第16話 闇を解くと誓った夜
日が暮れる頃、村へ戻ると、夕餉の匂いがしていた。
私たちは村長の家へ案内され、まず報告をすることになった。広い部屋には、アンドロメダと、知らない女性が待っていた。食卓には既に、村の人達が持ち寄ってくれた料理が並び、煮込みの湯気が温かく揺れていた。
「こちらは、ミルナ。村の結界を張っていて、昔、私がこの村に来た時もお世話になった人。一緒に話を聞いてもらうわ」
アンドロメダが紹介した。
「で、どうだった?」
「象と話せました。夫象たちを連れていかれて、悲しんでいたみたいです」
「どこに?」
私は短く答えた。
「たぶん帝国。……闇の匂いがしたって言ってました」
私は順番に話した。急に帝国の人や黒烏たちがきて、夫象たちが操られたように連れていかれたことを。
「連れていかれた象は、闇の支配を受けてる。そういうことだね」
ミルナが頷く。
「……解除できますか?」
私が聞くと、ミルナはアンドロメダを見た。
アンドロメダが、少し間を置いて答える。
「私ができるのは、予防だけ。……夫象たちにすでにかけられた強い闇魔法は、解けない」
静かな声だった。言い訳ではなく、ただ事実を言っている声だ。
ミルナも言った。
「私も、結界を張って防ぐことしかできないね。岩の結界を厚くする。壊れたところは、また張り直しておくよ」
アンドロメダが柔らかく言った。
「歌魔法も少し、かけていくわ」
「戻ったら、ビュートゥにも聞いてみよう。じゃあ、今日はお疲れ様。食事を楽しもう」
マックスが、両手をぱちんと打った。
◇
夜の食事会は、村の人たちも参加して、にぎやかだった。
木の盆に並んだのは、山菜のスープ、川魚の香草焼き、根菜の煮込み、香草を練り込んだ素朴なパンなど。被害を受けた中で揃えてくれた、村人たちの心遣いが感じられる。
そして、小さな皿が一つ。
「ささ、旅の方はこれでも食べて」
乾いた焦げ茶色の欠片みたいなものが盛られている。
「……これは?」
私が首を傾げると、運んできた村人が、なぜか少し得意げに笑った。
「巨岩象の“落とし物”を使った発酵食品。昔からの珍味ですよ」
マックスが咳き込みかけて、手元の杯を置いた。
「……え、象の……?」
「草だけ食べてるから綺麗だよ。色んな薬草が混じってて、身体にも良いと言われています。」
一瞬、皆が沈黙した。
「いただきます」
マックスが、箸を伸ばそうとすると、
「待ってください。ならば……殿下が食べる前に、毒見を……」
結局、最初に挑戦したのはウィルだった。
「……意外と、香ばしい」
「そうでしょう」
村人が誇らしげに頷く。
マックスも、口に入れる。
「……面白い味だ。土みたいな香りと、酸味。リリちゃんも、気になるなら食べてみたら?」
「今日会った象たちのフンだと思うと複雑な気分になるので、やめておきます」
皆ちょっと残念そうな顔をした。申し訳ないけれど、こればかりはしょうがない。
「アンちゃん、久しぶりに歌ってー!」
村人の声に、アンドロメダが立ち上がる。
「それでは、皆さまの期待に応えて、歌姫アンドロメダが歌を披露させていただきます」
歌が始まり、アンコールも続き、宴はなかなか終わらなかった。
◇
その夜は村長の家に一泊することになった。
部屋割りは男女で分かれた。
私は布団に入る前、水差しを取りに廊下へ出て、星のない空を見上げた。
歓迎会のあと、村長宅はすっかり静かだ。
マックスが廊下の隅のベンチに一人で座っていた。
「眠れない?」
「ううん。……少し、涼みに」
私は隣に座った。夜風が、森の匂いを薄めていく。
しばらくして、マックスがぽつりと言った。
「前より、しっかりしてきたね」
「……そうですか?」
「うん。今日、僕たち、要らなかった」
胸が、きゅ、とした。嬉しいのか、寂しいのか、自分でも分からない。
マックスが私を見て、柔らかく笑う。
「竜の姫らしく、なってきた」
私は、目が泳ぐのを止められなかった。頬が熱い。息の仕方が分からない。
「……そ、そんなこと……」
言い終わらないうちに――
「――あっ」
廊下の向こうから、やけに明るい声が飛んだ。
「リリさーん! 水差しですかー?」
村長宅のお手伝いさんが歩いてくる。少し酔いが残っているようで、機嫌が良い。
マックスが、ため息をついた。
「あ、すみません。お邪魔でしたぁ?」
さらに反対側の廊下から、別のお手伝いさんの声もする。
「明日の朝、森へ行くなら早いほうが――」
私は立ち上がり、笑って誤魔化した。
「うん、大丈夫。もう寝ます」
マックスが、ほんの少しだけ残念そうに笑った気がした。
静かな夜。昨日まで騒がしかったという噂が噓のように、森もシンとしていた。
◇
部屋は二人分だけ布団が敷かれていて、火の匂いが残っていた。
暗がりに目が慣れてきたころ、私は寝返りを打って、隣の影を見る。
アンドロメダは、灯りの消えた天井を見ていた。
「……この村、来たことがあるんですか?」
声をかけてみると、アンドロメダは一瞬だけ瞬きをして、笑った。
「ええ。……この国に来た最初にね、この村で、助けてもらったの。生かしてもらった」
珍しく重い感じがして、私はそれ以上聞けず、いつの間にか眠りに落ちていた。
アンドロメダは一人、今日のミルナとの会話を、思い出していた。
◇
ミルナは家に入ると、薬草茶を二人分用意して、テーブルの向こうに座った。
「九年ぶりだね」
ミルナが静かに、話し出した。
「大きくなったねえ。……身体だけじゃなくて、魔力の話よ」
アンドロメダが、ふふっと笑った。それから、両手でカップを包んで、少し下を向くと、ぽつりと返す。
「九年前。……逃げてきた私は、ここで助けてもらった。本当に、感謝してる」
ミルナが、お茶をすすった。
「あの時は、本当に、大変だったね。血も足りなくて、歌う力さえ残ってなかった」
「森で弱って倒れていたのを拾って、食事と寝る場所をもらえて、子供も無事に産めたのは、ミルナと村の人たちのお陰」
短い間があった。
アンドロメダの指が、かすかに震えた。
「あの子が連れていかれたときも、精一杯守ってくれようとした」
「当然だよ。アンちゃんも、村の仲間だから」
ミルナは目を伏せる。
「あの時は、あんたが弱っている隙を狙ってきた……あんたも、あの子も、生き延びて、良かった」
アンドロメダは唇を噛み、窓の外、森の向こうの空を見る。
「……あの子、遠いところで元気にしているのは分かっている。それが、小さな希望なの」
ミルナは、アンドロメダの隣に座り、そっと背中に手を添えた。
「手伝うよ。いつかきっと、取り戻そう。そして、次は奪わせない」
遠く、森の方から低い音が聞こえた。象が、どこかで鳴いている。
それは誓いの声に聞こえた。




