第七話「それ、食べるのか?」
「食べていい?」
「駄目じゃ」
「まだ何も言ってないよ」
「顔で分かる」
懺悔ちゃんは口を閉じた。
もぐ。
一度だけ噛む。
「何食っとる?」
「石」
「吐け」
ぺ。
掌に小石。
瑠倫ちゃんはそれを受け取った。
濡れている。
「なんで石食うんじゃ」
「お腹すいてたから」
「今から飯じゃろ」
「だから待ってる」
「待ててないじゃろ」
二人の前には草原が広がっていた。
黄色い草。
膝くらいの高さ。
風が吹くたび、一面が同じ方向へ倒れる。
遠くには白い岩山。
空には雲が三つ。
そして。
草原の真ん中を。
何かが走っていた。
丸い。
白い。
四本足。
耳が六本。
尻尾はない。
代わりに尻の辺りから、小さな虹が出ている。
走るたび。
虹が一メートルほど残って。
消える。
「かわいい」
懺悔ちゃんが言った。
「じゃろ?」
「美味しそう」
「そこじゃ」
瑠倫ちゃんは双眼鏡を下ろした。
「なぜ二言目で食う」
「一言目はかわいいだったよ」
「改善しとらん」
白い生き物が跳ねた。
三メートル。
着地。
また走る。
瑠倫ちゃんの顔がほころぶ。
「昨日見つけたんじゃ」
「食べた?」
「食べん」
「捕まえた?」
「まだ」
「瑠倫ちゃんなのに?」
瑠倫ちゃんが振り返った。
「どういう意味じゃ」
「捕まえようと思ったら捕まえられるでしょ」
「まあの」
「じゃあなんで?」
瑠倫ちゃんは双眼鏡をしまった。
代わりに、小さな鈴を出す。
腰へ付ける。
「捕まえるだけなら一秒じゃ」
靴を脱ぐ。
空中歩行靴。
袋へ。
転移用の札。
袋へ。
飛行具。
袋へ。
透明になる布。
袋へ。
加速用の指輪。
少し考えて。
袋へ。
懺悔ちゃんが見ている。
「何してるの?」
「遊ぶ準備」
最後にリュックまで地面へ置いた。
カメラだけ首から下げる。
「今日は走って捕まえる」
「普通に?」
「普通に」
「瑠倫ちゃんが?」
「そうじゃ」
懺悔ちゃんは白い生き物を見た。
瑠倫ちゃんを見る。
もう一度、生き物。
「私も?」
「懺悔ちゃんは好きにせい」
「食べても?」
「それ以外で」
「難しいなあ」
白い生き物がこちらを見た。
六つの耳が。
ぴん。
全部立つ。
瑠倫ちゃんが腰を落とした。
「行くぞ」
白い生き物が走った。
瑠倫ちゃんも走った。
懺悔ちゃんも走った。
三秒後。
「速い!」
懺悔ちゃんの声が後ろへ消えた。
*
速かった。
かなり。
白い生き物は草の上を滑るように走る。
足が地面へ触れるたび。
虹。
虹。
虹。
瑠倫ちゃんが追う。
草を踏む。
跳ぶ。
岩を蹴る。
距離が縮む。
五メートル。
三メートル。
二メートル。
「ほっ」
手を伸ばす。
白い生き物が。
消えた。
「お?」
右。
二十メートル先。
虹だけ残っている。
「転移か!」
瑠倫ちゃんが笑った。
走る。
また追いつく。
今度は飛び込む。
消える。
背後。
「ほっほ!」
振り返る。
追う。
消える。
左。
追う。
消える。
上。
「上!?」
白い生き物が空中を走っていた。
何もない場所を。
瑠倫ちゃんが止まる。
見上げる。
「……それはずるいのう」
空中歩行靴は。
百メートル後ろ。
リュックの横。
白い生き物が空を一周した。
瑠倫ちゃんの真上で止まる。
こちらを見る。
耳が六本。
ぱたぱた。
「馬鹿にしとる?」
生き物が鳴いた。
「み」
瑠倫ちゃんの眉が上がった。
「今、笑ったか?」
「み」
「降りてこい」
「み」
「よし」
瑠倫ちゃんが袖をまくった。
「そこまでじゃ」
地面を蹴る。
一跳び。
十メートル。
足場なし。
二跳び目。
空中で身体を捻り。
生き物へ。
指先。
あと少し。
白い生き物が消える。
瑠倫ちゃんの手が空を切った。
身体が落ちる。
その途中。
ぱしゃ。
写真だけ撮った。
着地。
土が跳ねる。
「撮ったぞ!」
「みー!」
遠くから返事。
「楽しくなってきたのう!」
「瑠倫ちゃん!」
別方向から声。
懺悔ちゃん。
走ってくる。
口に何か咥えている。
「何食っとる!?」
「草」
「吐け!」
*
一時間後。
瑠倫ちゃんは寝転んでいた。
黄色い草の上。
「強い」
「強いね」
隣で懺悔ちゃんが草を噛んでいる。
もう止めなかった。
「速さだけなら追いつける」
「うん」
「転移も読める」
「うん」
「空へ行かれても、まあ何とかなる」
「うん」
「じゃが」
白い生き物は遠くの岩の上にいる。
こちらを見ている。
「捕まらん」
「食べれば?」
「なぜそうなる」
「口の方が手より大きいから」
瑠倫ちゃんが懺悔ちゃんを見た。
懺悔ちゃんは真面目だった。
「却下」
「じゃあ私が捕まえようか?」
「できるのか?」
「たぶん」
懺悔ちゃんが立った。
服についた草を払う。
白い生き物へ歩く。
走らない。
普通に。
生き物の耳が立つ。
懺悔ちゃんが近づく。
二十メートル。
十メートル。
五メートル。
白い生き物が逃げない。
「なんでじゃ」
三メートル。
逃げない。
一メートル。
懺悔ちゃんがしゃがむ。
手を伸ばす。
白い生き物が。
その手へ鼻を寄せた。
くん。
懺悔ちゃんも。
くん。
「おい」
「似たようなことしとるぞ」
懺悔ちゃんが振り返る。
「これ」
「うむ」
「食べない方がいいかも」
瑠倫ちゃんが起き上がった。
「何か分かるのか?」
「分からない」
「ではなぜじゃ」
「なんとなく」
白い生き物が懺悔ちゃんの膝へ前足を置いた。
六つの耳が下がる。
「美味しそうじゃない?」
「美味しそう」
「じゃあ」
「でも」
懺悔ちゃんが首を傾げた。
「食べ物の感じがしない」
瑠倫ちゃんは数秒黙った。
「石は食うのに?」
「石は食べ物だよ」
「そうか……」
今日一番理解できなかった。
白い生き物が。
ぺろ。
懺悔ちゃんの指を舐めた。
「わ」
懺悔ちゃんが笑った。
その瞬間。
白い生き物が。
がぶ。
懺悔ちゃんの手を食べた。
「え」
手首から先。
消えた。
瑠倫ちゃんの笑顔も消えた。
立つ。
一歩で距離を詰める。
白い生き物を掴む。
今度は逃げない。
首根っこ。
持ち上げる。
「吐け」
「み?」
「吐け」
「みー」
「三つ数えるぞ」
懺悔ちゃんが自分の手首を見る。
血は出ていない。
断面もない。
ただ。
そこから先が。
ない。
「瑠倫ちゃん」
「一」
「大丈夫」
「二」
「これ」
懺悔ちゃんが残った腕を振った。
「食べられた感じしない」
瑠倫ちゃんが止まった。
「何?」
白い生き物の頬が。
もご。
もご。
膨らんだ。
ぺ。
何かを吐く。
懺悔ちゃんの手ではない。
白い、小さな球。
地面へ落ちる。
ころころ。
止まる。
「なんじゃこれ」
懺悔ちゃんがしゃがむ。
片手で拾う。
その瞬間。
手首の先が戻った。
「戻った」
指を動かす。
握る。
開く。
「痛くない」
瑠倫ちゃんは生き物を持ち上げたまま。
白い球を見る。
懺悔ちゃんを見る。
「何を食われた?」
「分からない」
懺悔ちゃんが球を鼻へ近づける。
くん。
眉が寄る。
「変な匂い」
「食うなよ」
「まだ食べてない」
「まだを付けるな」
白い生き物を地面へ下ろす。
逃げない。
むしろ。
懺悔ちゃんの足元へ座った。
「み」
「……懐いた?」
「誰にじゃ」
「私?」
瑠倫ちゃんは不満そうだった。
「一時間追ったわしではなく?」
「食べたからじゃない?」
「食べた側に懐くことある?」
「私ならあるよ」
「参考にならん」
懺悔ちゃんが白い球を指で転がした。
「これ、何だろう」
瑠倫ちゃんがカメラを構える。
「調べるか」
ぱしゃ。
白い生き物。
懺悔ちゃん。
白い球。
三つまとめて。
「まず持って帰って」
言いかけた。
白い生き物が。
白い球を。
ぱく。
食べた。
「あ」
「食った」
もぐ。
ごくん。
そして。
ぶるぶる。
身体を震わせる。
六本の耳。
四本になる。
虹の尻尾。
消える。
代わりに。
懺悔ちゃんと同じ色の髪が。
頭から少しだけ生えた。
二人は黙った。
風。
草。
遠くで何かの鳥。
白い生き物が二人を見る。
「み」
懺悔ちゃんが自分の髪を触った。
生き物の髪を見る。
「私?」
瑠倫ちゃんは。
ゆっくりカメラを構えた。
ぱしゃ。
「撮らないで」
「これは撮るじゃろ」
「消して」
「嫌じゃ」
「食べるよ」
「カメラを!?」
「写真」
「食えるのか?」
「やってみる」
「待て待て待て」
*
夕方。
白い生き物は。
ついてきた。
ずっと。
瑠倫ちゃんが歩けば。
とことこ。
懺悔ちゃんが歩けば。
とことこ。
止まれば。
止まる。
「どうする?」
懺悔ちゃんが聞いた。
「どうするとは」
「この子」
「うむ」
「連れて帰る?」
瑠倫ちゃんは白い生き物を見る。
白い生き物も見る。
耳は四本のまま。
髪もある。
「元の姿に戻るか確認したいのう」
「食べたら分かるかも」
「食うな」
「一口」
「駄目じゃ」
「脚一本」
「具体的にするな」
懺悔ちゃんがしゃがむ。
白い生き物を撫でる。
今度は噛まれない。
「じゃあペット?」
瑠倫ちゃんが腕を組む。
「わし、もう何匹かおるんじゃが」
「じゃあ私が」
「世話できる?」
懺悔ちゃんが止まった。
「ごはん」
「食べる」
「お前が?」
「……」
白い生き物を見る。
「一緒に」
「駄目じゃ」
「難しいなあ」
瑠倫ちゃんは笑った。
カメラを取り出す。
一枚。
懺悔ちゃんと白い生き物。
ぱしゃ。
「また撮った」
「今日のじゃからな」
「写真、いっぱいあるね」
「いっぱいあるぞ」
「食べたことある?」
瑠倫ちゃんはカメラを胸へ抱いた。
「ない」
「美味しいかも」
「絶対やらん」
「一枚だけ」
「駄目じゃ」
「失敗した写真」
「失敗も今日じゃ」
懺悔ちゃんが立ち上がる。
「じゃあいいや」
「諦め早いのう」
「代わりに」
白い生き物を抱き上げた。
「この子、一晩借りる」
「食うなよ」
「食べない」
「絶対じゃぞ」
「たぶん」
「絶対と言え」
「努力する」
「返せ!」
瑠倫ちゃんが手を伸ばす。
懺悔ちゃんが逃げる。
白い生き物を抱えて。
「待て!」
「一晩だけ!」
「食うじゃろお前!」
「食べないって!」
「信用がない!」
「ひどい!」
「石食っとった奴が言うな!」
「石は関係ないよ!」
草原を。
懺悔ちゃんが走る。
白い生き物が腕の中で鳴く。
「みー!」
瑠倫ちゃんが追う。
今度は。
転移しなかった。
加速道具も使わなかった。
空も飛ばなかった。
普通に走った。
懺悔ちゃんも普通に逃げた。
白い生き物だけが。
楽しそうに。
虹を出した。
一瞬だけ。
瑠倫ちゃんは走りながら。
カメラを構えた。
ぱしゃ。
ぶれた。
懺悔ちゃんの背中。
白い生き物。
半分しか写っていない夕日。
「失敗じゃな」
写真を見て。
笑う。
捨てなかった。
その夜。
写真の裏には。
『懺悔ちゃんに食べられそうになった子』
と書いた。
少し考えて。
線を引く。
『懺悔ちゃんを食べた子』
に直した。
さらに。
その下へ小さく。
『一晩貸した』
と書き足した。
翌朝。
返ってきたのが。
同じ姿かどうかは。
まだ知らない。




