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ホルムの大迷宮  作者: ふくべおさひら
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鐘楼の鳴る朝に

誤字脱字、ちょっとここおかしいなあという場所がありましたらご報告ください











"忘れちゃいけないよ


この力は誰かを守るために神様がくれたもの


間違っても傷つけるために使ってはいけない


貴方と私の大事な約束にしよう


ほら、もう泣かないで


きっと大丈夫


貴方はできる子だもの"








……

………
















雲の上、その更に上を浮遊する岩盤群の街、"ウェールズ"では今日も朝を知らせる鐘が鳴り響く


その鐘は太古の昔から、きっかり6回ほど鳴らされると決まっていた


ゆったりと10分に一度、合計で1時間ほどの時間をかけて鳴らされる


何処から、誰が鳴らしているのかはわからないが決まって朝の6時にはじまり、7時に終わる


鐘が鳴り止むころには、岩盤の壁面にフジツボのようにびっしりと張り付く民家の煙突からは続々と白い煙が立ち始める


鐘は街が目覚め始める合図でもあった





ウェールズの中心部にある総合ギルド、"聖堂院"も目覚めるのは鐘が鳴りはじめてから



朝早くから"迷宮"へ行く"攻略者"達の情報登録や、迷宮攻略団体への人材派遣など仕事はたくさんある


攻略者の他にも貿易商人や国外からの入国者の手続きをするのもここ


そのことから、聖堂院は朝早くから多くの人手が必要なのである


そうなると、聖堂院に隣接する寮に暮らす、ハリー・ヘルストフィール達


いわゆる"攻略者見習い"が朝早くから手伝いに駆り出されるのも当然のことだった





……









どうにも眠れない夜が終わったのは、"夜明けの大鐘楼"が最初に震えた後のことだった


いつもなら鐘が鳴る前に起きていたはずだったが、昨日は珍しく寝付きが悪かったようだ


寝る前に"黒山羊の目玉"を食べたせいだろうか


あんなものを食べれば、夢に出てくるのはわかっていたはずだった


しかし、あの絶妙な味がたまらない





朝の空気は小さな部屋を満たし、小窓の外側では浅い霧が立ち込んでいるのが見える


そんな霧の中、すでに聖堂院の正門の前の階段には長い列ができている


相変わらず仕事熱心な人たちである


いつもいつも感心だ


外はこんな寒いのに


自分まだ寝ているというのに




顔を覆うほどのボサボサの髪をかきながら、大きな欠伸をした


すると、廊下に出るドアに貼り付けた鏡に、その大間抜けな一連の仕草が映し出される


我ながら髪が長すぎるせいか、目がかくれてしまっていて顔は殆ど見えない


まるでモップの先っぽである



汚らしい



自分で思って、小さなため息をついた








「全員起きなさい!朝ですよ!」




ドアの向こうの廊下では、目覚めのベルをかき鳴らしながら、寮母のスミス夫人がキンキン声を吐き始めていた


この声を聞かされると、もう寝たくても寝られなくなる


隣の部屋のベンによると、20年前に寮が開かれてからずっとこうやって起こしに来てるんだとか


いつの時代も自分みたいなのがいたからだろうか


困った先輩たちだ





「特にハリー・ヘルストフィール!貴方は掃除に来るのがいつも遅いわ!早くしなさい!」



スミス夫人は鏡の貼ってあるドアの向こうに立つと、誰よりも念入りにドアを小突いた


吊るしているだけの鏡が小刻みに揺れ、その奥に映るボサボサの顔もまた揺れる


夫人の姿は見えなくても、その圧は十分に伝わってきた


枕で耳を塞いでも、彼女は起きたと確定するまで何度でも追い打ちをかけてくるのだった



スミス夫人「起きてるのかしら!?返事は!ヘルストフィール!」



相変わらず、心を逆撫でする金切り声だ




「はい…起きてます」




力のない声でそういうと、夫人はよろしいと呟いて次の寝坊助の所に向かっていった


かなり距離が離れているというのに、またあの騒音が聴こえてくる


朝から元気な人だ



いつになっても慣れることはないなと、心の中で静かにつぶやく


枕元で光るペンダントの中の彼女だけが、相槌を打ってくれた気がした












"攻略者見習い"の朝は早い


寮で暮らす人間はなおさらだ


朝の支度を整えたらまずは寮と聖堂院の掃除


気の遠くなるほどに長い廊下と、自分の部屋をモップや雑巾で水拭きをする


長い通路や階段がたくさんあるので、手分けしてやらないと日が暮れる


次に聖堂院を開くための準備


まずは裏向きにした看板をひっくり返し、電気泥棒の内部装飾を光らせる


煙突の蓋を取り、長い棒で天窓を大きく開ける


などなど、聖堂院を開く手順はたくさんあった






やっとのことでそれが終わると、今度は自分達で朝食を作り、目が覚めきっていない体にエネルギーを流し込む


鐘が鳴り終わるまでにやらなければならないことが山ほどあるおかげで、朝はとにかく忙しい


朝の支度を終えたら、お昼までそれぞれ配達や聖堂街の手伝いなどに向かう



本格的な見習いとしての仕事は午後からである




そんな見習いの1人、ハリーは今日も自分より大きな荷物を抱えていた


昔から細身なのに何故か力が強かったハリーは、配達の時にはいつも大きな荷物を持たされる


大きすぎる荷物のせいで前が見えず壁面を転げ落ちそうになることも何度かあった



浮遊岩盤から下の雲へ落ちた場合はどうやっても助からないため、ここでは配達程度の仕事でも命をかけなければいけない


こんなの子供がやる仕事ではないのではないか


心のつぶやきは壁面を吹き抜ける風に乗って消えた







人々が岩盤群に暮らすようになった時期は、正確には誰も知らない


1000年前という話もあれば、10000年以上前から暮らしているという噂もある


どれも嘘かもしれないし、本当かもしれない


その前の歴史がどうだったかとか、下の世界はどうなっているかなんてこともいつのまにか伝承されることなく消えた


誰も昔のことなど興味がなくなってしまったのだろうか


ハリー自身も岩盤群の更に下の雲の海の世界には興味は湧かない


どうせあの下にも、空と同じで青い世界しかないのだろうから





そんなこんなで空の民が作ったのが、岩盤の上に広がる街、このウェールズである




また、ウェールズといえば"迷宮"の街


はるか空の上の更に上に続く迷宮とともにある街である


今では人口はほかの岩盤群よりも何倍も多く、行き来する人の量もとても多い


大国のセオル国家には、コンタクトのあった50年前から所属はしておらず、国家に属さない独立岩盤群というのはよく知られている


帝都岩盤群から離れた北の空にひっそりと浮いているせいもあってか、住民の気質も鎖国的であった


ただ、そのせいか

迷宮関係以外の技術はあまり進歩していない


近年は人の出入りが多くなったことにより、それもだいぶマシにはなったが、依然として他の岩盤群に比べて技術的に遅れているということに変わりはない


極端に言えば住民も迷宮の事しか考えていない街だ


まさしく、迷宮と共に生きる街


迷宮バカの街である




そんなウェールズの経済を支えているのは、やはり"迷宮"とそれに挑む"攻略者"であった


岩盤群が生まれた直後にどこかの誰かが天空に向けて作った迷宮は、空に暮らす人々にとっての希望の1つであった


宝物や魔物などのロマンに溢れた迷宮は、まるで人々が幼少期に読む絵本のような世界だった


そんな人を惹きつける魅力が迷宮にはある


岩盤群はウェールズ以外にもいくつもあるがウェールズの経済の潤いっぷりを見れば、迷宮が街を豊かにする要素の一つと言っても過言ではなくなるだろう


人が集まれば経済が回るのも当然ではあるが、それ以上に迷宮というものが人々の意識や興味を集めるものだということ


それが、経済だけでなくウェールズを支える要素の一つであった






そんな大層な迷宮に挑戦する人間達は、時に"攻略者"と呼ばれる


その攻略者も、ここウェールズを迷宮の街たらしめている要素の一つ


攻略者という言葉は正式なものではなく、ウェールズの住民が勝手につけた俗称である


他でどう呼ばれているかは、その岩盤群毎に異なっている


ハリーはそれをよく知らない



攻略者は岩盤群に生える無数の迷宮を攻略し、迷宮の中で得たお宝や素材などを下まで持って帰ってから売りさばくことで生計を立てている


階層が上がるほどに取れるものは良質なものになって行くため、皆一攫千金のために上を目指す


ウェールズの攻略者たちは、大迷宮の影響もあってか、その腕はほかの岩盤群とは違って皆一級品であった








ハリー・ヘルストフィールはそんな職人達の見習いの1人


ウェールズのこれからを担う、若い攻略者の卵の1人であった
















「ああハリー…いつもご苦労さま

またお茶でも飲んで行きなさい」



高度が1番低い浮遊岩盤のさらに端に住む攻略者、アルマ・スタンリーの家はいつもハリーが最後の配達に向かう場所だった


スタンリーはもう70を超える高齢にもかかわらず、いまだに現役の攻略家である


年老いてはいるものの、その知識と経験は今の攻略家よりも比べものにならないほどのものを持っている


こんな辺鄙な場所に住んでいる理由はよくわからないが、やっぱりすごい人ではあった


なんてったって"二等攻略者"の1人なのだから






ハリーは彼女の家に着くといつもお茶をご馳走させてもらっていた


こんな辺境の地にわざわざ赴くのだ


お茶やクッキーくらい出してもらわないと困る


そんなことはハリーも口には出さないものの、スタンリーもそう思われても仕方ないような場所に住んでいるという自覚はあるらしい


ハリーが来るたびに、お詫びの印か、いつもアカプリのクッキーを箱で渡してくる







それにしても、スタンリーの家はどこかノスタルジックな気分になる場所だった


古いティーカップのセットや、淡い色に変色した新聞記事の切れ端が壁一面に広がる


家の中なのに、驚くほど緑が多い


それは観葉植物が所狭しと並べられているからだった


手入れが行き届いているのか、どれも喋り出しそうなほどに活き活きとしている


天井に近い壁には、ボロボロになった攻略道具やつるはしが吊るされていた


中には紅茶を淹れるスタンリーの丸い背中よりも大きな物もあった


流石にもうあんなものは使っていないのだろうか


ハリーは少しだけ気になった





「私も年だねぇ、最近は自分で買って持って帰ることが億劫になってしまって…

お前が配達してくれているから随分と助かっているのよ…」



紅茶を小さなカップに注ぎながら、スタンリーはそう言った


皺の入った手には無数の古傷がのぞいている


それでもどこか温かみのある、優しい手だった





「いえいえ、仕事ですから

遠慮せずになんでも頼んでください」



玄関のそばの椅子に腰を下ろし、ハリーはスタンリーから紅茶の入った熱々のカップを受け取った


ほのかに甘く、説明し難い香りが鼻を通り抜けて行く



「クッキーを焼いたのだけれど、いるかしら?」



「ああ、ありがとうございます…貰います」





スタンリーはかつて、夫のデイヴと"バディ"を組んで攻略家をしていた



30年前に"大迷宮"の"エリア3"にまで踏み込むことができたが、そこにいた"ヒドラのデーモン"にデイヴが殺されてしまって以降、スタンリーはパートナーをつけずに1人で迷宮に潜っている



スタンリーに辛いことがあったというのは、ハリーもスミス夫人からよく聞かされていた


子供もいないので、言葉には出さなくても寂しいという思いはある程度あるんだろうなと、ハリーは時々思った


そんなことを考える度に、ハリーには紅茶を淹れる彼女の丸い背中がもっと小さく見える




「お前はいつも私の家に来てくれるけど…

嫌じゃないかい?私の荷物は重いだろう?」


「人より力持ちなんだろうねぇ、すごいじゃないか」



スタンリーはポッドを傾けながらそんなことをハリーに言う


あまり褒められることのないハリーは、スタンリーが褒めてくれるのは素直に嬉しかった


聖堂院にいても良いことがないなら、ずっとここでスタンリーに褒められていた方が幸せだろう


ハリーはすぐに調子に乗った



「いやぁ、大したことじゃないですよ

まあ、誰にでもできることじゃないかもしれないですけどね…」




クッキーを齧りながら浮ついた顔でスタンリーにそんなことを言うと、彼女はこっちを向いて微笑んだ



「そりゃあすごい、お前は優秀だね」





スタンリーはクッキーの入った紙袋をハリーの椅子の横に置くと



「これを聖堂院のみんな配ってあげて」



と告げた





「任せてくださいよ」




ハリーは眉をハの字にさせたまま紙袋を持ってスタンリーの家を後にした



気分がいいなぁ




帰路についたハリーは思った




ハリーはまだまだ子供だった


それは自分では知らない






……











聖堂院を運営しているスミス夫妻の元に、今年も一通の手紙が届いた


やけに高級な封筒に入っていて、いつ、どんな状況で見ても不気味だと感じる手紙である


しかし、手紙が届いたということは今年もそういう時期になったという知らせだった


自室の長椅子に腰をかけながら、ウィンストン・スミスは頭を抱えた



聖堂院はちょうど30年ほど前から、攻略者の育成を行っている


元攻略者のスミス夫妻を中心に攻略者のノウハウを子供に教えるという、商業ギルドの他にも攻略者のための学校という側面もあった


親の跡を継ぐという子供や、攻略者として働こうとする子供を中心に約100人ほどの生徒を受け持っている


中には親を早くに亡くし、行く宛てのない孤児達もいる


スミス夫妻にとってはその全員が小さい頃からよく知る子供達なのだ


その中から、あの"大迷宮"に挑戦させる見習いを選ぶというのは残酷なことでもあった




この20年、大迷宮へ送った見習いの殆どは何年経っても帰ってきていない


3年に一度は、誰かしら無残な姿でここに戻ってくる


その生の根元までしゃぶり尽くされた白い姿を見るたびに、夫人は深く泣き崩れるのだった




しかし、そんな状況を目の当たりしたとしても、大迷宮に挑戦する見習いの中でこれまでに文句を言う子供は1人もいなかった


皆笑顔でここを出発しては、その顔が遺影となるのが殆どである事を知っていてもである



今年の見習いもまたそうなのだろう




15歳になったばかり、しかも女の子だ




同年代の誰よりも迷宮のことを研究していて、誰よりも迷宮のことを愛している子である


時にはセオルの攻略者団にスカウトされ、助手としてついて行っては幾つもの簡易迷宮を攻略している


腕や知識は本職顔負けのものだった






チェルシー・スクエルト




10年前に彼女の両親は大迷宮で亡くなり、2つ上の姉とともにここにきた


ウィンストンはあの時の顔を今でも覚えている


活発な姉に手を引かれ、あどけない顔でこちらに笑いかけてきた







チェルシーにはまだ伝えていない


きっと驚くこともなく、怯える様子もなく


そのことが当然だったとでも言うように


あの凛々しい顔でただ頷くだけなのだろう




彼女はおそらくわかっている


ウィンストンが彼女を選ぶことも


自分が選ばれるということも










院長室にノックが響いた


妻のスミス夫人がドアをゆっくりと開け、紅茶の入ったカップとクッキーを盛った皿を乗せたトレイをウィンストンの前に置く


その顔は少し翳りを見せている







「…ルチアーノ、大丈夫かい」



ウィンストンは紅茶をすすりながら、夫人に問いかける




夫人は黙ったまま目を閉じて首を縦に振った





「そうか…」



紅茶の付け合わせに運ばれて来たクッキーを齧りながら、ウィンストンは自身の、長髪の頭を摩った


口の中ではアカプリの葉の香りが、いっぱいに広がる







「彼女の目を見てきたからわかる」



「背中はあの時のマチルダと同じさ…

チェルシーからは時々、彼女の面影が見えるようになったんだ」



ウィンストンがそう呟くと、夫人の翳りはさらに暗くなった



この時期になると、いつもは気の強いルチアーノ、もこんなにもしおらしくなる


当然だろう


自分よりも早く起きては、毎日生徒達を起こしに行き


教鞭をとった時には、家族のように怒ったり褒めたりするのだ



彼女はウィンストンよりもずっと、彼らに愛情を注いでいるのだから




「ルチアーノ、ここにいる皆はやっぱり攻略者の子供なんだろうね

わかるよ、僕らの大切な子供達だ」



「ここに来た日の顔も、いつも僕らに笑いかけてくれる顔も全て僕らの宝物だ

手放したくないのは僕も同じさ」



「でも、やっぱりやらなくちゃいけないんだ

それが僕たちの義務なんだから」



「大丈夫、チェルシーもこれまでの子と同じくらい優秀な子だ

絶対"頂上"まで行って帰って来てくれる

もし途中で挫けても、きっと"みんな"が守ってくれるはずだよ」



「僕たちがチェルシー達見習いを信じてあげないのが、1番いけないことなんだ

だから大丈夫、絶対帰ってくるさ」




ウィンストンは自分でそう言いながら、とても胸が痛かった


こんなことをしなくていいならば、するわけがない


小さい頃から面倒を見てきた子供たちをわざわざ死にに向かわせるようなことなんて、誰でもしたくないに決まっている




スミス夫妻がずっと若い頃、彼らもまた大迷宮に挑戦したことがあった


ウィンストンが大怪我をしたのですぐに引き返したが、やはりどの迷宮よりも凄まじい場所だった


2人はその時20代



20代でも、十分にきつい場所だった


恐ろしい魔物や殺気の漂うトラップ、聞いたこともない病気や異常な環境下


そして何より迷宮内を立ち込める"狂気"


ただの簡易迷宮の100倍以上の難易度と言われているのも、あながち嘘ではないのだろう






それを15歳になったばかり


まだ思春期も迎えていないかもしれない子供を向かわせる





彼女がつらいのもよくわかる


ウィンストンも同じ家族なのだから



震えるルチアーノの肩を抱きながらウィンストンは大丈夫と呟く


夫人も、夫の胸に顔を押し付けて静かに泣いた





院長室の窓からは天高く昇る迷宮達がいくつも見えた


その中でも一際目立つあの左手の迷宮こそが、数多の命を吸い取った"大迷宮"である


未だに1人として完全な攻略をした人間はおらず、頂上までたどり着いた"トーカー"すら1人もいない


挑戦者の多くが途中で死亡し、運良く戻ってきてもウィンストンのように再び攻略者ができないような体になってしまうなんてことも多い


近年では上層の魔物が下層に降りてきてしまったせいで、昔よりもずっと攻略がしづらくなっている




果たして、あの大迷宮が攻略されることはこの先あるのだろうか




ウィンストンは窓の奥の大迷宮を見つめながら、頭の中を漂う不安を外に投げかけた


その答えも慰めも、帰ってはこなかったが








……










聖堂院の仕事は、今日は昼で終わりだった


なぜなら、この一年の聖堂院で受けた授業や仕事に関しての成績表が返されるのと、10日後に大迷宮へと向かう見習いを発表することになっていたからだ


配達を終えた見習いは全員、広い講堂に集められていた



ハリーは隣人兼同じ攻略者見習いであるベンと共に、ざわついた講堂のちょうど真ん中あたりに座っていた







「なあハル、お前どう思う?

やっぱチェルシーかアルベルトかなぁ

俺も結構頑張ったつもりだけど…」




ハリーの視線の先には大きな教卓がはっきりと見える


教卓ではスミス夫妻とセオルの役人、何人かの攻略者が話し合っている


講堂はざわついてはいるものの、やはりピリッとした空気の緊張は漂っていた






「さあ、どうだろう…もしチェルシーだったらお前をバディとして連れて行ってくれるかもしれないぞ」




横のベンに煽るような返事を返し、机の上で寝る体勢をとった


ハリーにとってこの時間は正直どうでもよかった


スミス夫人にも問題児の視線を向けれられているし、成績も優秀なわけじゃない

むしろ最悪なくらいだ


自分には縁のないこと


ハリーは目をつぶりながらそんなこと思った



成績表は当然返されて気分のいいものではないし、できることならこの時間をサボっていたい


どんよりとした何かがさらに気分を下げる




「おいおい、そりゃあ無理だぜ

俺じゃ彼女の右腕としては器が小さいよ

というか、俺が選ばれた時はどうする?」



ベンは静かに笑いながらハリーにそう返す



「無理だろ、俺とつるんでる時点でダメだ

たとえばもっと意識を高く持って、優秀者としてふさわしいやつと友達にならなきゃな」




ハリーはあえて意地悪な返事を返した


普通に"そうだな"と返せばいいというのに




「さすがハリーさまさまだぜ…まるで選抜に選ばれたことがあるみたいだ」



ハリーのすぐ横にあるベンの顔は、軽口を叩くにしては固いものだった


その目は光輝く宝石のような美しさを放っている


ベンもこんな茶番にお熱なのだろう


しかし、彼は自分にはないものをたくさん持っている


好きなものに燃やす情熱がある


ベンという存在が、自身の気分を下げる要因の一つであることもわかっていた





講堂のざわめきはスミス夫人が教鞭で教卓を叩いたことによってピタリと消えた


散らばっていた意識が1つになる


その後に口を開いた見習いは1人もいなかった




「皆さんもわかっていると思いますが、これから成績表を返した後に大迷宮に挑戦してもらう見習いを発表します

ここから少しでも騒いだ人には直ちに出て行ってもらいますからね」




張り詰めた空気の中で、スミス夫人は瞬きせずに講堂全体を見回した


講堂に集まった見習い全員の顔を、そのフクロウのような大きな目でじっくりと眺める


もちろん顎に手を乗せたハリーのことも見た


いつもだったら金切り声を上げていたかもしれないが、今回だけは何も言わなかった





「…ではまず院長からお話をしてもらいます」



スミス夫人はそう言うと教卓の脇にはけ、代わりにウィンストン院長が教卓の前に立った


ウィンストンは少しの咳払いをすると真剣な面持ちで口を開く


その声色は2年前と同じく厳しいものだった



「今から成績表を返却するが、君たちが気になっているのはやはり選抜のことだろう」


「君たちも知っている通り、今年は選抜の年だ。20年前から…今年で9回目だね」


「2年前も4年前も、その10年前も同じように見習いが旅立つ背中を見送ってきたけど、それはどれも昨日のことのようだ」




「チャーリー・ノーズ…彼は最初に大迷宮に挑戦した見習いだ

15年前に骨になって見つかった…心優しく、素晴らしい攻略者だった」


「エリー・オストラヴァ…皆も知る通り今や三等攻略者の1人で、彼女に憧れる見習いも多いと思う…伝説となった攻略者の1人だ」


「スティング…彼は12年前に挑戦した見習いでね、まだ帰ってきてないんだ

きっと1番上にまで登っている違いない

マイペースな子だったから、ここに戻ってくるのも面倒なのかもしれないな」


「チャン・インソク…彼女は静かな攻略者だった…でも、誰よりも優しく、攻略の熱意がある子だった

つい10年前に挑戦したが、ほかの攻略者を庇って魔物に食い殺されてしまった…噛み穴と血で滲んだドッグタグしか帰ってこなかった」


「ダドリー・キンクスとウェンヴリー・フェルチ…2人とも息ぴったりのコンビだった…

二層まで行くことができたけれど、途中2人で迷宮から飛び降りた

迷宮に続くまでの、"亡者の沼"に叩きつけられた…2人とも即死だった…損傷がひどく識別は困難を極めた」


「カートン三兄妹は君たちの中でも知っている人がいるかもしれないね

彼らは初めて兄妹で迷宮に挑戦したんだ…

全員が勇敢な攻略者だった

長男のパークと次男のヒューイ、末妹のレヴィ。彼らはすごいぞ、三層まで行ったんだ

当時挑戦していたほかの攻略者たちがその快進撃に驚いたらしい

でも、三層の途中で兄妹喧嘩をしたきり、2度と彼らが揃うことはなかった」


「リットン・カーバンクルとセオルの傭兵たちのことはわざわざ言わなくてもいいくらい最近の話だったね…

リットンは明るい子だった、セオルの傭兵たちも強者ばかりだった

関係も良く素晴らしいパーティのはずだったんだ

でも、なぜかうまくいかずに一層で皆バラバラになってしまった

リットンや残った傭兵の皆は迷宮内で病気になってしまって、すぐに戻ってきたけれど体調は良くならずにその全員が帰らぬ人となった…」


「つい2年前、マチルダ・スクエルト…彼女は"バディ"をつけずに大迷宮に挑んだのは覚えているね?

まだ帰ってきてはいないが、今に"トーカー"となって帰ってくるかもしれない」




ウィンストンは歴代の"攻略者"全員の名前を読み上げると、険しい面持ちをさらに険しくさせた






「…3人だ」



ウィンストンは3本の指を立てると、教卓の前に手を突き出す



「死亡していないもしくは死亡が確定していない聖堂院の攻略者は11人のうちたった3人しかいない」




講堂内の緊張は、さらに艶を増す


近くでは唾を飲む音が聞こえた



「その3人の中でも聖堂院に戻ってきているのは…エリーだけだ」




ウィンストンは薬指と中指を折った


真上に立つ人差し指だけが、窓の外の光を浴びて煌めく





「三等攻略者になれるような攻略者でなければ、行って帰ってくることすら難しいということは…わかるね?」



「聖堂院の成績だけが全てじゃない…でも、優秀な子でなければ話にならない

成績の悪い子が攻略できるわけがない

それは優秀な子でも死んでいるからだ」



「やはりトータルの成績がAよりの下の子は選抜には選ばれていない

これから返される成績表を見て一喜一憂する者もいるだろうが、それが自分の実力だ

納得がいかなくてもそれは自分の責任だ」



「いいね?何度も言うようだが、大迷宮は今まで君たちが挑戦して来た簡易迷宮とは訳が違う

自分が選ばれなかったとしたら、自分の努力が足りなかったということだ

そこのところは理解しておいてほしい」





緊張の線が最高に達したところで、ウィンストンは硬い顔をほぐす




「それでは今から成績表を返す

番号順に教卓の前にならんでくれ」




ハリーは重い空気がだいぶ薄まったところで顔を上げた


横に座るベンの額には冷や汗が流れている



院長の言ったことも、どうせただの脅し文句にしか過ぎない


大迷宮がそんなに甘くないということを伝えたいだけなのだろうが、そんなものみんな耳にタコができるくらい聞いている


今更そんなことを言われたところで、ビビることなんてないだろうに


ハリーはベンにそう言おうと思ったが、やめておくことにした






続々と成績表が返され、中には目に見えて悔しがっている者や、嬉しそうな顔をする者もいた



聖堂院の成績は迷宮に関する仕事をするであろう見習いにとっては、とても重要なものであった


当然、成績が良いほどその後の人生に大きく影響する


なにより、成績が良くなくても聖堂院の出身であるというだけで箔がつく







「…B+…がんばったんだけどなぁ

やっぱり大迷宮なんて夢のまた夢だったなぁ」



成績表をなびかせながら、ベンはにがっくりと肩を落とした


その顔は本気で悔しそうな顔だ


ハリーが鏡では見たことがないような顔だった





(こいつはどうしてここまで熱心になれるのだろうか…)




クシャクシャにした成績表に、ハリーまた無意識に力を入れる








ハリーの成績はABCDの4段階評価のうちD+


こんな評価となると、卒業については院長側も考慮する必要がある


本来ならD+を含む、一定の成績以下の生徒は一年余分に留年して学ばなければ卒業できないとしている


これは聖堂院のブランドを保つためという部分もある


だがそれだけじゃない




聖堂院で学んでいれば、DだろうがD+だろうが攻略者としてはそれなりに世を渡ってはいける


しかし、恵まれた環境と言える聖堂院にいながらも、ハリーのような本気を出せずにダラダラしている見習いが大した人間になれるかと言われれば、それはまたそんなことはなかった


留年は、ハリー達落ちこぼれにとっては迷惑な話かもしれないが、どうしようもない見習いの救済措置であることに変わりはない


落ちこぼれ達にでも真っ当に生きる道を歩いてもらえるようにと、スミス夫人がウィンストンに頼んで作った制度なのだ



その結果が出ているかと言えば、少々微妙なところではある


そんな留年するような人間も、これまでででもたった数人しかいなかった




ハリーのような人間はなかなか変われない


自分の実力を試しもしないうちに、理由もなしに諦めてしまっているからである


開き直りと諦めのせいで、自分の可能性を全くと言っていいほど知らない


何か情熱を注げるものもなし


憧れの存在や目標とするものもない


ただ、自分もああなれたらなぁと思いをはせるばかり


思うだけなのである




どうしてこうなってしまったのか?


そんなものは考えたところでしょうがない


何故ならはっきりと答えは出ているから



"真剣にやらないだけ"


それに尽きる


幼少期の育ち方というものも大きいかもしれないが、それはほんのわずかな一部の要素でしかない


幼少の育ちが悪くても、やれる人間はやれる




何か一つ真剣にやることができたならば、あとは全て同じ要領でやればいいということを知らない


めんどくさいと逃げている



15歳でそんなことを追求するのはおかしいかもしれないが




同じだ




ハリーのような人間は20になっても今のまま



周りがどんどん大人になっていくなかで、子どものまま取り残されていく



そんな人間は死ぬ勇気もなし


周囲に迷惑をかけて生きていく





さらにハリーたちはそれを人に言われると、すぐに腐ってしまう


どんどんやる気が遠のいて、さらに悲しい人生を送ることになる


放って置かれてもやらないし、いざ言われてももっとやらない


自分で気づいてやるしかないのだ



"自分で意識してやる"


これがハリー達のような人間にとって1番難しいことの一つと言えるだろう









「そんなことよりよ…ハル、お前これからどうするんだ?」



ベンはこちらを見ながら先ほどとは違う、残念なものを見るような目で言った


彼はハリーが自堕落な日々を過ごしているのを知っている


攻略者としての情熱や人生について真剣に考えることをしていないハリーを見ると、彼はたびたび不安な眼差しを向けてくるのだった


ハリーはこういう話がベンから出てくるたびに



「別に…どうでもいいよ

もう一年留年かもしれないから、考える時間は多分あるだろうし

来年はちゃんとやるさ…きっと」



などと言ってまともに話しあったりしたこともなかった


ベンからの真剣な眼差しを向けられると、いつもハリーは目をそらすのだった





「やっぱり…俺推薦先にお前のこと言ってみるよ、きっと気のいい人たちだからなんとか1人くらいは余分に…」




ハリーの心境は最悪だった


この講堂の天井よりもはるかに高いハリーのプライドは、ベンの一言によってより強度を増す



「よせよ、もうその話はこりごりだ

俺の心配よりこれからの自分の心配をしろ

お前は俺なんかよりずっと大変かもしれないんだからな」



ハリーには、ベンが100パーセント善意で言ってくれていることはわかっていた


彼は本当に優しい人だった


数年共に接してきて、最近やっとわかったことだ



「そうか、わかったよ」



ベン自身もハリーがこんな話をされるのは嫌だと言うことを知っているので、それ以上は何も言わない



ベンとハリーの間の空気は微妙なまま、成績表返却は終わった


ざわついていた講堂も再びスミス夫人の教鞭により、静寂へと戻る







「さて、成績表は全て返却された

皆いろいろ思うことはあるかもしれないが、これより大迷宮へ挑戦する"攻略者"を発表する」



教卓のウィンストンが講堂を突き抜ける声でそういうと、再び先ほどの緊張がまたぶり返した


一瞬、彼が次に口を開く前に時が止まったのかと勘違いするほどの静寂がハリーの体を走っていくのだった










「今年は君だ…」



















「番号4415…チェルシー・スクエルト!」








張りの効いたウィンストンの声は席に着く見習い全員の耳から耳に抜けていった


ベンがやっぱりかと小さく呟いたのも、ハリーの耳には入ってきた



しばらくの静寂の後、どこからか拍手が響き始め、ベンが流れるように拍手を始めた


ハリーも感情のこもっていない乾いた拍手を、チェルシーに向けて送る



「チェルシー、前へ」



そう言いながらウィンストンは手をチェルシーの方に向けた


ハリーが座る中央の右斜め前方に座っていたチェルシーは胸を撫で下ろしながら、教卓のひな壇の上へ向かう


セミロングのオレンジ色の髪と、綺麗な顔立ちがハリーにはどこか懐かしく感じた





チェルシーはウィンストンと向かい合うように立った


緊張で震えているのか嬉しくて震えているのか、腿のぴったりとつけた握りこぶしは小刻みに揺れている





「君にはこれを」



ウィンストンは夫人から受け取ったドッグタグと、攻略者の"バンダナ"をチェルシーに渡した


そして、両手が塞がったチェルシーの頭を少し撫でると



小さな声で、君に神のご加護を


と呟いた



チェルシーは恥ずかしいような照れた笑顔をウィンストンに返す



講堂には先ほどよりも大きな拍手が響いた




ハリーは赤く笑うチェルシーをぼんやりと眺めながら、くだらないことを考える



自分がもし彼女だったら、あんなに堂々としていられるのだろうか



背筋を伸ばして、笑顔であのバンダナを受け取ることができるだろうか



彼女はやっぱりすごい人なのだ



それに比べて自分ときたら…







ハリーは、それ以上考えることをやめた






目を通していただきありがとうございます

不定期更新ですので、気に入っていただけたら気長にお待ちください(傲慢)

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