第43話「棚」
棚は、一列だった。端から端まで、歩幅で、六十歩。
◇
本日の作業伝票、2枚。番号3398。本部棟地下書庫、資料の確認。午前。番号3399。第9層、通路灯、定期点検。午後。
作業員、2名。
南野を、連れていく。
鍵は、課長が持っている。朝、課長の机の前に立った。
「書庫の鍵を」
「……また、紙か」
「紙です。南野に、見せます」
課長は、引き出しから鍵を出した。出して、すぐには渡さなかった。
「何を、見せる」
「量を」
課長は、鍵を、机の上に置いた。おれに渡さずに、置いた。南野が、取った。
「落とすな」
「落としません」
南野が、鍵を、作業着の胸のポケットに入れた。入れて、ボタンを留めた。
◇
本部棟の地下。
南野が、鍵を開けた。扉を開けると、紙のにおいがする。乾いた、少し甘いにおいだ。地下は、季節がない。夏に来ても、冬に来ても、同じにおいがする。南野が、鼻から息を吸った。
「……本屋の、においです」
「紙のにおいだ」
灯りを、つける。
一列。六十歩。おれの歩幅で。
うちの区画は、そのうちの、少しだ。残りは、ほかの課の30年だ。電気。昇降。工事。背の色が、課ごとに、少し違う。同じ会社の、同じ箱なのに、古くなりかたが違う。
南野が、歩いた。端から、端まで。数えているのが、口の動きで分かった。
端で、止まった。
「……五十八」
「おれの歩幅で、六十だ。おまえの歩幅は、おまえの歩幅でいい」
「同じ棚なのに」
「棚は、変わらない。歩幅が、違う」
南野は、もう一度、端まで歩いた。帰りも、数えていた。帰りは、五十九だった。歩幅は、歩いているうちに、少し変わる。変わらないのは、棚だ。
◇
うちの区画。箱が、30。
背に、年と、課の名前。字は、4回、変わっている。
南野が、いちばん新しい箱の前に立った。去年の箱だ。今年の箱は、まだ、ここにない。年の終わりに、詰所から運ぶ。背の字は、おれの字だ。
「これ、灰田さんの字ですね」
「そうだ」
「その前は」
「課長の字だ。課長が、背を書いていたころの。……その前は、先輩たちだ。三人。みんな、もう、いない」
南野は、棚の奥へ、目を動かした。字を、順に見ていった。5人目の字のところで、少し止まった。いちばん古い字だ。
「5人、いるんですね」
「いた」
南野は、それ以上、聞かなかった。
箱を、ひとつ、出す。去年の箱だ。
中は、綴りが2つに分かれている。南野が、ふたを、脇に置いた。置くとき、ふたの内側を見た。何も書いてない。
「伝票と、点検表だ。綴りが違う」
「同じ日の紙なのに」
「伝票は、現場に一枚。点検表は、点検した層に一枚。伝票の番号は、現場の番号だ。日の番号ではない」
南野が、綴りを、順に見た。伝票の綴りは、薄い。点検表の綴りは、厚い。
「点検表のほうが、多い」
「点検した層のぶん、増える」
南野は、綴りを、箱に戻した。
◇
棚の奥。古い箱。
3箱目。背の字は、いちばん古い字だ。
おれは、その箱を、出した。
出して、伝票の綴りを、開いた。開く場所は、決めてあった。六月。
一枚だけ、出す。
伝票だ。様式は、いまと、ほとんど同じ。番号。場所。内容。作業員。検印。
作業員の欄の字は、小さくて、高さがそろっている。検印の欄は、空いている。
いちばん下。中止、の欄に、丸がついている。
場所と、内容は、読まない。
南野が、横で、見ていた。おれが読まないので、南野も、読まなかった。
一枚を、綴りに戻す。
南野が、言った。
「……それは」
「古い伝票だ。中止に、丸がついている」
「誰の」
「作業員の欄の姓は、おれが来る前の人のだ。来たとき、もう、いなかった」
それだけ、言った。
南野は、箱のふたを、見ていた。長く、見ていた。見てから、ふたに、指で、触れた。触れて、離した。
同じ箱の、後ろのほうを、南野が、めくった。めくる手が、止まった。
「……これ、灰田さんの字ですか」
秋の伝票だ。作業員の欄に、おれの姓。おれの字だ。いまより、大きい。高さが、そろっていない。
「そうだ」
「そろってないですね」
「来たころは、そうだ」
南野は、綴りを、閉じた。閉じるとき、笑わなかった。笑わないで、角を、そろえた。
綴りを、箱に戻す。箱を、棚に戻す。
戻す手は、おそくならなかった。三度目だ。
鍵を、閉める。鍵は、南野が、課長の机に返した。置いた。渡さなかった。
◇
午後。第9層。通路灯、定期点検。
入口で、南野が指を差す。
「——経路よし」
声は、通った。いつもの声だった。
通路灯、36本。1本ずつ、指を差す。36本、点灯。切れているのは、ゼロ。
南野が、点検表に、丸をつけた。36個。おれは、横から、見た。大きさが、そろっていた。
「……今日のは、どうですか」
「毎日、書いたからだ。春から」
退坑、16時30分。定時の、30分前。
詰所で、南野が、伝票を書いた。番号3399。退坑の時刻。異常、なし。
検印の欄に、おれの判を押す。四角い朱色。
南野が、見ていた。
「……おれの書いた一枚は、どこに入るんですか」
「いちばん端だ。今年の箱の、いちばん後ろ。箱は、年の終わりに、あそこへ行く」
南野は、伝票を、机の綴りに入れた。いちばん後ろに。角を、そろえて。




