ハルの兆し
超大陸『ハルデモニア大陸』。
人間族、獣人族、エルフ族、精霊族など、多くの種族が暮らしている世界最大の大陸である。
そして、この大陸は5つの大国と数十の小国で成り立っており、その北東に位置するのが『フリディア王国』だ。
フリディア王国は、全ての国の中でも、最も長い歴史と最大の人口を誇る国として知られている。
フリディア王国では、王様が最も強い権力を持っており、いわゆる絶対王政というものだ。
首都近郊は国王および王族関係者が統治し、地方はそれぞれの領地を持つ貴族が治めている。
歴代の国王は「フリディア王国は国民の自由と永久の安寧を約束する」と謳い続けており、その理念のもと、身分に関係なく、一定以上の功績や納税額があれば、それに見合う地位に就き、さまざまな恩恵を受けられると言われている。
例えば、兵士として数々の武勲を立てた者や、商人として国の発展に寄与した者は、功績に応じて貴族階級の地位を得て、国の一部を与えられ、その土地の領主となることができる。
その領地の施策へ、法に触れない限り王族はほとんど介入しないため、領地の数だけ多様な文化が育まれている。
フリディア王国北西部にある『エリザベス領』も例外ではない。この領地の特徴はなんといっても盛んな漁業である。食用魚の収穫量はフリディア王国の中でも突出している。
それらを使った魚料理は絶品で、フリディア王国内でも非常に人気が高い。
そのエリザベス領でも屈指の人気を誇るのが港町『シロップ町』だ。漁業はもちろん、町から見渡せる海の景色は絶景として知られ、多くの観光客が訪れている。
そんなシロップ町も、つい最近までは凍てつく空気が肌を突き刺すほどの寒さだった。
町を訪れる人影がほとんどなく閑散としていたが、季節の変わり目となった今は少しずつ暖かさを取り戻しつつある。
石畳に積もっていた雪も融け始め、観光客の姿も少しずつ増え、町には再び活気が戻り始めていた。
そんな町の中心部から少し離れた位置に、さまざまな種類の商品やサービスを扱うなんでも屋が、店を構えていた。
木製ドアにかけられている看板には「めいぷる 本日営業中」と書かれている。『めいぷる』。それがこのお店の名前だ。
店内は火属性の魔道具によってほんのり温められ、窓はうっすらと曇っていた。
大きな木製の本棚の上では、寝ぐせがちょこちょこ残っている桃色の長髪を垂らし、身の丈に合っていないぶかぶかの白ローブをまとった少女が、本を読みながら大きなあくびをしていた。
一方、カウンターでは、金髪を低い位置で二つ結びにし、村ではよく見かける服装に華やかな装飾を散りばめた少女が、肩をわなわなと震わせながら帳簿とにらめっこしていた。
「んぁ~......暇だなぁ......」
白ローブの少女は、静かな時間を終わらせ、もう1人の少女へ声をかけた。
「今日はお客さん来るかなぁ?」
「......」
「もし来なかったら、何日目になるんだろうねぇ。3日目ぐらいかなぁ?」
「............」
「んねぇ~聞いてる~?りぃちゃ~ん?」
のんびりとした口調で声をかけるが、りぃと呼ばれている少女は答えなかった。代わりに、徐々に肩の震えが激しくなっていく。
「りぃちゃ~ん、りぃちゃ~ん、こちらダリアですぅ。応答してくださぁい」
構わず話しかける少女———『ダリア・アッカルド』は、めいぷるの店員であり、臨時の店長代理でもある。
「もしかしてぇ~、また侍女の人にお胸のこと言われたのぉ?大丈夫だよぉ、りぃちゃんはこんなものがなくてもかわいいよぉ?」
と、ダリアは自身の胸を片手で指して言った。
「......ッ!ちッがうわよ!!!!」
ダリアの言葉に、りぃと呼ばれている少女の堪忍袋の緒がついに切れたのか、結んでいる髪を大きく揺らしながら、ダリアの方へ向き、怒号を叩きつけた。
それにびっくりしたダリアは、肩を少しビクッとさせ、読んでいた本からりぃと呼ばれる少女へと視線を移した。
「マリアは「嫌いな食べ物を残していると立派に育ちませんよ?」って言ったのよ!誰も胸の話なんてしてないわよ!!」
「そうだっけ?じゃあ誰がぁ......」
「あんたよ!話を変な方向にもっていったのは!!」
「あれぇ?そうだっけぇ?」
「そうよ!......というか、そもそもそんな話じゃないわよ!!」
りぃと呼ばれている少女は右手で強くカウンターを叩いた。
「冬に入ってから今まで、どれくらいの利益が出たか分かってるの?」
「え~っと......わかりません......」
「......このままだと、みんなに配るお給金が先月より半分以下になるわね」
「そんなぁ~、もうすぐ入荷予定の魔導書があったのにぃ」
ダリアは本をそっと閉じ、しょんぼりしながら本棚から降りた。
「そういえば」
りぃと呼ばれている少女は少し間を置き、妖しい笑みを浮かべていた。
「確かこの前、アカリが新しい大釜が欲しいって言ってたわね」
「んぁ~、たしかに言ってたねぇ~、今のよりすごくいいものだって言ってた気がするよぉ~」
「本当はこの前のお給金で買えてたんだけど、まぁ最近いろいろあったから......ね?」
「そうだねぇ~大変だったもんねぇ~」
「......その大釜が、次のお給金で買えるってワクワクしながら話してたわよ」
「そうなのぉ~?......そうなの!!?」
それを聞いた途端、ダリアはびくりと背筋を伸ばし、思わず身を乗り出した。
「1度機会を逃した分、買えないってわかったとき、すごく悲しむわよね~」
「ぐぅ~!こまるぅ~!」
「そうね、私だってそんなアカリは見たくないわ......そんな状況なのに......」
りぃと呼ばれている少女はゆっくりと鬼のような形相を浮かべながらダリアへ顔を向ける。
「店長代理のあなたが、店の危機だっていうのに、本棚の上でのんびり読書なんてしてたら、お金を任せられている身として何も思わないわけないでしょ!!」
ダリアには、りぃと呼ばれている少女の背後に雷が落ちたように見えた。それほど、彼女は怒鳴っていた。
彼女の名前は『リーア・エリザベス』。ダリアと同じくめいぷるの店員の1人で、会計を担当している。めいぷるの中で一番のしっかり者なので、ダリア含め他の店員からかなり頼りにされている。
そして、エリザベス領の領主の娘でもあり、過去にさまざまな紆余曲折があった結果、領民の暮らしを知るため、現在はめいぷるで働いている。
「まぁまぁ、そんな気を張らなくても大丈夫だよぉ。今はみんな雪のせいで余裕がないけど、きっと、なんとかなるってぇ~」
「楽観的すぎるわよ!......こんな状況なのに、店長はぜんぜん帰ってこないし」
「そういえばヴェンちゃん、あれっきり帰ってこないねぇ~。今までも何回か店を離れることはあったけど、こんなに帰ってこないのは初めてかもぉ~?」
ダリアは少し首を傾げながら、自身の記憶を遡る。
めいぷるの店長『ヴェンダ』。
かなり自由奔放な性格で、その上放浪癖もあるため、年中旅に出ては珍しい手土産を持って帰ってくる。———もしかしたら店にいる時間より、旅に出てる時間の方が長いかもしれない。
そんなヴェンダでも、今までは長くても二週間ほどで店に帰ってきていた。
だが今回は、すでに二月も経っている。
別れ際に「今回はけっこう長くなるかもだから、店のことは任せたよ」と、ヴェンダにしては珍しく真剣な表情をしていたことを、ダリアは覚えていた。
だが、まさか二月も離れるとは、その時は想像もしていなかった。
「......ヴェンちゃん、無事かなぁ?」
「あの店長のことだから心配いらないでしょ。どうせ、旅先が楽しすぎて時間を忘れてるのよ」
「そんなこと言ってぇ~、ほんとはすご~く心配してるくせにぃ~」
「べ、別に心配なんてしてないわよ!」
顔を真っ赤にしたリーアは、ダリアの顔を両手でぎゅっと挟んでムニムニしていた。
「やめへよぉ~」
「そんなことより、なんとかして稼がないと店長に「やっぱり私がいないとやっぱだめか~」って笑われちゃうわよ」
「わたひはへつにいいへどぉ~」
「私はいやよ、むかつくから。それに、アカリたちにもお給金をちゃんと渡してあげたいし......って、なによ、その顔は」
ダリアはリーアの両手に顔を挟まれながらも、にやにやと笑みを浮かべていた。
「やっぱひ、りぃひゃんはやさしいへ~」
「なんでそんな話になるのよ!」
「いはい、いはいよ~」
少し強めに頬を揉まれたダリアは、涙目になりながらリーアにやめるように訴えかける。
リーアはしばらく揉み続け、ようやく満足したのか手を離した。
「んぁ~、すこし膨れたぁ~」
「似合ってるわよ」
「ひどい~」
「そういえば、さっきお金のことでなんとかなるって言ってたけど、何か策とかあるわけ?」
「さく~?そんなのないけど~?」
ダリアがそう言った途端、リーアはゆっくりと両手をダリアの頬へ伸ばし始めた。
慌てたダリアは「ちょっとまってぇ~」と声を上げ、のけ反った。
「こ、今年の冬は、いつもよりおおく雪が積もってたでしょぉ?」
「そうね。例年より多く積もってたから、気合入れて雪かきをしないとなって町長も言ってたわね。わたし達も今年は骨が折れたわ......」
「そうだねぇ......それでねぇ~、町の中がこんな状況ならぁ、もちろん町の外も大変なことになってると思わない?」
「?......あっ!」
「そういうことだよぉ。近くの町や村の人たちは、雪かきのおかげで少しずつ来られるようになってるっぽいけどねぇ~。でも都会は遠いしぃ、首都なんてもっと遠いからぁ、人がいっぱい来るまではまだ時間がかかると思うんだぁ~」
「そ、そうね。いつもここに卸してくれる店の人も、ようやく物流が動き始めて、少しずつ商品の入荷が多くなってきたって安心してたわね」
「そうなんだよぉ~。さっき言ってた魔導書もねぇ、やっと入荷の目処がたったって言われたんだぁ~。今回はかな~り待ったなぁ~」
「わかったわ。ダリアの言いたいことが」
リーアはそう言うと、ふと何かを思い出したかのように立ち上がり、店の奥にあるキッチンへ向かいながら続ける。
「つまり――大雪のせいで例年より足止めを受けてた町の外の人たちが、雪融けで動けるようになってきたから、観光客が戻り始めるってことね」
「それに加えてぇ、お魚も町の外に多く売れるようになるからねぇ~」
「そうなれば町の人にも余裕が出てきて、うちに来るお客さんも増えるってわけね」
そう、めいぷるの主な客層は地元の人たちだ。
取り扱う商品やサービスのほとんどがシロップ町の暮らしに適しているものばかり。
その結果、住人たちからは親しまれ、『シロップ町のなんでも屋』という愛称で呼ばれて、度々頼りにされている。
しかし裏を返せば、住人たちの懐事情が厳しくなれば、めいぷるに足を運ぶ客も途絶えてしまう。店の収益は、町の経済状況と密接に結びついているのだった。
「ちゃんとダリアも考えてくれてたのね」
「んぁ~、一応店長代理ですからぁ~」
ダリアは右手を胸の前に出し、大きく胸を張った。
「それなら、もっと早く言いなさいよ。ヤキモキしてた時間を返してほしいわ」
「いやぁ~、すご~く面白いシリーズものの本があってねぇ~。昨日まではそれに夢中だったんだよぉ~」
「あ~の~ね~!」
リーアは低く唸った。
その後しばらくして、リーアはむすっとした顔をしながら、ティーポットを持ってキッチンから戻ってきた。
そして、店内に置いてある円卓にポットマットを敷き、その上にティーポットを置いた。
「ダリア、ティーカップを取ってきてくれない?」
ダリアは「はぁ~い」と返事し、カウンターの下にしまっているティーカップを取り出して、テーブルへ運んでいった。1回で人数分を運べないため、2往復した。
「そういうことなら、そう待たずにお客さんが増えてきそうね」
「それと一緒に、町の外の情報とか噂も一気に入ってくるから、それも楽しみだね~」
「確かに、例の勇者が魔王討伐に向かった話も、その後どうなったか全然聞かないものね」
「それも大雪のせいで遅れてるっぽいよねぇ~。まぁ、あの勇者が負けるとは思えないけどぉ~」
そう言いながら、ダリアはおでこを右手でさする。
「......またおでこを触ってるわね」
「んぁ~、癖だからぁ~」
ダリアは空いている左手もおでこに触れ、くしゃっとした笑みを浮かべた。
2人はそれぞれテーブルにそなえられてる椅子に腰かけた。その直後に、タイミングよく店の入り口のほうからカランコロンと入店音が鳴る。
店に入ってきたのは2人の少女。それぞれ「お、おはようございます」「おはよう...」と挨拶をしながら、防寒着を脱ぎ、ドアの近くにあるポールハンガーへかけた。
2人はそれぞれ色違いの和装に身を包んでいた。
「おはよ~、あかりんとあくあく~」
「アカリ、アクア、おはよう」
入ってきた2人に挨拶を返すダリアとリーア。そして、今しがた店に入ってきた『アカリ・クローバー』と『アクア』を加えれば、店長のヴェンダを除くめいぷるの店員が全員揃ったことになる。




