第八話「返しに行くぞ」
「これは?」
「知らん」
「これは」
「たぶん笛」
「穴がないぞ」
「では笛ではない」
理性ちゃんは机へ戻した。
瑠倫ちゃんの倉庫。
今日は探し物ではない。
整理だった。
正確には。
「危なそうなものだけでも分けよう」
と理性ちゃんが言い出した。
そして三十分で。
危なそうな箱が二十七個になった。
「増えとるではないか」
「元からあったのじゃ」
「見えるようになっただけじゃな」
「見えなければ二十七個なかったのでは?」
「そういう理屈は帳簿でやるな」
理性ちゃんは次の箱を開けた。
中には。
黒い石。
丸い。
掌に乗るくらい。
ところどころに銀色の筋が入っている。
「ほう」
瑠倫ちゃんも覗く。
「懐かしいのう」
「知っとるのか」
「知っとる」
「何じゃ?」
瑠倫ちゃんが石を持ち上げた。
軽い。
「石」
「見れば分かる」
「綺麗じゃろ?」
「まあ」
銀色の筋が。
光の角度で。
細い川のように動く。
「どこで拾った?」
瑠倫ちゃんが止まった。
「……」
「瑠倫」
「覚えとる」
「間があったぞ」
「場所は覚えとる」
「名前は?」
「覚えとらん」
「何年前じゃ」
「分からん」
理性ちゃんは額を押さえた。
「拾った時の状況は?」
「山」
「広い」
「黒い山」
「まだ広い」
「空が赤かった」
「少し狭くなった」
「雨が横へ降っとった」
理性ちゃんの手が止まる。
「横?」
「風ではないぞ。雨そのものが横へ落ちる世界じゃ」
「それは先に言え」
瑠倫ちゃんは笑った。
黒い石をころころ転がす。
「面白いところじゃった」
「ほかには?」
「川が上へ流れる」
「うむ」
「木が夜だけ地面へ潜る」
「うむ」
「鳥が」
理性ちゃんが石を指した。
「こっちじゃ」
「ああ」
瑠倫ちゃんは石を見る。
銀の筋。
「山の頂上にいっぱいあった」
「いっぱい?」
「うむ」
「拾ってよかったのか?」
「誰もおらんかったぞ」
理性ちゃんは黙った。
瑠倫ちゃんも。
二秒。
「……何じゃ」
「いや」
理性ちゃんが石を裏返した。
底。
土がついている。
その土の上に。
何か白いもの。
薄い。
紙ではない。
石に張りついていた。
理性ちゃんが爪で擦る。
文字。
ほんの一部だけ。
『――出すな』
二人とも黙った。
瑠倫ちゃんが石を奪った。
擦る。
さらに文字。
『谷から持ち出すな』
「……」
理性ちゃんが椅子へ座った。
「茶を淹れよう」
「なぜじゃ」
「慌てても字は変わらん」
「そこは慌てるところじゃろ」
「では瑠倫が慌てておれ。わしは茶を飲む」
*
三分後。
瑠倫ちゃんは立っていた。
リュック。
カメラ。
靴。
飛行具。
縄。
瓶。
予備の瓶。
予備の予備。
理性ちゃんは湯呑みを持っていた。
「行くぞ」
「どこへ」
「返す」
「場所は分かるのか」
瑠倫ちゃんが胸を張った。
「お気に入り登録してある」
「名前は覚えておらんのに?」
「場所は忘れん」
「便利な頭じゃな」
瑠倫ちゃんが理性ちゃんの腕を掴んだ。
「茶」
「置いていけ」
「まだ半分」
「向こうで飲め」
「湯呑みは?」
「持っていけ」
「返す物を増やすな」
景色が消えた。
*
雨が。
横へ落ちていた。
左から右へ。
真っ直ぐ。
粒ではなく。
細い銀の線になって。
空を横切る。
「おお」
瑠倫ちゃんが笑う。
「変わっとらん」
理性ちゃんの髪へ雨が刺さった。
そのまま横へ抜ける。
「痛くはないのう」
「じゃろ?」
黒い山。
赤い空。
岩肌には白い草。
谷底から。
川が空へ向かって流れている。
水が上る。
そのまま雲へ消える。
瑠倫ちゃんはカメラへ手を掛けた。
止まる。
黒い石を見る。
「先に返すか」
「そうした方がよかろう」
二人で谷へ降りた。
瑠倫ちゃんなら一瞬だった。
けれど。
石を拾った場所を思い出すため。
少し歩いた。
「あっちじゃったかの」
「知らん」
「こっちか」
「わしに聞くな」
「理性なんじゃから分からんか?」
「理性は地図ではない」
「不便じゃな」
「そなたよりは物をなくさん」
「それは認める」
谷底。
黒い石が増えていく。
一個。
三個。
十個。
百個。
岩の隙間。
地面。
川の縁。
銀の筋。
全部。
同じ方向へ伸びている。
瑠倫ちゃんがしゃがんだ。
「ここじゃ」
空いている場所があった。
掌ほど。
周りの石は密集しているのに。
そこだけ。
穴。
瑠倫ちゃんが持ってきた石を置く。
ぴたり。
嵌まった。
何も起きない。
「……」
「……」
一分。
「何も起きんのう」
「そうじゃな」
「返したぞ」
「返したな」
二人で立つ。
その時。
理性ちゃんが空を見る。
「瑠倫」
「何じゃ」
「雨」
横へ流れていた銀線が。
少し。
斜めになった。
瑠倫ちゃんも見る。
さらに。
傾く。
横。
斜め。
下へ。
ぽつ。
一滴。
瑠倫ちゃんの鼻へ落ちた。
「お」
もう一滴。
肩。
地面。
雨が。
下へ降り始めた。
川はまだ上へ流れている。
白い草が。
一斉に開いた。
花だった。
谷いっぱい。
白。
瑠倫ちゃんは動かなかった。
「前もこうじゃった?」
理性ちゃんが聞く。
「いや」
「雨はずっと横か」
「わしがおった間は」
「どれくらい」
「三日」
「三日」
「気に入ってのう」
雨が普通に降る。
黒い石の銀筋へ当たる。
水が筋に沿って走る。
隣の石へ。
さらに隣へ。
谷中の石を繋いで。
一本の巨大な模様になる。
理性ちゃんはしゃがんだ。
指で辿る。
「これ」
「うむ」
「水路じゃな」
瑠倫ちゃんが黙る。
黒い石。
一個ずつ。
銀の筋。
全部繋がっている。
一個欠けていた場所だけ。
筋が切れていた。
「石ではなかった?」
「石ではあるじゃろ」
「役目のある石じゃ」
理性ちゃんが谷を見る。
「一個なくなっても世界は壊れん」
雨。
川。
白い花。
「ただ、ここだけ流れが変わる」
瑠倫ちゃんは。
昔そこから石を拾った自分の手を見る。
「誰もおらんかった」
「そうじゃな」
「何も書いてなかった」
「裏に書いてあったぞ」
「土で見えんかった」
「そうじゃな」
瑠倫ちゃんが理性ちゃんを見る。
「怒らんのか?」
「何を」
「持って帰った」
理性ちゃんは湯呑みを出した。
まだ持っていた。
雨水が入る。
捨てる。
「今さら怒って石が二個に増えるなら怒るぞ」
「増えん」
「ではいらん」
「理性的じゃな」
「名前が理性じゃからの」
「便利じゃなあ」
「そなたは便利という言葉が雑すぎる」
*
二人は谷を少し歩いた。
雨は下へ降り続けた。
白い花。
上る川。
赤い空。
来た時より。
少しだけ違う世界。
瑠倫ちゃんが立ち止まる。
「理性」
「何じゃ」
「これ見ろ」
岩陰。
透明な実がなっていた。
拳ほど。
中に。
小さな雷が閉じ込められている。
ぱち。
ぱち。
光る。
理性ちゃんも覗く。
「珍しいのう」
「じゃろ?」
瑠倫ちゃんが手を伸ばした。
理性ちゃんは何も言わない。
指。
実まで。
五センチ。
三センチ。
一センチ。
止まる。
瑠倫ちゃんは。
実の根元を見た。
札はない。
文字もない。
周りに人もいない。
持ち出すなとも。
触るなとも。
何も書いていない。
「……」
「どうした」
「分からん」
「何が」
「取ってよいか」
理性ちゃんが少し笑った。
「わしに聞くのか?」
「理性じゃろ」
「地図ではないし、許可証でもない」
「役に立たんのう」
「ほっほっほ」
理性ちゃんは先へ歩いた。
「自分で決めるしかない時もある」
瑠倫ちゃんは実を見る。
雷。
ぱち。
ぱち。
綺麗だった。
かなり。
「欲しいのう」
誰に言うでもなく。
そう言った。
しばらく眺める。
それから。
手を引っ込めた。
「今日はやめとく」
「なぜじゃ」
「分からんから」
理性ちゃんが振り返る。
「分からんから持って帰らない?」
「うむ」
「前と逆じゃな」
「前は」
瑠倫ちゃんが歩き出す。
「分からんものほど持って帰っとったからの」
二人並ぶ。
数歩。
瑠倫ちゃんが止まる。
戻る。
「何じゃ」
透明な実の前。
カメラを出す。
構える。
止まる。
「……」
下ろす。
理性ちゃんが眉を上げた。
「写真も撮らんのか?」
「今日はよい」
「なぜ」
瑠倫ちゃんは実を見た。
「それも、まだ分からん」
理性ちゃんは。
何も言わなかった。
*
帰る前。
谷の入口で。
瑠倫ちゃんはお気に入り地点の記録を開いた。
昔の名前。
『横雨の谷』
横雨。
もう。
降っていない。
瑠倫ちゃんは文字を消した。
理性ちゃんが横から見る。
「新しい名前は?」
瑠倫ちゃんは入力欄を開く。
指を置く。
考える。
閉じた。
「なし」
「珍しいのう」
「次に来た時、また違うかもしれん」
「来るのか?」
「来るぞ」
即答。
理性ちゃんが笑った。
「そこは迷わんのじゃな」
「行くのは好きじゃからの」
「ほっほ」
「ただ」
瑠倫ちゃんは谷を見る。
雨。
白い花。
黒い石。
透明な実。
「次は、見る前に取らん」
理性ちゃんが首を傾げる。
「見る前?」
「周りを」
「なるほど」
「字が裏にないかも見る」
「それは最初からやれ」
「忘れとった」
「今覚えたじゃろ」
「たぶん」
「信用ならん」
「写真に」
カメラへ手を伸ばす。
止める。
「……撮ってないんじゃった」
「ほれ」
「困ったのう」
理性ちゃんは懐から紙を出した。
鉛筆。
一行だけ書く。
瑠倫ちゃんへ渡す。
『拾う前に裏を見る』
瑠倫ちゃんが読む。
「これだけ?」
「十分じゃ」
「世界の教訓にしては短い」
「世界の教訓ではない」
理性ちゃんが歩き出す。
「そなたの忘れ物防止じゃ」
瑠倫ちゃんは紙を見る。
折る。
ポケットへ入れる。
「では」
理性ちゃんの腕を掴む。
「帰るぞ」
「待て」
「何じゃ」
「湯呑み」
谷の岩の上。
置いたまま。
瑠倫ちゃんが笑った。
「忘れ物じゃな」
「そなたに言われたくない」
二人で取りに戻った。
黒い石は。
もう。
一つも欠けていなかった。




