第三章 「吉備の反乱」 四話
五十猛が斐比伎に剣を教え始めてから、かなりの日数が過ぎようとしていた。
多少他人より体力と運動神経が優れてるとはいっても、斐比伎は生粋のお姫さま育ちである。果たしてこのか細い少女がものになるのかどうか、五十猛は鍛えながらも半信半疑だったが--彼の心配は、数日で見事に打ち消された。
斐比伎は、凄まじく飲み込みが良かった。一度教わった事はすぐに取り込み、より強力な自らの技として相手に返す。すぐに五十猛は、斐比伎の筋の良さに舌を巻いてしまった。
「……まったく、嬢ちゃんには脱帽だぜっ」
斐比伎の繰り出す剣をかわしながら、五十猛は叫んだ。
「--私だって、自分でも驚いてるわよ!」
剣を握り直し、斐比伎は大声で言う。
--そう。思わぬ才能と成長に一番驚いたのは、斐比伎自身だった。
五十猛に強制されて嫌々やっていたのは、始めのうちだけだった。すぐに斐比伎は、剣を持つことを--打ち合いの訓練をすることを、「楽しい」と感じるようになった。
剣の一降りごとに、己の中の何かが覚醒していくようだった。刺激に導かれるまま、斐比伎は剣の才を発揮していく。
(まるで、昔、剣を持って戦ったことがあるみたいな……?)
あまりにも俊敏に動く自分の身体を感じながら、斐比伎はそう思った。剣をなぐのも振るうのも、呼吸するように自然にできる。
「なんだか、生粋の兵士みたいじゃない!?」
叫んで、斐比伎は鉄剣を打ち下ろした。
五十猛は持っていた剣を弾かれる。剣は回転しながら宙を舞うと、切っ先から地面に突き刺さった。
「--確かにな」
痺れる右手を押さえ、五十猛は苦笑した。
「嬢ちゃん、あんたは変わったよ。もう、ただのお姫さまじゃねえ。本当、強くなった」
五十猛の言を受け、斐比伎は破顔した。
「でしょう。もう、三本に一本はあなたからもとれるもんね」
笑った斐比伎は本当に嬉しそうだった。
巫女としての力に頼らずとも、自分自身の腕で戦える。それは、斐比伎にこれまでにない自信を与えた。
「……あ。もう、日が真上まで上ってる」
不意に空を仰ぎ見て、斐比伎は言った。
「朝からずっとやってたから喉乾いたわ。水飲んできていいでしょ?」
斐比伎は気軽に訪ねる。……共に過ごす時間が増えるに従って、二人の関係もかなり変化していた。
斐比伎は始め五十猛を激しく警戒していたが、彼は最初に自分で言った通り、毎日斐比伎に剣を教え込むだけで、一切不埒な真似をしなかった。
日の出から日の入りまで。時折の休憩を除いて、二人は一日中みっちりと修業に明け暮れた。食料は五十猛が調達してきて、調理もまかなう。少彦名も含めて三人で食べる食事は結構おいしかった。五十猛はかなり饒舌で、食事中にも始終斐比伎をからかったが、もうそれを不快には思わなかった。
くたくたになるまで体を動かし、お腹いっぱい食べ、夜はぐっすりと眠る。
健康的に過ごす日々の中で、五十猛の真剣な教えぶりは、逆に斐比伎にある種の信頼感を抱かせた。これまでの生活ではまったく経験したことのない修業の日々が、単純に楽しかったということもある。剣を握るのがこんなにも楽しいのだということを、斐比伎は五十猛に会うまで知らなかった。
剣を介して、二人の間には師弟のような関係が生まれていた。
斐比伎は折を見ては五十猛の正体を探ろうとしたが、今の所成功していない。
五十猛は余計なことをよく喋るわりには、自らに関する事は簡単には口を割らなかった。何度か試すうち、斐比伎には彼が相当に抜目なく、頭のいい男だということがわかった。
武術の腕は最高だし、相当に豊富な知識も持っている。粗野な外見をしているのだが、彼の物腰には意外と品性を感じられた。
本当に、何者だろう。親しくなるほどに、斐比伎の中でその疑問が強くなった。
奴人ではあるまい。王族かどうかは決めかねるところだが……どこかの国の、位の高い将軍とか? 戦に破れて、逃亡中というのも考えられる。じゃあ一体、どこの人だろう。なんとなくだが、大和や東国ではないような気もするけれど……。




