第35話「非常灯」
本日の作業伝票、番号3388。第12層、排水路。非常灯。定期点検、2件。
作業員、2名。同行者、1名。
南野が入口に立つのは、今日で六度目だ。
非常灯の定期は、1本ずつ、点いているのを見る。それだけの仕事だ。28年、それだけの仕事をしてきた。
◇
入坑。通路の入口で、南野が指を差す。
「——経路よし」
おれは、半歩後ろ。カンテラは、南野の後ろ。今日は、配信の日だ。同接は、聞かない。聞かないが、カンテラの声が、いつもの声だった。いつもの声の日は、数が小さい。
第12層は、浅い。探索者の組が、いくつも入っている。通路のあちこちに、灯りと、声がある。
4組、13人。数えた。数えるのは、癖だ。
入口の脇に、もうひと組いた。3人。知っている顔というより、知っている指だった。入口で、3人が、指を差していた。目、指、声、目。順番が、合っている。
「あ。公社の人」
「どうも」
それだけだ。向こうは向こうの仕事で、こっちはこっちの仕事だ。
入口から排水路まで、640歩。南野が先で、おれが後ろ。カンテラは、640を、口の中で数えていた。数える癖は、うつる。
排水路。ふたを開ける。水位、よし。流れ、目視でふだんどおり。格子のごみ、少し。取る。
南野が、書く。
それから、非常灯。
排水路から箱まで、通路の壁に、8本。等間隔ではない。通路の曲がりごとに、1本。曲がりで、足元が暗くならないように、誰かが決めた場所だ。誰かは、知らない。
「1番、点灯」
「よし」
「2番、点灯」
「よし」
8本、点いている。切れているのは、ゼロ。先月も、ゼロだった。先々月も。
「8本、よし」
「よし」
伝票に、丸をつける。丸をつけたのは、南野だ。
時計を見た。10時58分。
そのとき、音がした。
◇
低くて、長い音だった。
四度目だ。四度とも、同じ音だ。同じ音は、同じに数える。
数える。
1。
南野の手が、止まった。止まったまま、口が動いている。数えている。
3。
通路の奥で、探索者の声がした。「なんだ」「何の音」「下?」。下ではない。今日は、下ではない。ここだ。
5。
カンテラが、端末を、天井に向けた。
「……みんな、聞こえてる? これ、今、12層」
7。
通路灯が、消えた。
全部、一度に。
暗い。
暗いというより、目が、なくなった。手を、壁につけた。壁は、乾いていた。乾いていることだけが、分かった。
9。
水の音がした。排水路のほうから。流れる音ではない。上がる音だ。格子を、水が、越えた音だ。
11。
足の裏に、ふるえが来た。長靴の中で、指が、勝手に、床をつかんでいた。
12。
前の三度は、ここで終わった。
13。
音が、終わった。
ふるえが、やんだ。水の音だけが、残った。
暗い。
暗いが、目が、戻ってきた。
壁の高いところに、灯りがある。小さい。ひとつ。その先に、もうひとつ。
非常灯だ。
8本。等間隔ではない。曲がりごとに、1本。
「作業中止」
声より先に、体が向きを変えていた。条文は、あとだ。
「南野。灯りの下だ。カンテラも」
「はい」
「は、はい」
三人で、1番の非常灯の下に立った。灯りの中に、南野の白い顔があった。白い顔のまま、手帳を出していた。書くものがあれば、手は、ふるえない。
通路の奥で、声がしている。多い。動いている。動いているが、どこへ動いているか、分からない声だ。
おれは、通路の奥へ向かって、言った。声が通るのは、この一言だけだ。
「——灯りの下に、集まってください。数えます」
◇
声は、通った。
足音が、来た。走る音があった。
「走らないでください。歩幅で。灯りから、灯りへ」
走る音が、歩く音になった。人は、言われたとおりに歩けるときは、歩く。
1番の灯りの下に、人が集まってきた。灯りは、小さい。集まると、顔が、ひとつずつ、灯りに入ってくる。
数える。
「4組。13」
「うちの隊、3。全員です」
声が、横から来た。知っている指の3人だった。3人で、3、と数えてから、来た。数えてから来る人間は、はじめて見た。
「はい。3」
13と、3と、うちの2と、カンテラ。19。
「19。全員です」
数え終わってから、順番だ。
カンテラの端末は、下を向いていた。映っているのは、足元だけだ。音は、乗っている。
「箱まで、640歩。灯りは、8本。灯りから灯りへ、歩きます。うちの南野が、先頭。南野、入口はおまえだ。出口も、おまえだ」
「……はい」
「おれは、最後です。走る人がいたら、おれが、止めます」
誰も、返事をしなかった。返事の代わりに、19人が、南野のほうを向いた。
南野が、指を差した。暗い通路の、先の灯りへ。
「——経路よし」
声が、通路に入って、返ってきた。返ってくる声は、いつもより、遅かった。暗いと、声も、遅い。
歩く。
1番から、2番へ。2番の下で、数える。19。
2番から、3番へ。3番の下で、19。
灯りと灯りのあいだは、暗い。暗いところで、誰かが、転んだ。
「そのまま。立てますか」
「……立てます」
「けがは」
「ひざ。すりむいただけです」
「次の灯りで、見ます」
次の灯りで、見た。すりむいただけだった。血は、少し。歩ける。歩けるなら、歩く。
5番の下で、18。
「もう一度。灯りの中に、入ってください」
暗がりから、ひとりが、入ってきた。落とした灯りを、拾っていた。
19。
6番の下で、もうひとり、転んだ。手のひら。歩ける。
7番。19。
8番。19。
箱が、見えた。箱の灯りは、ついていた。箱の電源は、通路と別だ。別にしてある理由は、たぶん、今日みたいな日のためだ。
「探索装備で、3人。3人ずつ、乗ってください。順番は、今、並んでいる順です」
並んでいる順は、灯りの下で集まった順だ。それが、いちばん、揉めない。
3人。
3人。
3人。
箱が、上がって、下りてくるあいだ、残った人数を、数える。灯りの下で。
知っている指の3人が、最後の探索者の組だった。
「うちは、次でいいです。公社の人、先に」
おれは、言った。
「うちは、三人です。次で足ります」
若手のひとりが、何か言いかけて、やめた。やめて、箱に乗った。
最後の箱に、南野、カンテラ、おれ。
南野が、箱の前で、指を差した。
「——退出、よし」
箱の扉が、閉まった。
閉まるまで、おれは、通路のほうを見ていた。8本の灯りが、暗い通路に、並んでいた。並んでいるだけだ。
毎月、見ているものだ。
◇
地上。通用口。
19。全員だ。
ひざ、ひとり。手のひら、ひとり。それだけだ。
課長が、電話で、言った。
「全員か」
「全員です。けがは、2。ひざと、手のひら。歩けます」
「……そうか」
「通路灯は、全滅です。本数は、下りてから数えます。排水路は、格子を越えました。どこまで来たかは、見ていません。見る前に、上がりました」
「それでいい」
探索者たちが、通用口の外で、座っていた。座って、天井のほうを見ていた。地上の天井には、灯りがある。当たり前の灯りだ。
ひざの一人が、立ち上がって、おれの伝票のほうを見た。
「……あれ、毎月、見てるんですか」
「はい」
若手の3人が、こちらへ来た。何か言いかけて、3人とも、言わなかった。指を差した。通用口の、灯りへ。
おれは、うなずいた。
南野が、伝票の裏に、何か書いていた。書く手が、速かった。
詰所で、様式第31号を出した。四枚目だ。
日付。時刻、10時58分。場所、第12層。長さ、13。方向、ここ。
書ける欄に、書いた。
書けない欄が、あった。
19人を、8本の灯りで、640歩、歩かせた。その手順は、どの様式にも、ない。
規程第5章第2条。規程に定めのない事象に遭遇した場合、直ちに作業を中止し退出、報告書を提出すること。
作業員のことだ。19人のことは、書いていない。
足りなかった。
足りなかったことは、今日は、書かない。書く欄を、まだ、持っていない。
時計を見た。定時だった。
詰所を出た。
通用口で、カンテラが、待っていた。端末は、しまっていた。
「灰田さん。……あの8本、今朝、数えてましたよね。……いつから、換えてるんですか」
「うちの伝票です。毎月の」




