第12話 特命
翌朝の詰所で、課長が紙を持って待っていた。持ちかたで分かる。いい紙ではない。
「通ったぞ。例の、見学の申請」
「早いですね」
「一晩だ」
面会の申請は、断るのに印が5つ要った。見学の申請は、一晩で通った。同じ本部の話である。
「上のご意見が、変わった」と課長は言った。棒読みだった。
本部長の言葉が、通達に添えられていた。「公社の技術力と安全文化を、広く社会に示す好機である」。
会見で「個人情報です」と言った人と、同じ人の言葉らしい。手のひらというのは、返すためについているのかもしれない。
「名前がついてる。『業者用経路 安全性実務検証 特別立会』——世間じゃもう『S級アテンド』って呼ばれてるがな」
発表は、けさ協会と連名で出たらしい。昼にはもう、こうだった。
> :まって、公式が折れた
> :「技術力を示す好機」って、こないだ「個人情報です」って言ってた人だよね?
> :手のひらの回転、はやすぎて風が出てる
> :カンテラも行くの? 浅いとこだけ?
> :とにかく安全でお願いします。まじで
世間は騒いでいる。おれは通達を読んでいる。読むところは、日付と、責任者の欄だけだ。
呼び名はどうでもいい。問題は、中身だ。
「行程は、だれが組むんですか」
「おまえだ」
だろうな、とは思っていた。伝票の作業種別の欄が、また増えるのだろう。
◇
午前の作業を終えて、午後は行程表にかかった。
午後の伝票は、番号3322。作業種別の欄には、また見たことのない印字があった。——行程作成。ほんとうに、欄が増えた。
機材より先に、紙と鉛筆だ。行程は、手で書く。手で書くと、無理のある行程は、書いている途中で手が止まる。手は、うそをつかない。
書いては、消した。消しゴムのかすが、机のすみにたまっていく。たまったぶんだけ、行程はやさしくなる。
条件を、さきに決めた。
ひとつ。規程の範囲内。見学のために規程を曲げない。曲げた規程は、規程ではない。
ふたつ。浅い順。第12層の排水路から入って、第38層の照明区画。体を慣らしてから、深くする。
距離は、地図ではなく歩数で書く。おれの歩幅で、第12層の入り口から排水路まで、640歩。客の歩幅は、おれより広いだろうから、時間は少なめに見ておく。
みっつ。装備は公社基準。長靴、ヘルメット、ライトは、こちらで貸す。S級の装備は、たぶん強すぎる。強い装備は、強い場所に行くための装備だ。見学には、見学の装備がある。
最後に、第99層。エレベーターで降りて、非常灯の点検を、実際に見てもらう。あの人が歩いた場所を、あの人の希望どおりに。
第55層は、行程から外した。
理由の欄には「再点検待ち」と書いた。嘘ではない。様式第31号の返事は、まだ来ていない。出してから、7日たつ。返事の来ない紙は、そのうち、それが返事になる。返事の来ていない層に、客は入れない。
書き終えた行程表を、ながめた。出発8時30分。第99層着13時10分。退坑16時20分。
ぜんぶ、いつもの一日の内側に収まっている。収まるように書いたのだから、当然だが。
◇
夕方、協会経由で書類が届いた。剣崎からだった。
誓約書、同意書、装備確認書、健康状態申告書。ぜんぶで15枚。全部の欄が、埋まっていた。判も、15個ぜんぶ押してあった。
「何枚でも書く」は、本当だった。
15枚の書類は、うちの新人研修より多い。S級というのは、書類も一級らしい。
いちばん下の紙に、様式にない手書きの一行が足してあった。
——長靴は、自分のを買いました。
感心なことだ。滑らない客は、いい客だ。
そこへ、カンテラが来た。廊下から声が先に来た。
「聞きましたよ!! アテンド!! おれも行きます!!」
「浅層までです」
「即答!?」
「同行の条件は、変わっていません。立ち入りは第15層まで。だから、第12層の区間だけです」
カンテラは、うぐ、と言って、それから、切り替えの早い顔になった。
「じゃあ、おれ、12層区間の中継やります! その先は地上から実況します! 電波来ないけど!」
電波の来ない実況がなんなのかは、聞かないでおいた。仕事に理由は聞かない。
「そのかわり、ひとつ頼まれてください」
「え、おれがですか!?」
「当日の朝、危険予知の会をやります。全員で。探索者のおふたりにも、うちのやりかたに付き合ってもらう。あなたは、経験者として、初参加の人の見本になってください」
「けん、危険予知……KYってやつ! やります! 見本!」
見本、と言ったしゅんかんの顔は、わるくなかった。ひとは、頼まれるとそだつ。おれが言うことではないが、そう思う。
◇
日が暮れるまえに、もういちど行程表をよみなおした。なおすところは、なかった。なおすところのない紙は、めずらしい。もっとも、行程表は当日の朝まで直すものだ。天気と、体調と、坑内の機嫌で。
帰りぎわ、課長に行程表を出した。
課長は三度読んで、それから、長いこと黙った。
「……55層、外したか」
「外しました」
「そうか。……そうだな」
課長は、それ以上聞かなかった。聞かないことが、答えの日もある。
「上には、おれから通す。おまえは」
「行程表を作ります。定時で戻れる行程です」
課長は、うなずいた。
「……頼んだ」




