はどこにある?」
男はキセルを下向きにして左手首に軽く当て、中の燃え尽きた灰を地面に落としながら冷たく告げると、膝から崩れ落ちるように次郎は地面に座り込んでしまった。
「儲けと言えば俺だって……店に悪さをする子供をうまい事捕まえたら人買いへ売って、分け前をくれると聞いていたんだがな……ところが行ってみると、まったく事情が異なっていた。
全てはこの次郎とかいう小男のせいではあるのだが……俺たちだってじゃあ分かった、これから警察へ行きますって訳にもいかなそうだ。こいつが離縁されちまったら、溜まった給料をとりっぱぐれちまうからな。
お前さんだって折角の儲け話をふいにして……このままじゃああ治まらないだろ?次郎から電話をもらって、準備だってしてあったはずだ。ここで事情を聞いて気が変わったのかもしれんがね。
どうだろう……俺としてはこのまま帰りたくはないのだが……。」
それでもジャックは何とか交渉を続けようと試みているようだ。
(ジャックは、何を交渉しようとしているのだ?)
(なんとか給料を払ってもらおうとしているんじゃないの?)
(うーん……分からん……。)
「あんたは冒険者だったな?しかも現役の……俺ももとは冒険者だったが、あんな割が合わない商売はないぞ。稼ぎはそこそこいいのだが……同じ命のやり取りをするのなら、もっと稼げる方法はいくらでもある。
組合を通さないクエストを引き受けるような輩だから……まあ全て健全ということではなさそうだから、その辺りの事情はご存知のようだな。
仕方がないな……お前さんの顔に免じて……だが要求する全額なんてとても無理だぞ?」
男はキセルの吸い口から逆に吹いて、中の灰を吹き飛ばした後それを懐に納めながら、ジャックへ視線を移した。
「ああ……それは問題ない。うまい事やって俺は礼金にありつければ、それで文句はないのさ。」
「分った……じゃあ屋敷へ入ってくれ。」
男はそういうと着流し風の男たちをその場に残して、踵を返すようにして母屋へと歩き始めた。
「美都夫……全額は無理のようだがそれでも幾らかは取れそうだ。屋敷に向かって歩いていきな。」
ジャックは美都夫に振り返ると、男についていくよう促した。
(ど……どうする?)
(うーん……キセル男の罠ということも考えられるが……ジャックがついているからここは信用して行くしかないな。このまま帰ったら、一銭も取り返せないことになっちまう。)
(分った。)
美都夫が意を決して歩き出した途端に、玄関前にたむろしていた着流し風の男たちが大勢やってきて、美都夫の前から屋敷へ向けて2列に並んだ。
飛び石のように置かれた平たい岩は、大きく右へ蛇行しながら連なっているが、着流し風の男たちは母屋に向かって一直線のルートになるよう平行に左右に並んで立っているので、その間を歩いて行く美都夫は岩ルートを辿ることはできず、そのまま玉砂利の上を歩きだした。
そのうちに玉砂利の音が変わり、美都夫の踏み出す足が止まった。
(右へ飛べ!)
”ドンッ”美都夫が右へ飛ぼうとした瞬間、背後から強い力で押され、美都夫はそのまま前へつんのめるようにしてたたらを踏むように片足で進んだ。
次の瞬間、足場が突然消え、そのまま大きな体ごと落下……数秒かかってようやく地面に着地した。
(大丈夫か?足は……怪我はないか?骨は折れてはいないか?)
(うまく足から落ちたから……それでも結構高かったから、足首はねん挫したかもしれない。)
(そうか……治癒魔法を後でかけるとしよう。それよりも……一体どういうことだ?ここはどこだ?)
見上げると、はるか上に光が見え、覗き込んでいる人の顔が……あれはジャックだ。
「おーい……大丈夫か?」
「はっ……はい……大丈夫です。」
(丁寧語なんか使わなくていい、恐らく奴が裏切ったんだ。)
(えっ?裏切り?)
(一瞬足場がおかしくなって飛びのこうとしたのを後ろから突き飛ばしたのは、多分ジャックだ。次郎とかいう小男の力じゃあ、お前はびくともしなかっただろうからな。)
(で……でも……どうして?)
(分らん……だがあのまま行くと、次郎を訴えることはできても、恐らく金は一銭も入ってこなかっただろう。裁判したとして……次郎とかいう店の主人の罪は暴くことが出来たとしても、小学生や中学生だったお前に対して、正当な労働の対価が支払われるのかどうか……払うことになるにしても結審は何年も先だ。
それよりも……寝返ってお前を捕まえて礼金をもらうということに切り替えたんだろう。
とんだ日和見……というか風見鶏野郎だ。準備をしていたんだろ?と次郎のアニキに問いかけていたが、あれは金のことではなくて、この落とし穴というか罠のことだったわけだ。まんまとしてやられた。)
「な……なんてことするんですか!ここに来て裏切るなんてどうして?信じていたのに!宿に置いて来た妹はどうなるんですか?」
ジャックに裏切られたと告げられ、美都夫は取り乱しながら井戸の底から上に向かって叫んだ。
(馬鹿野郎!妹のことを言ってどうする?ジャックが言っていたが、こいつらはいわゆる人買いだぞ!妹がすぐ近くにいることが分かったら、お前の次は妹が売られることになってしまうじゃないか!)
(あっ……)
(あ……じゃねえよ。まあどうせ、ジャックには知られているから今更……だけどな。動揺するのは仕方がないが、余計なことをしゃべっても困るから、なるべく黙っていたほうがいい。)
(分った)