第16話 超越者 オストロス
オストロス、炎鬼、白猿王はショウが部屋を出て行ってから暫らくは今後について話し合っていた。もっとも議論の中心は先ほどのショウの発言の中にあった【才能】値の上昇の言葉だった。
「それしても【才能】値を伸ばせると仰っておられましたが、真実なんでしょうかねぇ?」
炎鬼の疑問は勿論オストロスも抱いていた。【才能】――人間種達がそう呼ぶ能力上昇率の概念はオストロス達魔物にもあった。そして、その能力上昇率の上昇を為せる唯一の方法は『進化』のみなのだ。
確かに同じ『進化クラス』の強さにも個体差はある。だが己より高い『進化クラス』にあるものにはよほど相手とのレベルの差がない限り絶対に勝てないという法則がある。オストロスも、コボルト、ホブコボルトを経てハイコボルトへと進化し、今のようなコボルトとしては異常な強さを得た。オストロスといえども、ホブコボルトの状態では部下にすら決して勝てないだろう。
だが、この『進化クラス』のアップには、途轍もないくらいの厳しい条件がある。ボブコボルトでさえも気が遠くなる年月、魔の森の魔物を倒して至れるのだ。ハイコボルトに関しては、更なる年月の修行に加え、2段階目以上まで進化した一定数の魔物を倒す必要がある。つまり、『進化』はそう簡単に為せるものではないのである。
「わからん。だが、あの状況で偽りを述べる意義もあるまい」
ショウが【才能】値の上昇が可能だと言ったのは、オストロス達が配下に加わると言った後だ。配下に加わらせることが目的ならばオストロス達が配下に加わる前に言わなければおかしい。それ以外にショウに偽りを述べるメリットはない。できるかどうかまでは半信半疑ではあるが、本心だと思われる。
「そうじゃな。もし、真実なら――」
白猿王が少し興奮気味に言葉をつまらせる。気持ちは痛い程わかる。
確かにオストロスはハイコボルトに進化し、ホブコボルトでは得られない凄まじい力を獲得した。その反面もうこれ以上何をしても自らを進化させることは出来ない。そう本能が告げていた。中域の怪物の脅威に関わらず、それでも魔の森を離れずにいたのは、魔の森を離れれば『進化』の機会は永遠に失われるからだ。
それほど、魔の森の魔物にとって『進化』するという事は途轍もなく大きな意味を持つ。
「俺っちは部下達にありのまま話つもりでいやす。もし、あのお方の話が真実なら俺っち達の部下の中にも配下にしてもらいてぇという者は多く出るでしょうなぁ」
炎鬼の苦悩も理解できた。オストロス達は部下を巻き込まないために自分達のみがショウの配下となるとしたが、配下となれば『進化』ができるというのであればまた話は変わって来る。むしろ、オストロス達のしたことは、種族全体からみれば、裏切り行為にすら当たり得る。加えて、悪魔討伐が終われば好きにしてよいとも言っていた。要は永遠の服従ではないのだ。確かに、悪魔は恐ろしいが、『進化』の飴には勝てはしないだろう。つまり、メリットとデメリットを比較すれば、メリットの方が明らかに高いのである。
だが、部下を配下にしないで良い事を条件に配下になる事を受け入れたのだ。今更、部下まで配下にしてくれと頼むのはとんでもなく体裁が悪い。今後、ショウとはオストロス達の主人として上手くやって行かなければならないのだ。不快にさせる行為はできる限りしたくはない。炎鬼の苦悩はそういった類のものだ。
しかし、部下の事かかかっているのなら体裁など糞くらえだ。ショウに納得してもらい、以後の働きで返せばよい。
「だろうな。俺の種族も同じだ。俺も正直に話すさ。それで部下がショウ殿の配下になろうというのなら、俺からショウ殿に頼むとしよう」
「じゃなぁ。儂もそうするとしよう」
「俺っちも、そうしまさぁ――」
炎鬼がそう答えたときだった。炎鬼の部下が血相を変えて部屋まで転がる様に飛び込んできた。炎鬼の部下は礼儀正しい。だから、オストロスと白猿王がいるときは炎鬼が命じない限り部屋へ勝手に入って来たりはしない。よほどの事態だという事が予想される。
勿論、この部下の異常を察知できない程炎鬼は愚かではない。すぐに蒼ざめてわなわなと震える部下の肩に手を置いて優しく語りかける。
「何がありやしたぁ?」
「か、頭ぁ。そ、そ、そ、外に……」
炎鬼の根城の外の方角を指さし、震えるだけで要領を得ない。すぐに、部下をソファーに座らせこの部屋で待つように指示し、炎鬼達は根城の外へ向かう。
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根城の入り口には多数の炎鬼の配下の者がいた。だが、配下全員の様子が明らかにおかしい。魂を抜かれた様に猫背になりながらも立ち尽くす者。地べたに座り込む者。頭を抱えてガタガタと震える者。皆、炎鬼の部下とは思えないほどの醜態をみせていたがある共通点があった。全員が魔の森中域の上空へ視線を向けていたのだ。
だがオストロスには炎鬼の部下を責める事など一切できない。なぜならオストロス自身が底のない無限に続く井戸に落ちるような激しい恐怖を感じていたからである。
魔の森中域の上空には二つの巨大なオーラが渦を為していた。
一つは、漆黒のオーラ。その漆黒のオーラは幾枚もの翼をもつ巨人の形を成している。その巨人は、世界そのものを壊す破壊の化身。生物が抱く恐怖の象徴。その巨人が歩くたびに漆黒の闇が漏れ、その闇は周囲の動植物、無機物にさえも滅びを与え塵に変える。
もう一つは真紅のオーラ。その真紅のオーラは巨大な三頭龍の形を成している。その龍は憤怒と憎悪の具現。生きとし生けるものを喰らい尽くす邪悪の権化。三頭龍は魔の森中域の全ての存在を抉り飛ばし、消し飛ばす。土も、岩も、植物も、動物もすべて――。
その魔の森中域全てを覆い尽くさんばかりの二つの巨大なオーラは徐々に魔の森の中域の中心部に向かっている。
白猿王は恐怖で歯をガチガチ言わせている。普段あれだけ冷静な炎鬼でさえも、蒼ざめた顔に血管が膨れ上がり血の気の引いた唇を固く結んでいる。
「あ、あれは、なんでしょうなぁ?」
炎鬼がようやく言葉を絞り出す。このいかれた状景をみて言葉を発することができるだけ炎鬼はたいしたものだ。
だが、オストロスも炎鬼のおかげで物事を考えるだけの冷静さを取り戻していた。まず、一番に考えなければならないのは部下の事だ。だが、それは心配いるまい。まず、このような事態を予想して部下には何かあったらすぐに浅域に退避しろと指示を出してある。この異常なオーラに呆けている程オストロスの部下は愚かではない。それになぜかオーラの進む速度が遅い。まるで自らの存在を見せつける様に。
この世のものとは思えない二つのオーラにより、魔の森中域の全ての生物が浅域に避難していると思われる。なにせ、普段嫌でも感じられるいくつもの生命の気配が今晩は全く感じられない。時機に中域にはオストロス達以外いなくなるだろう。
「……一方はショウ殿……だろうな。もう一方は、中域の怪物か……」
「…………」
そのような事は炎鬼もオストロスに言われずともわかっていただろう。ショウが中域の怪物の討伐に出かけ、その直後にこの馬鹿げた現象が起きた。それしか答えはない。炎鬼が尋ねたのは、ただ目の前の光景が現実だと信じたくはなかったからだろう。
確かに、ショウは奇妙な少年だ。かつて中域を恐怖のどん底にたたき落とした悪魔という異世界の怪物を、虫を踏みつぶすがごとく屠る。凄まじい力を有する龍を従え、オストロス達が不可能だと思っていた『進化』を可能にする。これだけでも、十分超常的であり、これからショウの配下としてついて行くことに興奮していた自分がいたことも事実だ。
だが、まさかここまで非常識な存在だとは思ってもいなかったのだ。オストロスも炎鬼も、白猿王もかつて中域を襲った悪魔の存在を見ているし、実際に戦った事もある。そして、深域の怪物達の存在も……だが、あの存在達がスライムのような下級魔物に見えるくらいのインパクトが目の前の光景にはあった。
加えて、中域の怪物がこれほどの存在だとも思ってもいなかった。中域最強の王達との戦闘も中域の怪物からすれば遊びにもならなかったことだろう。どのみち秘策は使えなかった。命を賭して悪魔を中域の怪物にけしかけたとしても、勝負にすらなるまい。
「……儂達は……とんでもない御方に仕えることになったのかもしれんのう……」
白猿王がボソリと呟く。オストロスも同感だった。あれはまるで人間種が信仰している神ではないか。
神。それは人間種にのみ恩恵を与える超越的存在だ。人間種に聖属性の加護を与え、聖なる武器を与える。呪いを解く力を与え、傷をいやす。その力は精霊王や龍王すら超える場合があるという。だが、アースガルズ大陸では誰もその存在は見たこともない。神と言われる存在が起こす奇蹟により、その存在は実証されている。だが、その姿だけが見えない。そんな存在だ。
オストロス達魔物は勿論そんなものは信じてはいない。恩恵を受けたことがないことも一因であるが、姿が見えないものをどうやって信じればよいのだろうか。その恩恵とやらも異なる超常的な存在が原因かもしれないのだから。
しかし目の前の2つの存在はその神が最も近い気がした。
「神……ですかぃ……」
炎鬼の言葉に誰も答えない。答える必要もあるまい。目の前の光景を見れば、誰もがそれを思い描いているだろうから。
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そして、遂に漆黒の巨人と真紅の三頭龍は衝突する。
オストロス達がいるのは中域でも深域に限りなく近い場所。いわば、中域の端にあたる。それにもかかわらず、中域の中心部から生じた衝撃波がオストロス達を襲う。その爆風から身体が吹き飛ばされない様にするのに精一杯で、それほど集中してその戦闘を見ることができたわけではない。それでもその戦闘が、今までオストロス達が考えていた戦闘とは異質なものであることは十分わかった。
真紅と漆黒の光の帯が魔の森中域で舞を踊りキラキラ光る。次の瞬間、魔の森中域の至る所の森林が跡形もなく消し飛ぶ。地面が抉れ、空中に土煙と巨大な地面の欠片が舞い上がり、超巨大なクレータが多数出現する。十数分間の戦闘で、すでに魔の森中域は森林が生い茂る魔境ではなく赤茶けた土が見える荒野化していた。
さらに、今までがまるで準備運動でもあったかのような強烈なオーラを2つの存在は発しながら衝突し、漆黒のオーラを放つ存在が丁度オストロス達がいる反対方向の深域の絶壁に突き刺さり、大爆発を起こす。途轍もない衝撃派がオストロス達を襲い入口にいた全員が炎鬼の根城に吹き飛ばされた。
炎鬼の根城が何度も振動し、パラパラと天井から土が落ちて来る。伏せながらも、全てが収まるのを待つ。
全員生きた心地がしなかったに違いない。暫らくして、音が消え、立つことさえ許されない凄まじい振動も消えた。周囲を確認するとかすり傷を負っている者もいるが全員無事だった。
兎に角、オストロス達は運が良かった。漆黒のオーラを放つ存在がオストロス達の方へ飛んできたらおそらく全員即死であっただろう。また、丁度全員が炎鬼の根城の入り口付近にいたから、根城内に飛ばされ外で荒れ狂う爆風から身を守る事が出来たのだ。もし、入口付近にいなければ確実に壁に叩きつけられて死亡していた。
全員の顔には例外なくあの2つの存在に対する畏怖と、全てが終わった事への期待と、悪夢が再来するかもしれないという不安があった。
情けなくけたたましく悲鳴を上げる膝を叩いて壁に寄りかかりながらも外に出る。
外はすでに魔の森中域ではなくなっていた。中域の中心部は木々が一本たりとも生えておらず完全な荒野化している。中心部の周囲も至る所に巨大なクレータが形成されており、まばらに木々が生えているという塩梅だ。もうすべてが無茶苦茶だった。
気が付くと炎鬼と白猿王が、魂が抜けきった表情でオストロスの横に佇んでいた。
「終わった……んですかぃ?」
炎鬼が呟きにも似た言葉を発する。案外、本当に呟きだったのかもしれないが一応答える事にする。
「半々だろうな。ショウ殿が勝ったか、それとも……」
炎鬼も白猿王もどうやら覚悟を決めたらしい。もう、動揺している様子はない。
確かに、中域の怪物はたった十数分の戦闘で広大な魔の森中域の地形を変えてしまうような存在だ。どのみちショウが負ければオストロス達に生き残る道はない。
もっとも、不思議にもオストロス自身はショウが負けるところが全く想像できなかった。理由はわからない。だが、必ず生き残るという妙な安心感があのショウという少年にはある。
「まあ、あの御方なら心配せんでも大丈夫じゃろ。儂らも今後の計画を立てるとしよう」
白猿王もオストロスと同様の感想を持っていたらしい。炎鬼もそれに大きく頷く。どうやら、オストロス達は似た者同士だ。もう言葉を交わさなくてもお互いの考えていることは十分理解できる。顔を見合わせ苦笑しながら、炎鬼の根城へ入って行く。そうだ。今後の計画は入念に練らねばならない。
もしかすれば、今迄人間種にのみに与えられていた神の加護が、オストロス達魔物にも与えられるかもしれないのだから。
魔物という存在に初めて信仰すべき神ができるかもしれないのだから。
そして、オストロス達はその神に直に仕えることができるかもしれないのだから。
オストロス達が主と認めるのではなく、あの超常的な存在に部下と認められるように……。