第3話 光の国への紹介状
「さあ、話しましょう」
目の前に座る母――フィオラが言った。
けれど私は、すぐに言葉が出なかった。
生まれてすぐに別れたきりの、実の母。会いたいと思ったことは、何度もあったはずなのに。いざ本当に目の前にすると、聞きたいことも言いたいことも、胸の奥から出てこない。
耐えかねたように、私の膝の上のネフェウが、低く喉を鳴らす。
『ナアー(困ってるわよ)』
母はネフェウをちらりと見ると、言葉を加えた。
「今日は、何か聞きに来たの?」
「あ、あの……光の国へ行きたいの」
大事な要件を思い出して、私は慌てて話し出す。
「光の国……あれを取りに行くの?」
「えっと、闇魔法に支配されている魔獣や人を助けたいのだけど、闇を解くためには、光の浄化魔法を使うしかないと言われて、光の国へ行くしかないと」
それが「あれ」なのか良く分からないが、と思いながら私は話す。
フィオラの表情が、静かに引き締まる。
「アルカルキス連邦へ?」
「はい。でも、伝手がないと入れないって言われて」
フィオラは少しだけ考え、それからうなずいた。
「分かったわ。紹介状を書く」
あまりに迷いのない返事で、私は目を瞬いた。
「え……いいの?」
「あなたが来たのだもの。それくらいは当然よ」
フィオラが右手を少し上げると、右手にインクの付いた羽が、膝の上に板と文章の書かれた紙が現れた。
私は思わず身を乗り出す。
静かな風魔法だった。
フィオラは、さらさらとペンを走らせながら聞く。
「行くのは、リリヴァひとり?」
「まだ分からないけど……たぶん、何人かで行くことになると思う」
「じゃあ、リリヴァと、その同行者、って書いておくわね」
母は言いながら書き終えると、またすっと右手を上げる。
今度は羽や板が消え、白い封筒が出てきて紙を入れ、閉じると魔法で封蝋が押された。山猫の紋が、小さく赤く残る。
「はい、紹介状。これで通れるはずよ」
母が私に、封書を差し出す。
「ありがとう……母さま」
どう呼べば良いのか戸惑いながら封書を受け取った私の指先は、わずかに震えた。
母は、何も言わずに微笑んだ。
「光の国に、本当に伝手、あるんだ……」
私は思わず呟く。
母は、紹介状を渡したあとの手を膝の上で静かに重ねる。
「光の国には、他のどこより信頼できる、金庫があるの。私たち風の国の商人は、あちこちへ商売をしに行くでしょう。お金や、大事な物は、光の国の金庫に預けているの」
「金庫……」
「ええ。だから、私たちと光の国は昔から付き合いが深いのよ。
光の国の入り口があるから、そこで、この紹介状を見せて」
紹介状はあまりにもあっさり、手に入った。
(これで、目的の用事は終わり。だけど……思いがけず、母に会えた)
胸の奥はさっきよりも落ち着かない。
まだ、立ち上がりたくなかった。
「あとは、聞きたいことは?」
母が続ける。
『なにゃあ~(聞きたいことは? じゃ、ないでしょ)』
私の膝の上のネフェウが不満げに鳴き、尻尾を打った。
母がはっとしたように、目を伏せる。
「ごめんなさい。私も、ずっと会いたかったのよ」
そして、少しだけ遠くを見るような顔をした。
「帝国との戦の時に、あなたの父――スタルクリクに、言われたの。おまえは実家に戻れば追手を避けられる、リリヴァを侍従のビュートゥに預けろ、と。泣く泣く別れたの」
「戦の場に、行かれたのでしたな」
ビュートゥが遠い目をして、言う。
「そうね。雷雲を呼ぶの、風魔法でやってって言われて、戦場へ連れて行かれたのよ。そのあと、彼は、何故か竜になるのをやめてしまった。私は言われた通り急いで城へ戻って……リリヴァを、スカーフと一緒にビュートゥに預けたの」
母がビュートゥの首元のスカーフに目をやる。
「……また、会えるように」
ビュートゥが頷く。
「その後、わしは姫を、アグラール王国の大魔法使い、ジーナ師匠にお預けしました。師匠が今まで、大事に姫を育て上げてくださいました」
各々が、昔を思い返しているのか、言葉がまた、途切れる。
テントの布を揺らして、風がまたひとすじ、吹き抜ける。
「そう言えばスカーフ……ビュートゥが、持っていてくれたのね」
母がまた、切り出した。
「はい。なかなかおしゃれで、良いですな」
ビュートゥが、にっこり微笑む。
母が一瞬だけ、何とも言えない顔をした。
ネフェウが私にだけ聞こえる程度の小さい声で呟く。
『……鈍いわね』
私は思わず、ネフェウを見下ろした。
ネフェウが、私にこそっと耳打ちをした。
『あのスカーフ、あなたに渡すつもりだったのを、勘違いしたのね』
私ははっとする。スカーフをしたビュートゥに感じた違和感の正体が、ようやく分かった。
あれは、母が私のために残したものだったのだ。
(お母さんは、私とまた、会いたいと思ってくれていたのか)
母に想われていた事実に、少し、心が緩む。
こういう使い方をして会えるとは知らなかったから、ビュートゥが持っていたことは、良かったのかも知れない。
(この先、また会いたくなったら、ビュートさんに言えば良いのかな……)
「そうだわ」
母が、何かを思い出し、すっと手を後ろにのばす。
「リリヴァ、これをあげる」
私が顔を上げると、母は小さな箱を手にしていた。
中には、銀色の小さな手鏡が入っていた。装飾はほとんどなく、裏には山猫の横顔の紋が刻まれている。
「年頃の女の子向けに、良いでしょう? こうして、顔を見たり」
そう言って、母は自分の顔を映す仕草をしてみせる。
「……という使い方でも良いのだけど、風の国の、古い魔道具よ」
母は淡々と言った。
「姿を見たいと思った人の、“今”を映す鏡」
私は息を呑んだ。
「見たい人の……今?」
「風の魔力を込めて、強く思えば、その分はっきり映る。思いが足りないと、ぼやける」
母は鏡をそっと私の手の上に乗せた。不思議と指に馴染む、やさしい重みだった。
「ただし」
母の声が、少しだけ低くなる。
「一度見ると、回復までに一ヶ月ほど時間がかかるの。よく考えて、使って」
誰を、映すのか。
父か。
象たちの夫か。
それとも……兄?
手のひらの上の鏡は小さいのに、その選択はとても重い。
「分かった。ありがとう」
「寂しいですが、今日の所はそろそろ、戻りましょうか」
ビュートゥが椅子からゆっくり立ち上がった。
ネフェウが私の膝から降りて、母の隣へ戻る。
母は私の目を見ながら立つと、優しい顔で言った。
「また会いに来たくなったら、いつでも手鏡を、風の国の商人に見せて。市場のあるところなら、必ずどこかにいるから」
その言葉に、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
いつでも会いに来て良いということが、今は何より嬉しかった。
私は母をまっすぐ見返し、しっかりうなずいた。
「……うん」
私はビュートゥの後に続き、天幕から出た。馬車に向かって歩くあいだ、私は何度も振り返った。母は見えなくなるまでずっと、天幕の前に立って見送ってくれた。隣には、ネフェウもいた。
私の手元に残されたのは――
一通の紹介状と、
銀の手鏡。
私は、手鏡を胸に抱きしめた。
「また、会えるよね」
誰にともなく呟く。
手鏡がほんの一瞬、ふわりと振るえた気がした。
思わぬ形ではあったけれど、紹介状は、確かに手に入った。
光の国へ。
そして、その先へ。
風は、確かに背を押していた。




