第7話 潜む竜、飛ぶ蝙蝠
『姫、それではすぐに敵に気付かれますぞ!』
朝の岩場に、渋い灰色の竜の激が響いた。
『え、見えてた?』
私は赤い竜の姿で、きょろきょろと周囲を見回す。
『だいぶ気配は薄くなりましたが、隠しきれておりません』
『うん。二人とも、うっすら見えてる』
高い木の上から、コフクも容赦なく言った。
竜の姿で潜むための訓練は、人の姿の時よりずっと難しかった。
――話は少し遡る。
エルント村へ戻った翌朝、まだ朝靄の残る中、私はひとり出張所の裏手へ向かった。
呼んだのは、ビュートゥだ。昨日出張所へ戻ったときに、訓練をしようと約束をしていた。
「おはよう、ビュート」
私が声をかけると、ビュートゥはまず周囲を見回し、誰もいないのを確かめた。
「歌の方は、進んでいるようですな」
以前から時々、ここでビュートゥに火魔法を教えてもらっていた。私はいつもの石組の方へ歩いていく。
「うん。アンドロメダさんとおばあちゃん、あとイオネさんも教えてくれて、段々声が出るようになってきたところ。あと、エレティンが歌詞を作ってくれることになった」
「そうですか」
ビュートゥは立ち止まったまま、腕を組んだ。
「この二週間、わしも色々と戦いについて考えを巡らせておりました」
光の国に、歌の練習。そう言えばそこにビュートゥは絡んでいなかった。
「姫は象の夫たちを歌で助ける。それは、竜の姿ではなく、人の姿ということになりましょう」
「……そうだね」
竜の姿では、人の歌は歌えない。訳す役割を果たすためには当然そうなるだろう。
「だが、お父上を救出する時は違う。竜になることもありましょう」
「そうか」
そして、ビュートゥは、いつもより鋭い目で私を見すえた。
「塔へ救出に向かうその時、竜の姿が目立ち過ぎてはなりませぬ」
「あ」
彼の言いたいことが分かった。
「じゃあ今日は、その練習をするのね」
「さすが姫。理解が早いですな」
ビュートゥはうなずき、森へ続く細い道の方へ歩き出した。
私も慌てて後に続く。
「そういう訳で、今日は、竜の姿での練習をいたします。
竜になって、人目につかないところまで飛びますので、ついてきてくだされ」
森の入口まで来て、ビュートゥが指輪をはめる。
それを見て、私も深呼吸してから、指輪を指にはめた。途端に身体の奥に熱が湧き、視界が変わり始めた。
ビュートゥの竜の姿は初めて見た。河で水に濡れた岩のような、灰色の竜。私より、一回り小さいけれど、身体が締まって見えた。
ビュートゥは私の方をちらりと見て、竜化が落ち着いたのを確かめる。
『では、行きますぞ』
そう言ったかと思うと、びゅうっと風を裂いて飛び上がった。
『あっ、待って』
私も慌てて翼を広げる。
朝靄を抜け、空へ上がる。ひんやりした空気が顔をかすめる中、遠くの山並みの向こうに朝焼けがはっきりと広がっていた。昇り始めたばかりの朝日が眩しくて、一瞬だけ目を細める。
大きく羽ばたいて、森の上を越えていく。気が付くとコフクもすぐ傍を飛んでいた。
◇
森を通り越し、開けた岩場へ出ると、ビュートゥは地面に降りた。私も続いて降りる。
岩場には朝日が差し込み、木々の影が長くのびている。森はまだ静かで、鳥の声が少しずつ聞こえ始めていた。
『今日はここで、訓練をいたしましょう』
ビュートゥは竜の姿のまま、話し始める。
『姿や気配を消す魔法は、火魔法にはない。姫の風魔法を使うしかございません』
『うん。“我を散らせ”と“我を透せ”……竜の姿で使ったことは無いけど』
『ならばまずは、人の姿で使って、竜になって同じようにできるか見る感じですかな』
私はうなずき、一度人の姿に戻った。
さっきまで同じ位の高さだったビュートゥの竜が、大きくなって見える。
コフクはいつの間にか近くの木の上に落ち着いて、口をもぐもぐ食べながら見ている。
私ももう少し朝食を食べてくれば良かったかなと思った。竜化はお腹が空くようだ。
『さあ、姫』
ビュートゥに促され、正気に戻る。
そして唱える。
「風よ、我を透せ」
それから、また竜になった。
『どう?』
コフクがぐっと飲み込んで、言う。
『うーん……頭だけ、見えない。あとは見えてる』
『あ、頭だけ?』
『うむ……そうですな』
私に対して評価の甘いビュートゥが、苦し気に唸る。
『ある意味怖いので、これもありかも知れませぬが……』
『いや、ない』
コフクがはっきり否定した。
『あと、できればわしの気配も消してくだされ』
『まだ私一人も消せていないのに?』
思わず動揺する。
『いずれ、複数名の気配を消すのですから』
『複数名!?』
気が遠くなりそう――竜のまま少しよろけて、踏みとどまる。
それから何度も唱え続けた。
竜の自分だけでなく、ビュートゥまで消えるように。
見た目だけでなく、気配まで消えるように。
最初は人の姿で唱えていたが、竜になってからでも風魔法を使えると分かる。
竜になりながら唱え、竜になってから唱える。
『我を透せ』
『我を散らせ』
何度目かで、ようやくビュートゥが少しだけ目を細めた。
『……今のは悪くないのでは』
コフクも大きくうなずく。
『うん。どこにいるか、分からない』
『ほんと? やった!』
『今、声で分かった』
その瞬間、
グルルルル、と大きなお腹の音が鳴った。
『あ』
思わず声を出してしまう。
『いったん休憩をしましょう。姫はここでお休みくだされ。川魚でも採って参ります』
ビュートゥが静かに言って、川の方へすっと飛んで行った。
『隠す前に、お腹も満たしておかないとだね』
コフクが私の肩に降りてきた。
それから少しして、ビュートゥが川魚を何匹か掴んで戻ってきた。
ビュートゥが岩場に並べ、私が竜の炎で焼いた。
黒焦げにならないよう、細く、ふーっと吹くように。
ぱちっと音がしたあと、魚の表面がじゅっと音を立て始めたところで止める。
それから岩場に腰を下ろし、手で持ってかぶりついた。コフクもついばむ。野性的な食事だが、採れたての川魚はなかなか美味しかった。
昼前には、竜の炎の練習をして、お昼休憩のあと、今度は飛びながら姿を目立たなくする練習をした。
何度も飛び、風魔法を唱え、やり直し続けた。
『今日は、ここまでにいたしましょう。最初よりは、形になってきましたな』
『うん』
夕方暗くなる前に、森の入口へ戻った。
「ビュート、今日はありがとう。竜化したときのこと、考えてなかった」
指輪を外し人の姿になる。
「いえ、姫は忙しい。わしは暇にしていましたからな」
ビュートゥは少し照れたように、でもとても嬉しそうに言った。
「また歌の練習に行かれるのでしょうが、時間があれば、いつでも付き合いますぞ」
まだ早いと思ったが、出張所へ戻るとぐっと疲れがでて、私は執務室のソファに倒れ込んだ。マックスが黙って近づき、ブランケットを掛けたあと、そっと私の頭を撫でた。彼が微笑む顔を見た気がしたのを最後に、深い眠りに落ちていた。
◇
夜が更け、月の白い光が部屋に射し始めたころ、私はソファで目覚めた。
しばらくぼんやりしていたあと、外に気配を感じて出張所の裏へ行く。するとビュートゥが、いつもの場所に立っていた。
出張所の軒下や近くの木々の枝には、小さな黒い影がいくつも、あちこちにぶら下がり揺れている。
ビュートゥの使いの蝙蝠型魔獣、宵翼蝠たちだ。
「まだ、起きてたんだね」
私はビュートゥに歩み寄った。
「ここからが、こやつらの時間ですのでな」
ビュートゥがふっと笑う。そして、腕を高く上げる。
するとその腕に、一匹の大きな個体がぶら下がった。
翼の縁が、かすかに銀色に光っている。宵翼蝠の長、クロミツだ。
『久しいな。元気そうだ』
「分かるの?」
『ああ。竜の匂いが強まっている……腕をあげたな』
「そうなのかな。今日はまた沢山訓練をしたけど」
私は褒められて少し嬉しくなる。
目を細めて見ていたビュートゥの腕からクロミツが飛び立ち、木の枝へ移る。
と、遠くからパタパタと小さな宵翼蝠が飛んできた。ビュートゥの肩に留まり、耳元でそっとささやく。
『ひとり、いた』
「ああ、見つけたか」
ビュートゥが懐から木の実を取り出す。宵翼蝠は口に含んで満足気に軒下へ飛んで行った。
「いた?」
私は首を傾ける。
「ああ、古い仲間を探しているのです」
そう聞いて、思わず目を見開く。
「秘密ですぞ」
ビュートゥが、自分の口元に人差し指を近づける仕草をする。
「昔の仲間は、各地に身を潜めております。が、いざという時に備え、連絡を取っておるのです」
「連絡を?」
ビュートゥは、黙ってうなずいた。
ビュートゥはそれからまた別の報告に耳を傾けると、木の実を渡した。
「今宵は、ここまで。また」
何頭もの小さな影たちが、夜空へぱっと散っていった。
あちこちの闇の中へ、静かに、吸い込まれるように消えていく。
あとにはまた、沢山の星が静かに瞬いていた。何ごともなかったかのように。
私はしばらく、その光景を見上げていた。
ビュートゥも、動いていた。
そして、この世界のどこかで、竜の仲間たちも静かに動き出していることを、私は知ったのだった。




