第21話「ズレ」
本日の作業伝票、番号3343。第55層方面連絡通路、照明設備の定期点検、1件。同行者、1名。
この通路の数えものは、灯が40と、甲殻が22だ。
今日は、片方しか合わなかった。
◇
朝、入坑。通路の入口で、指を差す。
「——経路よし」
南野は、半拍おくれて指を差す。声は、まだ先だ。
第55層方面連絡通路。通路灯、40本。点灯、器具、被覆。いつもの順で、いつもの側から。
行きも帰りも通る、毎日の通路だ。毎日の通路は、目をつぶっても幅が分かる。
「点灯よし」
「点灯よし、です」
復唱が、上から降って、下から返る。この往復が揃っている日は、作業が速い。今日も速かった。15本目までは。
16本目のあたりで、南野の足が、半歩遅れた。
「灰田さん」
「見えている」
通路の先に、甲三型の群れ。
数える。1、2……22。数は、合っている。
場所が、合っていなかった。
◇
規程の別表には、群れの定住位置が書いてある。壁ぎわ、通路の外側。この群れは30年、そこにいた。
今日は、通路の側へ2メートル、出ていた。1体がではない。群れごと、だ。
それから、頭の向きが、そろっていた。
ばらばらの向きで休むのが、いつもの形だ。壁を向くのも、床を向くのもいる。今日は、22体が、そろって同じほうを向いていた。どこを向いているのかは、書かない。まだ、おれの目測しかないからだ。
群れは、動いていなかった。甲殻のつやも、脚のたたみかたも、いつもの休みかただ。休む場所と、休む向きだけが、いつもとちがう。
南野が、目をつぶって、耳から先に確かめようとしているのが分かった。あの日から、こいつは音を先に見る。
群れが通路側へ2メートル出てきたぶん、おれは歩幅を変えずに、経路を反対の壁側へ3メートル振った。振って、やっと、いつもの幅になった。
「南野。音は」
「……ばらばらです。今日は、ふつうです」
「そうか」
足の音は、ふつう。場所と向きは、ふつうではない。
中止するかどうかを、頭の中で規程に当てた。
群れの位置には、定めがある。今日は、その定めと違う。
定めと「違う」のと、定めが「ない」のは、別だ。位置がずれているだけなら、定めそのものは、ある。
中止の線は、定めのない事象のほうだ。だから、今日は中止ではない。観察して、記録して、報告する日だ。
規程第4章第1条。坑内生物には作業員から接触してはならない。
接触は、していない。注視も、されていない。22の頭は、おれたちを1体も見ていない。
見られていないことのほうが、落ち着かない日が、あるらしい。
報告書に書けるのは、位置と、向きと、数だ。落ち着かない、は、書かない。
「作業、続けるんですか」
南野の声は、低かった。震えてはいなかった。
「続ける。条文の範囲内だ。ただし」
「ただし?」
「今日は、おれが灯を替える。おまえは下で、あっちを見ていろ。見るだけでいい」
「……見張り、ですか」
「記録係だ。変わったら、時刻を言え。1体でも動いたら、中止だ」
南野は、点検表の裏を出して、鉛筆を構えた。役目のあるやつは、震えない。
切れていたのは、31本目だった。40本のうちで、群れにいちばん近い灯だ。
脚立の位置を、半歩だけ壁側に寄せた。歩幅は変えない。位置だけ、変える。
交換の手順は、7つ。切って、検電器でたしかめて、外して、替える。いつもの7つを、いつもの速さでやった。急がないことが、こういう日のいちばんの近道だ。
40本、異常なし。交換、1本。予定の作業だけを、予定の手順で終えた。
群れは、最後まで動かなかった。時刻を言う声も、最後までなかった。南野の鉛筆は、最後まで構えたままだった。書くことのない時間を、書ける形で立っていた。
通路を出るとき、もう一度だけ数えた。22。増えても、減ってもいない。それだけを、頭の中の欄に書き込んだ。
◇
詰所に戻って、報告書を書いた。
文章の欄は、3行で足りた。位置の変化、向きの変化、作業への影響なし。
それから、配置図を描いた。
方眼紙に、通路の線。灯の番号。群れの1体ずつに番号を振って、1番から22番。壁からの距離を、それぞれ書き込む。先月の定位置は、点線で入れた。
南野が、横からのぞき込んで、変な声を出した。
「……えっ、うま。灰田さん、絵、習ってたんですか」
「絵ではない。図だ」
「区別、あるんですか」
「図には、目盛りがある」
「……手帳に書いときます」
「書くなら、図ごと写せ。目盛りごとだ」
「いいんですか」
「図は、写されるために描く」
南野は、方眼のます目を数えながら、ゆっくり写しはじめた。写しながら、手が止まった。
「この9番だけ、まるが大きくないですか」
「いちばん大きい個体だ。大きさも、目盛りのうちだ」
「……こいつ、前から何か、あったんですか」
「位置変えを2回。おまえが来る前だ。報告書に書いてある」
南野は、9番のまるを、少しだけ濃くなぞった。
30分で、22体ぶんの位置が紙になった。点線と実線のあいだに、2メートルのすき間がある。この2メートルが誰かの机の上で意味を持つ日が来るのかどうかは、おれには分からない。
点線と実線を、ならべて見た。まるが22個、そろって同じ側へ、ます目ふたつぶん、ずれている。
止まっているものを描いたのに、紙の上では、動いて見えた。
課長が、報告書を先に読んで、図を長く見た。
「……これ、上に出すのか」
「出します」
「だな。出すよな」
課長は判を押して、それから、図をもう一度だけ見た。見る時間が、文章のときより長かった。
規程の記載と、現物が違う。こういうとき、おれの仕事はひとつだ。
書いて、出す。——返事が来るまで、何度でも。




