第167話 絶望という名の演劇 開幕 ヴァージル
ヴァージルはマレット家の息女として生を受けた。一人っ子である事もあり、ヴァージルの父と母は文字通り過保護なほど大切にヴァージルを育てた。加えて、スミス家、特にバリー・スミスはヴァージルを孫のように扱ってくれた。
目に入れても痛くないほど大切に育てられた反面、ヴァージルは幼い頃から冒険者に強く憧れていた。その切っ掛けは良く遊びに来るSSSクラスの冒険者――デリックの冒険談を父や祖父から聞かされていたからだ。無論父や母、祖父もヴァージルが冒険者になるなど反対だった。父や祖父が娘に聞かせたのも自分達とは生きる世界が違う偉人のよくある英雄譚を話したにすぎず、娘にそのような予期せぬ科学反応を起こすなど夢にも思わなかったに違いない。だが一度決めた事を曲げないのがヴァージルの良いところでもあり、最大の欠点でもある。とうとう、両親の反対を押し切って、王立魔法学院へ入学してしまう。
ヴァージルには許嫁のブルーノ・マコンキーがいた。マコンキー家とマレット家は互いに貴族派と王族派に所属はしているものの祖父たちが互いに不可侵の約定を結び、仮に貴族派と王権派が争いになろうとも決して互いに争わない事を固く誓っていた。その約定の実効性確保のためヴァージルとブルーノは許嫁同士となったのだ。将来結婚する許嫁同士ということで、子供の頃からブルーノとは常に一緒だった。だが、こうした親同士の思惑など上手くいかないのが世の常である。そのせいで逆にブルーノをまるで弟のように感じてしまい、恋愛感情が湧かなくなってしまったのだ。中等科に上がった頃からブルーノはそんなヴァージルの気持ちに気付き始める。優しかったブルーノが変わりだしたのはその頃からだ。あれほど懐いていた異母兄のミッシェル・マコンキーを下級貴族の母を持つと蔑み、平民を馬鹿にし、しまいには醜悪な嫌がらせをするようにもなってしまった。
この変化はヴァージルにも一因がある事は気付いていた。だが、どう努力しようと弟以上の気持ちはブルーノには持てなかったし、いつかブルーノもヴァージル以外の女性を見つける事が出来る。ただそう信じた。
王立魔法学院への入学についてもブルーノは当然のごとく反対した。おそらく魔法学院が共学だったからだろう。大好きな姉をとられる心境なのかもしれない。
王立魔法学院の学院生活は殊の外楽しかった。ルナ・メンドンというメンドン家の友達兼ライバルもできた。楽しくも辛い思い出を数多く経験し遂に魔法学院を卒業する。
魔法学院の就職先は宮廷魔導士、聖王騎士団などが一番の出世頭だ。ヴァージルの成績と能力、家柄を鑑みれば誰もが当然に宮廷魔導士か、聖王騎士団に入るだろうと考えた。
だがヴァージルが選択したのは最も過酷で死亡率が高く人気のない冒険者だった。当然、マレット家、スミス家、マコンキー家の三家は猛反対したがヴァージルは効く耳を持たない。そこで、マレット家はデリックの元で四年間修業をして、それで家に戻るよう条件付で許可を出す。ヴァージルも四年で結果を出して家を説得する事にした。
冒険者になり、デリックの指示したクエストをこなすことにより、クラスがBまで上がる。この短期間でBクラスに上がれたのはこの十年で数人しかいないと聞かされたときは飛び上がって喜んだ。無論、この短期間の上昇にはマレット家の名が一因となっているのは間違いない。それでもヴァージルにとってはデリックのような冒険者になる第一歩。何よりクラスの上昇はヴァージルの冒険者としての成功を示す。父と母もヴァージルが四年でクラスAまで上昇していれば、冒険者として将来活動することを認めてくれるはずだから。
ヴァージルの人生の転機はある出会いから始まった。即ち――ショウタ・タミヤとの出会い。
顔が隠れるくらいの長い髪に、やけに大きな眼鏡をしており、初対面のイメージは子供そのもので、とても異性とみなすことはできなかった。
初めてショウタがヴァージルの心の片隅を占拠したのは、道端出会ったエミーという名の少女を自らが奴隷に落とされるのも覚悟で守ろうとしたことだったと思う。おそらくこのとき覚えたショウタに対する感情は断じて恋ではなく、強い興味に過ぎなかった。でもそのとき覚えた感情は徐々に増幅し、ヴァージルの気持ちを明確にそして強固に形作って行く。
そして、片隅にしかいなかった少年は忽ちヴァージルの心にズカズカと上がり込み、遂にはその大部分を占拠してしまう。勿論、特定の冒険者を特別扱いするなどギルド職員としては失格だ。だから何度も忘れようとした。そんなヴァージルの努力を嘲笑うかのように次第に気持ちは強まってしまう。そう。自分ではもはや制御できなくなるほどに――。
そして決定的な日が訪れる。ショウタの気持ちを確かめたい一心で参加したオーク戦で、オークに捕縛されたときショウタは愚かなヴァージルを助けてくれた。その泣きはらした安堵の顔を網膜が映しとったとき、ショウタに対する気持ちはあっさり爆発した。恐怖も絶望も、全て歓喜と至福に置換されていく。
それからしばらくはヴァージルにとって幸せそのものだった。
――ショウタと手を繋いだことも。
――ショウタに抱きしめてもらったことも。
――ショウタがヴァージルにキスをしてくれたことも。
――ショウタがヴァージルを受け入れてくれたこと。
今まで経験したどんなことよりも嬉しさと、嬉しさと、喜びで満ち溢れていた。
それも長くは続かない。いつの間にかショウタはヴァージルを避けるようになっていた。道で会っても碌に会話すらしてくれない。
どうしたのだろうか? ヴァージルが嫌いになったのだろうか?
碌に翔太と話せない悶々とする憂鬱な日々の中、ヴァージルの耳にショウタ・タミヤの幾つもの情報が入って来る。そのほとんどが近隣できた国ニュクスに関連するものだったが、僅かに女性事情に関するものもあった。神のごとく美しい銀髪の女性と毎日腕を組んで歩いているとか、オレンジ色の髪の女性と公衆の面前で抱きしめあっていたとか、息を呑む様な黒髪の女性と路上でキスをしていたなど、その噂はヴァージルの不安を無限に増幅させるには十分すぎるほどの破壊力を持っていた。
不安で眠れぬ日々、そしてその噂が徐々に真実だとわかるまでそう時間はかからなかった。
それでもヴァージルにはある希望があった。それはショウタと身体を共にしているショウという少年。彼はその言葉、佇まいも含めてヴァージルの大好きなショウタとは全てが異なっていた。
最近、ショウタがヴァージルを避けていたのもあの噂もこのショウが原因なら全て納得が行く。直ぐにショウタはヴァージルをあのときのように迎えて来てくれる。そうヴァージルは考えた。いや、そう信じたかったのだ。
でもショウタに会えない日々は続き、すれ違っても他人行儀な挨拶しかしてくれなくなってしまう。
友人のネリーや、ブレンダもショウタのことを悪く言うようになった。複数の女と付き合っている酷い男だというようになった。忘れろというようになってしまった。だけどそれはヴァージルの望む結末じゃない。ヴァージルの望むのはショウタの直ぐ傍にいることだから。その温もりを感じることだから。
次第にヴァージルは信じていた友人の言葉さえ耳を貸さなくなっていく。全てがヴァージルをショウタから遠ざけようとする存在に見えてしまっていた。
ニュクスの国民全員が意識消失した時、ショウをギルドハウスで目にした。居ても立っても居られなくなり、ショウに今までの不安を全て尋ねるが上手くはぐらかされてしまう。同じ身体を共有しているショウがショウタの事を知らぬはずがない。ヴァージルはショウが恨めしくなった。この人さえ出てこなければ、ショウタはヴァージルの傍にいてくれたはずだから。
朝方、ギルドハウスにショウが帰って来たとき、ヴァージルはショウに抱きついた。このままでいれば、大好きなショウタに会える。それは間違いのない事実だ
でもショウが意識を失うと、直ぐにショウタは職員達に連れて行かれてしまう。
ネリーはヴァージルにこう告げた。『もう私はショウタとあなたの事には口は出さない。でもわかって。今だけは貴方をショウタには会わせられない』
ネリーはヴァージルを喫茶店ブリューエットに連れて行く。まだブリューエットは開店前だったが、店長が入れてくれた。
客が誰もいない店の中で、ネリーと店長を交えて朝食することになる。店長は優しく、そして根気強くヴァージルに語りかけた。
最初はポツリ、ポツリだった言葉は次第に増えて行き、気が付くと今までずっと秘密にしてきた自分の気持ちまで話してしまっていた。
「そう。ヴァージルちゃんはショウタちゃんの一番になりたいんじゃなくて、単に傍にいたいのね?」
そうだ。改めて店長に話してみてよくわかった。
ヴァージルの不安の根源はショウタが他の女性と一緒にいることにはない。勿論、他の女性に心が向いていることも不安の一つに違いない。だがその女性なら当たりに抱くだろう不安もショウタの気持ちがヴァージルから離れてショウタが会ってくれなくなることにこそあった。要するに、全てはショウタがヴァージルの前からいなくなることへの恐怖にすぎなかったのだ。
だってそうでしょう? ショウタは異世界人なんだから。元の世界に戻る方法を探しているんだから。いつかいなくなってしまうんだから――。
「はい」
「なら話は早いわぁ~、ショウタちゃんにヴァージルちゃんと、そうねぇ週に三回は会うよう、伝えておいてあげるわぁ~。大丈夫、私の言うこと、ショウタちゃん、拒めないはずだから」
「ホ、ホント?」
ショウタと会える。その事実に歓喜が全身を駆け抜け、気が付くと勢いよく席を立ちあがっていた。ネリーはそんなヴァージルを見て、顔を右手で抑え、大きなため息を吐く。
「でもぉ~今はダメぇ~」
「な、なぜ?」
「今のヴァージルちゃん、寂しそうだったり、泣いてばかりで全然可愛くないものぉ~、好きな人に会うならおめかししなきゃ。そうねぇ、いわば心のおめかしかしらぁ~」
片目を瞑ってくる店長に頷く。ショウタに会える。そう考えただけでさっきまでの不安は吹き飛んでいる。今まで微塵もなかった食欲が嘘のように生まれ、スプーンを夢中で口に運んでいた。
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ぼんやりとギルドハウスの正面玄関を眺めつつ、もう何度目かになるため息を吐くと、隣のネリーが神妙な顔を向けて来る。
「な、何?」
「ヴァージル。もう終業時間よ。今日は帰りなさい」
「え? まだ仕事全然終わってないよ」
「昨日の今日だし、どうせもう換金には来ないわよ」
内心を独白すればそんなことはどうでもいい。
ヴァージルは帰宅など微塵もしたくはないのだ。寧ろ、ギルドの窓口受付時間ギリギリまで粘りたい。だって、もしかしたらショウタを一目見る事ができるかもしれないから。
確かに近々、喫茶店ブリューエットの店長にショウタと会えるようにしてもらえる。でもショウタと会うことはヴァージルの今の最も強い欲求だ。実際に言葉を交わさなくてもいい。遠くから眺めるだけもヴァージルの心は雲一つない青空のように晴れ渡るんだから。
「でも、やっぱり私最後まで残るよ」
ネリーは蟀谷に指をあてて顔を顰めるが、直ぐにヴァージルに向き直る。
「受付は私一人で十分、さあ、帰った、帰った」
追い立てられるようにギルドハウスを出ると、外では今日もオットーが柔らかな笑顔で佇んでいた。彼はこの頃、毎晩のようにヴァージルの送り迎えをしてくれる。
鈍いヴァージルでもオットーが自分に好意を寄せてくれている事くらい気付いている。そしてそれは本来とても素晴らしく、喜ばしいことなのだろう
でも駄目だ。駄目なんだ。ヴァージルにはショウタしかいない。寝ても覚めてもショウタの事しか考えられない。正直、ショウタと一緒にいられるなら貴族の地位など欲しくないし、冒険者だって止めてもいい。何もかも全て投げ出してもいい。
多分、ヴァージルにはわかっている。ヴァージルはもうショウタ以外の男の人を愛するのは無理だ。それは本能で理解している。だからオットーの申し出は断らなければならないはずだ。
それなのにこうして、オットーの申し出を拒めないのはショウタとオットーの仲がよいから。オットーならば、ショウタが今どうしているか、知っているかもしれないから。他人の口からでも、ショウタを傍に感じていたいから。その一心のみでオットーの善意を、その気持ちを踏みにじってしまう。それがどれほど最低なことなのかわかっているのに……。
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エルドベルグのメインストリートをヴァージルとオットーは歩いていく。普段オットーが語りかけそれにヴァージルは相槌を打っている。でもこの日は少し街中の様子がおかしかった。
エルドベルクの衛兵達が滝のような汗を流しながら走り回り、高ランクの冒険者達が真っ青な顔で話し込んでいる。
「今日は、どうしたんでしょうね?」
眉を顰めてオットーがヴァージルに意見を求めて来る。
「そうですね。また何か起きるんでしょうか……」
天空に神様が出現して戦争を始めたり、魔物の国ができたり、その魔物の国の国民が一斉に意識不明に陥ったりと近頃は本当におかしなことばかり多い。
しかし、今のヴァージルにとってエルドベルクでの事件などさほど重要性があるわけではない。今のヴァージルにとって真に意味があるのは一つだけだから。だからただいつものように相槌を打つ。
冒険者達の脇を通りすぎるとき彼らの声が耳に飛び込んで来た。
「やっぱガセじゃねぇのか? お前もあの人の反則的な強さは見たろ? 司法の子飼いの衛兵ごときが何百人、いや何千人強襲かけようが捕縛できるとは思えねぇ」
「あのオークキングをワンパンで爆砕してたしなぁ。俺もこの目で皆けれりゃ信じやしなかったさ。だが――真実だ」
青白い顔で息を飲む坊主の冒険者。
(あの人? オークキングをワンパンで爆砕?)
このエルドベルクでそんなことができるひとなど限られている。悪寒がヴァージルの背筋を走り抜け、全身へと波及する。
「デリックさんには?」
「勿論、話したさ。信じやしなかったがね」
投げ遣りに吐き捨てる角刈りの男性冒険者に、赤髪の女性の冒険者が即座に口を開く。
「じょ、冗談じゃないわよ。彼、ニュクスの重鎮と親密だっていう噂だし、下手すればあの国とドンパチやるって――こと?」
「ニュクスも国家だ。流石に個人の報復のために戦争などしかけねぇだろう……たぶん」
坊主の冒険者がゴクリと喉を鳴らしつつも、声を強めようとするが、徐々にその音量は低くなる。
「だ、大丈夫だ。あの光景を見てたのは俺だけじゃない。おそらくギルド幹部達も一人くらい目にしているはず。直ぐに行動してくれるさ」
「それは誰です!?」
心の中を掻きむしられるような激しい焦燥に居ても立っても居られず、冒険者達に疑問を投げかける。
「ヴァ、ヴァージルちゃん!? いや、その……」
初めてヴァージルに気付いた坊主の冒険者が言葉に詰まる。
「ショウタ・タミヤよ、ヴァージル、つい数時間前、この通りで彼が全身血らだけで引きずられていったの」
極度の焦りと絶望で急速に体が冷たくなっていくのを感じる。脚に力が入らず地面に膝が付く寸前でオットーに体を支えられた。
「連れて行かれた場所は?」
オットーのいつなく低く鋭い声にドモリながら答える赤髪の冒険者。
「司法局……だと思います」
「司法局? もしあの噂が真実なら……くそっ!」
オットーの顔に猛獣のような怒りがギラギラ光り、左手の掌に右拳を打ち付ける。
「ヴァージルさん、僕、急用を思い出しました。お送りすることができず、申し訳ありません」
オットーは一礼するとメインストリートの上流区の奥へとわき目もふらず疾走する。
あんなオットーは初めて見た。ショウタの身に現在危険が迫っている。それだけはヴァージルにもわかった。今のヴァージルにあるのは泣きたいくらいの堪えがたい焦燥。その感情のままに、オットーの後を追い走り出す。
司法局の前でオットーはヴァージルに何度も家に帰るように告げてきたが、ヴァージルが翻意しないとわかると、くれぐれもオットーの傍から離れないようにと釘を刺してくる。
オットーが司法局の門衛に最高司法官に会いたいと伝えると、直ぐに、立派な応接間に通される。
それから、待つこと、十分、部屋に司祭服に聖書を持った四角顔の大男が姿を現す。
「けはは! 絶望の良い贄がいるようだね。い~やマジで!」
こうして絶望という名の演劇の幕は開幕する。ゆっくりと破滅へ向かって――。




