第48話「異動」
——保全本部長、異動。
◇
四日あとの、朝。あいだの三日は、紙の日だった。報告書。三枚ではない。一枚ずつ、毎日だ。
課長が、呼ばれた。本部棟へ。内部監査、という、聞いたことのない名の部屋へ。
「灰田ぁ……今日は、おれだ」
「はい」
「おまえじゃない」
「聞きました」
課長は、背広を、着ていた。詰所で、課長の背広を、見るのは、これが一度目だ。肩が、少し、きつそうだった。
課長は、何も、持たずに、出た。
入れ違いに、堀が、来た。革靴だ。
「灰田さん。三枚、本部の引き出しから、出しました」
「はい」
「それから、協会の記録。鷲尾さんが、翌日に、持ってきた紙です。点検員の手順により、全員、帰還、の行。二日目の伝票の、写しも。……灰田さんの綴りの、添え文も、お借りしたいのですが」
「返事待ちの、綴りです」
開けた。添え文。本部の、あの一枚。堀は、両手で受けた。
「はい」
「監査の机に、並べます。並べるだけです。説明は、課長が」
「課長は、説明が、得意ではありません」
堀は、少し、口の端を動かした。動かして、戻した。
「並べるだけです。紙が、並ぶので」
堀は、封筒を、脇に抱えた。抱えて、出た。革靴の音が、遠くなった。朝の詰所に、おれと、南野が、残った。
◇
午後。第9層。
本日の作業伝票、番号3402。第9層、通路灯、定期点検。1件。作業員、2名。
「——経路よし」
南野が差した。おれが、返した。二人だ。坑は、四日ぶりだ。
通路灯。36本。1本ずつ。
「12番、点灯」
「よし」
南野の声が、通路の先まで行って、戻ってくる。深いところより、よく戻ってくる。
「灰田さん」
「何だ」
「課長、今日、何を言われるんですか」
「知らない」
「……三枚、出るんですね」
「出る」
「添え文も」
「出る。出るために、書いた」
南野は、13番を見た。
「13番、点灯」
「よし」
36本、よし。
退坑、15時20分。
◇
詰所。16時。
課長は、戻っていなかった。
おれは、明日の予定を、黒板に、書いた。第12層、非常灯、球替え。寿命の順だ。1本。南野は、球の箱を、数えていた。1箱。
16時40分。扉が、開いた。
課長だった。背広の、上の、ボタンが、外れていた。朝は、留まっていた。手に、紙を、二枚、持っていた。
課長は、机に、二枚を、置いた。置いて、湯のみを取りに行った。茶を、いれた。戻ってきて、座った。
一枚目。
——保全本部長、異動。
一行だ。氏名。異動先の、課の名。保管、の字が、入っていた。日付。
判が、右上にある。四角い。見たことがある形だ。経過観察、の判と、同じ場所。字が、違う。保全本部、の字ではない。もっと上の、字だ。
それだけだ。
おれは、一枚目を、伏せた。伏せて、脇に、置いた。
「……本部長は、いましたか」
「いなかった。紙が、来た。おれが、机を見てるあいだに」
課長は、茶を、飲んだ。
「おれは、しゃべらなかったぞ。はい、と、言っただけだ。机の上に、おまえの三枚と、おまえの綴りの添え文と、堀の写真と、協会の紙と、伝票が、並んでた。監査の人が、一枚ずつ、めくる。めくって、おれの顔を見る。はい。全部に、はい、だ」
「はい」
「紙は、しゃべるな。おれより」
二枚目。
——決裁。保守規程 第5章第3条 新設。
名義は、知らない名だった。肩書きが、保全本部長。今日からの、名だ。
読んだ。
——規程に定めのない事象において退出路に危険がある場合、作業員は、灯りを数えて、危険のない側へ退出することができる。
附則。第九版。年と、月。第5章第3条、追加。
おれの字ではない。
おれが書いたのは、鳴ったら、だ。鳴っていない灯りの側へ、だ。規程は、危険、と書いた。危険のない側、と書いた。鳴る、の字は、どこにもない。
危険、の字を、指で、なぞった。指が、紙の上で、止まった。
離した。
「灰田ぁ」
「はい」
「規程に、なったぞ」
課長は、湯のみを、両手で持っていた。持ったまま、言った。言ってから、茶を、飲んだ。
おれは、二枚目の紙を、もう一度、読んだ。読んでから、言った。
「……明日は、球替えです」
「……ああ」
「第12層。1本」
「そうか」
課長は、それ以上、言わなかった。おれも、言わなかった。南野が、球の箱を、置いた。置く音が、一つ。
◇
壁の、方眼紙。
七つ。画鋲、4つ。八は、壁にない。
胸のポケットから、写しを出した。方眼紙。表に、おれの字で、八。裏に、附則。第二版から、第八版まで。
裏の、いちばん下に、一行、足した。
——第九版。年と、月。第5章第3条、追加。
八行目だ。
南野が、見ていた。
「……それ、貼るんですか」
「貼る」
「どっちを、表に」
八の面と、附則の面。おれは、紙を、一度、返した。返して、また、返した。
附則の面を、こちらに向けた。八の字は、壁と、紙のあいだだ。
「附則だ。年と、月。何があったかは、書いていない」
「八は、裏ですね」
「裏だ」
南野は、何も言わなかった。言わないで、画鋲を、一つ、取った。取って、おれに、渡した。
方眼紙の、七つの、横。
留めた。
画鋲、5つ目。




