第169話 絶望という名の演劇(2) メリュジーヌ
メリュジーヌの親は冥界でも有数の権勢を持つ悪魔の王。一人娘だったこともあり、目に入れても痛くないほど大切に育てられた。
さらに父は既知の仲であった悪魔達の神たるアスタロトにメリュジーヌを眷属にするよう頼み込んだ。実にあっさり眷属化は認められ、メリュジーヌは晴れてアスタロトの眷属となる。
先の大戦で第一席、魔神王サタン様は滅び、第5席レヴィアタン様は十二神祖に捕縛され、異界追放の刑に処せられた。
冥界に残存する魔神は第4席ベルゼブブ様、第3席アスタロト様、第2席ルシファー様のみとなっている。その冥界にたった三柱しかいない第三席アスタロト様の眷属になることは冥界では最上のステータスであることを意味する。
アスタロト様の眷属となり、人間達と契約し報酬として魔力を得る。瞬く間のうちにメリュジーヌは悪魔将まで昇格する。この昇格はアスタロト様の配下の中でも最短記録であることもあり、父は気が狂わんばかりに喜んでいた。
そんな日に日に増していく父の期待とは裏腹に、メリュジーヌは徐々にこの仕事に熱を失っていった。
無論、最初は父やアスタロト様が喜んでくれるその事実が純粋に嬉しく、そして誇らしかった。
しかしその内、気付いてしまう。メリュジーヌの今までの成功はアスタロト様が力のないメリュジーヌのために、成功するのが容易な仕事を優先的に回していたにすぎかったという事実に。
アスタロト様は配下には皆平等にお優しい方だったが、特にメリュジーヌを実の娘のように可愛がってくださった。だから、アスタロト様のこの配慮はあくまでメリュジーヌを思い図ってのもの。それはわかっていたし感謝もしていたが、納得はいかなかった。
アスタロト様が冥界の会議で留守中は新米のメリュジーヌは仕事を受ける事を禁じられていた。このときメリュジーヌは初めてアスタロト様の命令に背き、仕事受けてしまう。
そこで出会ったのだ。あの不思議な少年に。
ガチガチに緊張して臨んだ仕事の契約者はやたら横柄な人間だった。呼び出した挙句、人間はよりにもよってこう言ったのだ。
「ごめん。君に用はないや。もう帰っていいよ」
メリュジーヌにとってこれが事実上初めての悪魔契約。それなのに願いも言わずに悪魔を呼び出すための実験に使ったという。メリュジーヌの一世一代の決意にこの人間は唾をはいた。怒りのままに怒号を浴びせると、人間はその右手を明後日の方向へ向ける。
次の瞬間、光が弾けた。人間が掲げた右手を中心に灼熱の炎の海が瞬時に草原を超高速で駆け巡る。全てが焼き尽くされ広大な更地となった風景を視界に入れ、恐怖が激しく胸の底で蠕動し始める。膝が震え立っていられなくなり、地面にペタンと腰をつく。
これが我が愛しい主様との初めての情けない出会いだった。
主様はメリュジーヌに傍にいることを命じた。当初簡単だと思っていた契約内容も、主様の人間とは到底思えぬ身体能力により、直ぐに容易に達成するものではないことが判明する。それでも、必死で主様の後をついていくメリュジーヌ。
主様はメリュジーヌに魔晶石とやらの回収も命じてきたので、その後を懸命についていき、魔晶石を拾う。
メリュジーヌには主様の力をその欠片すら掴むことができない。それほどまでに主様の力は常軌を逸していた。数えきれないほどの強力なスキルを有し、メリュジーヌなど指先一つで滅ぼせる程の身体能力を持つ。本当に主様は人間なのだろうか。
その内、メリュジーヌはいくつかの事実に気付く。
一つ目が、主様はメリュジーヌが遅れそうになると待ってくれていたこと。主様から引き離されそうになると立ち止まり、ジッとメリュジーヌを見つめて来る。
二つ目が、大きな蜥蜴がメリュジーヌに迫ると必ずと言って良いほどスキルで爆砕すること。
この事実がなぜか嬉しくなって、最後の方は魔晶石とやらの回収を得意になってしていた。
夕日の光が金色の矢のように大気を貫いて大地に降り注ぐ頃、主様は本日の冒険の終了宣言をする。途端、力が抜けて地面にへたり込むと、主様に優しく抱き上げられる。人間とは言え、父以外の異性に触れられたのは始めてだ。全身がみるみる紅潮していくのがわかる。思わず、主様の首に抱きついていた。
それからメリュジーヌは主様を観察していた。
冥界でも一度も目にしたことがないような奇跡の武具をいとも簡単に作り出し、アスタロト様にさえ匹敵する配下を従える。最初はそんな人間とは思えぬ主様に対する強烈な興味からだったのだろう。
しかし次第に主様に近づくだけで身体の芯が熱くなることに気付く。その熱さがなぜか心地よくて主様にもっと近づきたくなった。触れたくなった。
だからメリュジーヌは一大決心をしたのだ。それはアスタロト様の眷属達の女子達が教えてくれた方法。決行は主様から魔力を受け取る瞬間だ。
都合よく主様はベッドに横になる。緊張で手と足が同時に動く。全身は燃えるように熱い。
主様に覆いかぶさり、抱きしめるとメリュジーヌの唇を主様の唇にそっと触れる。
心地よさが稲妻のように全身を走り抜け、メリュジーヌは幸せの眠りについた。
起きるとそこは主様と一緒に眠りについたベッドの上だった。周囲を見渡すが、隣にいるはずの主様がいない。メリュジーヌは心を掻き毟られるような焦燥のまま、主様を探しまくる。多分、この気持ち正体を本能でメリュジーヌは理解していた。
数時間探して、大きな屋敷の中で寝ていた主様を発見し、担いで主様の宿屋まで連れ行きベッドにそっと寝かせる。
そして主様が起きるまでただその寝顔をじっと見ていた。その主様の寝顔をみていたら、メリュジーヌは驚くほどすんなりある決心をすることができた。
起きた主様に契約して欲しいと懇願する。まだ少しの関わりに過ぎないが、主様は恐ろしいがとても優しい。多分、大丈夫。認めてくれる。そう高を括っていたが、「ごめん。やっぱり、帰って」と告げられてしまう。
無我夢中で主にしがみつき、唇を押し当てるが、上手くいかず、歯がぶつかってしまい、恥ずかしさと情けなさで一杯になる。泣きそうになっていると、主に様が逆にメリュジーヌに覆いかぶさり、メリュジーヌの唇を優しく奪ってきた。主様の舌がメリュジーヌの口内へ入り込んで来て、メリュジーヌの舌に絡みつく。電気がピリリと背筋を走り抜け、頭がショートし、メリュジーヌは幸せで満たされていく。
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それから主様との日々は楽しかった、幸せだった、そして愛しかった。だから、メリュジーヌは今日という日が永遠に続きますようにといつもひたすら願っていた。
でもそんな幸せはあの薄汚い人間達により壊される。
突如、メリュジーヌの身体に主様の愛しい温もりが生じる。抱きしめられていると感じた次の瞬間、主様の愛しい唇の感触が生じる。たったそれだけで、メリュジーヌの意識だけが覚醒する。無論、今は主様に魔力の供給を受け、進化が開始されており、指一本動かすことができないが、それでも主様のあの優しい温もりは感じることができた。
主様はメリュジーヌに指輪を持たせるとベッドの下にメリュジーヌを隠し仰向けに倒れる。
直後、人間共が部屋に雪崩れ込んできて主様をまるで荷物でも運ぶかのように乱暴に引きずって部屋を出て行く。
その後数人が部屋を捜索していた。このベッドの下も念入りに探していたが、このベッドの下の空間は特殊な結界になっているらしく、奴らはメリュジーヌを発見することはできなかった。奴らは何もない事がわかると舌打ちをして部屋を出て行く。
主様が危機的状況にあるのに、メリュジーヌの身体はピクリとも動かない。その事実が悔しかった。その事実が許せなかった。
この世界に来て、心のそこから思い知った事がある。それはこの世界の人間という種族があまりに愚かで下種だということだ。
同じ人間という同胞の命をたかが財物等のために実に簡単に売り渡す。
己の快楽のためだけに、同胞の肉体や精神を利用する。たとえ、同胞が泣き叫ぼうとそれを止めようとはしない。そんな救いようのない生物がこの世界の人間だ。
全てを持っている主様がいかなる目に会うかなど火を見るよりも明らか。傷つけられるのは当たり前、拷問だってされるかもしれない。
だから――だから人間などという害虫は全て颯爽に駆除すべきだったのだ。こんな目にあうくらいなら主様に嫌われてもいい、殺されたっていい。この世界の人間共を駆逐するべきだった。
でももう遅い。愚かなメリュジーヌは主様が愛しくて、その傍を離れたくなくて判断を誤った。
主様さえ無事なら、もうメリュジーヌは傍にいなくてもいい。メリュジーヌなんてどうなってもいい。だから無事でいて!
(アスタロト様っ! あちきに力を貸して!)
魂を絞りつくし、主様を救いたい一心でひたすらメリュジーヌは願う。一心不乱に願い続ける。
メリュジーヌの願いは叶い、次第に指先が動き、身体が動くようになる。頭痛と吐き気、全身からの出血。本来、数時間要する進化を無理やり進めた事からの反動だろう。このまま動かし続ければ命さえ失うかもしれない。
……でもいいんだ。メリュジーヌは望んだんだから。主様の無事を! あの主様の屈託のない笑顔を! そのためには全てを引き換えにしてやる。
ベッドから這い出し立ち上がる。脚は震え真面に立ってはいられない。真面な戦闘はできないが、それでも人間なんぞには後れは取らない。殺すだけならわけはないんだ。
場所は先ほどの衛兵とやらが『司法局』と口走ったからわかっている。
メリュジーヌは歩き出す。愛しい人を助けるため足を動かし続けた。




