第6話 同行の条件
朝の通用口に、カンテラが直立していた。
手に、一枚の紙を持っている。額に入れたいのか、両手で、まっすぐに。
「受かりました! 統合点検一種、学科! 76点!」
合格ラインは70点だ。ぎりぎりというやつだが、合格は合格だ。内訳は、聞かないでおいた。
紙は、すこし波打っていた。ゆうべの雨か、それとも手汗か。学科は毎週あって、機械採点で当日に結果が出るらしい。昔は、ひと月待たされたものだが。
「ほんとうは、きのうの帰りに言おうとしたんです。でも灰田さん、なんだか、顔が」
「顔が?」
「……なんでもないです! 受かりました!」
「実技は」
「これからです! でも、言いましたよね。受かったら中、見せてもらえるって」
言っていない。「受かってから言いなさい」とは言った。それは、受かったら言っていい、という意味では、ある。若いのは、言質というものに目ざとい。
「……課長に聞きます」
◇
詰所の奥、課長の机。
課長は、書類とおれとカンテラの紙を三度見くらべて、長いため息をついた。
「条件つきだ」
「上への話は、おれが通す。顔は映さない。層の名前と経路は、ぼかす。向こうが飲むとしたら、そこまでだ」
残りの条件は、おれが出した。
ひとつ。立ち入りは浅層のみ。第15層まで。
ふたつ。作業の邪魔をしない。質問は地上でまとめて受ける。
「えっ、その場で聞きたい……」
「坑内で口を開けると、埃が入ります」
「はい!」
みっつ。定時まで。延長はしない。
よっつ。撮影機材のライトは、公社の予備を貸す。あの頭のカメラの光量では、坑内で2時間ももたない。暗がりで電池が切れた素人がどうなるかは、想像したくない。
カンテラは全部の条件に「はい!」と言ったあと、自分からひとつ足した。
「あと、灰田さんの顔は映しません! モザイクかけます!」
「顔はもともと映さなくていい。撮るなら、作業を撮りなさい」
「作業を……はい!」
「よっつめだけ、やさしくないですか」と課長が笑った。
やさしさではない。装備の話だ。
許可証に印が押された。「同行者(浅層限定)」。印の名は、土屋。
同行、という字を、今週で二度見た。
課長の名前を、はじめて書類の外で意識した。そういえば、土屋課長だ。長くいっしょにいると、名前より役職で覚えてしまう。
◇
本日の作業伝票、番号3312。第12層、排水路の点検、1件。同行者、1名。
指差し、確認。
「——経路よし」
「け、けーろよし!」
うしろで、カンテラが指を突き出していた。発音がちがう。
「発音より先に、指です。指は、声より正直なので」
「はい!」
第12層は、浅層のなかでもおとなしい層だ。それでも、カンテラの配信のコメント欄は、最初から沸いていた。
> :まって、本当に中入った
> :カンテラつよ
> :ライトが公社支給ってまじ?
> :同接1,200!? 3人じゃなかったの!?
> :切り抜きから来た。本家が黙ってるからこっち来た
> :例の人の後ろ姿キターーー
> :作業音ってこんな音なんだ
> :この人、一回も足止まってなくない?
排水路の点検は、ふたを開けて、流れを見て、格子のごみを取る。それだけの作業だ。
水位、よし。流速、目視でふだんどおり。
ふたを戻すとき、ネジは対角の順に締める。順番を守ると、ふたは静かに閉まる。守らないと、ふたはいつか鳴きはじめる。
格子には、いろいろ引っかかっている。折れた矢じり。空きびん。だれかの手ぬぐい。
「探索者の、落とし物ですか」
「そうです。月に一度、協会に引き渡します」
カンテラが、折れた矢じりを見て、すこしだまった。矢が折れる場所だということを、思い出したのかもしれない。それから、いつもの声に戻った。
「ダンジョンに落とし物コーナーあるの、なんかいいですね……」
コメント欄が「たしかに」で流れた。たしかに、と言われても、あるものはある。
それだけの作業に、コメント欄は騒いだ。
「今、ふたのネジ、見ないで締めましたよね!?」
「見ています。手で」
「手で見るって何!?」
手は見る。28年使っていれば、目より先に手が見る。説明することでもないと思うが、カンテラは一言ごとに騒ぎ、コメント欄はさらに騒いだ。
にぎやかな職場というのも、たまにはわるくない。たまには、だが。
◇
17時30分、退坑。カンテラの同接は、最終的に2,600まで増えたらしい。
帰りのエレベーターで、カンテラは同接の画面をずっと見ていた。
「2,600人て。おれがこれまでの人生で会った人より、多いんですけど」
そうかもしれない。おれが28年であいさつした人数より、多いかもしれない。
カンテラは、マイクのスイッチを、ぱちんと切った。
「あの。灰田さん、おれがなんで配信やってるか、聞かないんですね」
「仕事に理由は聞きません」
「……いつか、話します」
聞いていないのだが。まあ、いつかは、いつか来るのだろう。
マイクは、また入った。
地上に出て、カンテラはカメラに向かって、大きく息を吸った。
「配信、締めますね! ……今日、世界でいちばんすごいものを見ました」
コメント欄が、走るのが見えた。
「……伝票です」
今度は「?」で埋まった。
「作業のまえに書いて、作業のあとに書いて、ぜんぶ番号がつながってるんです。28年ぶん! それって、その、うまく言えないんですけど——すごくないですか!?」
うまく言えていなかったと思う。だが、伝票がほめられて、悪い気はしないらしい。おれではなく、伝票が、だ。
「お疲れさまでした!」
「お疲れさまです」
定時前に、解散した。いい初日だった。
帰りの電車が、いつもより、すこし短く感じた。理由は、考えないことにした。




