プロローグ 冷たいソラの下で
少女はふと目が覚める。そして、最初に感じたことは......冷たい。
春が近いとはいえ、まだまだ防寒着が必要な時期だから、そういった気持ちになるのは自然なこと。
しかし、少女が感じたのは寒いではなく、冷たい。
眼球だけを動かし、辺りをゆっくり見回しても、何一つ見つけられなかった。ただ耳に届くのは波の音だけ―――そう、少女は肌を刺すような冷たい大海に1人浮かんでいたのだった。
それも昨日今日の話ではない。
いや、何日ぐらい流されているのか、少女自身も覚えていなかった。
手足にはすでに感覚がなく、動かすことも出来ない。
こうなる前から身体はすでに限界だった。ケガや火傷は至るところに広がり、折れた骨がまだ疼いている気がした。
それでも海で浮き続け、辛うじて生き長らえることが出来ているのは、体の周りに火属性魔法を張り続け、出来るだけ冷水に体力を奪われないようにしているからだろう。
しかし、それも時間の問題だった。少女に残されている魔力量から見るに、あともって1日ぐらいだろう。
少女はふと目を閉じた。
ぼんやりとした意識の中、かすかに浮かぶ仲間たちの姿。
(.......みんな、大丈夫かな)
よみがえる最後の光景は――息がしずらくなるほど重々しく、そして禍々しい空間が広がる大広間だった。壁や柱は深い黒で覆われ、天井は闇が広がっていて見えない。
そこにはおびただしいほどの■■がいて、少女と仲間たちはそれらの無数の攻撃を耐え凌ぎつつ、互いに力を合わせることで反撃を繰り出していた。
仲間である■■の、この世ならざる尋常ではない力のおかげで、着実に■■の数を減らしていた。
少女もその小さな体に似つかわしくないほど、大きな■■■■から放つ魔法で、仲間たちの援護をしていた。
だが、不意に妖しく揺らめく紫の瞳を持つ■■に頭頂部を■■■、それと同時に足元からは不気味に光りだす魔法陣が出現した。
少女の■■■■■で魔法陣が危険なものだと理解したが、しかし紫の瞳を持つ■■せいなのか、体が思うように動かせなかった。
咄嗟の出来事だったので、仲間のほとんどはその状況に困惑し、少女と同じく動けずにいたが、■■と■■のみ瞬時に魔法陣から脱出することができた。
■■は魔法陣に囚われている少女たちを見て、手を差し伸べてくる素振りを見せた。
だが、間に合わないと悟ったのか、代わりに精一杯、屈託のない笑顔で一言だけ。
「■■■、■の■■■に■■■くれ......」
そう言い残し、■■は少女たちを背に、■■を統べるもの■■に向き合い直した。
少女は■■の■■■■■も■■■中で■■■■■動し、■■も■■■■■いることに■■■つつ、■■は闇■■■■■■■。
―――少女は、目を開けた。
そして、その後のことは思い出そうとしても、何故かできなかった。
(......もう、何もない)
大切だった人の顔の形や輪郭、声の質や音、そして1つ1つの言葉が、掠れたフィルムのように1フレームごとに、ぼやけて消えいく。
まるで、自身を形作っていたモノが波と共に海に流され、溶けて、消えていく。
その中には、少女の行動原理だった大切な・・・いや、忌むべき記憶だが、決して失ってはいけない記憶も含まれていた。だが、それすらも今なお残っているのは感情のみ――—そして、これも時期に消えていくのだろう。
記憶が消えていく原因については心当たりがない。もしあったとしても、今の少女には思い出すことができない。
朦朧とする意識の中、ぼんやりと失っていくことに対しての焦りや、底知れぬ怖さを感じていたが、今の少女には何もできない。受け入れるほかなかった。
(......もう、どうでもいい)
少女は再び、目を閉じた。
どちらにせよ少女に残された時間は僅かだった。
仮に陸地に漂着できれば命は助かるかもしれない。だが、無事に生きながらえたとして、その時の少女は果たして少女なのだろうか?
何もかも失ってしまえば、それは別人になることと同義ではないだろうか。
(......どうせ、生まれ変わるんだったら)
少女は意識が途切れそうになる中で、最期に願った。
命をかけた戦いとは無縁の、復讐に囚われていない、どこにでもいるような、
――――—普通の女の子になりたい、と。
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「......冷たいっ」
少女は先端が少し赤くなった指を温めるために、自身の頬に当てた。
だが、想像以上に指が冷たかったため、すぐに頬から外して白い息を吹きかけた。
「あと1ヶ月も過ぎれば春になるのに......」
そうボソッと呟き、駆け足気味に歩く少女の名は『アカリ・クローバー』。
アカリは今、いつも通り仕事場に向かうため、ちらほらと雪が降り続ける中を歩いていた。
遠い地の伝統衣装である、薄緑色を基調とした和装の礼服を身にまとい、その上には防寒着を羽織って、肩から仕事用のカバンを下げていた。
きちんと中に今日入荷予定のポーションがあるか気になり、少し長く艶やかで緑がかった黒の前髪をかき分けて、カバンの中を覗き込んだ。
普段は家を出る前に念入りに確認するのだが、昨日突発的に流れ込んだ依頼が夜遅くまでかかったため、寝坊をしてしまったのだ。
あまり寝坊をしないアカリにとっては、ちょっとしたアクシデントだったため、慌てて家を飛び出してしまったのだ。
ポーションが揃っていたことに安堵したアカリは、ふと何も考えずに海岸へ目を配らせた瞬間ーーー。
「............ッ!」
途端にアカリは間髪入れずに、海岸に向けて走り出していた。
「風速の加護!」
そう唱えた直後、アカリの身体は微かな風を纏い、それと同時に移動速度が飛躍的に上昇した。
それに加え、本来砂場を走っているときに足を絡めとる砂が、纏っている風によってかき分けられているため、より早く目的地にたどり着くことができた。
急に魔法を使ってまで全速力で走りだしたのは、それほどの訳があった。
薄く雪が積もっている砂浜。波が少し触れる程度の場所にそれは横たわっていたのだ。
(......やっぱり人だ!)
気のせいであってほしかった。
アカリはそう思いながら、倒れている人に駆け寄り、膝を落とした。
「だ、大丈夫ですか!?」
声をかけるも、返事は来なかった。
黒いローブを纏っている小柄な少女。ローブの中は、この辺りでは滅多に見かけない装いをしていた。
どことなく王国騎士団の制服に少しだけ似ているが、色合いはより質素で装飾も少ない。全身に密着するような造りになっている。
知り合いに似たような服を着ているところを見たことがあった気がするが、今はそれを思い出している暇はない。
全身が冷たい海水でびしょ濡れになっており、透き通るような綺麗な水色の髪も重く張り付いていた。
ひどく冷たい少女の体を起こし、呼吸と脈を確認しようとする。
「......?あ、温かい?」
本来冷たくなっているはずの体が、ほんのりだが温かく感じた。
少しだけ不思議に思ったが、それを突き詰めて考えるほど今は時間がないため、顔を横に振り、再び呼吸があるかを確認するため口元に手を当てる―――微かに呼吸があった。
「い、生きてる......!よかった!!」
アカリはすぐさまカバンの中から、体を温める効果がある耐寒のポーションを取り出し、少女に少量ずつ飲ませようと試みる。
時々むせて吐き出してしまうが、少しでも飲めるように慎重に流し込んだ。
1本分のポーションを流した後、アカリが羽織っていた防寒着を少女に被せ、背負いながら仕事場に向かった。
その間もアカリは少女に向けて、「大丈夫だよ」「もうすぐ着くからね」など少しでも安心してもらえるように声をかけ続けていた。
その甲斐があってなのか、もしくは、偶然にも意識が戻ったのか、少女の青くなった唇が微かに開き、掠れ切った声で一言だけ発した。
「......あたたかい」
少女は再び沈黙する。
アカリは少女から先程よりも安定した呼吸音を聞き、少しだけ安堵しながらも、出来るだけ急いで仕事場に向かった。
世界には数え切れないほどの選択肢があり、その一つひとつの選択によって数多の可能性が生まれ、その可能性ごとに物語は紡がれていく。
アカリとこの少女が選ぶ道も、その可能性のひとつにすぎない。
二人がいずれ重要な岐路に立ったとき、その先にあるのは安寧か、それとも破滅か―――今の彼女たちにはまだ知る由もなかった。




