5話 それぞれの覚悟の話
ウィルト市の街中を一台の馬車が走り抜けていく。
馬車に乗っているのはデュルガーとイーサン。
行先はデュルガー所有の劇場である【テラーハウス】だ。
相変わらず静まり返っているウィルト市には不要不急の外出を控えるよう皇帝からの御触れがあったが、そうも言っていられない事情があった。
イーサンの物語のキャストが決まり、今後どう発表するかを決めなければならないからだ。
「恐ろしいまでに静かだね」
「そりゃそうでしょ。ホントなら外でちゃいけないんすから」
「ははったしかにね。でも私たちに立ち止まっている時間はないからね」
デュルガーの横顔はどこか覚悟を決めたような面持ちだった。
つられてイーサンも眉間に皺を寄せ、胸の前でノートを抱きしめ窓の外近づいてくる劇場を睨みつけた。
ここまで来たらもう引き返せない。
腹を括れ、覚悟を決めろ。
目の前に迫った劇場の重厚な扉がそう投げかけているように見えた。
「みんな、こんな時にも関わらず集まってくれてありがとう。紹介しよう、こちらが原作者のイーサンくんだ」
「イーサン、です……よろしくお願いします」
デュルガーに紹介されて緊張の挨拶をこなしたイーサンに劇団トップ俳優の女性が握手を求めてきた。
「お初にお目にかかります。わたくしはマリエッタ=ローレンスと申します。お会いできて光栄ですわ」
すごく良い香りがする。
これがトップスターか。
イーサンはハッと我に帰ると握手を返す。
「イーサンくん、マリエッタは主役のエリーを演じてくれるんだ。もし君の要望が何かあれば言ってほしい。ヘアスタイルやメイク、服装とか表情とか」
言われてイーサンはマリエッタをじっと見つめた。
「少し……目元を柔らかくするメイクってできますか?オレの中にあるエリーは優しい目元で、表情豊かで、でも芯が一本通った人なんです」
「承知いたしましたわ。少しメイクを変えてきますので席を外します」
「いってらっしゃいマリエッタ……他に伝えたいことはあるかな?」
「他に……じゃあ、」
イーサンは自分の中にあるイメージを、モデルにした人のイメージを事細かに伝えていく。
エリーは、ダンは、モンテルストは、背景や風景は。
「イーサンとやら……こいつぁ、すごいお人がモデルなんじゃねぇかい?」
ザ大御所のような老齢の俳優が手を挙げた。
イーサンは生唾をゴキュっと飲み込んで首を縦に振った。
劇団員たちの間にやっぱりか、というどこか納得したような空気が流れる。
「俺たちは昔からいろいろ演じてきたしいろんな物語を見聞きしてきたが、ここまで世間を騒がせているお人がモデルの物語は初めてだ。デュルガー……こんな風刺劇、俺たちが演じて大丈夫なのかい」
「私たちだから、演じるんだよモットン。あなたが弱気になるなんて珍しい」
「弱気じゃない、危機感を感じているんだ。この若造が書いた話が本当に起こってるんだ、俺は誰かの恨みを買って役者人生を終わらせたくはないぞ」
「それは……」
ごもっともだ。
ただの妄想が本当になって、下手をすればモンテルストご本人の恨みを買ってしまうなんてそんな馬鹿げた話、たまったもんじゃない。
劇団員のほとんどは気まずそうに互いの顔を見合って俯いている。
「何を弱気な……この物語はイーサンさんの妄想ですよ。たかが妄想に目くじらを立てて批判だの暗躍だのと……そんなことをすれば、それこそ本当のことだと相手が認めているようなものです。自分の格を貶めるようなことを選帝侯様がなさるとお思い?」
メイクを終えて戻ってきたマリエッタの声がホールいっぱいに響き渡った。
雰囲気はさっきと全く違う。
目尻がキュッと上がるメイクだったのが、色味が抑えられて少しタレ目のような形に見える。
メイクひとつでこうも変わるものなんだな。
「モットンさん……今日ここに来た時点でわたくしは覚悟を決めてきておりますの。一人の女として、この物語のハッピーエンドを望む一人として、わたくしはこの役を引き受けました。それに光栄なことでしょう?誰もが見聞きしたことのある誰かを演じられるなんて」
マリエッタは口元に手を当て、小さくクスクスと笑った。
その姿はもはやエリーそのもので、イーサンは心臓辺りの服をギュッと掴んだ。
あぁ、オレは、まだ彼女を諦めきれていないんだ。
「………デュルガーさん、マリエッタさん。オレは誰もが納得する終わりを書くのは難しいかもしれないけど、誰か一人でもぶっ刺さるそんな終わりを書けるように頑張ります。だからみなさんも、どうかっ!」
イーサンは深々と頭を下げた。
覚悟だなんだと、そんなものはどうでもいいのだ。
だってこの物語はただの妄想で、ある一人の幸せを願うために書き始めたものだから。
劇団員たちは微笑んでイーサンの肩や背中を叩いたり握手する。
その中でモットンは一人大きくため息を吐いた。
「しょうがねぇや……うちの看板娘がああ言うんだ、俺は従うだけなんだからよ……おいイーサン」
「……はい」
「しょーもねぇ幕閉じ書きやがったら俺は降りるからな」
「精進します。よろしくお願いします」
「ふんっ」
みな、それぞれが覚悟を決める。
出来上がっているところまでの台本をデュルガーから受け取った者は、早速セリフの読み合わせから舞台装置の検証に入っていく。
デュルガーはイーサンの肩に手を置いて顔を覗き込んだ。
「一緒にいいものを作りあげよう、イーサンくん」
「はい!」
腹は括った、覚悟もできた。
オレがやるべきことは目指すべき大団円に向けて筆を走らせること。
イーサンはノートを開いて終幕に向けてペンを走らせる。
こうあってほしい、ただその想いに忠実に。
◇◇
「もう終わりだモンテルスト!エリーを解放しろ!」
ローラー公爵邸に仲間と共に乗り込んだダンとジョージはモンテルストの書斎に飛び込んだ。
迷いなく剣の鋒をモンテルストに向ける。
「終わり?何を持って終わりというのだ痴れ者が……私は公爵、お前は一介の騎士。そも私に偉そうな口をきけるわけもない」
モンテルストは嫌がるエリーの腰を抱き寄せ、控えていた私兵を差し向けた。
ダンは私兵の迫り来る剣を捌きながら、モンテルストに近づいていく。
「僕はたしかにただの騎士だ。でも公爵のお前の幼馴染でもある。お前が身分を隠して隣に越してきて、一緒に遊んでたあの頃はこんなことになるなんて思ってなかった……何がお前をそこまで変えてしまったんだ!」
「黙れ!私は公爵だ……王の血を継ぎ、王位を継ぐこの私のことなど、貴様にわかられてたまるか!親に決められた婚約者などいらない、私は私が信じたこの心に従うだけなのだ!」
モンテルストはなおも抵抗するエリーの手を引き、書斎の机に広げられた書類にサインさせようと無理矢理ペンを握らせた。
「さぁエリー!ここにサインを書くんだ。そして私と共に生きていこうじゃないかっ」
パンッと破裂音が書斎に響く。
静まり返った書斎の中で赤く腫れていく右頬に手を当てながらモンテルストは呆然と立ち尽くし、その前でペンを捨て震える左手を庇うエリーが怯えた表情で立っていた。
「嫌だと申し上げているのがまだわかりませんか!無理矢理公爵に戻されて嫌な思いをされた経験がおありなのでしたら、無理矢理あなたの妻にされる私の気持ちも理解できるでしょう!?」
「……エリー……わた、私は……」
「なんでも自分の思い通りになると思わないでください。私は今の生活を続けていきたい。公爵という地位に縛られ、不自由になる生活など望みません」
エリーはモンテルストから離れ、ダンの元へ走る。
驚いた私兵がエリーへ剣を構えたが、ダンとジョージが間に入り柄で剣を叩き上げた。
その衝撃で剣は回転し、書斎の天井に突き刺さり私兵は丸腰になって腰を抜かして座り込んだ。
ダンは走ってくるエリーを抱き止めて無事を確認する。
「すまない……怖い思いをさせた」
「謝らないでくださいダン様。助けに来てくださっただけで私の心は救われました」
「手が震えてる……肩も……強がらなくていい、怖かったんだろ?」
ダンに手を握られ、その温かさにエリーの緊張の糸が切れた。
大粒の涙が溢れ、頬を伝って零れ落ちる。
ダンはエリーを自分の胸に抱き寄せ頭を優しく撫でた。
「な、ぜ……なぜなぜなぜっ!なぜ私ではなくそいつなんだエリー!私であれば不自由なく好きなことを続けられるというのにっ……ほら、屋敷の庭で君の大好きな花を育て放題だよ?だからただの騎士じゃなくて私を」
モンテルストの喉元にジョージの剣の鋒が這う。
ひっ、と悲鳴と共に尻もちをついたモンテルストに追い打ちをかけるように、ジョージは剣を這わせたまましゃがんで睨みつけた。
「公爵様よぉ……お前のそういうところだと思うぜ?今のお前は欲しいものを買ってもらうまで駄々をこねる子ども同然だ。どんなに泣いたって、どんなにわがまま言ったって、欲しいものは手に入らねぇ。特に人の心ってのはな」
モンテルストはジョージの言葉に目を泳がせて座り込んだ。
騒ぎを聞きつけて警備団が複数人駆け込んでくる。
警備団の間から顔を上げダンに抱きしめられているエリーを見ると、明らかに自分に向けていたものとは違う表情の彼女がいた。
安心し、しかし少し照れくさそうに視線を逸らす。
「やめろ……そんな顔を、そいつに、見せるな……!ダン!お前さえいなければ!!」
モンテルストは小さなナイフを取り出すと、フラフラと立ち上がって警備団と話をしているダンの背後から心臓目掛けてナイフを振り下ろした。
真っ赤な鮮血が散り、モンテルストの頬や服に返り血となって紅く染めていく。
しかしナイフはダンの心臓には届いていなかった。
ダンの腕を掴んで手前に引っ張り、ナイフから心臓を遠ざけるように体勢を崩した所に、エリーが左腕を伸ばしてダンの背中を庇うように覆いかぶさったのだ。
ナイフはエリーの左肩に刺さり、勢いがついたまま二の腕を裂く。
「っエリー!!」
◇◇




