最終章 「絆を絶つ者」 八話
「……五十猛。『絆』の終焉が、私に任されているというのなら」
顔を上げて、斐比伎は言った。
「--私、あなたとは戦わないわ」
「……なんだって?」
緊迫していた五十猛は、面食らったように言った。
「あなたさっき言ったじゃない。大事なのは、自分が誰でいたいかだって。--私は斐比伎で、建加夜彦の娘。私は『斐比伎』のままでいたいから、そのために、天津神としての戦いを放棄するわ」
そう言うと、斐比伎は解放されたように晴れやかに笑った。
「……おいおい……そんなのありかよ……」
呟きながら構えを解いた五十猛は、困惑して頭をかく。
「……それにね。神代、武御雷神と建御名方神が争い、その結果、現世にまでその負の絆が続いてしまったんでしょ。だったらもう、同じことなんて繰り返さないほうがいいわ。違う道の結果を選んで、そこから始まる『新しい絆』をつくる。--これが、私の出した答えよ」
「よいぞ、斐比伎! それでこそ、わしの見込んだ娘じゃ!」
傍らで、少彦名が嬉しそうに手を打つ。
五十猛は、しばらく呆気にとられたように斐比伎を見つめていた。
しかし、やがて苦笑しながら神剣を鞘に納めると、斐比伎に言った。
「すると嬢ちゃんは、俺のやってきたことを全部無駄にしちまう気か?」
「無駄になんてならないわ。全ては、ここへ辿りつくために必要なことだったと思うもの。……ねえ、それに。私、今、あなたの顔見てて確信出来るんだけど。あなたも、これでよかったって、思えてるはずよ」
斐比伎は自信を持って断言する。
「……ああ、もう。適わねえなあ、嬢ちゃんには……」
五十猛は観念したように呟いた。
「……いいさ。『絆を絶つ者』がそう言うんなら、ここで終わりにしよう。これでさっぱり、全部おしまいだ。な?」
言うと、五十猛は清々しく笑って見せた。
「さて、そういうことなら、もうここにも用はねえな。さっさと退却して、国にでも帰るとするか。随分長い間勝手に留守にしてたし」
「……国? そうだ、昔の話はたくさん聞いたけど、結局今のあなたが何者なのか知らないままよ。--あなたは、一体どこの国の誰だったの?」
斐比伎は思い出したように尋ねた。
「俺は出雲王さ。昔も今もな。……嬢ちゃん、あんたはいい女王になりそうだ。敵に回したら、結構恐ろしいかもな。……まあ、そうならないことを願ってるよ。少なくとも、俺たちが互いに王である間はな……」
笑いながら言うと、五十猛は塀に飛び上った。
「……ああ、そうだ。最後にこれだけは言っとかねーと。最初にあんたを攫った時、宮殿で殴ったりして、悪かったな。俺はずっと嬢ちゃんに接触したくて機会を伺ってたんだけどよ。あんたの『父様』が、周りをぎっちり固めてて、吉備ではどうもうまくいかなかったんだ。あんたが大和に旅に出て、宮殿の中を一人でうろついてくれてた時が、絶好の機会だったんで、つい焦っちまった。--許してくれよな、じゃ!」
快活に手を振ると、五十猛は初めて斐比伎の前に現れた時と同じように、唐突に去っていってしまった。




