第三章 「吉備の反乱」 三話
既に何年も前に完成しており、自サイトなどに掲載している長編を、少しずつ分割しながら連載投稿しています。
前作「月傾く淡海」よりは、ややライトなテイスト(ラノベより)で、恋愛要素もあります。
全五章で、一章が約十話です。
一話の長さにはばらつきがあります。
一度アナログで作ったデータをデジタル変換した際に、一部改行に不具合が出た部分があります。
吉備の姫として生まれた稚媛は、元々同族である吉備上道氏の王・田狭の妻であった。
若い夫婦は仲睦まじく、吉備を心から愛する稚媛は、その暮らしに何の不満もなかった。
彼女は、大和へ行きたいと--まして大王の妃になりたいなどとは、考えた事もなかったのだ。
--だが、運命は彼女を思わぬ方へと導く。
稚媛の美貌を聞きつけた大王が、強引に夫である田狭から彼女を召し上げたのである。
紆余曲折を経て、結局は大王の妃となった稚媛であったが、大和入りした彼女は少しも幸せではなかった。
傲慢で冷酷な大王に愛情など抱くことは出来なかったし、宮内での生活は吉備の暮らしより楽しくなかった。しかも淫蕩な大王の寵愛は、すぐに他の女人へ移ったのである。
元々大王に執着などなかった稚媛は、別にそれを嘆きはしなかった。彼女としてはいっそ吉備へ帰ってしまいたかったのだが、二人の皇子の母となってしまった為、それも叶わぬ夢となった。
孤独な稚媛はたえず故郷を思い出し、子供たちにそれを語った。次男の星川は大いに母に共感し、多分に同情的であったが--長子の磐城は、弟とまるで違っていた。
磐城は母の昔語りにまったく興味を示さず--いや、それどころか、吉備を憎んでいるかのようなそぶりさえ感じさせた。
『……母上。私は大王の息子。大和の皇子なのですよ』
それが、磐城の口癖だった。
長じては、吉備の血を厭うような事を、平気で口にし始めた。そんな息子の真意は、母である稚媛にもまるで分からなくなった。
--なまじ、美しすぎたがゆえに。
稚媛の目に、磐城は無気味な怪物のように映った。母子が反目し、離れていくのにそう時間はかからなかった。
……あれは、偶然自分の腹を借りて生まれてきただけの、何か違う、別の生き物なのだ。
稚媛は、そう思うようになった。
大王位をめぐる長く陰惨な歴史の陰で、殺し殺された者達の恩讐が形となった、化物。それが、あの美しい「大和の皇子」なのだ。
「……星川。磐城でなくそなたが日継となってくれればよかったのに」
つい、稚媛は本音を漏らした。
子守歌と共に、吉備の心を聞かせて育てた星川が大王になれば、きっと吉備と大和の関係も変わるだろう。……それが、稚媛の本心からの願いだった。
「母上。そんな事を申されてはいけません」
星川は小声で、咎めるように言った。
「日継となるのに相応しいのは、兄上です。……僕には、子供の頃からわかっていました」
星川は足下に目を落とす。彼には、自分と兄との出来の違いがちゃんとわかっていた。
簡単に言えば、器が違うということだ。能力も風格も何もかも……人間としての大きさが、磐城と星川では明らかに違っていた。
父である大王が、星川ではなく磐城ばかりを頼みとするのも、よくわかる。……それに実のところ、母の影響を濃く受けて吉備寄りに育ってしまった星川には、父という存在があまり近しいものに感じられなかった。
故に星川は、幼い頃より分を弁え、けしてあだな望みを抱かなかった。大王の心が磐城にあるのは分かり切っている。そして宮内の政治勢力もまた、磐城を擁護していたのだった。
星川はただ、無邪気で明るく、華やかな皇子であるように努めてきた。そして、出来うる限り兄と母、そして父との間の緩衝材となるように心がけてきたのだ。
「……そうですね。迂闊なことを申しました」
稚媛は領布で口元を隠しながら言った。
「それにしても、斐比伎姫もお可哀想なこと。……結局は、わたくしと同じような目に遭われるのだわ」
独言のように呟くと、稚媛は再び宮の奥へと戻っていった。
残った星川は、顔を上げて彼方を見やる。
『……斐比伎姫も御可哀想なこと』
母の言葉が、耳について離れない。
大和に来て、日継の妃となっても、斐比伎姫は多分幸福にはなれないだろう。可哀想な姫。政争の中で人形のように利用されて……。
(……そして、兄上のものになる)
星川は静かに目を閉じた。抱き始めた危険な感情を、心の内に封じ込めてしまうように。




