ジャックの裏切り
8.ジャックの裏切り
「裏切ったというか……悪いね……俺は金にならないことはしない主義なんだ。お前の溜まりに溜まった給料を取り返して、礼金として半分くらいせしめてやろうと思っていたんだが、その一部さえ無理と判って手のひらを返させてもらった。お前を懲らしめて人買いに売り払えば、依頼されたクエストも完了だ。
組合に一緒に行って書類にサインさえしてもらえば、これで地域貢献の奉仕活動も済ませたことになるし、礼金まで頂けるっていうのは有難いことだ。」
ジャックは井戸の上から身を乗り出すように上半身を晒し、底にいる美都夫に話しかけてきた。
(ちいっ……もう少し早く奴の心変わりに気づいてさえいれば……)
(仕方がないさ……でも、どうする?)
(どうするって聞かれても……な。)
「ここは、使わなくなった枯れ井戸なんだそうだ。落ちると危ないからいつもは柵をして、置石で道標をしているそうなんだが、お前を捕まえるのにちょうどいいと考え、急いで蓋をして偽装したらしい。
俺には一目でわかったよ……そこそこうまい事作ってはいたけどな。
これからロープを下ろしてやる……おとなしく捕まるというのなら、それを伝って登ってこい。ただし、両手両足にこの手錠を付けろ……鎖の長さは長めで60センチあるから、手錠をしたままでも上ってこられるはずだ。手錠を付けていないことが分かったら途中でロープを放す、いいな?」
井戸の中を覗き込んでいるジャックが長いロープを垂れ落ろし、更に銀色に輝く鎖のついた手錠を2本投げ入れてきた。
(どうする?)
(手錠を付けて登って行くしかないだろ?ここにずっといるわけにもいかないし、いくらお前が大男で力が強くても、素手でこの井戸の壁を上って行くことはできないだろ?)
円柱形の井戸の中は岩が隙間なく積まれていて、岩と岩との隙間も水漏れ防止のためか漆喰か何かで塗り固められているので指など入りそうもないし、深さは数mはありそうだが見上げてもでっぱり部分など存在しない。そのため、壁を伝って登って行くことは困難と思えた。
(とりあえず、足首は治癒魔法をかけておこう。自分で自分に体力回復魔法はかけられなくても、痛んだ部分を治癒することはできるはずだ、その分体力が失われるから軽度な治療しかできないだろうがね。いいか……昨日唱えた魔法とは途中から呪文が異なるぞ……俺が言う通りに唱えるんだ。生きとし生けるもの全てを御霊う……)
(分った。)
「生きとし生けるもの全てを御霊う……」
美都夫は右足首に右手を伸ばし、治癒魔法を施すとずきずきと痛んでいた足首が、すっと熱が引いていくように軽くなった。少し体が重く感じられるようになったが、そのまま井戸の底に落ちた2本の手錠を両足首と両手首に取り付けた。
(少々不自由だが、何とかロープを掴んで登ってはいけそうだな。)
(ああ……山で栗を落とすためによく木に登ったりしていたから、ロープを伝って登るのは簡単なことだ。)
美都夫はそういうとロープを持つ手に力を込めて引き寄せ、右足を井戸の壁に押し付けると今度は左足も壁に押し付けふんばって、両手でロープを手繰り寄せながらゆっくりと壁を伝って登り始めた。
「おお……図体の代わりに身が軽いというか、なかなか機敏だな。こりゃあ高く売れるぞ。」
井戸の口まで登ったところでジャックが手を差し伸べてきて、美都夫はようやくから井戸から外へ出ることが出来た。だがそれは、美都夫の身の安全が確保されたということではなかった。
ジャックは両手の手錠の鎖の輪にロープを入れ、一方を美都夫の腰を一周させて背後で強く結んだ。いわゆる腰ひもである。もう一方は、先ほどキセルをくゆらせていた男の手に渡すと笑顔を見せる。
「お前さんもなかなかの悪だな。金になりさえすれば、何でもやるのか?」
「そうでもないさ。だが、金にならないことは御免だ。同じ苦労するなら少しでも実入りがある方を選択するだけだ。美都夫は若いが体は大きくて、しかも健康だ。性格はおとなしく従順だから、奴隷として使うにはもってこいだし、かなり高額で売れるはずだぞ。礼金はいくらくれる?」
ジャックは美都夫の頭から足までゆっくりと見定めるようにしてみた後で、右手を男の前に差し出した。
「そうだな……こいつは体も頑丈そうだし、人足としては上物だ。妹がいるといっていたな?妹も一緒に売り飛ばせるのか?すぐ近くに居るのだろ?」
「ああ……かわいらしい女の子だ。だが妹はちょっとの間俺が預かっておく。美都夫が逃げ出さないように人質だ。客先まで配送する途中で2人とも逃げたから、金は払わんなんて言われたら困るからな。たった一人の身内が人質だ……馬鹿な真似はするなよ!
美都夫よ……逃げ出そうとさえしなければ、ひどいことはされない。何せ目的はお前の労働力だからな。3人前働くという働き者のお前は、高値で売れることだろう。
下手に逃げ出そうなんてするなよ……妹がどうなっても構わないのであれば、仕方がないがな……」
「じゃ……ジャック!」
ジャックの非道な言葉に切れた美都夫がジャックに飛びかかろうとしたが、みぞおちにきつい一発を決められそのまま地面に倒れ伏した。
「だから言っているだろ?暴れなければひどいことはされないって……これからは気を付けろよ。妹のことは気にするな、大切に預かっておくからな。」
ジャックはその細い目をかっと見開いて、後頭部の髪を掴んで美都夫の上半身を浮かせ、ドスが効いた声で美都夫の耳元で囁いた。
「ぐっ……」
(やめろ!お前がかなうような相手じゃない。ましてや向こうは甲冑で武装しているうえに、お前は両手両足に手錠をかけられ丸腰だ。
俺が悪かった……ジャックの企みに気づいてさえいれば……)
(お前のせいじゃない……だが……双葉は……双葉はどうなる?)
(とりあえずお前が売られる先までは、人質としてジャックが保護するといっているんだ。恐らく嘘じゃないだろう。その間に……何とか対抗策を考えるしかないな……人買いなんて……早々おおっぴらにやれることじゃないから、こっそりとに馬車か何かで運ばれるのだろう。
客の中には、どうしても子供が出来ずに養子として欲しがるのもいるだろうが、そういった場合は生まれたばかりの子供を欲しがるだろう……育てられた子供が不信を抱かないようにな。ここに居る子供たちのように、ある程度大きくなってからの需要と言う場合は、性的虐待や従順な奴隷欲しさが主だろうと考えられる。
ジャックが言ってた通りに、運搬の際のスキを突くしかないだろう。必ずチャンスがあるはずだ。それまではおとなしくしておけ。)
(分った)
「ようし……小僧……というよりも立派な大人だがな……こいつは地下の座敷等に閉じ込めておけ。
取引は間近だが、上物が入ったって追加の品の目録を作らなければならないな。
ジャックと言うのか?褒美の金は、こいつがいくらで売れるか次第だ。売り上げの2割くれてやろう。ただし、お前が言う通り客先へ着かないと金は払わん……こっちの信用にもかかわるからな。
だから……こいつの輸送時はお前も一緒についていけ。客先へ着いて後金を受け取ってもどってきたら、お前の取り分を支払うことにする。それでいいな?」
男は懐から布製の筆箱のような細長い袋を取り出すと、そこへキセルの先を突っ込み、刻みタバコの葉を山盛りにすくい上げ、親指でキセルの中へと押し込んだ。そうしてマッチを擦ってキセルに火をつけると、うまそうに一口吸いこんでからゆっくりと息をはいた。
「ええっ?俺も一緒に行くのかい?だったら輸送の護衛も兼ねるということで、もう少し色を付けていただかないといけないな……」
「ふん……したたかな奴だな……分かったよ、こいつの売り上げの3割くれてやろう。だが、こいつを売り終わったら次は妹だぞ。今日び、親兄弟や親せきが全くいない孤児なんて、まず珍しいんだ。そういう捜索の足がつかない子は貴重で、高値で売れるからな。」
「いいぜ……次も輸送時の護衛込みで取り分は3割だ……。」
ジャックはその細い目を、ただの皴としか見えなくらい細くして満面の笑みを見せた。
(ちいっ……ジャックの奴め……)
「おいっ、こっちへ来い!」
着流し風の男たちに腰ひもを掴まれ、両足にも手錠を付けている美都夫は歩幅が定まらず、よたよたとふらつきながら母屋の横を通り過ぎ、裏口から地下へと連れていかれた。
階段を下りた先は薄暗い通路になっていて、木枠で仕切られた牢屋……いわゆる座敷牢が左右に延々と続いていた。
「えーんえーん」
「出してよう……ここから出して……」
「お願い、助けて!」
子供たちの泣き叫ぶ声が、座敷牢のあちこちから聞こえてくる。キセル男が言っていた通りに、人買いに売られる子供たちがここに集められているのだろう。
「お前はここに入ってろ……本来は4人部屋なんだが先客は一人だけだ。お前は図体だけはでかいから、これで満室だな……。」
着流し風の男は入ってすぐの木製の格子の錠前を開け、くぐり戸のような小さな戸を開けると美都夫の頭を押さえて中へと押し込んだ。
(いいか……この場では下手に抵抗しないほうがいい。痛めつけられるだけ損だからな、従っていたほうがいい。)
座敷牢の中は畳3畳ほどの広さで、畳の上には薄い綿入りの敷布団が短辺に平行に4組敷かれていた。だが2m近い巨体の美都夫では長辺でも身長に足りず、対角線を使わないと横になれそうにない。
2人だけで満室と言っていた男の言葉の意味が、よく分かった。
「誰?」
部屋の隅の方からか細い声が聞こえてきた。着流し風の男が言っていた先客だろう。
(人買いに売られる子供だろうな……自己紹介してやって、不安だろうから少し励ましてやれ。)
(励ますっていったって……おいらだってこれから売られていく身だし……)
(そうは言っても向こうは小さな子供だ。どう見てもお前のほうが年長なんだから、面倒を見てやれ!)
(励ますってどうすれば?)
(まずは名前と年と……学年とか……だな……特にお前の場合は学校へ行っていないから、その辺のいきさつも説明してやれ。人間は悲惨な生き様を聞かせられると、自分はまだましと安心する傾向にある。
それから向こうの名前と年を聞いてやれ。)
「お……おいらは美都夫……学校へ行っていたなら今は中3くらいかな。小6の時に母さんが死んでしまって、すぐに働いていたから学校へ行っていないけどね。き……君は名前は?歳はいくつかな?」
「ぼ……僕は……正樹……小6。先週まではきちんと学校へも通っていたんだけど、父ちゃんと母ちゃんが突然の事故で死んじゃって……借金してたらしいから親戚も引き取ってくれなくて、借金のかたに売られていくんだって……」
正樹は寝ていた布団から弱弱しく起き上がり、正座して両手を膝につき頭を垂れた。
(お互い売られていく身の上で大丈夫っていうのも変だが……言うことさえ聞いていれば、痛い思いをしなくて済むだろうから頑張れって、励ましてやれ。)
「さっき言われたけど、逃げようとしなければひどいことはされないようだ。だから言われたことに逆らわずにしていれば、多分大丈夫だ。それと……おいらは隙を……」
(まてっ!お前……関係ない子供を巻き込むのか?)
(えっ?だって……隙を見て脱出しようとしていることを教えてやった方が、この子だって希望を持てるだろ?大事な場面で逃げ遅れても困るし……)
(馬鹿野郎!もし失敗したらどうするんだ?お前だけじゃなく、この子まで罰せられるんだぞ!お前ならこん棒で数発殴られても平気だろうが、こんな小さな華奢な体をした子供なんか、一発であの世行きだぞ!人買いなんて奴らは他の子への見せしめのために、逃げようとした処罰は公開で厳罰に処すはずだ。
逃げようとするんならお前ひとりだけで実行するんだ。その時にうまい事他の子も一緒に救出出来たら、いい……という程度にしておけ。それだって逃げているときに捕まったら、ひどい罰を受けることを承知させた上で連れて行くんだ。軽く、一緒に逃げようなんて誘っちゃあだめだ。
確実な勝算があれば別だがな、分かったか?)
(わ……分かったよ……)
「ああっと……ごめんな、あまり励ますこともできずに。だけど、生きていることが一番大事だからね。変に抵抗しようとしないほうがいい。」
「うん……ありがとう。」
正雄はそういうと、再び薄い敷布団の上で横になって丸まった。
(これからどうする?)
(どうするって……さっきも言ったようにすきを窺っているしかない。いくらお前が怪力でも、この格子は壊せないだろ?)
座敷牢の檻は木製の格子ではあるが、恐らく樫の木の1辺が15センチはありそうな太い枠木で組まれていて、接合部分には鉄製のL字やT字に十字の金具が用いられ釘で止めてある。到底人力で破壊することは、不可能と思えた。




