第50話「扉」
本日の作業伝票、番号3404。未確認区画(最深部)。現況確認。作業員、2名。同行者、1名。記録係。
◇
二日あと。朝。
伝票は、本部から、判と一緒に来た。協会の言ったとおりに。
行程(案)は、方眼紙だ。三枚目。業者口、分岐、その先。その先は、あいている。あいているところへ、行く。
通用口、9時。3人。
おれ。南野。堀。10人の、あとの、3人は、少ない。少ないぶん、声が、よく通る。
剣崎の隊は、入らない。協会も、入らない。協会が、そう決めた。今日の紙の、同行者は、1名。
堀は、革靴ではなかった。安全靴だ。公社の、支給品。サイズが、少し、大きい。ひもを、二重に、結んでいた。
「3人ぶんの声、ですね」
南野が、言った。
「2人だ。堀さんは、点呼の外」
「……2人、です」
「装備よし。——声、出してください」
二つの声。おれと、南野。堀は、頭を下げた。
「——経路よし」
南野が差した。おれが、返した。堀は、見ていた。
◇
箱。40分。
群れの横。22体。動かない。半歩の1体は、今日は、列の中に、戻っていた。
業者口。扉。
分岐。鉄の箱。間をおいて、打つ音。非常灯。
分岐から、細い通路へ、戻る。灯りのない、区間だ。音を数えて、抜けた区間。あのときは、前の肩と、床しか、見なかった。
今日は、壁を見る。ヘッドライトを、壁に、なめさせる。右の壁。左の壁。
十二歩で、壁が、途切れた。
口がある。人の肩の幅。灯りは、ない。暗い口は、暗い壁と、同じに見える。一度、通って、見なかった。
ヘッドライトを、向けた。床が、六歩先で、下がっている。
「……行程(案)の、その先、ですね」
「その先だ」
堀が、撮った。細い通路の、口。1枚。
歩幅で、行く。六歩。床が、下がる。下がった先に、灯りが、見えた。1本。奥に、もう1本。
灯りを、数える。
「——一」
南野の声。
「——二」
おれが、返した。
「——三」
三つ目で、通路が、さらに、下がった。階段ではない。坂だ。ゆるい。足の裏で、分かる。かかとに、体重が、乗る。歩幅が、少し、のびる。のびたぶんを、縮めた。堀の安全靴の音が、後ろで、一度、すべった。すべって、止まった。
「大丈夫です」
堀が、言った。訊く前に、言った。
「——四」
下がりきった。平らになった。
壁。
今度は、行き止まりではなかった。
◇
扉だ。
鉄の。小さい。人が、一人、通る幅。
扉の上に、札。印刷の字だ。
——機械室。
南野が、読んだ。声には、出さなかった。口だけが、動いた。
「……伝票の種別に、ある」
おれが、言った。
機械室・定期。30年前の箱の、伝票。機械室・予備。今年の、番号だけの伝票。種別は、知っている。札は、今日、見た。
扉の前に、非常灯が、1本。点いている。
28年、伝票に出なかった場所の、灯りだ。灯りは、現況の欄に書く。点灯、と。
「現況」
南野が、手帳を開いた。
「細い通路、分岐より、十二歩。口。通路、約40メートル。坂。終点、扉。鍵穴、1。非常灯、1。点灯。異常——」
南野の手が、止まった。
「……なし、ですか」
「なし。扉は、閉まっている。灯りは、点いている。どちらも、異常ではない」
「はい。異常、なし」
塗りは、灰色。はげていない。ほこりが、面に、薄く、ついている。取っ手は、ない。鍵穴が、一つ。
おれの手が、腰の、鍵束に、触れた。業者口を開けた、鍵の束だ。指が、束の中の、一本を、探した。
探すのを、やめた。手を、腰から、離した。鍵束が、一度、鳴った。
規程第3章第7条。作業は予定範囲のみ行う。開けるのは、作業だ。今日の紙に、ない。
南野の手も、伸びなかった。南野は、おれの手を、見ていた。
堀が、撮った。扉。札。鍵穴。非常灯。4枚。
◇
扉の脇に、箱がある。
鉄ではない。木だ。小さい。壁に、留めてある。ふたは、ない。
中に、紙の綴り。紙は、黄ばんでいる。端が、少し、波打っている。古い紙だ。
点検票だ。
うちの点検票と、同じ型だ。用紙の、角の切りかたが、同じ。いちばん上の一枚が、見える。読む。現況だ。仮詰所跡の紙と、同じだ。
——機械室・定期。
30年前の箱の、伝票と、同じ種別だ。字も、同じ型の字だ。印刷ではない。手書きだ。
点検票の欄は、上から、場所、種別、点検日、結果、点検者、次回点検日。うちのと、同じ順だ。
場所の欄。機械室。種別。定期。点検日。字が、薄い。鉛筆だ。結果。良。点検者。字が、ある。手で書いた字だ。目が、通り過ぎた。
紙の、いちばん下が、折れている。箱のふちで、前へ、折れて、ふちの外に、垂れている。折れた面は、箱の前面で、こちらを向いている。いちばん下の欄だ。次回点検日の欄。上から見ると、字の、頭だけが、折れ目のきわに、出ている。
読みたい。
垂れた紙を、持ち上げれば、読める。指、一本だ。
おれの手が、木の箱の、ふちに、乗った。
仮詰所跡の紙は、はがさなかった。はがせば、現況が、変わる。折れている紙は、折れているのが、現況だ。
手を、ふちから、離した。
「堀さん。写真を。……折れ目も。しゃがんで」
「はい」
堀が、撮った。箱。綴り。一枚目。折れ目。4枚。折れ目は、しゃがんで、顔の高さを、紙に合わせて、撮った。カメラは、触れない。
時計を見た。
10時20分。行程(案)に書いた、折り返しの時刻だ。分岐までは、歩数で、出る。その先の、あいているところには、二十分、と、おれが、書いた。定時で戻る行程は、ここで、折り返す。読んでも、読まなくても、ここで、折り返す。
「戻ります」
「はい」
南野が、手帳を閉じた。閉じて、箱を、もう一度、見た。
「……灰田さん」
「何だ」
「読まないんですか」
「読まない。持ち上げれば、読める。持ち上げるのは、うちの紙に、ない。……写真は、堀さんの欄に、ある」
「はい」
堀が、カメラを、下ろした。下ろして、言った。
「ぼくは、見たものを、撮っただけです」
南野が、うなずいた。おれは、うなずかなかった。カメラの中に、何が写っているかは、堀さんの欄だ。
扉に、背を向けた。
点検票の、いちばん下の欄に、字がある。読まないうちに、折り返しの時刻が来た。字の頭だけが、折れ目のきわに、出ていた。




