第12話 塔の中の王
出張所の会議室の中で、私の握った手鏡に、皆の視線が集まっていた。
手鏡の中に、青い空をバックに、高い塔が映った。
「塔!」
アンドロメダの言葉に、イオネの目も大きく開く。
「あっ」
そこで、鏡の光がふっと弱まり、ただの銀の鏡面に戻った。
私は手鏡を手前に引き寄せた。
「分かった?」
マックスが、アンドロメダに聞いた。
「恐らく」
アンドロメダが、イオネを見た。
「帝国の王都から、見える塔ね」
「ええ」
イオネが答える。
「主人も最後に、連れて行かれた場所です……地図を」
ココットが卓上のくぼみに魔石をはめ込むと、投影盤に、帝国全体の地図が映し出された。
地図と言っても、詳細は記されておらず、大きな山岳地帯や王都のおおよその位置が分かる程度のものだ。
イオネが身体をテーブルに乗り出し、その真ん中から少しずれた辺りを、指で示す。
「塔は、この辺り。それと、連れて行かれた建物は、恐らく訓練場で、少し離れた、この辺り。ですが……」
身体を戻し、少し迷った風を見せる。
そして、意を決したように手元の小さな手さげ鞄から、丸められた書類を一つ取り出し、卓上に広げた。
「これは……」
そこには、盤上で見たものと同じ形の中に、細かく書き込まれた地図が書かれていた。
「はい。帝国の、地図です」
領の名前、王都、その外れの先ほどの塔。王都の中心には王城の場所がある。
「辺境の、研究施設もあるわ」
アンドロメダが言うと、セレフィナも声を出す。
「あの、象の夫たちのところね」
マックスが、イオネを見る。
「大事なものですね。俄然戦略が立てやすくなる」
イオネが深くうなずく。
「はい。夫が、光の国の金庫に預けていたものです。いざと言う時のために」
そして、私に視線を向ける。
「お元気そうで良かった……必ず、お父上を助けてください」
彼女の強い気持ちに、私の胸が熱くなった。
目に涙が湧いてきて、前が見えなくなった。
父を、助けたい。
絶対に。
◇
「進め。中に入れ!」
兵士が剣の鞘で足を軽くコツコツと叩く。
竜国王だった男――スタルクリクは、促されるままに訓練場の入口を入り、まっすぐに中へ進んで行った。
奥へ進むと、レンガの壁の中に訓練場が広がっている。下は固く踏み固められた土で、壁が高く伸びたその上には、空が見える。結界が張られていて魔法攻撃も外に影響しない。恐らく外に出ることもできない。
(まあ、逃げようとも思わないが)
スタルクリクは小さく笑い、手錠で繋がれた両手を兵士の前に差し出す。鍵で開けられ、この時だけは、両手、両足が自由になる。
手足を思う存分伸ばし、走り出す。
石組みが剥き出しの箇所に指を立て、登り始める。
高い位置に見える梁に、ジャンプして飛び付き、指をかけた所から身体を梁の上まで持ち上げる。
そしてそこから別の梁へ飛び移り、端まで行って飛び降りる。
兵士たちも初めは驚くが、すぐに見慣れる。
退屈なのか雑談を始めたら、それを聴きながら、訓練を続ける。
竜の国では岩山があり、そこで幼い頃から身体を鍛えた。
岩壁をよじ登り、川の岩から岩へ飛び移って渡った。
木々によじ登り、その枝にぶら下がって、枝から枝へ渡って行った。
雨風に打たれた事もある。
それに比べたら、なんてことはない。
気が付くと、人工黒烏が壁の上の高いところから、じっと見下ろしていた。
竜にはならないようだとは、皆既に分かっているだろう。ならないまま、十数年が経った。
日付は正確ではない。季節の変わるのと、牢の壁に付けた傷を数え続けて、おおよそ把握している。
最初は期待していたかも知れず見に訪れた皇帝や、その部下の技術院長だかも、諦めたのか、来なくなって久しい。
竜になる訳はない――指輪を持っていないのだから。
飛び降りた地面で、今度は壁に向かって炎の球を投げつける。
ズガン! と音を立てて弾ける。
火の粉が散り、焼け跡に黒く煤が残る。
指輪はなくとも、竜国王として、小さい頃から鍛え上げてきた。ある程度の火魔法は使うことができるし、人並み以上に力もある。
純粋な人では無いためか、闇魔法も効かない。
力を保つためと、退屈で他にすることがないため、鍛え続けている。それで益々身体は強く、大きくなったかも知れない。
だが――
いつか、この生活から、また外に出る時が来るだろうか。
それとも、その前に、処刑されるのか。
竜の寿命は人より長い。今の皇帝よりは、少なくとも長い。
皇帝が変わって、息子が後を継いだ時、どうなるか。
会いに来て、竜になる方法を教えろと言った、息子の苦い顔が頭をよぎる。
可哀想だが、指輪が必要だ、とは言えなかった。
実の父である自分を、憎んでいる顔であったかも知れない。
壁際に走り、大石を持ち上げ、投げる。
元の仲間の誰かが、助けに来ることも、あり得るか。
だが、出られたとして、どうする?
また元の土地で、国王に戻ることができるのか。
国より元の妻子を選んだ王を、仲間たちは許すだろうか。
一人こうして身体を鍛えることに慣れてきた、自分がいる。
スタルクリクは、兵士に時間だと告げられるまで、暴れるように身体を動かし続けた。
ぽつり、ぽつり、と雨粒が肩に、背中に落ちてきた。
「通り雨だ」
空を見上げて兵士が告げた。
「今日の訓練は、ここまで」
ほどなくして雨がざっと降り、訓練場の土を濡らしていく。
スタルクリクは通路で手錠、足枷が掛けられて、雨の過ぎるのを待ってから、馬車へ向かった。
外へ出ると、陽を照らし返す水たまりに、自分の姿が映っていた。
赤い眼をぎらつかせ、黒い髪、髭を風に揺らす男。
ふと、赤ん坊だった娘の顔が重なる。
(そういえば、黒髪と赤い目の少女がいた、と言っていたな)
母と共に風の国にいるのだと思っていたが、何故かアグラールにいた、と。
馬の足音を聞きながら、目をつむった。
(一度、娘にも、会いたい……)
なぜ今、そう思ったのか、分からない。
だが、娘も、自分に会いたいと思ったからなら嬉しいが、と、思った。
窓のない馬車の暗闇の中で、赤い竜の姿に思いを馳せた。




