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竜国の姫らしいですが、田舎で静かに暮らしたい  作者: コフク
第二章 竜になれなかった者――闇と竜の血

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第17話 フィシエーラ国王の帰還と、囚われた王の噂

 帝国との国境近くの丘に立ち、アルブレヒトは馬上から戦場を見渡した。焦げた草と、血と、土の匂いが風に混じって届く。焼けた畑と残った杭、倒れた馬車、武器の残骸。戦は勝っても負けても、必ず何かを奪っていく。

 フィシエーラ国王――アルブレヒト・フィシエーラは、手袋のまま指を握り込んだ。胸の奥が、静かに凍る。小競り合いの中、また自国の兵士が命を落とした。遺品を彼の家族に届けるよう命じる。


「陛下」

 背後から声をかけてきたのは、古参の近衛長だ。目の下に影が深い。皆、同じだ。

「そろそろ日が暮れます。お戻りください」


 近衛長と共に天幕の中へ戻ったあと、アルブレヒトは地図を広げた。ランプの光が、羊皮紙の上に揺れる。今回は帝国から仕掛けられ、帝国との国境線を越えた。だが、押された分は押し返して、戻る。それだけで、深入りはしないと決めていた。


 そこに、密偵の頭が、音もなく入ってきた。

「陛下、よろしいでしょうか」

「ああ、話せ」

 密偵の頭は跪くと、言葉を選びながら、話し出した。

「噂が、ございました。竜国の……王が、まだ生きていると」

アルブレヒトは、地図から目を上げた。視線が空中で固定されたまま、動かない。

 竜国は滅びた。帝国に、滅ぼされた。そしてその時から、竜国の王の姿も消えている。――殺された可能性が高いと言われていた。

 だが"生きている"という言葉にも、信ぴょう性がある。誰よりも強いあの男が、死ぬとは思えなかった。


「……誰が言った」

 密偵の頭は一瞬だけ息を呑み、さらに言葉を継いだ。

「帝国のある傭兵が、帝国の内側で、奇妙な動きがあると。"竜の王を運んだ"と……酔って喋りました。念のため、他の密偵にも探らせたところ、別のルートからも、似たような話が上がっております」

 酒の席の噂。相手が重要な情報を持つような者かも分からない。それでも――


 アルブレヒトは、青みがかった銀色の口髭に左手で触れる。

 竜国王――スタルクリクは、友だった。



 かつて。まだ帝国が今ほど大きくなる前、各国が互いの境界を測り合いながらも、フィシエーラの北に隣接する竜国とは良い関係を続けており、祝い事の際にはお互い行き来した。


 初めて会った夜、二人はまだ青年だった。スタルクリクは挨拶もそこそこに、持ってきた酒を差し出してきた。『堅苦しいのは苦手だ』と言って。アルブレヒトも笑って受け取った。それが始まりだった。

酒場のような城の客間で、スタルクリクは豪快に笑った。大柄で、黒い髪に赤い目、黒い指輪に細い鎖を通したネックレスを首にかけ、炎のように喉を焦がす強い酒を飲んだ。スタルクリクが指先で灯した小さな火を、アルブレヒトが水で包んで消し、二人は子供みたいに笑った。家族の話もした。火と水。真逆ともいえる魔力だが、平和を好み、家族を愛する真の部分は似ていて、心から打ち解けた。


 最後に会ったのは、スタルクリクに娘が生まれ、祝いに駆け付けた時だった。『俺と同じ、赤い目をしている。赤き竜を継がせる』と、嬉しそうに言った。

 ちょうど同じ年に、アルブレヒトにも三女セレフィナが生まれていた。

『娘たちももう少し大きくなったら一度連れてこい。娘に会わせたい。竜も見せてやる』

 その言葉を、アルブレヒトは忘れたことがない。心から楽しみにしていた。――だが、その約束が叶えられることは無かった。


 十数年前、竜国は滅んだ。

あの夜の空を、アルブレヒトは今も覚えている。遠く東の空が、黒く染まった。雷のような音が、風に乗ってきた。翌朝、早馬が来た。竜国が、帝国に敗れた、と。


(生きているなら――)

 帝国に抗うために。戦を終わらせるために。そして何より、友を闇の中に置き去りにしないために。

「再度、調査を進めろ。救えたならば、フィシエーラの力にもなる」

 アルブレヒトは、即座に命じた。

 傍に立つ近衛長も頷く。言葉は無いが、目が熱を帯びた。彼もまた、竜になったスタルクリクの強さを知っている。



 数日後。数週間後。戦の合間に挟まる報告は、細切れにしか集まらなかった。

 ――帝国領内で、他国の王だったという噂の囚人の輸送を手伝った。

 ――厚く黒い布で覆われた檻を運んだ。重要な人物だから大事に運べと言われた。

 ――闇の魔力で厳重に封じられていて、詳細は伺えない。

 具体的な場所の名は出ず、道筋も曖昧で、証言した者にその後会うことは無かった。それがかえって、アルブレヒトの胸に確信を生んだ。――帝国は隠している。生きた、大事な誰かを。

ただ、一つ、共通して出てくるものがあった――「塔」。スタルクリクは、どこかの「塔」にいて、その周辺で定期的に輸送され続けているのだろうか。


 アルブレヒトは、夜毎、天幕で地図を広げた。口髭を指先で何度もなぞった。塔のある場所は、どこか?

 だが、どこにも「決定打」がない。恐らく、入ることが難しい、帝国深くか――



「陛下、王妃様からです」

 王妃マリオラの侍女から託された密書が届いたのは、その夜だった。封は確かに、王妃の印だった。

 先日、調べたいことが出て帰還が遅れる見込みだという一報を、こちらから王妃に入れたばかりだった。だが、強い精神を持つ王妃は、滅多なことでは連絡をすることがない。アルブレヒトは、紙を開く手が一瞬だけ震えるのを感じた。


 そこには、王都で起きたことが短く書かれていた。内政を任せていた重臣が、帝国と内通している疑い。「王が急死した」という噂を、城内に流していること。そして――王女たちは亡命させたが、マリオラは動けない状態であること。次女だけ密かに戻ってきたこと。


(背後が、崩れる)


 これ以上王の不在が続けば、フィシエーラは内側から裂ける。裂けた瞬間、国は帝国に飲まれる。王妃の命は確かでなくなり、娘たちは、戻る場を失う。


 アルブレヒトは、額に手を当てた。

(スタルクリク……)

 友を救いたい。だが――。

 友を救うために、自分の国と家族を差し出すことは、王のやることではない。それは、ただの自己満足だ。


 夜の外で、風が唸った。天幕が揺れ、灯りが一瞬だけ細る。


 アルブレヒトは、地図を畳んだ。ゆっくりと。口髭に触れる手が、止まった。

「……ここまでだ」

 言葉にした途端、胸が裂ける気がした。スタルクリクの笑い声が、友との約束が、脳裏に蘇る。

(お前と共に、帝国に抗いたいと……そう思った)


 アルブレヒトは近衛長に命じた。

「撤退準備。国へ戻る。友の件は、引き続き水面下で探る」

 近衛長は王の気持ちを察して一瞬だけ悔しそうに目を伏せ、一礼した。

「……御意」


 アルブレヒトは決めた。スタルクリク救出は断念する。今はまず、自国の政権を取り戻す。足元を立て直せば、次に動ける。



 翌朝早く、馬上から一時だけ、帝国の中心に向かい、振り返った。

(友よ、どうか無事でいてくれ――)

 そして、撤退の列は歩き出した。灰に塗れた戦地を背に、フィシエーラ城へ向かう。

 

 帰還の途中、次女と合流する手はずが整えられていた。森の外れ。古い礼拝堂跡。そこで待っていたのは、次女リオネッタだった。

 濃い青の髪を高い位置で結いあげ、日焼けした肌。兵の装いに外套を羽織っている。目は青く、その奥に、王を継ぐものとしての覚悟が宿っている。フィシエーラ王家の血を強く引く、自分と一番似ている娘だ。


「父上」

 リオネッタはまっすぐに立ち、父を迎えた。

「城は、裏切り者に握られています。けれど、お母様が"王の印"を守っております」

 アルブレヒトの喉が鳴った。王の印――それは王権の象徴だ。

「マリオラは……無事か」

「はい。表向きは病。ですが、それは王の印と身を守るため。自由に動くことはできませんが、元気にされています。密かに国に戻った私が代わりに動いております」

 アルブレヒトは、娘の言葉の重さを噛みしめた。――間に合った。


 リオネッタが短く言う。

「私は一度別れ、秘密通路から城の中心に向かい、お母様の安全を確保します」

 裏切り者は帝国の支援を受けている可能性が高い。無事の帰還を演出したいが、マリオラを人質に取られてはいけない。

「王妃は任せた。では、これより王都へ戻り、王城を奪還する」



 それから、わずか一日で、フィシエーラは取り戻された。

 

 アルブレヒトは王の無事の帰還を人々の目に焼き付けながら、軍の力を持って易々と進んで行った。

そして、最後の扉の前で止まる。そこにいるのは、内政を任せていた重臣――“王の急死の噂”を流した男だった。

 重臣は引きつった笑みを浮かべた。人質にするつもりだった王妃マリオラも、亡命したと思っていたリオネッタと共に、アルブレヒトの後ろに立っていた。

「陛下、ご無事でしたか。もう戻らぬかと――」

 アルブレヒトは、その言葉を最後まで聞かなかった。

「私の不在を使って、国を売るとは」

 男の顔色が変わる。

「誤解です! 私は――」

「証拠もあります」

 マリオラが言い切った。

「封印の間の水時計に、記録が残っています」

 重臣の喉がひくりと鳴った。

 その顔を見て、アルブレヒトは短く命じた。

「封印の間へ」



 一同は地下倉庫の奥、通常は王家の者しか入れぬ封印の間へ移った。

 石造りの冷えた部屋の中央には、王の印を置くための台座。そして隅では、古い水時計が絶えず水を落としていた。

 重臣は険しい顔でそれを見た。

「……ただの時計ではありませんか」

 マリオラが、かすかに首を振る。

「ええ。あなたには、そう見えていたのでしょうね」

 水時計は、何層にも重なる透明な水盤と、細い管で組まれていた。上から落ちた水が静かに溜まり、また流れ、長い時を刻み続けている。

「この水時計には今、王の印に関わることだけが記録されています」

 マリオラは静かに続けた。

「設定できるのは王だけ。一度定められれば、記録は絶えません。閲覧できるのは、王と、正統な王家の者のみです」

 重臣の顔から血の気が引いた。

 アルブレヒトは、その表情を見て確信した。この者は、何も知らなかった。王家の中枢を奪おうとしても、代々王家のみに伝わる大切な仕組みを理解していなかった。

 マリオラが水盤の縁に指を触れる。すると、水が逆らうように静かに逆流し、表面に淡い光が走った。

 次の瞬間、封印の間の中央に、水の像が立ち上がる。そこに映ったのは、マリオラだった。

 アルブレヒトが遠征へ出て間もなく経った頃、王が亡くなったという話を告げられた直後。一人、疲れ切った顔で、それでも真っ直ぐに台座の前へ立ち、王の印を両手で抱えた。

 重臣が、息を呑む。

 水の像の中で、マリオラは短く告げた。

『奪われないよう、しばし形を変えます』

 そして、床に叩きつけるように落とす。青い印が光り、砕けた。


「あっ!」

 重臣が、思わず息を呑んだ。

 アルブレヒトもまた、目を見開く。

 

 水の像の記録は、まだ続く。

 マリオラが複数に砕けた欠片に手をかざすと、欠片が四つにまとまった。一人の侍女が後ろから武器を一つずつマリオラに渡し、マリオラはそれぞれの欠片一つずつを、武器の宝珠に埋め込んでいった。

『娘たちに託します。フィシエーラが戻る日まで』

 像が揺れ、消えた。


 そして、水の像は、さらにまた別の記録を映し始めた。

 重臣が、くっと声を漏らす。像が次に映し出したのは、重臣と、少数の部下の姿だった。

『……何もありません。台座が、空です』

 重臣は、自らも何度も確かめ、部下にも周囲をくまなく検めさせた後、ゆっくりと息を吐いた。

『図られた……王妃め』

 重臣は、部下に命じた。

『王妃に気づかれないよう、わしの私兵団に命じて、王女たちを追え』

 像が揺れ、消えた。


 重臣は言葉を失っていた。

「これで、お分かりでしょう」

 マリオラが言う。

 男の唇が震える。

「王の印を……まさか、砕くとは……」

「ええ。必要でしたから」

 そこで、今度はリオネッタが一歩前へ出た。青い目が、まっすぐ重臣を射抜く。

「あの後確かに、私たちはあなたの私兵に襲われました」

 重臣が、はっと顔を上げた。

「何のことだ」

「亡命の道中で。私たちから、王の印を奪うつもりだったのでしょう」

 リオネッタの声は冷静だった。感情ではなく、事実で責める。

「証言も取ってあります」

 部屋の後方の兵が、後ろ手に縛られた、重臣の私兵を連れてきた。

「な……!」

 重臣の声が崩れた。

 アルブレヒトは、低く言った。

「私の不在を使って国を売り、王妃と王女たちまで始末しようとしたか」

「いえ、私は国のために――」

「牢へ」

 その一言で、兵が動いた。男は引きずられ、叫び、やがて声が遠ざかる。

 マリオラが、ふうっと息を吐く。アルブレヒトは振り返り、その肩を抱いた。

「よく守り抜いてくれた」

「あなたも、……よく無事に戻られました」

 アルブレヒトは、短く頷いた。


 重臣の下、帝国と繋がっていた他の者たちも、次々に牢へ入れられた。マリオラが丁寧に集めていた証拠が活きた。



 アルブレヒトとマリオラ、リオネッタは、重臣が連れ出されたあともそのまま封印の間に残った。マリオラの顔は少しやつれている。だが目の強さはそのままだ。


 マリオラの侍女が、奥から小さな箱を大事に持ってきて、テーブルの上に置いた。箱を開けると、中には四つの石の欠片が収められていた。

「これが……王の印か?」

 バラバラに砕かれた欠片を前に、アルブレヒトが固まる。

「先ほどお見せした通り、娘四人それぞれの武器に埋めて持たせていました」

 マリオラはそう言って、にっこり笑った。

 リオネッタが続ける。

「亡命先でアグラール王の叔父様が、武器から欠片を分けたのを、戻るときに持ってきました」

「いや、そうでなくて――」

 アルブレヒトは続く言葉が出ない。――これは、大丈夫なのか? 目だけが語る。

 マリオラが前に出て、手を欠片の上にかざす。

 温かな光があふれたかと思うと、砕かれていた欠片が震え、互いを探すように寄り、重なり、溶け合っていく。

 やがてそこに残ったのは、一つの青く丸い透明な石――フィシエーラ王国の王の印だった。

「アグラール王家の力で、元に戻せるのだったか」

 アルブレヒトは、ふっと一息ついた。


 アルブレヒトは、胸の高さに王の印を掲げる。透明な石は、王の水魔法の力を得て、青く輝き始めた。王はそれを、空になっていた台座の上に静かに置く。

 ――瞬間。台座下の床に青く光る魔法陣が現れ、空気が変わる。

 ほころび始めていた王城全体を包む結界が、淡く光り、元の力を戻した。フィシエーラの城が、ようやくあるべき姿に戻った。


 張り詰めていた空気が、ようやく少し緩む。

 マリオラは、封印の間の隅で静かに水を落とし続ける時計に目をやった。

「あら、もうこんな時間。こんな時ですが……お茶にしません?」



 広間へ移ると、ダイニングテーブルを前に、アルブレヒトは二人を見た。

「心配をかけて、悪かった。実は戦の最中、竜国王が生きているという噂を掴んだ。救いたいと思い、噂を追ってしまったが……この国の危機を生むとは」


 リオネッタが疑問を返す。

「竜国王……?」

「ああ。十数年前に帝国に滅ぼされた、竜国の――王だ。生きている可能性があるという、噂が入った。大事な、友だった」

 マリオラは目を閉じ、短く言った。

「友を……救いたかったのね」

「今は、救えなかった」

 アルブレヒトは、思った。今は、だ。


 その時、リオネッタが、はっとした顔をした。

「そういえば父上。アグラールへ亡命する際、赤い竜に助けられました。それと……その竜を呼んだという少女にも会いました」

 アルブレヒトの手が止まった。

「……その少女は、どのような子だ」

「黒髪に、赤い目でした。今セレフィナがいる、アグラールの小さな村にいます」

 王は、すぐには言葉を返さなかった。

 スタルクリクと最後に会った日の言葉が胸の奥によみがえる。

『赤い目をしている。赤き竜を継がせる』

「――まさか、あの時、彼が話していた娘か……?」

「セレフィナは同い年のこともあって、仲良くしているようですよ」

 リオネッタが添える。


 自分勝手に友を救おうとした。そのせいで、家族も、国までも危機に瀕した。

 もしかすると、竜国王生存の噂さえ、帝国が自分を誘い出すために流した餌だったのかもしれない。

 愚かだったかもしれない。それでも――。


 思いがけず、何かが繋がった。


「アグラールへ文を出す。アグラール王へは感謝を、エリシアとミリエルにはこちらの状況、無事取り戻したことを知らせよう。そして……セレフィナへは、状況と、竜国王の噂があることも」

 開け放した窓辺に、白い影がふわりと舞い降りた。コフクだった。

 三人の視線が、一斉にそこへ向く。


(友を、救うことができなかった。けれど、いつかきっと――)

 アルブレヒトは、拳を硬く握りしめた。


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