第45話「十四」
10時58分。
◇
本日の作業伝票、番号3401。第五十五層の二、その先。現況確認、合同。二日目。1件。
合同の、二日目だ。仮詰所跡の日は、本部の紙の日で、数に入れない。
作業員、2名。同行者、8名。
朝、詰所。引き出しから、附則の写しを出した。方眼紙の裏の、写しだ。おとといの夜、ポケットから、引き出しに、戻していた。紙の日の道具を、坑の日に、胸のポケットに入れた。ボタンを留めた。欄には、書かない。
通用口、9時30分。10人。顔は、初日のまま。
「装備よし。——声、出してください」
9の声。堀は、頭を下げた。高さは、ばらばらだ。4つは、きょうは、遅れなかった。
「——経路よし」
南野が差した。7人が、同じ先を差した。堀は、見ていた。おれも、見ていた。
◇
箱、40分。箱のなかで、剣崎が、言った。
「音は」
「十三のままです」
「鳴ったら」
「数えます。数え終わるまで、動かない」
剣崎は、うなずいた。うなずいて、天井を見た。
業者口。非常灯。仮詰所跡。
枠の前を、通る。盾の人が、枠を、見た。見て、通った。中は、見なかった。
その先。六十歩。
非常灯が、頭の上を通る。1本、2本。5メートルに1本。通路が、一度、曲がる。
二つ目の箱。鉄の。公社の印。
箱の角で、細い通路が、分かれている。奥に、灯りが、点いている。六つ。数えた。伝票に、ない。通らない。
箱の前を、通る。鉄の中で、何かが、間をおいて、打っている。小さい音だ。朝の、分岐の箱と、同じ。今日の伝票に、箱は、ない。協会の鍵も、今日は、出なかった。若いほうの技術員が、箱を見た。見て、鷲尾を見た。鷲尾は、首を、横にふった。書くだけだ。
箱の先。灯りが、二つ。通路が、狭くなる。天井が、少し、低くなる。床に、わずかな段。またぐ。10人が、またぐ。
行程(案)、二日目の、終点。
壁だ。行き止まりの、手前。壁の前に、非常灯が、1本。28年、伝票に出なかった場所の灯りが、点いている。
堀が、撮った。壁。灯り。床。3枚。
剣崎の隊が、壁を見た。弓の人が、壁に、手を伸ばした。伸ばして、止めた。おれを見た。おれは、首を、横にふった。手は、戻った。
「ここまでです」
「ここまで、ですか」
鷲尾が、手帳を開いた。開いて、壁を、見た。壁には、何もない。扉も、札も、箱も。
「現況。通路、行き止まり。壁、コンクリート。異常——」
鳴った。
鷲尾の口が、途中で止まった。おれは、時計を見た。10時58分。
◇
低い。長い。床から、来る。
おれの口が、動く。体は、動かない。
一。二。三。
南野の口も、動いている。
四。五。六。七。
剣崎が、手を、背中の柄に、かけた。かけて、止めた。おれを見た。おれは、数えていた。剣崎の手が、柄から、離れた。
八。九。十。
鷲尾の、鉛筆が、紙の上で、止まっている。書いていない。
十一。十二。十三。
いちばん長い。第12層の、十三より、長い。
十四。
やんだ。
非常灯が、細かく、ふるえた。消えなかった。ふるえも、やんだ。
手順の、一。数え終わるまで、動かない。数え終わった。
「……十四」
南野が、言った。おれも、十四だった。
「方向は」
南野は、答えなかった。おれも、言わなかった。
耳は、覚えている。音の、終わりは、壁からではなかった。背中から、来た。壁に向いた、10人の、背中の側から。
戻る側からだ。おれたちが、歩いてきた道。業者口の、側。
「……退出路で、鳴った」
おれが、言った。言ったことは、全員が、聞いた。
◇
規程第5章第2条。
「規程に定めのない事象に遭遇した場合、直ちに作業を中止し退出、報告書を提出すること」
口に出した。条文は、五度目だ。五度とも、同じ条文だ。四度は、条文のとおりに、動けた。
出して、言葉が、口の先で、床に落ちた。退出、の字が、床で、止まった。
退出。退出の道は、ひとつだ。歩いてきた道。音が、鳴った道。細い通路は、退出の道ではない。伝票にない道だ。
行き止まりの壁と、音の鳴った通路のあいだに、おれたちは、10人、立っている。
剣崎が、言った。
「どっちへ行く」
おれは、答えなかった。
「手順の、二」
声は、出た。いつもの声では、なかった。
「灯りの下に、集まる。灯りは、非常灯。……ここの、1本」
10人が、動いた。
年上の技術員が、動いて、足を、くじいた。床の、わずかな段だ。来るときに、またいだ段だ。倒れなかった。倒れる前に、盾の人が、腕を、取った。取った盾の人の、盾の縁が、壁に当たって、音を立てた。音は、一つで、やんだ。全員が、その音を、聞いた。
「立てますか」
「……立てます。歩けます。多分」
多分は、数に入れない。
「手順の、三。人数」
南野が、数えた。
「十。全員」
「十」
鷲尾が、手帳に、書いた。書く手が、ふるえていた。字は、読めた。
時計を見た。11時00分。
折り返しの時刻は、12時10分。1時間10分、ある。
非常灯の下に、10人、立っている。1本の灯りに、10人は、入りきらない。盾の人と、弓の人の肩が、灯りの外に出ている。出ているほうの肩を、二人とも、内側に寄せた。寄せても、出た。
誰も、しゃべらない。盾の音の、あとだ。次の音を、全員が、待っている。待っているのは、おれもだ。鳴らない。鳴らないことも、数えられない。
年上の技術員が、足首を、手で押さえた。押さえて、離した。離した手が、またすぐ、足首に行った。
胸のポケットに、手を当てた。附則の写しが、ある。ボタンの上から、紙の、かどが分かった。附則は、七回、変わった。七回とも、終わったあとで、変わった。
壁の方眼紙の、七つを、頭でなぞった。一から、七まで。七つのどれも、ここから先を、書いていない。
灯りは、点いている。
退出路の、奥を見た。灯りが、点いている。1本、2本、3本。先は、曲がっていて、数えられない。鳴ったのは、あの曲がりの、向こうだ。
規程に、ないことは、あった。足りないことも、あった。足りないところは、書いて、足した。規程が言うことと、できることが、違ったことは、なかった。
規程は、退出しろ、と言っている。退出する道で、音が、鳴った。
……規程が、はじめて、黙った。




