第168話 絶望という名の演劇(1) デリック
(あり得ん、あり得んだろ! あのショウタだぞ?)
次々に積み重ねられていく悪夢のような現実にデリックは支部長室の机に拳を叩きつける。机はデリックの右拳により半壊し、その破片が支部長室へ散らばった。
数時間前にショウタが街中で司法局の衛兵に引きずられていったとの情報がデリックの耳に入る。
正直、ショウタがらみのこの手の情報はこの頃日常茶飯事。ショウタがヴァージルやレイナ達と親密なことを妬む貴族出身の冒険者達は日々、様々なショウタに対する噂を流している。こんな根も葉もない噂に一々対応していたら冒険者ギルドの活動自体が立ち行かなくなる。
加えて、昨晩の事件で職員は皆疲れ果てているし、今晩は貴族共の一斉摘発の予定でありできる限り負担を抑える必要があった。
この点、調査には貴族共や司法官からの聴取が必要であり、幾多の面倒な手続きが必要である。仮に調査を命じれば職員に多大な負担を強いる結果となる。普段ならいざ知らず、今晩だけは調査を強行するわけにもいかなかったのだ。
特に今回の噂はショウタが司法官の役人に無抵抗で引きずられていくという荒唐無稽な話。今のこのエルドベルクで今その事実に最も遠いのがショウタだろう。
そうだ。ショウなら兎も角、ショウタが大人しく連行されることなど天地がひっくり返ってもあり得ない。なぜならショウタとショウとは最も根本的なところで明確に異なっているから。
デリックの認識ではショウはあくまで単なる力が強い感情豊かな子供だ。自分という存在がどれほど優しく、人情に熱いのかを分かっていない。いわばあの年齢に特有の悪役に憧れる純粋な少年がショウだ。だからショウなら人質を取られれば場合によっては一時的に捕縛されることも受け入れるかもしれない。
対してショウタはショウとは対照的。普段は極めて理性的に振る舞ってはいるが、その実、己の目的のためなら一切の手段を択ばない。例え我が身さえも一切の迷いなく犠牲にできる。そんな狂った存在が、ショウタだ。これは自己犠牲などという綺麗染みたものではない。もっと狂気に満ちたもの。誓ってもいいがショウタが黙って捕縛されるなど仮に人質を取られていてもあり得ない事態だ。
それ故にあり得ないと高を括っていた。デリックの選択を嘲笑うかのように次々にショウタの司法局への連行の噂が報告される。幹部の一人からまで調査を求める意見が提出され、デリックも本格的に調査に乗り出したわけだが――。
「この――バカ野郎がぁ!」
制止できないほどの怒りに駆られ、壁に調査書類を投げつける。
今回事件のあらましはこうだ。
エッボ男爵が商業ギルドを介して、カヴァデール店の版権の侵害を理由に司法局に訴え出た。結果カヴァデール店で販売していた武具は商業ギルドに没収され、エッボの元に向かうことになる。以前からカヴァデール店にショウタが支援していたことは耳にしていた。この時点でエッボと商業組合の馬鹿共の破滅は確定していた。
奴らがここで欲望を抑え踏みとどまっていてくれていたならば破滅は奴らの下でとどまり、他に伝播することもなかった。しかし奴らはたった数臆Gの金欲しさにビフレスト王国の滅亡の鐘を鳴らす。
ショウタがカヴァデール店と通謀し、エッボの版権を侵害した武具を隠したことを理由に捕縛命令をエルドベルク司法局が出す。ここまでは確定した事実。
そしてショウタが連行されたのが真実なら昨晩のニュクスの国民と同様、ショウタは行動不能になっている可能性が高い。
とんでもない。間の悪さだ。
偶然、エッボがカヴァデール店から武具をせしめようと策謀を巡らせ――。
偶然、エッボ達の決行の前日にアイテールで紛争が起きて職員が疲れ果てており――。
偶然、今晩、貴族共の一斉摘発のため貴族らを事前に刺激したくはない事情があり――。
偶然、今晩に限ってショウに変わらず、ショウタのまま行動不能となる――。
まさに偶然に偶然が重なり、エッボ達の思惑通りに事は運ぶ結果となる。
ドアをノックし支部長室に入って来たネリーは半壊した机と床一面に散らばった紙に暫し目を見張っていたが、姿勢を正す。
「支部長、今しがたエルバート陛下とユーグ辺境伯がギルドハウスに到着なさいましたので、応接室にお通ししております」
「わかった直ぐに行く」
深呼吸を何度かして荒くなった呼吸を整え、顔を数回掌で叩き、応接室へと向かう。
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応接室へ入ると、エルバート陛下が顔を蒼白にさせてデリックに詰め寄って来る。
「デリック、ショウタはどうなった?」
「エッボ男爵の版権を侵害した武具を隠したことを理由に捕縛命令をエルドベルク司法局が発令したところまでは裏が取れております」
「デマじゃなかったわけか……」
言葉を絞り出すユーグの額にみみず腫れのような青筋が張っていた。
「デリック、余の名を用いても構わん。
エッボ男爵の捕縛とショウタの開放を司法局に命じよ。責任ならあとで余がいくらでも取ってやる」
人食い虎にでも追い詰められた激しい焦燥がエルバート陛下の顔には浮かんでいた。やはり、この人はこのビフレスト王国という国の危機をわかっておいでだ。
仮に無抵抗なショウタを司法局の馬鹿共が傷つけたらどうなる? 武具を提出させるために拷問でもしたら?
ニュクスを訪れた際の炎鬼達の態度を一目でも視界にいれれば彼らが誰に忠誠を誓っているかなど明らかだ。
もし、動けぬショウタに傷一つでもつけてみろ。十中八九、ビフレスト王国はニュクスとアイテールとの戦争に突入する。彼らはいとも簡単にあのお伽噺のような国を造り出す者達。戦闘など成立するはずもない。
それでもニュクスやアイテールだけで済めばまだいい。最悪なのはあのテューポとかいう神が間違いなくその戦争に参戦してくることだ。神話体系の頂点に位置するような神に人間ごときが抗う術などない。そしてニュクスやアイテールと異なり神が不敬を働いた愚者に慈悲など認めるものか。あるのは確実なる破滅だけ。
「申し訳ありませんが、私の名で既にエッポの捕縛命令は発しております。
部下達には抵抗するなら腕の一、二本はぶった切っても構わないとも申し渡しております。まあ少し痛めつければ全てゲロるでしょう」
「するてぇと、ショウタの保護も強行するのか?」
ユーグは顎に手を当てつつもデリックに尋ねて来る。相変わらず察しのいいやつ。
「ああ、今実働部隊を編成している。その隊には俺も加わる。
何としてもニュクスやアイテールの民に知られる前に事を済ます」
仮にも法を司る司法局に弓を引くのだ。この事件、仮にことが上手く運ばなければ、デリックはエルドベルクの支部長から身を引く必要すらある。だが、そんな事はこの国が消滅することに比べれば取るに足らない犠牲だ。
問題はこの件を知られなくない存在があと一人ばかりいるということだ。
「陛下、アゼル様は?」
「わかっておる。あ奴には知らせておらん。これ以上話をややこしくしたくはないでな」
本意ではないのだろう。エルバート陛下の顔は苦渋に歪んでいた。
「助かります。今、アゼル様に動かれては全てが台無しになる」
そもそも今回ショウタの身に何かあった際、最も危険なのがアゼル王子なのだ。
ショウは以前、ニュクスやアイテールとビフレスト王国が戦争になれば、アゼルはビフレスト王国側につくと言っていた。そんな思考しかできないようだから彼奴は餓鬼だというんだ。
アゼル王子にとってビフレスト王国は祖国であり、守るべき対象だろう。しかしそれに生涯の友を殺してまで守ろうとするほどの価値はない。天秤を掛けて辛うじて平行を保つのはエルバート、エレナ、オットー、エミーの親族に、既知の仲のユーグが入るくらいだ。
あとはよくて黙認、今回のように卑劣な手でショウタに危害が加えられたなら、怒りの鉾先はビフレスト王国の全貴族へ向く。あの王子が真に恐ろしいのは力にはない。
それはショウタと同じ。デリックでさえ跪きたくなる圧倒的ともいえる覇者の気質――己に確たる犯すことのできないルールがあり、それに抵触するもの一切の存在を許容しない。そんな暴虐性こそにある。
「俺はアゼル坊ちゃんに知らせねぇのは賛同できんがね」
アゼル王子は幼少期の一時期、このエルドベルクのユーグの館に滞在していたことがあった。同じ愛読家であることもあり、ユーグとアゼル王子はやたらと気があったようだ。
ユーグには娘のフローラだけで息子はいない。ユーグのアゼル王子に対する過度な溺愛ぶりから察するに、奴にとってアゼル王子は息子同然の存在なのだろう。
応接室がノックされ次々に実働部隊のメンバーが入って来る。
その最後の人物が部屋に足を踏み入れたとき、デリックは己の今日の壮絶なる不運さを再認識したのだった。
「よう、親父殿ぉ~楽しいこと企んでいるようじゃねぇか?」
そこには悪鬼のごとき形相の怪物がデリック達を激しい怒りに満ちた瞳で睥睨していた。




