第31話「三つ巴」
公社本部棟、四階の会議室。午後7時。議事録を取っているのは、本部の若い背広だった。
机の上に、紙が3枚。様式第31号が、三枚とも、そろって置いてある。
保全本部長の柿沼は、その紙を、見ていない。
◇
出席は、四人。本部長、部長がふたり、記録係がひとり。
若い背広は、昼間、坑内にいた。合同検証の、記録係だ。足の裏が、まだ、坑内の床を覚えている。
「本日の合同検証は、協会の確認書をもって、完了とします」
本部長が言った。
「先週の、現況確認の報告について。三枚」
部長のひとりが、三枚目の31号を、本部長のほうへ押した。本部長は、押された紙を、押されたまま、置いた。
「本部預かり、とします。対外には、提供しません」
「協会への回答書には、結果を提供する、と」
「現況を、提供します。現況は、通路と、扉と、灯りです。それは、確認書のとおり、本日、協会が自分の目で見ました。12層の業者口で」
若い背広の手が、動いていた。本部長の言葉を、そのまま書く。
「三枚目の場所の欄について、ですが」
「作業マニュアル……規程の、別表に、書いてあるそうですね」
若い背広が、三枚目を見た。場所の欄に、点検員の字で、書いてある。
——第五十五層の二(別表注記: 存在しない層)。
「存在しない層は、存在しません。規程が、そう言っています。存在しない場所の現況は、提供のしようがない」
本部長の手は、紙の横に置いたまま、動かなかった。言い終えてから、指が、一度だけ、机を鳴らした。
一拍、あった。
その一拍のあいだ、若い背広の手は、止まっていた。書く言葉は、あった。手が、動かなかった。
「……議事録には、どう」
「そのまま書いてください。規程の別表に基づき、当該区画は存在せず、提供すべき現況はない。黙ると、あると言ったことになります。ないと、言います。対外的には、広報から一括で」
「立会人の記録は」
「予定どおり、出します。点検員の書いた紙は、出すものと、預かるものを、本部が分けます」
手が、動いた。書いた。書いた字は、まっすぐだった。
本部長は、立ち上がった。紙は、机の上に、三枚、残った。
「預かりの箱へ。整理は、明後日で結構です」
若い背広は、三枚をそろえて、両手で持った。三枚目の日付の横に、時刻が書いてある。10時52分。それと、12、という数字。数字の意味は、議事録に載らない。
廊下に出て、預かりの箱の前を通り過ぎた。三枚は、自分の机の上に、いったん、置いた。明後日までは、整理をしていないだけだ。そういうことにした。
◇
探索者協会、渉外部。翌日、午前10時。
鷲尾の机の上には、紙の束があった。束は、2センチ。厚みで数えるのは、公社の人の癖がうつったのだと、鷲尾は自分で思っている。
証言だ。探索者から集めた、坑内生物の目撃の記録。26通。
甲三型。壁ぎわの群れ。先月は第35層で見た。今月は、第28層で見た。
上がっている。
浅いほうへ、7層。
数字は、そろっていた。そろった数字は、要求書に書ける。
「入ります」
入口に、背の高い男が立っていた。私服で、ヘルメットはない。剣崎迅。
「渉外に来るのは、はじめてだ」
「はじめてでも、入口で、名前は言っていただきます」
「剣崎だ」
「どうぞ」
剣崎は、座らなかった。机の上の束を見た。
「点検員の報告を、出せ。公社に言え。あの人が扉の奥で何を見たか、探索者は、知っておきたい。俺も、だ」
「言いました。文書で、二度」
「で」
「公社は、出しません。存在しない層は存在しない、と回答が来ます。今日か、明日に」
「……存在しない層?」
「規程の別表に、そう書いてあるそうです。私も、別表は見ていません」
剣崎は、束を、指で押さえた。押さえた指が、紙の厚みで止まった。指を離したとき、束のいちばん上の角が、少し、折れていた。
「協会は、どうする」
「自分で確かめます」
鷲尾は、束の上に、もう1枚、紙を置いた。行程の案だ。深いところ。
「私どもは、点検員を疑っていません。公社を疑っています。ですから、点検員と、同じ坑内へ、もう一度入ります。今度は、浅くない場所へ」
「立会人は」
「あの方です。名前で、要求します」
剣崎は、しばらく、紙を見ていた。それから、言った。
「あの人、行くのか」
「行程表を作ります、と言われました。それが、あの方の返事です」
剣崎は、うなずいて、出ていった。座らなかった椅子が、そのまま、机の脇にあった。
鷲尾は、要求書の一行目を書いた。
——合同安全検証(第二回)の実施を要求する。
一行目で、ペンを置いた。束を、両手で、そろえた。
◇
翌々日、街。駅前のベンチに、カンテラが座っていた。配信は、していない。
駅前の大きな画面に、見出しが出ていた。
——公社、検証を「完了」 協会は「第二回」を要求
——公社広報「存在しない層は、存在いたしません」
画面の下を、人が通っていく。何人かが、見上げて、笑った。
「存在しない層、って」
「存在いたしません、って。前も言ってたよな、存在いたしますが、って」
「あの人、飼い犬なんじゃないの。上の言うとおりに、扉開けて、閉めて」
「見てないだろ、配信。あの人、上のほう、一回も見てなかったぞ」
笑いは、ふた通りあった。公社を笑う声と、公社の点検員を笑う声。同じ画面の下で、行が、ふたつに分かれていた。
カンテラは、端末を見ていた。コメント欄だけが、動いている。おとといの配信の、アーカイブだ。画面の中で、作業服の背中が、通路のさきを指している。指のさきには、通路しかない。
> :431万の人、今日は何してんの
> :存在しない層、って。字面が強すぎる
> :公社の飼い犬説
> :↑飼い犬は札立てないんだよなあ
> :この人の判断に従いますって協会が言ったんだぞ。公社じゃなくて
> :あの人、たぶん今日も球替えてる
カンテラは、端末を、ポケットにしまった。
「……たぶん、じゃないんですよね」
誰に言ったのでもなかった。
◇
灰田は、第33層の通路灯を替えていた。——その三枚の報告書は、その日、本部の引き出しに入った。




