第2話 side ヴァンガード 「到達不能」
第98層、最後の階段の前。心臓が口から出かけていた。
俺はS級パーティ「先鋒」のリーダー、ヴァンガード。
配信の同接は、184万を超えていた。
> :がんばれえええええ
> :人類初まであと1層
> :死ぬな死ぬな死ぬな
> :98層の映像があるだけで奇跡なんよ
> :全世界が見てるぞ
第95層から下には、安全に休める場所がひとつもなかった。14時間の連続戦闘。回復薬は残り2本。魔導師は俺の腕につかまって、やっと立っている。盾役の大盾はふちが欠け、斥候は矢を撃ちつくした。
それでも、降りてきた。
第99層。30年間、人類のだれも踏めなかった層。協会の公式地図は、そこから下が白紙になっている。書いてある文字は、ひとつだけ。
「到達不能」。
過去、37のパーティが挑んだ。戻ってきたのは、半分だ。
その白紙を、今日、俺たちが塗る。
配信を始めて8年。パーティを組んで6年。この日のために、全部やってきた。
最後の階段を、降りる。
降りながら、俺は仲間の名前を胸の中で数えていた。ここまで連れてきた。あとは、連れて帰るだけだ。
足の裏が、床についた。
「……着いた」
声が震えた。魔導師が泣いていた。盾役は膝をついて、床を叩いて笑っていた。
同接の数字が跳ねあがっていく。184万。190万。200万。
人類初。俺たちの名前が、歴史に——
通路の奥から、明かりがひとつ、近づいてきた。
コツ、コツ、と足音がする。
魔物じゃない。二本足だ。こんな深さに、二本足。
現れたのは——作業服のおっさんだった。
ヘルメット。ヘッドライト。肩に脚立。腰に工具袋。
30年だれも踏めなかった床の上を、作業服のおっさんが、脚立をかついで歩いてきた。
「——あ、すみません。ここ今、点検中なんで。足元、お気をつけて」
点検中、なんで。
魔導師が、ちいさく言った。
「……うそでしょ。手ぶら……?」
武器がない。防具がない。護衛もいない。あるのは脚立だ。
気づいたら、口が勝手に動いていた。
「……お疲れ、さまです」
「お疲れさまです」
おっさんは会釈して、俺たちのわきを通りすぎていった。
背後で、盾役が音を立てて座りこんだ。
「……なあ、リーダー。今の、何だ」
「分かんねえ」
分かんねえよ。こっちが聞きたい。
> :は?
> :え、待って
> :今の何
> :作業服????
> :「点検中なんで」????
> :30年人類未到達の層で???
> :同接200万が全員固まってて草
コメントは、あとで見た。あのときは、なにも読めなかった。
◇
戻りの第98層、連絡通路。
帰り道のことは、正直、あまり覚えていない。ひとつだけ、はっきり覚えている。
休憩を取ろうとした俺たちの前方に、あのおっさんの明かりが見えた。
その先の闇に、目が光っていた。
グレイヴクロウ。深層の大型甲殻種。一体で中堅パーティが全滅する。それが——30。
「おい、待っ——」
俺の声より先に、通路に、静かな声がとおった。
「——経路よし」
群れが、割れた。
気づいたら、剣の柄を握っていた。握ったまま、なにもできずに、ただ立っていた。
道を空けた、としか言いようがない。おっさんはその真ん中を、歩幅も変えずに通っていった。爪の一本も、動かなかった。群れを抜けても、あの人は一度も振り返らなかった。
俺たちが14時間かけて命を削った通路を、あの人は、歩いて帰っていった。
「今の、映ってたか」
「……映ってる。全部」
斥候が、震える声で言った。カメラは仕事をしていた。俺たちのだれよりも、冷静に。
あの明かりが、群れの向こうへ遠ざかっていくのを、俺たちはただ見ていた。
群れのいちばん大きいのが、道を空けたまま、じっと頭を下げているように見えた。気のせいだと思いたい。
だれも、何も、言えなかった。同接だけが、増えていった。
◇
地上は祭りになっていた。
切り抜き動画の再生数は、一夜で4700万。トレンドは世界1位。ついたタグは「作業服の人」。
ニュース番組が特集を組み、コメンテーターが「合成では」と言い、画質解析班が「合成ではない」と即日反論した。
> :公社の職員説
> :軍の秘密部隊説
> :99層の主説
> :普通に幽霊説
> :どの説でも「脚立」の説明がつかないんよ
協会の電話は鳴りやまないらしい。俺のところにも取材が来た。断った。何を話せというんだ。俺たちにも何も分かっていないのに。
協会は「ダンジョン設備管理公社」なる組織に正式照会を出した。俺も初めて聞く名前だった。
公社の回答は、一行だったそうだ。
「当該の人物および経路については、回答を控えます」
控えます、じゃねえだろ。
俺たちには協会から事情聴取の要請が来た。話せることは全部話すつもりだ。話せることが、ほとんどないだけで。
配信を切った部屋で、ひとり天井を見る。
あの動画を、もう何度も見返した。会釈の角度まで覚えた。
魔導師は宿で寝込んだまま、うわごとで「手ぶら」と言っている。盾役は座りこんだ姿を全世界に切り抜かれて、「尻もちの人」と呼ばれはじめた。人類初の帰還は、そういう扱いになった。
協会の地図の白紙は、今日、埋まった。
埋めたのは、俺たちの名前じゃなかった。
人類初到達。歴史に残る偉業。その称号がどうなったのか、正直もう、よく分からない。
悔しいのかと聞かれると——違う。悔しさより先に、あの背中がずっと頭から離れない。
なあ。
「お疲れさまです」じゃねえよ。
あんた、何者なんだ。




