第4話 本部の背広
朝いちの詰所に、背広が3人、立っていた。
本部から来たという。名刺を出されたが、作業服に名刺入れは入らない。受け取って、工具袋にしまった。
課長も、おれのうしろに立っていた。湯のみを持ったまま、一度も口をつけていない。せっかくの茶が、ぬるくなる。
いちばん偉そうなのが、机にタブレットを置いた。
「単刀直入にうかがう。この動画の人物は、あなたですね」
暗い映像が動いていた。非常灯の列。脚立。作業服。
「第99層、非常灯交換。おとといの作業です。伝票番号3301」
「……いえ、伝票の話では」
「では、何の話ですか」
「この動画は、再生数が7000万を超えている」
7000万。数える仕事を28年やっているが、数えたことのない桁だ。
「はあ」
「はあ、って、あなた」
偉そうなのは、質問を変えた。
「どうやって99層まで行ったんです」
「エレベーターで」
「……エレベーター」
「業務用です。40分かかります」
偉そうなのは、おれの答えをくり返すばかりで、話がいっこうに進まなかった。尋問というのは、慣れない人にはむずかしいのだろう。
背広は額を押さえた。おれは何かまちがえただろうか。作業は予定どおりだったはずだが。
結論だけは、はっきりしていた。ひとつ、外部にはいっさい話さないこと。ふたつ、作業は平常どおり続けること。みっつ、本日から監視——ではなく「同行確認」の者がつくこと。
同じことが書いてある紙を渡された。折って、名刺の横にしまった。紙は、口約束より長持ちする。
「業務に支障のない範囲でお願いします」
「支障が出てるのは、動画のほうでは」と、いちばん若い背広が小声で言って、偉そうなのに睨まれていた。
帰りぎわ、その若いのだけが、小さく頭を下げていった。礼儀正しいのは、いいことだ。
◇
本日の作業伝票、番号3309。第38層、照明設備の定期点検、1件。きのう見た予定のとおりだ。
指差し、確認。
「——経路よし」
同行確認の背広は、あの若いのだった。帰りぎわに頭を下げていった、あれだ。革靴で来た。
「その靴では、下で滑ります」
倉庫の予備の長靴を貸した。サイズが合っていないのか、歩くたびに音が鳴った。
エレベーターの40分のあいだ、背広はずっとタブレットを抱えていた。電波は3秒で死んだはずだが、何を見ているのだろう。
「同行確認って、ぼく、何をすれば」
「歩いてください。滑らないように」
「それだけ?」
「それがいちばん、むずかしいので」
背広は、しばらくだまってから、小さい声で聞いた。
「あの……灰田さんは、こわくないんですか」
「何がですか」
「何がって……ぜんぶですよ」
ぜんぶがこわかったら、仕事にならないと思う。
◇
第38層、連絡通路。
途中の広間に、鉤二型が2体いた。中層のぬし、というほどのものでもないが、体は牛より大きい。
背広が、音もなく固まった。
歩くたびに鳴っていた長靴の音が、やんだ。
立ち止まらない。歩幅を変えない。
指を差す。
「——経路よし」
2体は、こちらを見て、それから、見なかったことにしたようだった。
背広は最後まで固まったままだったので、袖を引いて歩かせた。歩くのが仕事だと、朝に言ったはずだが。
長靴は、広間を抜けるまで、一度も鳴らなかった。
途中の分岐に、見慣れないものがあった。
探索者用の仮設足場だ。組んだまま置いていったらしい。留め具がゆるんで、全体が斜めにかたむいている。
おれの予定にはない。おれの設備でもない。
保守規程第3章第7条。作業は予定範囲のみ行う。範囲外の異常は記録し、手を触れず退出すること。
だから、触らない。
写真を撮る。位置を書く。工具袋から「立入禁止・点検待ち」の札を出して、手前に立てる。
札の裏に、日付と伝票番号を書く。だれが置いたか分かるようにしておくのが、札の礼儀だ。反射テープを2本、通路の幅に渡す。ここまでで4分。
背広はそのあいだ、ずっと札を見ていた。
「それ、いつも持ってるんですか」
「札は10枚。テープは2巻。ないと困る日が、月に一度はあるので」
「な、直さないんですか」
「予定外の作業は、事故のもとです」
書いて、報せて、あとは任せる。直すのは、直す予定を立てた人間の仕事だ。
照明の点検を終えて、引き返す。傾いた足場は、札の向こうでまだ傾いていた。
かわいそうだが、順番は守ってもらう。
◇
17時40分、退坑。
柵の外で、カンテラが大きく手を振っていた。きのうもいた。あしたもいそうだ。
背広は地上に出ると、長靴のまま、へたりこむように壁により掛かった。
「課長……あの層、魔物が、灰田さんを、避けて……それと、ぼくらが決裁に3週間かける話を、あの人、4分で片づけました」
「だろうな」
課長は、それ以上聞かなかった。
「灰田。おまえ、しばらく忙しくなるぞ」
「定時は守ります」
「……守らせてやりたいよ」
課長はそう言って、天井を見た。
おれは時計を見た。定時まで、あと12分あった。じゅうぶんだ。
予定どおりの一日だった。予定どおりでなかったのは、世間のほうだけだ。
◇
その夜。第38層帰りの探索者が、掲示板に短く書きこんだ。
> :崩れかけの足場の手前に「立入禁止」の札があって命拾いした。公社の中の人、ありがとう。まじで
> :裏に伝票番号書いてあった。几帳面か
> :それ例の「作業服の人」では?
> :てか公社、いつまで黙ってんの
札を立てた本人は、そのころもう寝ている。しばらく忙しくなるらしい。それでも、明日も6時起きだ。




