第42話「名簿」
——第三年 六月。設備点検第三課。椋田。
紙の、上から七行目に、そう書いてあった。
◇
翌日の、午前。
協会の会議室。机の向こうに、鷲尾。机のこちらに、おれと、南野。剣崎は、座らない。壁ぎわに、立っている。消火器は、ない。
本日の作業伝票、番号3397。場所、探索者協会。種別、資料の確認、立会。1件。坑内には、入らない。今日は、紙の日だ。
鷲尾が、紙を2枚、机に置いた。両手ではなかった。1枚ずつ、片手で。
「午後、本部と、協議です。その前に、お見せします。……協会から、公社に、求めました。先週です。業者口の、先の、過去の事故報告を出すこと。回答が、これです」
1枚目。公社の紙。判がある。右上。
——個人情報につき、提供を差し控える。
出したのは、保全本部。名前はない。
「差し控える、と」
「差し控える、と、来ました」
鷲尾は、紙を見ないで言った。おれも、見た紙を、二度は見なかった。
「それで、こちらを出します」
2枚目。協会の紙だ。古い。紙の色が、書庫の、3箱目の紙の色をしている。
「協会の、古い記録です。坑内で人が亡くなった日は、協会が、探索者の入坑を止めます。止めた日の記録に、公社から、課と姓だけ、聞いて書いてあります。……暦の年を、規程の年に、直しました。きのうの夜、私が」
通知。八件。
年と、月と、課と、姓。四つの欄の表だ。理由の欄は、ない。
おれは、読んだ。上から。
第一年、十一月。第二年、三月。第二年、八月。第二年、十二月。第三年、二月。第三年、二月。第三年、六月。第四年、一月。
八つ。第三年二月が、二つ。同じ月だ。
第二年、八月。そこで、目が、一度、止まった。止まって、次へ行った。
南野が、横で、手帳を開いた。開いて、書かなかった。
◇
「灰田さん。お持ちですか」
「何を」
「附則を。規程の、改訂の記録です。きのう、仮詰所跡で、第四版、とおっしゃいました」
持っている。おれの引き出しから、今朝、出してきた。方眼紙の裏の、写しだ。
机に、置いた。手は、紙の端に、残した。見せる。渡さない。公社の文書だ。
鷲尾は、受けなかった。おれの手の下の紙を、読んだ。読んで、名簿を、その横に、寄せた。
2枚の紙が、並んだ。
附則。第二版、第一年十一月。第三版、第二年三月。第四版、第二年八月。第五版、第二年十二月。第六版、第三年二月。第七版、第三年六月。第八版、第四年一月。
名簿は、さっき読んだ八つだ。
鷲尾の指が、附則の行を、上から、押さえた。押さえて、名簿の行へ、横に動いた。年月を見ずに、行だけを、数えて。一行。次の行。
七回、動いた。
八行目に、附則の行は、なかった。指が、名簿の八人目の上で、止まった。
「改訂は、七回。名簿は、八人です」
「第六版が、二人です」
おれが言った。鷲尾が、おれを見た。
「第三年二月は、二つ、あります。同じ月です。改訂は、ひとつ」
鷲尾は、名簿の第三年二月を、二度、押さえた。
「……規程の改訂は、人が亡くなった月に、行われています。全部」
言ってから、鷲尾は、紙から手を離した。離した手を、机の下に、下ろした。
剣崎が、壁から、言った。
「全部か」
「全部です。第二版から、第八版まで」
会議室が、静かになった。協会の会議室は、うちの詰所より、静かだ。鍋がない。
◇
第七版。第三年、六月。
名簿の、七行目。
——設備点検第三課。椋田。
おれは、読んだ。読んで、言った。
「知っている名前です」
鷲尾が、顔を上げた。
「伝票の、検印の。……確認の判子を押す、欄です」
鷲尾が、言った。
「検印」
「古い伝票です。書庫の。判子の、前の時代です。第一年から、第三年の途中まで、検印の欄に、この姓が書いてあります。手書きで」
言って、口を、閉じた。
鷲尾は、待った。待ってから、訊かなかった。
第三年の途中で、検印の姓が変わった。おれは、書庫で、それを見た。見て、年表に入れなかった。
第三年。おれが、この課に来た年だ。六月には、まだ、いなかった。来たとき、その名前は、もう、どこにもなかった。誰も、言わなかった。
第四年、一月。おれが、この課にいた年だ。別の課の、姓だ。その月、坑が二日、止まったのは、覚えている。名前は、回ってこなかった。
南野が、手帳に、何か書いた。一行。おれは、見なかった。
◇
剣崎が、机に来た。
来て、名簿を、上から、読んだ。長く、読んだ。
「……俺たちの事故報告は、どこに行ってる」
「協会が、受けています」
「受けて、どこに行く」
鷲尾は、答える前に、少しだけ、黙った。
「……綴じて、保管します。それだけです」
剣崎は、うなずいた。
「決めごとを、8つ、書いた。7つは、しくじった日に。8つ目は、教わった日に」
言って、名簿から、目を離さなかった。
おれは、答えなかった。
剣崎は、それ以上、言わなかった。壁に、戻った。
鷲尾が、名簿を、しまった。おれは、写しを、胸のポケットに入れた。
「協会は、この表を、公表しません。遺族の了解が要ります」
鷲尾は、それ以上、言わなかった。
◇
詰所。午後。
点呼板の札を、裏に返す。2枚。坑内に入らない日も、札は、返す。
壁の方眼紙を、見た。七つ。
きのう、仮詰所跡で、第3章第4条の、案、を見た。鉛筆で、二度、重ねた字。あの字も、誰かの字だ。表に、課の名前はあって、字の癖は、ない。
おれの方眼紙は、課の手順だ。規程ではない。附則には、載らない。
南野が、後ろから、言った。
「灰田さん。あの表、八人目、まで、ありましたよね」
「あった」
南野は、うなずいた。うなずいて、手帳を閉じた。
八人の表の、あとを、おれは、歩いている。
九人目の行は、まだ、ない。




