第39話「翌朝一番の伝票」
本日の作業伝票、番号3392。第12層、通路灯、復旧確認。非常灯、点検。2件。
作業員、2名。
備考。——第三課作業手順(暫定)による。
きのう、おれが書いた伝票だ。今朝、課長の判が、備考の横に、乗っていた。
◇
朝の詰所。壁に、方眼紙が1枚、貼ってある。画鋲、4つ。
南野が、壁の前で、立ち止まった。四、のところを、見た。今日は、指で押さえなかった。読んだだけだ。読んで、工具袋を持った。
課長が、紙を1枚、持ってきた。本部からの通達だ。棒読みで、読んだ。
「——協会との合同安全検証の第二回を、実施する。対象は、深層。公社の技術力と安全文化を、広く社会に示す好機である」
好機、と、本部は書いた。読んだ課長の声は、好機の顔をしていなかった。
第一回のときの紙には、浅層に限る、と書いてあった。同じ本部が、今日は、深層、と書いている。好機、とも。
「……協会が、朝いちで、来るそうだ」
「はい」
「行ってこい。昼までにな」
「昼までです」
点呼板の札を、表に返す。2枚。
◇
入坑。通路の入口で、南野が指を差す。
「——経路よし」
返ってくる声が、今日は、速かった。通路が、見えている。見えている通路は、声が、速い。
第12層。通路灯が、点いている。
数える。1本ずつ。あの日、暗くなった通路だ。
32本。
31本、点灯。1本、点かない。7番目。
「7番、不点灯」
「7番、不点灯。交換します」
脚立を立てる。南野が、押さえた。押さえるのは、後ろの仕事だ。
電源を切る。切ったことを、指を差してたしかめる。冷めるのを待つ。外した球は、手袋ごしに、まだ、温かい。新しい球の箱を開けて、割れがないかを見る。外した球は、割らないように、古い箱へ。手順は、七つ。飛ばさない。
球を、はめる。
点いた。
32本。切れているのは、ゼロ。
それから、非常灯。3日前に換えた8本だ。1本ずつ、見る。
「1番、点灯」
「よし」
8本、よし。曲がりごとに、1本。
「南野。手順の、一だ」
「一。音を、数える。数え終わるまで、動かない」
「音は」
「……鳴っていません」
「鳴っていない日も、一からだ。三は」
「人数を、数える。全員の数を、先に決める」
「2」
「2、です」
「四」
「先頭は、入口の喚呼をした者。……おれです。作業員は、最後。灰田さんです」
「そうだ。鳴っていない日に、順番を決めておく。鳴った日に、順番を探さない。それが、順番がある、ということだ」
南野は、うなずいた。うなずいて、手帳に、二、と書いた。二は、灯りの下に、集まる。
1番の非常灯の下に、二人で、立った。灯りは、点いている。
指を差した。
「——経路よし」
今日は、おれが差した。鳴っていない日の、灯りの下だ。声は、通路の先まで行って、戻ってきた。戻ってくる声を、南野が、聞いていた。
◇
退坑、11時50分。
通用口に、人が立っていた。
背広に、ヘルメットはない。革靴だ。手に、封筒を、両手で持っている。
鷲尾だった。
「アポイントは、取っていません」
「聞いています。朝いちで、と」
「朝いちは、10時のつもりでした。お待ちしました」
「坑内でした」
「はい。坑内でしたね」
鷲尾は、封筒から、紙を出した。通用口には、机がない。受付の台がある。台の上に、紙を、両手で置いた。おれの前に置くのは、三度目だ。会議室の机で一度、通用口の板で一度、今日は、通用口の台だ。置く場所が、机から、だんだん、遠くなる。
——合同安全検証(第二回)実施要領。対象、深層。第五十五層方面、業者口以奥。
別表の名前は、書いていなかった。存在しない層、の字は、協会の紙には、ない。協会は、別表を見ていない。見ていない紙には、書けない。
「合同検証の第二回。場所は、深層です。……立会人は、あなたです」
「はい」
「私どもは、点検員の判断に従います。……ですから、点検員に、行っていただきます」
「行程表を作ります」
「お願いします」
鷲尾は、頭を下げた。下げてから、上げた。上げた顔は、会議室のときと、同じだった。
「第一回は、浅いところでした。第二回も、私が、入ります。深いところへ」
「ヘルメットは」
「こちらで、用意します。靴も」
鷲尾は、自分の革靴を、見た。それから、言った。
「編成は、協会で調整します。混成になります」
「ひとつだけ。協会は、あの奥に、何があるかを、知りません」
「うちも、知りません。行って、書きます」
「書いたものは」
「出します。出したものが、どこで止まるかは、うちの欄ではありません」
鷲尾は、少しだけ、黙った。黙ってから、うなずいた。
「……その欄を、協会が、持ちます。今度は」
それだけ言って、鷲尾は、通用口を出た。革靴の音が、遠くなった。
◇
通用口の脇に、もうひとり、立っていた。鷲尾が来る前から、いた。
消火器の横だ。
剣崎。私服で、大剣はない。
「聞いた。深層だな」
「はい」
「混成で行く。うちの隊も、入る。協会が決めた。……俺たちも、あんたの点呼を受ける」
「受けてください。同行者も、です」
「分かってる。8つ目だ」
剣崎は、消火器を、見た。指を、差しかけて、やめた。
「あの質問の答えは、まだ聞いてない」
経路とは、何か。
「……深いところで、お話しします。定時までなら」
「時間を切るのか」
「戻れる行程を作ります。深いところでも、同じです」
剣崎は、笑った。笑って、通用口を出た。
カンテラが、その向こうで、待っていた。端末は、しまっていた。
「灰田さん。実況、完走しました。……主に、通用口で」
「そうですか」
「8本、点いてましたか」
「点いていました。今日、数えました」
カンテラは、うなずいた。
「深いところ、って」
「行程表を作ってからです」
それだけ、言った。カンテラは、それ以上、聞かなかった。聞かないところまで、うつっている。
◇
詰所。午後。
行程表の様式を、出した。アテンドのときと、同じ様式だ。
第55層方面。再点検待ち区画。業者口。その先。
先の名前を、書く欄で、手が止まった。
書ける名前は、ひとつしかない。規程の別表が、書いている名前だ。
——第五十五層の二。
書いた。
書いてから、その横の、あいたところを見た。
存在しない層に、人を入れる行程は、どの様式にもない。行程表は、ある場所へ行く紙だ。ない場所へ行く行程表の書きかたを、うちの様式は、決めていない。
ないので、作る。
方眼紙を、もう1枚、出した。課長の引き出しではない。おれの引き出しから。
表題を、書いた。
——行程(案)——別表に「存在しない」と記載のある層への、立入。
案、の一文字を、今日は、一拍、置かずに書いた。
二枚目だ。一枚目より、速い。
課長が、後ろから、読んだ。
「……また、案か」
「案です」
「上に出すのか」
「出します。写しは、課長の引き出しです」
「……そうか」
課長は、湯のみを持って、自分の席に戻った。戻ってから、言った。
「灰田ぁ……すまん、また上がな。今度は、存在しない層だ」
「聞きました」
「怖くないのか」
「怖いかどうかは、行って、書きます」
点呼板の札を、裏に返す。2枚。
詰所を出た。
深いところは、うちの職場だ。行程表を作る。定時で戻れる行程を。




