第2話 アンドロメダの提案
久しぶりに踏み込んだ象の森は、まだ倒木がそのまま残っていた。
けれど、倒れた木の幹からは新しい芽が息吹き、象たちに踏み荒らされた跡も薄れて、緑豊かな元の森に戻り始めていた。
「エレティン、会えるかな」
私は斜め上を飛ぶコフクに話しかける。
『もう少し奥へ行ったところにいるみたい。先に飛んで伝えておこうか』
「うん。それが良いかも」
コフクはパタパタと、森の先の方へ消えて行った。
私は振り返って、後ろを歩く皆に伝える。
「エレティンはもう少し先の方にいると思うから、コフクが先に行って伝えてくれるって」
年の割にまったく息の上がらないおばあちゃんの後を、枝をかかき分けてついてきていたアンドロメダ、エリシア、ミリエルが顔を上げた。
「森なだけあって、木がうっそうとしているわね」
エリシアが疲れた顔で言う。
「木を傷つけないように進むのは大変ですね」
ミリエルがそう言って、回復魔法を皆に少しかけてくれた。
「ああ、じゃあ、木の間を少し開けてもらいながら進もうかいね」
おばあちゃんが手に持った杖をかざし、小さな声で歌い始めると、草木が応えるようにそっと枝葉を揺らし、道がわずかに広がった。
「ジーナ師匠の歌魔法、ありがたいわ」
息が上がっていたアンドロメダの顔が、ぱっと明るくなる。
やがて視界がふっと開けて、一頭の大きな巨岩象が他の象たちを従えて立っているのが見えた。岩のような褐色がかった灰色の体に、背には苔がついている。頭の上にはコフクが乗っていた。
エレティンだ。
次の瞬間、彼女の長い鼻が高く上がり、象たちの鳴き声が辺りに響き渡った。
ブオオオオオオオ。
ブオオオオオオオ。
どしん、どしん、どしん……。
私の後ろでは、皆何事かと緊張して黙っている。
私は一歩前に出た。
「エレティン! 久しぶり!」
私が大きく手を振ると、エレティンも長い鼻を左右に揺らした。
『久しぶり。元気そうね。また会えて嬉しいわ』
その声を聞いて、胸の奥が熱くなる。私はそのまま彼女に駆け寄って、抱きついた。
「今日は、エレティンにお願いがあって来たの」
そう言うと、エレティンは静かに鼻を下ろし、首をかしげた。
「私たち、あなたと一緒に、あなたたちの夫の象たちを救いたいの」
それから私は、浄化の力を得るために光の国へ行ってきたこと、浄化の力を使うには、光の国でもらった飴を七人で食べて力を合わせる必要があること、その飴のうち一つを、エレティンに食べて欲しいことを伝えた。
『緑の飴の力を、私にくれるのね。夫たちを助けるために。私たちのためにそこまでしてくれるなんて、ありがたいわ』
エレティンのつぶらな目がじんわり潤む。
「じゃあ、皆に飴を渡すね」
私は鞄から小箱を出して手のひらの上で蓋を開ける。
赤、黄、緑、青、藍、紫。六つの飴が並ぶ。既にセレフィナに渡した橙のあった場所だけがぽつんと空いている。
私は近くにいる人から一つずつ取ってもらった。
おばあちゃん、アンドロメダ、エリシア、ミリエル。
そして私も、赤い飴をつまんで口に含む。ふわっとした甘さとほんのりした熱が口の中に広がる。
最後にエレティンに近づき、緑の飴の残った箱を前に差し出す。
エレティンが鼻先で掴もうとするが、小さすぎて上手くいかない。
「ちょっと、かがんで」
私は飴をつまむと、つま先立ちで大きな口の中へ入れてあげた。
皆、黙って少しずつ口の中で溶かして味わう。
私も、ゆっくりと溶けた分を飲み込む。甘味の中に、少しスパイスのような刺激と熱を感じながら、最後まで飲み込んだ。
周囲を見ると、おばあちゃんのまわりには黄の落ち着いた光、アンドロメダのそばには夜のような紫、エレティンの大きな身体のまわりには若葉のような緑の光が、淡く浮かんで揺れていた。やがて六つの光は静かに薄れていく。
「これで、良いのかしら?」
エリシアが、少し不安そうにつぶやく。
「合わせて初めて使える、と言っていましたね」
横にいたミリエルが返す。
「合わせるって、エレティンは、何がしやすそう?」
私はエレティンを見上げて話しかけた。
『そうね……それより、まず私たちの歌と舞で、あなた方を歓迎させて』
私は皆に振り返った。
「エレティンたちが、歌と舞でまず歓迎したいって」
「あら、それは嬉しいわ」
アンドロメダが満面の笑みを浮かべた。
『たっぷりと、あっさり、どちらがお好み?』
「それ、どちらを答えても、たっぷりになるんですよね」
エレティンはうふふ、と笑うと、鼻を高く上げた。
次の瞬間、象たちが一斉に動き始めた。
大きな耳をぱたぱたしながらそれぞれの位置へ移動する。
大きな足が地面を踏み鳴らす。
コフクまで興奮したように、そのまわりをくるくる飛び回る。
ブオオオオ。ブオオオオ。ブオオオオ。
ダダダン、ダダダン、ダダダダ……。
大きく低い歌声が、空気を震わす。
象たちの巨体が舞い踏み鳴らすたび、大地が揺れる。
どちらも私たちの身体の奥まで響いてくる。
前の哀しみのダンスに比べると華やかで、賑やかさに圧倒される。
そして気がつくと、私も横にいるエリシアも、ミリエルも、皆が笑顔になって、一緒に身体でリズムを刻んでいた。
ひとしきり歌って踊り終えると、象たちは満足そうに息をついた。
こちらの皆が大きく拍手をする。
エレティンたちも、息が上がっているが満足そうにしている。
『歓迎の気持ち、伝わったかしら』
「すごかった……」
ミリエルがぽかんとしたまま呟く。
「全力が、伝わってきましたね」
エリシアも少し息を弾ませながらうなずいた。
「伝わった。元気になった」
私もエレティンに応えた。
「では、こちらも歌を返すわね。ジーナ師匠、一緒に、あれを」
「ああ、久しぶりに、あれ、いくんだいね」
二人は目を合わせてうなずき合った。
アンドロメダが、まず小さく低い声で歌い始める。
夜の静けさ、眠れる人や魔獣たちの呼吸をなぞる旋律が、森の空気を鎮めていく。
そこへ、おばあちゃんの声が重なり始める。
暗い夜の向こうから、少しずつ朝の光が射してくる。
二人の声は絡み合いながら、気持ち良く重なり、一つの景色を作っていく。
夜明けだ。
その瞬間、共鳴が起こると共に、少し二人の周囲から広がる光を感じた。
そして、おばあちゃんの声だけになる。
休んでいた皆が陽の光と共に力を取り戻して起き上がる。
鳥がさえずり、木々の葉が、土から生える芽が、ゆっくり目を覚まし、また一日を始める朝が来る。
それと共に、周囲の皆にも安らぎと、活力の戻るのが感じられた。
「歌魔法、ですね」
ミリエルが呟く。
『ありがとう。素敵な良い魔法ね』
エレティンがうっとりして返した。
「エレティンも、素敵な魔法をありがとうって言ってる」
私が伝えると、アンドロメダがまだ少し興奮した顔で、おばあちゃんを見た。
「そうね。師匠と歌うのは久しぶりだったけど、前に歌った時より、力を感じたわね」
「二人で声を重ねたところ、光の飴の力を感じたね」
おばあちゃんも加える。
「もしかして……」
私が言いかけると、アンドロメダがくっきりと笑った。
「そうよ」
一歩前へ出る。
「これよ」
その声には、確信があった。
「師匠と私の歌が重なったとき、力を感じた」
誰もすぐには答えなかった。けれど、私も確かに光を感じた。たぶん、私だけじゃなく、皆が。
アンドロメダは胸に手を当てた。
「……歌ね」
「歌?」
エリシアが、思わず聞き返す。
「ええ。一人で歌う歌じゃないわ」
アンドロメダは指を立てる。
「息を合わせて、音程を探って、声を寄せ合って、それで一つにするの」
おばあちゃんが杖に体重を預けながら、ふっと笑った。
「なるほどねぇ」
「力を、歌で重ねるのよ」
「重ねる……?」
「そう」
アンドロメダは皆を見回して言った。
「甘い声も、低い声も、震える声も、全部まとめて――浄化の歌にするの」
『歌ね! 良いと思うわ。私も好き』
コフクが通訳をすると、エレティンも足を踏んで同意する。
アンドロメダが、ぱちんと指を鳴らした。
「決まりね!」
「七色で、合唱よ」
「……合唱?」
ミリエルは、少しだけ不安そうに言った。
「でも……私、歌はあまり……」
「大丈夫」
アンドロメダは、優しく肩に手を置いた。
「人それぞれ良いところがある。上手く歌おうとしない方が良いの。大事なのは心よ。込める心や、補い合う気持ちが大事なの」
ミリエルが黙ってうなずいた。
「それぞれ声を出して、聞いてみるところから始めましょう」
おばあちゃんもその後ろで、深くうなずく。
「思い出すね。さっきの歌作った時も、二人でまず声を出し合って、段々と歌にしたもんさね」
私は二人の様子を見ながら、歌は最初から完成しているものでなくて、練習しながら形にしていくらしい、と気づく。
こうして、象の森で集まって間もなく、力の合わせ方が決まった。
七人で歌を重ね、浄化の歌にする。
そして森の奥で、七色の声を重ねる練習が始まった。




