第8話 レオの違和感
その日レオが近衛軍の室内訓練場へ行くと、いつも早めに来ている近衛軍司令官ヴァルツェンが、珍しく少し遅れて姿を見せた。いつもより足取りが重い。
「何かあったのか」
レオが問うと、ヴァルツェンは低く答えた。
「少々……問題が」
それから、少しだけ迷うように目を伏せる。
「いずれ後を継がれる殿下になら、お話ししてもよろしいですかな」
ヴァルツェンは周囲を見回し、レオを連れて控室へ入ると、扉を閉めた。
「辺境伯夫人が、隣国アグラールへ亡命したようです」
「アグラールへ?」
思わずレオの声も低くなる。
「はい」
ヴァルツェンの声はわずかに震えていた。
「本来なら、大事にするべき方なのに」
その言葉に、レオの胸が重く沈む。彼の深い悲しみや悔しさが、伝わってくるようだった。
「……技術院長が、追うのに失敗したようです」
ヴァルツェンはそこで、苦く笑うように息を吐いた。
「私も若い頃、元騎士団長である辺境伯と夫人には世話になりました。父が戦死し、母も病で早くに亡くした私に、親のように温かく接してくれた。辺境の防衛のための訓練場も、今は研究施設になったようで」
悔しさが、所々ににじむ。
レオも無言のまま、握った拳に力を込める。
ルシアンデルから前に研究施設ができたと聞いていた場所は、訓練場だったのか。
人目に触れにくい辺境の、訓練場。あの男があえてその場所を狙ったのかと思うと、胸の奥の火がじりりと揺らめいた。
◇
その日の午後、レオは皇帝に呼び出された。
皇帝の間は、相変わらず静かで空気がひんやりとしていた。
「最近は、どうだ?」
いつも通りの、温度の無い低い声が高い天井の空間に響いた。
レオは頭を下げたまま答える。
「竜化については、その後もまだ有力な情報は得られておりません。竜の娘とは接触することができず」
「そうか」
短い返事のあと、皇帝は椅子の肘掛けに指を置いたまま、わずかに目を細めた。
「宰相の仕事を手伝っているらしいな。訓練も、再開したと聞いている」
レオは顔を上げる。
天井近くに黒い影がいるのが見えた。
人工黒烏が、不気味な目でこちらを見下ろしている。
監視か。
ルシアンデルやヴァルツェンと会っていたことが、伝わったか。
背筋の奥が、ひやりと冷えた。
だが、彼らの部屋や訓練場には結界があった。話の内容までは聞こえていないはず。もしかしたら、ルシアンデルやヴァルツェンが伝えたのかも知れない。
そう思い直し、すっと深く息を吸う。
「そろそろ、別の道も探らなければと思いました」
声が揺れないよう、慎重に続ける。
「とはいえ、以前の恩師に会う方法しか、思い至らず」
「そうか。悪くは無い」
皇帝はそう言い、うなずいた。
否定の感情は、見当たらなかった。
ならばと、今度は一歩こちらから踏み込む。
「改めて自分はまだ色々と足りないと気づきはじめました。できれば……他にも話を聞いてみたい方がいます」
「誰だ?」
「神殿長や、技術院長など、ぜひお仕事を拝見して、学びたい」
レオはそう言って、皇帝の顔を見た。
あえて会わせていないのだろうとルシアンデルが言っていた二人。どういう反応を見せるだろうか。
皇帝は、明らかに苦い顔をした。
「……神殿長とは面識はあったか」
片手で顎を撫でながら、天井を見ている。
「いえ。神殿などで、お見掛けした程度で話したことは」
「そうか。なかなか難しい人間ではあるが」
うむ……と考える様子を見せる。そんなに会わせたくないのかと思う。
「あとは、技術院長……」
――だがその直後、ふいに指でこめかみを押さえた。
つう、と片目が歪む。
ほんの、一瞬。
レオは目を離せず、思わずじっと見る。
「……うむ」
皇帝は、一時おく。
「研究…施設の……」
ぎぎ、と何かに抗うように首筋が強張る。
今までは、恐れや圧に耐えるのみで余裕がなく気付かなかったのかも知れない。
けれど、前を向き、気持ちを入れ直した今は、その不自然な動きを、はっきりと見ることができた。
「会いたいと言うのであれば……神殿長に、話しておく」
皇帝の声でレオは我に返り、目を伏せる。
「下がれ」
「は」
上から黒烏の視線が注ぐなか、頭を下げて部屋を辞す。
王の間を出ると、肩にウィンが舞い降りた。
『どうした?』
「……いや。父上は、前からああだったか、と」
早足で、自室へ向かった。
――何か、おかしい。
皇帝の引きつった動きが、いつまでも頭から離れなかった。
翌日、レオの部屋へ、皇帝の黒烏が飛んできた。
黒烏は、神殿長に会う日時を告げると、返事を待たず飛び去った。




