第30話「点検中」
——同接38万のみんな、おはようございます。今日は、公認です。
カンテラの声が、通用口の外で、そう言った。38万が何の数か、おれは聞かない。
本日の作業伝票、番号3375。第1層から第12層、合同検証、1件。同行者の欄に、名前が5つ。
◇
8時30分、通用口。
協会と、同じ坑内に立つ日だ。紙の上では、41日前から、ずっと立っていた。
うちの側は、おれ、南野、本部の記録係。記録係は、今日も長靴だった。
協会の側は、3人。技術員がふたり。それと、鷲尾。
鷲尾は、貸し出しのヘルメットを、あごひもまで正しく締めて、立っていた。紙で見た名前が、名前の高さで立っている。会議室では、机の向こうだった。
「鷲尾です。紙では、何度も」
「灰田です。紙では、何度も」
それだけで、あいさつは終わった。読める紙を書く人は、あいさつも短い。
カンテラは、通用口の内側に、端末を構えて立っている。今日は、両方の公認だ。うちの許可証と、協会の許可証が、首から2枚下がっている。2枚は、ぶつかって、小さな音を立てた。
「浅い所だけです。12層まで。それは、変わってません」
「変わってないです。……変わってないのに、38万なんですよ」
カンテラは、少し困った声で言った。困るのは、そちらの仕事だ。
入坑の前に、条文をひとつ読む。
「規程第2章第6条。同行者は作業員の指示に従うこと。入坑時の安全確認は、同行者もこれを行うこと」
鷲尾が、うなずいた。技術員のふたりも、うなずいた。うなずくのは、いい。声を出すのが、規程だ。
「装備よし。——声、出してください。同行者も、です」
鷲尾が、先に言った。
「装備よし」
声は、一度で通った。技術員のふたりも、通った。協会の人は、声を出す練習をしてきている。紙に書いた期限を守る人たちは、声も守る。
入口で、指を差す。
「——経路よし」
南野が、半拍おくれて指を差した。声は、まだ出さない。順番がある。
カンテラの端末が、こちらを向いていた。
> :出た
> :生で見た 生で見た 生で見た
> :切り抜きじゃないやつ初めて聞いた
> :協会の人も声出しててわろた
> :同接41万
> :ヘルメットのあごひも ちゃんとしてるの協会側だけなの草
> :作業服の人、カメラ見ないんだな
指の先に、通路があった。それだけを、確かめた。
◇
第4層。
技術員のひとりが、聞いた。役職は、技術部の主任だと、紙にあった。
「第4章第1条の、運用を伺いたいのですが」
「見てください」
おれは、条文を言わなかった。通路のさきに、甲三型が2体いた。壁ぎわだ。
歩く。歩幅を変えない。2体は、こちらを向いた。向いたまま、動かなかった。
脇を、抜けた。
「今のが、運用です」
主任は、手帳に何か書いた。書く手が、止まっては、動いた。
第9層で、通路灯を1本、見た。ゆるみはない。手で揺すって、たしかめる。動かない。
鷲尾が、後ろから、言った。
「第99層の非常灯は、9本と聞いています」
「9本です。今月も、全部ついています」
「30年、9本のままですか」
「そのまま、月に一度、換えに行きます」
鷲尾は、それ以上、聞かなかった。聞いたことを、覚える顔だった。
第12層、排水路の手前。カンテラが、天井を映した。
「12層、非常灯。1、2……8本。全部ついてます」
「ついている」
おれは、上を見なかった。ついているのは、先月、おれが見た。
◇
第12層、業者口。
経路の側から見る扉は、ただの扉だ。灰色で、うちの規格で、鍵はうちの鍵で開く。
向こう側は、探索者の区域だ。
扉に、耳をつけなくても、分かった。人の声がする。多い。
「……集まってますね」
記録係が、小さく言った。
「集まってます」
カンテラが、端末を見た。
「同接、210万です。……あの、扉の向こうに、配信見て来た人たちが」
「何人ですか」
「見えないので、分かりません」
分からないものは、開けてから数える。
鍵を、差す。
回る。
扉を、引いた。
声が、来た。
34人。数えた。探索者の装備の人が、34人、通路の幅いっぱいに立っていた。前の何人かが、端末をこちらに向けている。
「うわ本物」
「経路ってこれ?」
「入れる? 入っていい?」
前の3人が、一歩、出た。
経路の側へ。
今日の伝票は、点検の伝票だ。一歩、入れば、事故の伝票になる。番号は、同じままで。
おれは、説得しなかった。説得は、紙に書けない。
工具袋から、札を1枚出した。南野が、横から、テープを2巻、差し出した。言っていない。差し出された。
札の裏に、日付を書く。伝票の番号を書く。ボールペンの先が、札の紙を、少し、へこませた。テープの端を、指で探る。端は、いつも、見つけにくい。
テープを1本、通路の幅に渡す。もう1本、その下に渡す。
札を、テープの手前に立てる。立ててから、指で、札の角を押した。動かない。
それから、前の3人に向かって、言った。
「——あ、すみません。ここ今、点検中なんで」
3人が、止まった。
一拍あって、後ろのほうから、笑い声がした。笑いは、前へ広がって、前の3人も、笑った。笑って、一歩、下がった。笑わない顔も、いくつか、あった。笑わない顔も、下がった。
「足元、お気をつけて」
34人が、下がった。誰も、テープを越えなかった。
鷲尾が、おれの横に立った。34人に向かって、言った。
「協会は、点検員の指示に従います」
条文の字と、同じだった。それだけだった。34人が、静かになった。
カンテラの声が、後ろで、した。
「今のが、規程です」
> :点検中なんで キターーーーー
> :本家の点検中なんでを生で
> :札一枚で34人止まるのなに
> :協会「点検員の判断に従います」←これ歴史的瞬間では
> :同接380万
> :400万いった
> :431万
> :協会の人、あごひも締めたまま黙って立ってるの強い
札は、4分で立った。足場のときと、同じだった。
向き直って、指を差す。
「——経路よし」
排水路の点検に、戻った。同行者が3人、後ろで、同じ方を指していた。
◇
退坑、16時40分。定時の、20分前だ。
通用口で、鷲尾が、紙を1枚、両手で持った。両手で、机がないので、記録係の持つ板の上に、置いた。
「検証の確認書です。本日の項目、12。処置、すべて規程どおり。協会として、確認しました」
確認書の下に、判の欄がふたつ。ひとつは、鷲尾の判だった。もうひとつは、空いている。
「そちらの判は、本部の判です。柿沼本部長の名義になります」
「はい」
おれの名前は、立会人の欄に、刷ってあった。手書きの名前は、消せる。刷った名前は、消せない。欄は、名前の下に、ない。
今日は、線を引かなかった。この紙には、おれの欄がなくていい。おれの欄は、伝票のほうにある。
鷲尾が、言った。
「協会は、点検員の判断に従います。……次は、深いところを、お願いします」
「深いところは、うちの職場です。行程表を作ります」
鷲尾は、うなずいて、ヘルメットを、両手で外した。
南野が、端末の画面を、おれに見せようとして、やめた。
「431万でした」
「そうか」
「……見ないんですか」
「見た。431万だ」
数字は、見た。数字の意味は、見る人のものだ。
記録係が、長靴を脱いで、革靴に、履き替えていた。今日は、へたりこまなかった。
深いところの行程表は、明日、書く。書ける欄は、もう、持っている。
存在しない層の欄を、その行程表に作るかどうかは、まだ、決めていない。




