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竜国の姫らしいですが、田舎で静かに暮らしたい  作者: コフク
第三章 光の国へ――闇を解くために

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第4話 皇子、ふたたびアグラールへ――探し人と、会いたい人

 帝国の自室で、第一皇子レオグリムは、窓辺に立ったまま言った。

「アグラールへ行く」


 その一言に、部屋の隅にいた相棒、ウィンが翼をばさりと鳴らした。

『またか? 竜の娘を探すために?』

「そうだ」

 短く答えたものの、自分でもその声に少しだけ迷いが混じった気がした。


 ウィンは黒い目を細める。

『……本当にそれだけか?』

「何が言いたい」

『別に。竜の娘以外に、気になるのがいるように見えるぞ』

 レオは眉を寄せた。

 そんな顔をした時点で、否定になっていない。


 ウィンは楽しそうに止まり木の上を跳ねた。

『ならば、連れてくれば良いのでは? 気になるなら、手元に置けばいい。皇子ならば、少しくらい強引でもいいんじゃないか?』

「皇子ならば、か……」

 レオは呟くと、外套を取った。


 ◇


 商人の馬車に紛れてアグラールの国境を越えると、レオは馬車を降りた。

「ウィン。先に探せ」

 懐から出したウィンが、すぐに翼を広げる。

『竜の娘?』

「ああ」

 短く返すと、ウィンはひらりと空へ舞い上がった。


 屋根の上を越え、通りをなぞるように飛び、広場を横切る。市場、宿、学院の近く、町外れへ続く道――見覚えのある姿を探して、何度も旋回した。

『いない』

 しばらくして、ウィンは少し高度を下げる。


 その時、ふわりと甘い香りが風に混じった。

 焼き菓子の匂い。

 その香りの流れる先、町の店先に、見覚えのある栗色の髪が見えた。

『……ああ、いた』

 竜の娘ではない。

 けれど、レオが本当は誰を探しているのか、ウィンにはもう分かっていた。

 ウィンはすぐに引き返し、レオのもとへ戻る。

『竜の娘はどこにもいない』

「そうか」

『……でも、あの娘はいた』

 ほんのわずかに、レオの目が動く。

「……どこだ」

『二本向こうの通り。店に立ってる』


 レオは一瞬黙ったあと、外套の襟を整えた。

『ふっ。少しでもましに見せたいのだな』

「うるさい」

 そう言いながらも、歩き出す足はさきほどより速い。


 ◇


 その日、アグラールのグリューネマルクトの町では、やわらかな甘い香りが石畳の通りへ流れていた。


 セレフィナは、布をかけた木箱を抱えて惣菜店の店先に立つ。


 祭りの時に評判が良かったので、菓子学校で作った菓子を、この店の一角に置いてもらえることになったのだ。

 まだほんの少し。お試し程度。けれど、自分の作ったものが店に置かれるのは初めてで、胸の奥が少しだけそわそわする。


「今日もきれいにできてるねえ」

 店の女主人が箱をのぞきこんで目を細める。

「ありがとうございます」


 その時、店先の上を黒い影がひらりと横切った。

「……え?」

 一羽の黒い鳥が、くるりと旋回する。

 そして、つう、と飛び去った。


 それからしばらく、セレフィナが箱の中の菓子を並べ終わった時だった。


「菓子は、あるか?」

 聞き覚えのある声がして、心臓がどくりと鳴った。


 振り向くと、祭りの時に見た男が立っていた。

 以前と同じ、目を引く立ち姿。けれどあの時より、迷いのない顔をしているようにも見えた。

(また会う気がした、勘が当たった……)


「……また来たの?」

「ああ。また、君の菓子が食べたくなった」

 彼はすぐにはセレフィナを見ず、並べられた菓子へ視線を落とした。

「前にもらった菓子、家の者も喜んだ」

 セレフィナの胸が少しだけくすぐったくなる。心を込めて作ったお菓子を、ちゃんと食べてもらえたのだと思うと、悪い気はしない。

「……そう」

「ここにあるものは、君が作ったものか?」

「ええ。このお店に少しだけど、置いてもらえることになったの」

「なるほど」

 男はじっくりとお菓子を見ていた。

 セレフィナは少しだけ肩の力をぬき、それぞれの説明をした。


 男に商品を売ったあと、店を出る。


「まだ帰らないの?」

 そのままそばに居続ける男にセレフィナが聞くと、彼は首を振った。

「聞きたいことがある」

 少し間を置いて、彼が続ける。

「ここでは落ち着かない。少し話せないか」


 セレフィナは少しだけ迷った。

(良く知らない人だけど、私のお菓子のためにわざわざまたここまで来てくれたなら、もう少し話を聞く位なら、良いよね)

「……少しだけなら」



 人通りの少ない広場の端。

 噴水の縁に、二人は少し距離を空けて腰かけた。


 男の手には、店で買ったマドレーヌがある。

 彼はそれを一口食べた。

「前にもらった菓子とは、また違うが、やはり、旨いな」

「良かった。ありがとう」

「どちらも好きだ」

 その言葉に少し熱を感じて、セレフィナが動きを止める。


「前にもらった、あの温かい甘さが忘れられなかった」

 その一言に、胸の奥がまた小さく揺れた。

 自分が彼のために選んで渡したものを、ちゃんと覚えていた。


(好きだ、って、お菓子のこと。勘違いしちゃだめ)

 心が動いた自分をごまかすように、セレフィナはすぐに噴水へ視線を向けた。


「今日は、他の友人はいないのか」

 その言葉に、察して少し熱が冷える。

「ああ、それが目的?」

「少しは気になる」

「少し、ね」

 セレフィナは水面を見つめたまま言う。

「遠くへ行ってるわ。どこかも、いつ帰るかも知らない」

 男は小さく息をついた。

「……そうか」

 少し沈黙が落ちる。

 噴水の水音だけがさらさらと続いていた。


 やがて彼が口を開く。

「本当は君に会いたかった」

 セレフィナは横目で彼を見る。

「私に?」

「ああ」

 彼はまっすぐに言った。

「君のことが、頭から離れなかった」

 彼はさらに続ける。

「前に君が、僕に足りないものがあると言った。あの菓子を食べて、少し分かった。足りなかったのは、君だ」

 セレフィナの目が揺れる。


 そして、彼は言った。

「僕は、レオグリム・エルグラート。帝国の第一皇子だ」


 帝国――その言葉を聞いた瞬間、セレフィナの胸の奥が、すっと冷えた。

 つい先日、父の無事が分かるまでの長い不安に押しつぶされそうだった時間を思い出す。自分の国を攻めてきた国。隙あらば、何かを奪おうとしている国。

 その国の皇子が、今、目の前にいて、自分を紫色の瞳で見つめている。


 セレフィナは息を呑む。


「一緒に来てくれないか」

 レオが手を伸ばし、気づけばセレフィナの手を取っていた。


 温かい手だった。

 冷えていた胸の奥が、少し揺れる。

 セレフィナは手を引こうとした。けれど、指が絡まっていた。


「待って」

 声が出た。でも、弱い。

「僕は本気だ」

 レオの声は低く、静かだった。

 セレフィナは顔を上げる。

 彼の目は、まっすぐこちらを見ていた。

 目が、近い。

 噴水の水音が、急に遠くなった気がした。


 逃げられる。

 逃げようと思えば、できる。

 なのに、足が動かない。

 手を振りほどけない。


 その一瞬のためらいを、レオは拒まれていないのだと都合よく受け取った。


 レオが少しだけ身を寄せた。

 セレフィナの心臓が、止まりそうなほど強く鳴った。

 次の瞬間、やわらかな唇が、重なった。


 時間が、止まった。


 噴水の音も、通りの声も、全部どこかへ消えた。

 あるのは、触れている温かさだけ。

 一秒か、三秒か、もっとか――分からない。


 ただ、それが離れた瞬間に、ようやく世界が戻ってきた。


 セレフィナは一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 だがすぐに、顔が熱くなる。

 驚きと、羞恥と、怒りが一気に押し寄せる。


 その間、レオは内心で、妙に落ち着いていた。

 我ながら、悪くない流れだ。

 そう思った、まさにその時だった。


「そんな、ほとんど初対面で、ついて行くわけないでしょう!」

 セレフィナの声が鋭く響いた。


 次の瞬間、レオの胸が強く押される。

 突き飛ばされ、彼は思わず一歩よろめいた。


「あなた、私のこと、どれだけ知ってる?」

 レオは、何が起こったのか分からないという顔をしている。


 胸の鼓動はまだ速い。けれど、それ以上に腹が立っていた。

 セレフィナは真っ直ぐ彼を見た。

「私はセレフィナ・フィシエーラ。フィシエーラの王女よ」


 興奮したまま、さらに言葉を重ねる。

「あなたの国、こないだも攻めてきたわよね。皇子なら、当然知ってるわよね」

 レオは目を見開く。

「それは……」

 セレフィナは一歩踏み込む。

「それで、ついてこいって、私は人質?」

「そうじゃない」

「じゃあ何よ。順序があるでしょう!」


 その一言一言が容赦なく胸に刺さる。


「まず、戦争はもうしないって言える?」

 レオは言葉に詰まった。


 言いたい。

 だが、言えない。


「それは……僕にはどうにもできない」

 絞り出したその答えに、セレフィナの目がさらに冷えた。

「皇子なら、どうにかしなさいよ」

 言い捨てて、セレフィナは踵を返す。


「できないなら、一緒に来いなんて言わないで」

 そのまま、振り返りもせず去っていった。


 レオはしばらく、その場に立ち尽くしていた。


 噴水の水音だけがやけにはっきり聞こえる。

 やがて、上空を旋回していたウィンがひらりと肩へ戻ってきた。


「……だめだった」

『だろうね』

 ひどくあっさり言われて、レオは眉をひそめた。

「だが、彼女の言うことは、もっともだ」

 自分でも驚くほど素直に、そう思えた。


「皇子なのに、何もできないのは……格好悪いな」

 ウィンが首を傾げる。

『じゃあ、諦める?』

 レオはしばらく黙った。


 セレフィナの怒った顔が浮かぶ。

 真っ直ぐ、はっきりと、言葉を投げつけてきた。

「会うたびに、足りないものに気づかされる」

 反論できず受けた痛みが、まだ胸に残っている。


「……余計、諦めたくなくなったな」

『へえ』

「何か、心に火がついた気がする」


 彼女を得たいからなのか。

 ずっと自分の心の奥底に火種を閉まっていたのか。

 まだ分からない。


 けれど確かなのは、あの恐ろしい父に対して、初めて真正面から逆らいたいと思ったことだった。


 レオは去っていく背中を見ながら、ぽつりと呟く。

「……セレフィナ、か」

 その名は、思っていたより深く胸に残った。


「戻ったらまず、久々にルシアンデル先生に会いに行くか」

『宰相のところへ?』

 レオは立ち上がり、外套を羽織りなおした。

「戻るぞ」


 既に日が落ちかけていた。

 けれどレオの心の暗闇には、小さくともたしかな火が灯っていた。

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