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ホルムの大迷宮  作者: ふくべおさひら
2/10

最悪な気分

大迷宮に挑戦する見習いが発表されてから早7日


現在聖堂院は長期の休業中であった


この期間は殆どの見習いが実家に帰ったり、推薦元に飛んで行ったりするせいで、元々広かった聖堂院内がさらに広く感じた


いま聖堂院にいる人間はスミス夫妻の他に、ハリーのような親のいない低学年の迷宮孤児や、推薦先に飛ぶ準備中の見習いのみである


ベンも明日か明後日にはセオルの迷宮ギルドに発つと言っていた


ベンはこれからの準備で忙しく、この3日くらいは殆どハリーも会えていなかった


その間はとても退屈だった


この期間の間はスミス夫人が寮まで起こしに来ないので、昼に起きてウェールズ内の喫茶店や町を徘徊し、遅い時間まで高い岩場で夕日を見ながら黄昏ている


そんな生産性のない1日を送っていた



いざ聖堂院の授業や仕事がなくなると、自分には本当に何かやることも情熱もないのだとハリーは改めて感じるのだった


そして8日目の今日も、同じように街を徘徊しては、空潮風の靡く高台のベンチで1人街を見下ろし、魂の抜けた目で夕日を眺めている



これからどうしようか



ベンやアルベルト、優秀な攻略者見習いには推薦が来る


チェルシーなんかも凄かったのだろう



それに比べて自分といえば、生まれてこのかたそんなものは一つだってもらったことがない


最近貰った手紙といえば、下町の喫茶店のお手伝いの紙だけだ


寮にいる全員に配られたものである




最高学年になるまではなんとかなるのだろうと思っていたが、実際そうではなかった


手を抜いてやってきたらツケが回ってくると散々言われてきたが


まさにその通りだった



スミス夫人が言っていたことと、全く同じような道をたどっている



"このままだと、あなた私の言った通りの人間になってしまいますよ!?"



あの金切り声を思い出すとムカムカしてきた



いいさ、どうせ自分はその程度の人間なのだから


どうせ大した人間にはなれないのだから



スミス夫人も自分のことなんかほっといてくれればいいのになぁ



頭の中で思ったことは、冷たい風に消えて流されてゆく



気づけば日は沈み、あたりは真っ暗になっていた


ウェールズの浮遊岩盤群は夜になると一斉に明かりがつき始める


この高台から見えるその景色はやはり美しい


しかし、そんな夜景も今のハリーの心を満たしてくれはしなかった








聖堂院の寮に戻ると、自身の部屋の前で大きな荷物を降ろしたベンと、あのチェルシーが談笑しているのが見えた


ハリーは廊下の角で彼らに気づくと、無意識に彼らの見えない位置に隠れた


なぜ隠れてしまったのかは自身でもよくわからなかったが、でも、なんとなくあの横を通り過ぎるのは嫌だった


なにより劣等感を感じるからだろうか







「おめでとうチェルシー、挑戦者が君なら僕も喜んで諦めることができるよ

アルベルトとかだったら、納得できなかったかもしれないけど」



ベンは苦い顔でアルベルトの顔真似をした


それを見て、チェルシーは美しい微笑みを見せる



「ありがとう…でもアルベルトだって、張っていたわ…

私も彼には気にくわない部分もあったけれど、いつも近くで見てきてわかったの

彼だけじゃない、他のみんなもそうだった

もちろん貴方もよ、ベン」



チェルシーはベンの腕を叩き、彼を励ます



「どうかな、もうちょっと頑張れたかもしれなかった…それは少しだけ後悔してる」



ベンは叩かれた方の腕を顔の前に掲げる



「この手で大迷宮を解き明かしたかった

ずっと昔から夢だったんだ

あそこに登るのがね

だが、今の僕じゃ足りないものが多すぎる」



「チェルシーには僕の夢を預けさせてほしい

いつか登る時があればもちろん行くけど…

自分にその時があるかどうかはわからない

だから、先に君が叶えてくれるかい?」



ベンは腕を顔からチェルシーの胸のあたりの高さまで下げる



「ああ…ベン、私なんかじゃ貴方の期待に応えられるかはわからない

でも、やれることはやれるだけやってみる

じゃないと、貴方にも聖堂院のみんなにも悪いものね…任せて!」



チェルシーはベンの手を取る


ベンはすまないなと呟くとチェルシーと抱き合った



「チェルシー、君ならやれるさ

君には届かないかもしれないけど

いつも君の幸運を祈ってる」



ベンはチェルシーの肩を叩きながら、そんなことを言った



「ありがとう」




ベンとチェルシーはお互いを認める仲だった


それこそチェルシーのほうがずっと成績は優秀だったが、ベンの温かい人柄はそんな壁もあまり関係のないことだった


ベンはチェルシーを尊敬し、チェルシーもベンが攻略にかけてきた思いを知っている


こんな関係の友がハリーにいただろうか




いいや、1人としていない





「さて、もう遅いわ…

貴方も明日早いのでしょう…?もう寝ましょう」



「ああ、そうだった

じゃあおやすみチェルシー、また明日」



「ええ、おやすみベン」



2人は会話を終えるとそれぞれの部屋に戻っていった


ハリーは廊下の角で一連の会話を聞いていたが、再び死にそうな気分になった




自分は自分のことをあんなに気にかけてくれる隣人に、代わりに願いを聞いてあげたなんてことがあっただろうか



記憶の知る限りで、彼にしてやれたことなど一度もない



ハリーは大きなため息をつくと、また考えることをやめて自室へと歩き出した


静かに、横にいるベンには聞こえないようにドアを閉めるとすぐに布団をかぶる


明日、ベンが出て行く前に一言声をかけよう


彼はそれでも許してくれる



優しい、人なのだから







……








短い夜を抜けた朝、ハリーは既に準備を終えたベンとともに聖堂院の正門にいた


そこにはスミス夫妻やチェルシー、その他のまだ聖堂院に居た年少の見習い達が彼を送り出す為に集まっていた


ハリーは正門に来るまでに"あっちでも頑張れよ"くらいの言葉をベンに伝えたが、彼はそんなお世辞をよそに、ハリーのことをいつまでも心配していた


"気にするな、お前は自分の心配をしろ"とまたいつもと全く同じ回答を返してしまったが、ベンはそれでもハリーのことを時々大丈夫かどうか見にくると言った


ベンは本当に友達思いな男だ


ここにきてまた改めて感じる


こんなに優しくされると、自分が悪い人間なのかと勘違いしそうになる



実際にそうなのだが









「ベン、忘れ物はありませんか?

もう一度確認しましょう」



スミス夫人とその他見習いが彼の持ち物確認をしている間、ウィンストン院長はベンの肩を叩いて彼を鼓舞した



「君は自慢の生徒の1人だ

今まで君を教えることができて幸せだった

辛くなったらいつでも戻っておいで」



ウィンストンの言葉が響いているのか

ベンの目尻は小さく濡れていた



「ありがとうございます…頑張ります」







持ち物確認が終わって、全員が彼とハグをする頃には、近くの民家や建物の煙突から白い煙が上がり始めた







「じゃあ、遅れるとまずいのでもう行きます

今までお世話になりました…」



ベンはカバンを背負ったままハリーたちに向けて深く腰を折ると、聖堂院へと続く長い石段を下っていった


チェルシーや見習いが声を上げて彼を見送る中で、スミス夫人はハンカチで目元を抑えている


ウィンストン院長はといえば、ベンの姿が朝の霧に隠れるまでまっすぐと彼の後ろ姿を見つめていた



濃霧が朝の風に流され、陽の光が聖堂院を照らす頃には、ベンの姿は既に見えなくなっていた





「さあ、冷えるから中に戻ろうか」



夫人やウィンストンは年少の見習いの手を引きながら、聖堂院へと戻って行く


ハリーはというと、たった1人の友達がいなくなってしまったことに喪失感を覚えていた


そのせいで石段に腰かけてからはなかなか動くことはできなかった





(ベンがいなかったら、自分はどうなっていたかわからないな…)



彼の存在は、認めたくはないが大きいものだったということに今更やっと気づく


彼には、言えること言えただろうか


もっと他に言葉があったのではないか


色々な思いが頭をめぐった














「この1週間で殆どの見習いがここを出ていって、残るはアンタと私だけね」




急にハリーの背後からあの声が聞こえた


それは昨夜に聞いたそれと同じものだった




「アンタはいつここを発つの?」



チェルシーはハリーが今1番考えたくないことを聞いてきた


成績が悪いのを知っているくせに






「さあ、わからない

夫人にもまだ何も言われていないし

これからどうなるかなんて…正直考えてない

少なくとも君が出て行く後になるから…

だから、君には関係ないことだろう」



ハリーが吐き捨てるようにそういうと、チェルシーはワンピースをなびかせながらハリーのことを鼻で笑った


ハリーは彼女が苦手だった


だから今まで彼女を避けてきた






「へぇ…なるほど、まだ逃げてるのね

あの頃と何一つ変わってない

いつになったら本気でやるつもり?」




チェルシーはハリーの目の前にゆっくりと足を伸ばす


ハリーはチェルシーと目が合うと、すぐに目をそらした



「きっと君には一生わからないことさ

迷宮のことしか考えてない君やベンとは違う

僕には僕の道がある」



ハリーは石段の割れ目を見つめながら、安っぽい言い訳をチェルシーに返す


すると、チェルシーはそんなハリーが癪に触ったのか、ムッとした後に嘲るような笑いを見せる



「またそんなこと言って逃げるんでしょう?

嫌なことには全部蓋をして見ないふりをすることなんて誰でもできるくらい簡単だもの」



と、ハリーを煽る








最悪だった


早く切り上げたい会話だが、うまい言葉が見つからない


彼女は口も達者である


何も持っていないハリーが、何を言っても勝ち目はなかった







「…正直、アンタのことは嫌いだわ」



「夫人や院長が熱弁をふるってくれている授業も机に伏せて寝ているだけ…

授業をまともに受けていないから、簡易迷宮に連れていってもらっても何もできない

ベンがどれだけアンタの尻拭いをしたか知ってるのかしら?」



「アンタはじぶんに余裕がなくて、自分しか見ることができないから、他人の事なんてどうでもいいのかもしれないでしょうけど

夫妻やベンの期待を全部投げ出して、蹲って腐っているだけじゃない

私だったら恥ずかしくて、表に顔を出せないわ」




チェルシーに返す言葉はない


だが、今更そんなこと言われてもなぁ


ハリーはそれくらいしか思えなかった


まるで心が腐ったゴミのように、臭いを放つだけで、動くことはできなかった




「なによ、何か言い返せることはないわけ?

どうせ心の中も不貞腐れているだけなんでしょう?

そんなんじゃいつまでたっても屑のまんま、アンタみたいなやつは何をやっても同じよ」




チェルシーは、引き続き嘲笑と呆れの笑いを向けながらも的確に痛いところをついてきた


こんなことを言われたら、ムカついて彼女に飛びかかるくらいが普通なのだろうが、やっぱりハリーにはそんなことをする気も起きなかった


早くこの時間が終わらないかと、朝靄を眺めているだけだ




しかし、チェルシーの言った言葉の全ては体の中に溶けていく


図星を突かれて、体から辺な焦りが吹き出るのもいつも通りだった






「…院長や夫人もベンも僕がやればできるみたいな期待をしてくれているみたいだけど、そんな期待をされる方が返って迷惑なんだ

僕はそんなにまともな人間じゃない

君や見習いのみんなとは違ってね」



「僕は君たちみたいな生き方は好きじゃないし、やろうとも思わない

どうせ人生なんてなんとかなるものだろうし、心が疲れるのは御免だ」



ハリーは用意出来る精一杯の言い訳を並べた


どれも嘘だらけの継ぎ接ぎだが、この場を乗り切るしょぼい言い訳としては機能してくれるだろう


ハリーはチェルシーが次に喋るまで、顔を上げるつもりはなかった







「…そう、なら何を言っても同じね

ベンがアンタのことを気にかけて欲しいと言っていたから、少しは話し相手になってやろうとでも思ったけど、とんだ見当違いね」




チェルシーは呆れた声でそう言うと聖堂院の方へ踵を返した





元々、チェルシーとハリーは小さい頃からお互いのことを知っていた


それも、他の見習いやベンが来るよりも前から


なぜなら2人とも孤児だからだった



幼い頃から聖堂院で共に過ごした幼馴染なのである


しかし、決して距離は近いとは言えなかった


12歳になる頃には、チェルシーは姉同様攻略者の才能を努力で開花させ始める


ハリーはといえばその頃くらいからずっと無気力なままだった


落ちこぼれと実力者の距離は開くばかり


元々まっすぐな性格のチェルシーと真反対のハリーとは相性が悪いということもあっただろう



ハリーは、輝かしい爪あとを残すチェルシーを見ていると、劣等感で死にそうになるのだ


同じような境遇にも関わらず、ここまで差が出てしまったのだから





(自分だって、好きでこんな自分になったわけじゃない)



ハリーは胸の中で、できるだけ大きな声で叫んだ













「チェルシー、ハリー!ちょっと院長室まで来てくれるかい」



不意に背後の高い場所からウィンストンの声が響く


聖堂院の正門のちょうど上は院長室になっている


ウィンストンが今開けている窓からはあの"大迷宮"が見えるらしい


ハリーはあまり入ったことがないのでよくは知らない



「はーい」



チェルシーはウィンストンに向けて明るい返事を返す


先程ハリーに向けた言葉よりも随分と軽い



彼女はすでに正門まで歩いていたが、ハリーの方に向き直ると、呆れた顔でハリーのことを見た





「ほら、早く来なさいよ」




ため息をつきながら、軽蔑するような目つきでこちらを覗く


全く綺麗な顔が台無しだ



そんな顔をしないでくれ




「…最悪だな」




ハリーは重い腰を上げながら誰にも聞こえない声で愚痴を呟くと、正門に向けて歩きだす




何を言われるのだろうか


想像するだけでも嫌な気持ちになった







……











「2人に大事な話がある」






2人、とはハリーとチェルシーのことだった


ハリーだけじゃなくチェルシーも

チェルシーだけじゃなくハリーも


2人にとって大事な話ということである



ハリーは当然自分のことについて、あのチェルシーの前で夫人や院長からガミガミ説教を食らうものだと思っていたが、どうやらそれは違うらしい


なんせ、セオルの役人と数人の攻略者


なんと、辺境に住む老攻略者のアルマ・スタンリーまでいるのだから



流石に広い院長室もこれだけの人数がいると、随分と狭く感じた




「チェルシーもハリーもよく聞いてほしい」



ハリーは驚いた顔でチェルシーの方を見た


チェルシーもハリーの方を横目に見たが、すぐにウィンストンの方に目を向け直す




「私だけじゃなくてハルもですか?」




チェルシーが聞くとウィンストンはそうだと答える


ハリーは本当になんのことかわからなかった






「明後日、チェルシーには大迷宮に行ってもらうわけだが…少々問題があってね」



ウィンストンはチェルシーの目を伺いながら話を続ける


チェルシーは疑わしい顔をしながら、ウィンストンの目をまっすぐ見る





「…みんなで話し合ったんだがチェルシー、やはり君の主張は許可できない」








「えっ」



チェルシーは驚いた声をあげた


その顔は焦ったような顔だった


相変わらずハリーには全く話が見えてこない


ここで浮いているのは自分だけなのかと、ハリーは除け者の気持ちになった




「どうしてですか?

今更、そんなこと言われても…」




青ざめたチェルシーをさし置いて、セオルの役人が口を挟む



「君は姉と同じがいいと言ったらしいが…彼女の場合は君とは状況が違う」



チェルシーは困惑した顔を隠せない


役人はさらに続ける



「彼女は青熊を連れていただろう」



「青熊は人よりも何倍ものパワーがあるし、生命力もずっと高い

君の姉は1人きりで攻略してるとはいえない

違うかい?」



「それに君は女の子だ…

この世の中には、攻略者でもクズみたいなやつだっている

ちゃんと守ってもらわないとダメだ」





チェルシーはさらに青ざめた


何かを察したかのようにハリーを見てからすぐにウィンストンに向き直る



「そんなこと…じゃあもしかして…」




次はスタンリーが口を挟む



「今の時代、一人で迷宮に行くことが自殺行為に等しいことは知ってるだろう…」



スタンリーは自分の足を見せた


シワシワの細い足だが、魔物に齧られたであろう凄惨な傷が太ももに刻まれている


ハリーとチェルシーはその傷を見て顔を歪ませた





「私は旦那をつけて、この傷を負った」



足を元に戻すとスタンリーはチェルシーに続けて問う



「お前は怪我をして動けなくなったら死ぬ

誰も助けてくれないからね

私は夫がいたから助かった

どっちがいいかなんてことは、利口なお前ならわかる事だろう」




チェルシーは険しい顔をしながら、スタンリーに対して声を荒げる



「私はあなたとは違います…!1人でも生きていける!その自信があります!」




ハリーの額には少し焦りの汗が滲んだ


ピリッとした緊張が入る


こういう状況はそばにいるだけでも嫌な気持ちになる


早くここから出たかった







「チェルシー…いいかい?私から言わせればお前は小娘の小娘でしかない

大迷宮をナメすぎなんだ」




「今のお前じゃ、一層を抜ける前に死ぬよ」




スタンリーの声は重かった


普段の、あのアカプリのクッキーを渡す時の笑顔はない


同じ人とは思えないような気迫だった


ハリーの首にはさらに汗が滲む






「だからって、ハリーを連れて行けってことですか…!?冗談じゃない!ずっと1人を想定して準備もしたのに!」



チェルシーはハリーを指差して、先ほどよりも大きな声でウィンストンに叫ぶ




「は!?」



ハリーは思わず声をあげた


ハリーにはチェルシーが何を言っているかが一瞬わからなかった


興奮したチェルシーをなだめるようにウィンストンは話を続ける



「そうだ、君を1人では行かせることはできない…マチルダも元々はバディを組んで行くつもりだったことは知っているだろう?

前日に相方のエスローが大怪我をしてしまったから…仕方なく青熊のペロを連れて行ったんだ」



スタンリーに向けられていたチェルシーの険しい顔つきはウィンストンに移る



「だからって…どうして彼となんですか!?

もし1週間早く言ってくれれば他の見習いの子にも話を聞いてもらえたかもしれないのに!」



すっ飛びすぎた話の内容に、ハリーは理解が追いついていかない


馬鹿みたいに口を開けたあんぐり顔から普通の顔に戻せないでいた


だが、なんとなく自分の置かれた状況は体に入ってくる




「君も知っているはずだ…

他の見習いはみな成績が出る前から推薦先と契約済みで、それが破棄できるのは選抜に選ばれた君だけだ」



ウィンストンは落ち着きを装った声でチェルシーに告げる


その声はいつもよりも冷たい



「そんな…!なら選抜を2人にしたらよかったじゃないですか、それなら契約も破棄できるし、私も納得できました!」




チェルシーはウィンストンにすぐに切り返す


ウィンストンの額には少しだけ汗が滲んでいるのが見える


彼もまた焦っているらしい




「そうだったかもしれない、僕も今回はいくつも選択を間違えた…

だが君と合う選抜を選ぶことはできなかったんだ」



「なぜなら、君にも選抜発表前に聞いたはずだ…バディを組むとして、他の成績上位者を連れて行くなら誰を連れて行くか?って」



「他の子にも1人ずつ聞いて行ったよ、アルベルトからフラマスまでそれぞれね

そしたら、君の話になると皆口を揃えてこう言ったんだ

"チェルシーとバディは組めない"とね」



チェルシーは先ほどよりもさらに困惑した顔になった


眉間にシワを寄せている




「…そんな…だからって、そんなの!」



チェルシーはウィンストンに震えた声をぶつけるが、そんなこともお構いなしに話は続く




「理由は様々だ…君の性格や考え方、好き嫌いなども含めてたくさんあった

やはり、そのほとんどが君の勝気な性格と合わなかったんだと思う」



「でも、1人で行けばスタンリーさんのいう通り、本当に一層で死んで終わりだ

君がいくら努力していたとしても、大迷宮は君の努力なんかに一切聞く耳を持たない」



ウィンストンの言葉は彼女の心の壁を壊すには十分な威力だった



「そんな、そんなの…!

だからってこんなやつを連れていけなんて…」





チェルシーはハリーに指をさしながら叫ぶ


彼女は唇を噛み締めながらウィンストンをにらみ続けた


その目からは今にも涙がこぼれそうだった


すぐにスミス夫人がチェルシーの肩を抱いて共に部屋を出るようにチェルシーに促す


わなわなと肩を震わせながら横を通りすぎるチェルシーの姿は流石に可哀想だった


ハリーはチェルシーの気持ちが自分にも入ってきた気がした


彼女が自分なら、こんな落ちこぼれを連れて行くのはごめんだろう








しかし、ハリーにはわからなかった



ウィンストンはなぜあんなこと?




ハリーはウィンストンを疑った


今更なぜ?


知らなくていいはずのことをどうして今言うんだ?


理不尽である



そう思うと、なぜかハリーはウィンストンに腹が立ってきた


チェルシーとは組めないとぬかしたアルベルトやその他成績優秀者にもだ


だれも彼女のことをわかってない




寂しい後ろ姿のチェルシーと夫人が院長室のドアの向こうに消えていくと


ハリーはすぐにウィンストンの方を見た






わからない


ハリーにはウィンストン達が何を考えているのかわからない


スタンリー達が何を考えているのか全然わからないのだ





ウィンストンはため息を一つつくと院長室の机に腰をかける


セオルの役人もスタンリーもしばらくその後は特に何も言わなかった








「どうして…今更あんなことを…?

知らなくていいことばかりだ

周りが彼女をどう見てたとかなんて今の彼女に必要なことではないでしょう

それとも、彼女に慢心を捨てさせるためですか?心をへし折ってでもですか?」



静寂を切るようにハリーはウィンストンに問いかける


言いたいことがたくさんある


黙ってなどいられない気がした



「彼女は利口です

あんな言い方をしなくても理解できる

そもそも院長や皆が彼女に決めたんでしょう?

ならどうして彼女を信じてあげないんですか?

1人だって迷宮を攻略できないなんてことは分からないでしょう?

エリーだってそうだったはずです」


「それに、急にバディを組むにしたって

どうして僕なんです?

僕じゃなくたって、見習いじゃなくたって、大迷宮に挑戦したいという有能な攻略者はたくさんいるはずです」


「僕はこんなことを言われたところでバディを組むつもりはありませんでしたが、それでもチェルシーが可哀想だ」


「彼女は僕と違って価値のあるやつなんです

あなたも彼女が小さかった頃から知っているでしょう?

頭は硬くて頑固だけど、それは頑張り屋でまっすぐなだけです…

僕にならまだしも彼女にあんなこと言うのは間違ってる」


「見たくもなかったがずっと見てきたんだ

彼女はあんなことを言われるような人じゃない…そうでしょう?院長が一番知ってるはずです…」



まだまだ言いたいことはあった


しかし、何を言ってもウィンストンはハリーに対しては顔色ひとつ変えない


彼はじっとハリーの方を見るだけだった



ハリーもウィンストンの目を困惑の目で見返す




しばらくの静寂の後


今度はウィンストが口を開く



「大事な話はチェルシーだけじゃない、君にもあるんだよハリー」





何のことだ、また説教でもするつもりだろうか


今は自分はチェルシーことについて言及しているのに


ハリーの心境は久し振りに熱くなっていた



だが、ウィンストンはそんなハリーを気にするつもりもなく







「君は…本当に今のままでもいいのかい?」




と、より鋭くハリーを見つめた



その目にハリーはたじろぐ


一気にチェルシーの話の時に高まった熱が逃げていくのだった






「今僕はチェルシーのことを…」



ハリーは目をそらしながら少し声を荒げた


ウィンストンがまっすぐこっちを見てるかどうかはわからなかったが、その圧はビリビリと伝わってくる


嫌な汗が拳をなぞった











「…君だけだぞ」









「推薦書が来なかったのも、見習いの中でDをつけなければならなかったのも君1人だけだ」







「っ…!!」





先ほどは拳だけだった嫌な汗がハリーの全身をなぞり始める


鼓動が早くなり、頭から血の気が引いていく


わかっていても、いざ口に出されるとこんなにも心にくる


さっきのチェルシーが言われたことに比べれば、自分自身のことだけだというのに






「僕たちは君を留年させるつもりはない

留年させたところで、君が今のその様から変わることが期待できないからだ」


「君はあわよくばここに残れるとも考えていたのかもしれないが、今回ばかりはそうはいかない」


「明々後日には荷物をまとめて寮から出て行ってもらうつもりだ

それ以降のことは好きにすればいい

下町で働くのでもいいし、そのまま世界を巡る旅でもすればいいさ」


「君の望んでいたであろう自由を返すよ」



ウィンストンは腕を組みながら淡々と言葉を吐く


その全てがチェルシーの時と同じように、ハリーの体に溶けていった




「君のような人はね、僕は何度も見てきた

結構いるんだよ、驚くほどにね…

何も持っていないから何もすることができない」


「そうやってすぐに目をそらすのも癖だ

人間逃げることは悪いことじゃないが、君は逃げすぎなんだ

ツケを払う日を先延ばしにしすぎている」


「そしてすぐに泣き寝入りして、自分で自分の首を絞めて殺すんだろう?

聖堂院の皆から言わせれば自業自得だよ」



「まあ、僕らにも非があるといえばそうだ

君を甘やかして育ててきたのは他ならぬ僕たちだし、実際君はそれに答えていた

だが、チェルシーやベンだってそれは同じだったと思うし、僕たちは君だけを特別甘やかしていたわけじゃない」



度重なる言葉の猛攻に、ハリーは今にでも声を上げて泣き出してもおかしくなかった


今のところ痛いところしか叩かれていない


頭がおかしくなりそうだった






「…何故かなんてことは聞くつもりはない

でも、君は10歳になる頃にはあんなに迷宮が好きだったじゃないか…

僕に大好きな迷宮の伝説を話してくれてたじゃないか…

あの時の君はどこへ行ってしまったんだ」



「それとも君には他に何かあるのか?

革を鞣すことが人より得意なのか?

つるはしを作るのがとっても上手いのか?

歌や絵画に自信があるのか?」






ハリーは目をそらしたまま下唇を噛みしめる


握りこぶしにはいつもより力が入ったが、やはりウィンストンの質問には答えられない



「…やっぱり子供の頃の君は嘘じゃなかった

君は迷宮が好きなんだろう?

どうせ今の君にも迷宮しかないんだろう?

口ではなんとも言えるが、違うかい?」








「…………………」





やっぱりだ


無言のハリーを見てウィンストンはそう呟く






「同じだよ、君もチェルシーも僕もそうだ

ここにいる人間は全員生まれた時から迷宮に囚われている」


「他の生き方は、もう無理だろうな」






ウィンストンの言葉はひどく冷たいものだった


それはチェルシーの時よりもずっと冷ややかな、まるで"鉛"のようなものだった


心なしか、セオルの役人もスタンリーの目もチェルシーの時よりもずっと冷たい


ここに自分を擁護してくれるような人間は誰1人いない


ここでもどこでもハリーは一人ぼっちだった






「これは君のためだとか、そんな説教は毛頭するつもりはないが、忠告しておくよ」


「今の君のような人間は何をやっても満たされずに、これから何をしても上手くはいかないだろうね」


「将来君が思い出すことだろう

そういえば院長が言っていたことと同じような日々を送っていると

その時は悔しいぞ?自分が嫌いなんてもんじゃない、耐えられなくなるはずさ」



「君はそうでもいいのかい?ハリー」






それがウィンストンから告げられた最後の言葉だった


ウィンストンはハリーが何も答えられないのを見て、再びため息をつくとセオルの役人とともに院長室を後にした


部屋に取り残されたハリーはしばらくの間そこから動くことはできなかった


悔しさや怒りを通り越した虚しさが、その足と床をしっかりとくっつけていた


全てはお見通しというわけだった


頭の中ではいろんな言葉がぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまって、何も考えられない


その中でも痛いところを突かれた言葉たちが、どくんと鼓動を打ちながら響き続けている









「ここにいる限り、ただ生きるだけじゃダメかもしれないね

一つ一つ考えて生きることをしなければ、生きることも楽しくないのと同じさ」



木の椅子に腰をかけたスタンリーがハリーに声をかけた


ハリーがより辛かったのはスタンリーにこんな姿を見られたのも1つだった


見破られてはいたものの、今まで彼女には自分が優秀な人間であると匂わせてきたのだから




もうスタンリーの方を向くことはできない





「チェルシーとバディを組む提案をされたのはハリー…お前に降りかかる最後のチャンスと言ってもいいだろうね」




「ただ、無理強いするつもりはないとウィンストンも言っていたよ

なにせ命がかかっている事だからね」



スタンリーは木の椅子から腰をあげると、杖をつきながら院長室のドアに向けて歩き出す



「今までは誰かに決めてもらってたかもしれないけどね、今回ばかりはお前が自分に聞いて自分で答えを出しな」


「どっちを選択したところで自分に利益があるとかじゃない、お前が行きたいか行きたくないか本能で決めるんだよ」




それだけ残すと、スタンリーも院長室を後にした


その後は、空虚だけがハリーの周りをぐるぐると立ち込める





何もない、ウィンストンの言っていたことは全て本当のことだ


ハリーには何もない、何一つ、持ってこなかったからだ


ハリーが投げかけられた言葉は、チェルシーに投げかけられた心配の言葉とは全く違う物だった


呆れと失望、その塊である



今までチェルシーやベンがあんな事を言われたことがあっただろうか


こんな当たり前でくだらない事を言われていだことがあっただろうか







やっぱりそれはハリー1人だけであった


1人だけ最初から取り残されていたのだ


皆が長い人生という道を走る中、自分だけが途中で座り込んであくびをしている


その差はどんどん広がり、追いつけないほどに広くなっていく


気付いた時には、皆が豆粒のような小ささになってしまっているのだ


ハリーがしてきたことは至極簡単である


彼らの方や、自分のことを全く見ないで空を見上げるだけだ


雲の流れを眺めては、雲になれたらなどとしか考えないことだ


誰にでも、いつだってできることだ




ハリーの人生は、結局普遍的なものでしかなかった



それが何よりの悲しいことの一つ


自分が動けなくなる理由の一つ




ハリーにはもう何一つとして自分を守るものがなくなった




自分で作った嘘の壁が、自分のせいで崩れてしまったのだから


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