第40話「混成」
本日の作業伝票、番号3395。第五十五層の二、その先。現況確認、合同。1件。
作業員、2名。同行者、8名。
同行者の欄が、8行ある。様式に、8行はない。南野が、線を引いて、足した。
おれの引き出しに、附則の写しがある。詰所の規程から、方眼紙の裏に写した。今日は、使わない。写しは、紙の日の道具だ。
◇
8時30分、通用口。
10人、立っている。
うちの側は、おれと、南野。本部の記録係の堀。今日も長靴だ。
協会の側は、鷲尾と、技術員がふたり。若いのと、年上の。鷲尾のヘルメットは、貸し出しではなかった。協会の印が入っている。靴は、安全靴だ。
それと、剣崎の隊。4人。剣崎、盾の人、杖の人、弓の人。武器は、全部、背中に回してある。柄は、壁のほう。
カンテラは、通用口の内側で、端末を構えていた。
「おれ、ここまでです。深いところは、許可が出ませんでした」
「はい」
「ここで、実況します。電波、来ないですけど」
今日も、そのままにしておいた。
入坑の前に、条文を、ひとつ読む。
「規程第2章第6条。同行者は作業員の指示に従うこと。入坑時の安全確認は、同行者もこれを行うこと」
剣崎が、言った。
「分かってる。点呼は、受ける」
「装備よし。——声、出してください。同行者も、です」
鷲尾。技術員ふたり。声は、通った。堀は、手帳を持ったまま、頭を下げた。記録係は、点呼の外だ。
剣崎の隊は、少し遅れた。盾の人が、剣崎を見た。剣崎が、先に言った。
「装備よし」
3人が、続いた。4つの声は、高さが、そろっていなかった。そろっていなくても、4つ、通った。
入口で、南野が指を差す。
「——経路よし」
8人が、同じ方向を指した。おれは、入口の脇で見ていた。堀は、手帳を持って、見ていた。8本の指が、通路の先を差している。差す高さは、そろっていない。先は、そろっている。
いい点呼だ。
◇
業務用のエレベーター。
10人で乗ると、箱は、いっぱいになった。盾の人の盾が、壁にあたる。あたらないように、盾の人が、少し寄った。
弓の人が、腕時計を見ていた。見て、表示を見た。
「……40分、かかるのか。55で」
「どの層へも、40分です。速くは下りません。規程です」
「99でも」
「99でも、40分。38でも、40分。箱のなかで、耳と目を、慣らします」
堀は、手帳に書かなかった。知っている顔だった。
40分。
箱のなかでは、なにも起きない。10人いても、起きなかった。剣崎の隊は、しゃべらなかった。技術員のふたりは、天井を見ていた。鷲尾は、まっすぐ前を見ていた。
南野が、おれの横で、手帳を閉じた。閉じて、開かなかった。
◇
第55層方面。再点検待ち区画。
甲三型、22体。壁ぎわの定住群。
先々月、2メートル。先月、3メートル。今日は、4メートル、通路側に出ている。
歩幅は、変えない。経路を、反対の壁側へ、5メートル寄せる。1メートル来た。1メートル寄る。
後ろで、足音が、ひとつ、止まった。杖の人だ。
群れの、いちばん端の1体が、頭を、通路側へ向けた。向けて、半歩、出た。
剣崎が、言った。
「止まるな。あの人の後ろを、歩幅で歩け」
足音が、戻った。1体は、半歩のまま、止まった。
鷲尾が、おれの後ろで、言った。
「歩幅で、とは、どの歩幅ですか」
「いつもの歩幅、です。走らない。縮めない。暗くても」
鷲尾は、少し黙った。黙ってから、言った。
「書いておきます」
群れを、抜けた。21体は、動かなかった。1体だけが、半歩のまま、こちらを見ていた。
注視された。作業を継続する。
◇
業者口。
封は、もうない。先月、おれがはがした。
扉を、開ける。
その先は、乾いた通路だ。非常灯が、点いている。28年、うちの伝票に出ていない灯りだ。
剣崎が、見上げた。
「……点いてるな」
「点いています」
「換えてないのか」
「換えていません。うちの伝票にない灯りは、換えません」
それ以上は、聞かなかった。
第五十五層の二。規程の別表が、存在しない、と書いている層だ。
先月は、この先で、音が鳴った。12だ。今日は、鳴らない。鳴らない日も、一からだ。
「手順の、一」
南野が、答えた。
「音を数える。数え終わるまで、動かない」
「音は」
「鳴っていません」
「二」
「灯りの下に、集まる」
非常灯の下に、10人、立った。
「三」
「人数。……10。全員」
「四」
「先頭は、おれです。作業員は、最後。灰田さん」
「そうだ」
剣崎の隊が、聞いていた。盾の人が、小さく、10、と言った。言ってから、口を閉じた。
◇
通路の分岐。
壁に、箱がある。鉄の箱だ。公社の印。
非常灯の配線が、壁をはしっている。その同じ管から、太い線が1本、箱に入っている。通信の線だ。
箱は、知っている。おれの順路の、どの層にもある。中は、見たことがない。伝票に、なかった。今日も、ない。開けない。
若いほうの技術員が、箱の前で、止まった。鍵を、出した。
協会の鍵で、公社の箱が、開いた。
中継器だ。
灯りが、ひとつ、点いている。小さい緑だ。鉄の中で、何かが、間をおいて、小さく、打っている。時計の、遅いやつのような音だ。
球と同じ手つきで、見る。端子。ほこり。緑の灯り。手は、出さない。見るだけだ。
若いほうの技術員が、おれの手元を、のぞいた。
「……公社の、中継器ですか」
「はい。線で、来ています」
技術員は、箱の中を、長く見た。
鷲尾が、言った。
「協会の中継器は、どこに」
若いほうは、答えなかった。年上のほうも、答えなかった。
「答えてください。私が、書きます」
年上のほうが、言った。
「……浅いところで、公社の線に、乗せています」
鷲尾は、手帳に書いた。書く手が、いつもより、遅かった。
緑の灯りは、点いたままだ。技術員が、箱を、閉めた。鍵を、しまった。
予定範囲は、ここまでだ。行程(案)の、終点。
この先に、古い詰所の跡が、ある。課長が、昔、そう言った。名前は、紙に、ない。今日は、行かない。次の紙が、来てからだ。
「戻ります。定時から、逆算します」
「まだ、時間がありますが」
「群れの横を、もう一度、通ります。逆算すると、今です」
鷲尾は、うなずいた。
◇
退坑、16時40分。
通用口に、カンテラがいた。端末は、まだ、構えていた。
「おつかれさまです。……実況、完走しました。通用口で」
「はい」
「10人、戻りましたね」
「10人です」
カンテラは、端末を、下ろした。下ろして、言った。
「灰田さん。あの。……おれの配信、何に乗ってたんですか。ずっと、聞かなかったんですけど」
聞かなかったのは、おれもだ。
分岐の箱の、緑の灯りを、思った。箱は、どの層にもある。今日、ひとつ、中を見た。
「あなたの配信は、分かりません。今日、見たものなら、言えます」
「見たもの」
「線です」
「線」
「電波は、来ません。線は、通っています。非常灯と、同じ管で」
カンテラは、口を開けた。開けて、閉じた。
「……非常灯と」
「同じ管です」
「おれ、非常灯に、乗ってたんですか」
「線に、です」
カンテラは、通用口の天井を見た。天井には、非常灯が、1本ある。
「……今日、それ、言ってよかったんですか」
「見たので。訊かれたので」
点呼板の札を、裏に返す。2枚。
もう一度、ここへ下りる。今日より、奥へ。
線は、通っている。音は、まだ、数えていない。




