第11話 応接
本日の作業伝票、番号3319。第8層、通路灯の点検、1件。半日ぶん。
指差し、確認。
「——経路よし」
第8層の通路灯は、40本。切れていたのは2本。換えて、ふいて、記録して、午前で上がった。
浅い層の仕事は、体が軽い。軽いまま、午後の伝票にとりかかれるのが、いつもの日だ。
今日の午後の伝票は、番号3320。作業種別、応接。
いつもの日では、なかった。
◇
13時50分、本部応接室。
はじめて入る部屋だった。革張りの椅子。長い机。壁の空調の吹き出し口から、フィルターが2割、目づまりしかけている音がした。だれの担当だろう。あとで、課に伝票を回してもらおう。
応接に、規程はなかった。
かわりに、総務の応接マニュアルというものがあった。マニュアルは読むものなので、読んだ。
茶は、客の右うしろから出す、とあった。湯のみの絵まで描いてあった。ずいぶん親切な文書だ。
課長が同席した。立ち会いも、本部から来た。見たことのある若いのだった。「またぼくです」と、小さく言った。長靴の彼だ。今日は、革靴だった。元気そうで、何よりだ。
14時00分、客が来た。
大きい男だった。戸口で一度、頭をぶつけかけて、やめた。
剣崎、と名乗った。申請書の氏名の欄と、同じ名前だ。テレビに出るときの装備ではなく、背広で来ていた。サイズの合っていない背広だった。借り物かもしれない。
おれは、マニュアルのとおりに茶を出した。右うしろから。
「……どうも」
客は、湯のみを両手で持った。大きい手だった。湯のみが、小さく見えた。
それから、しばらく、だまっていた。茶に口をつけるまで、3分かかった。熱すぎたのだろうか。湯の温度は、マニュアルに書いていなかった。
14時間戦いつづけられる人でも、だまることは、あるらしい。
◇
先に口を開いたのは、客のほうだった。
「あんた、何者なんだ」
それは質問というより、ずっと持ち歩いていた荷物を、やっと降ろしたような声だった。
何者か。
むずかしい質問ではない。おれは、いつも伝票に書いているとおりに答えた。
「設備点検第三課の、灰田といいます」
客は、口を半分開けて、それから閉じた。
「……いや。そうじゃなくて。いや——」
客は湯のみを置いて、額を押さえて、長く息を吐いた。
「……いや。それで、いいのか。それが、答えなのか」
「ほかには、特にないので」
「そうか。設備点検第三課の、灰田さんか」
客は、おれの名前を、ゆっくり二度言った。壊れ物を持つような言いかただった。名前というのは、そんなに慎重に持つものだったろうか。
「聞きたいことが、山ほどあったんだ。ゆうべ、番号をふって並べた。全部で31個あった」
「多いですね」
「会ったら、ほとんど消えた。……いくつかだけ、聞かせてくれ」
「どうぞ」
「第99層には、何がある」
「非常灯が、9本」
「……9本」
「今月は、全部ついています」
「そうか。ついてるのか」
客は、なぜか目もとをぬぐった。非常灯がついていることの、何がそんなに効いたのだろう。
「あのエレベーターは、だれでも乗れるのか」
「業務用なので、乗れません」
「だよな。……よかった。乗れると言われたら、俺たちの14時間の立場がない」
立場は、あると思う。おれはエレベーターの点検はできるが、14時間歩いて戦うことは、できない。そう言うと、客はまた変な顔で笑った。
「あとひとつ、どうしても聞きたいことがある」
客は、テーブルに両手をついた。
「なぜ、あんたは襲われない」
部屋が、静かになった。課長は湯のみを見ていた。若い背広は、ペンを止めていた。
おれは、いつもどおりに答えた。
「規程どおりに、作業しているからです」
「規程どおり」
「保守規程第4章第1条。坑内生物には作業員から接触してはならない。生物が作業を注視する場合、作業を継続すること。——注視されたら、続けるんです。書いてあるとおりに」
「注視されたら、続ける……」
客は、その一行を、口の中でくり返した。
「規程どおりにやれば、だれでも、ああなるのか」
「さあ。おれは、おれのぶんしか知りません」
嘘は言っていない。知らないことは、知らない。
客は笑わなかった。真顔のまま、うなずいた。
「……そうだよな。あんたはそう答えるよな。動画を100回見て、そういう人だと思ってた」
湯のみの茶が、冷めはじめていた。だれも、しばらく、しゃべらなかった。
◇
客は、湯のみの茶を飲みほして、居ずまいを直した。
「言いに来たことが、あるんだ」
「はい」
「俺たちは、14時間かけて、あの層まで降りた。仲間が血を流して、回復薬が尽きて、それでもたどり着いたことが、誇りだった。……あんたは、その通路を、脚立をかついで歩いて帰っていった」
客は、そこで一度、言葉を切った。
「正直、最初は、わけが分からなかった。誇りが、どこに置けばいいのか分からなくなった。でも、100回見て、分かった。あれは、あんたの職場なんだ。俺たちは、あんたの職場で、命がけの冒険をしてたんだ」
「はあ」
「笑ってくれていい。でも、俺は——」
客は、ゆっくりと、頭を下げた。大きい体だから、それだけで、部屋がせまくなった。
「あの日、『お疲れさまです』って言ってもらえて、救われた。14時間で、いちばん効いた。……礼を言いに来た。あんたに会って、名前を知って、礼を言うために来た」
部屋は、静かだった。
静かになると、空調の音がよく聞こえる。フィルターは、やはり2割、目づまりしかけている。
若い背広は、もうペンを持っていなかった。課長は、天井を見ていた。
おれは、何と言うべきかを考えた。考えて、いつもの言葉しか出てこなかった。
「お仕事、おつかれさまです」
客は、頭を下げたまま、ふるえるように笑いだした。
「……あんた、最高だな」
何がおかしいのかは、分からなかった。だが、客が笑ったので、応接としては、うまくいっているのだと思う。
客は顔を上げて、思い出したように言った。
「うちの魔導師が、いまでも寝言で『手ぶら』って言ってるらしい」
「手ぶらでは、ありませんでした」
「え」
「脚立が、ありました」
客は、湯のみを持ったまま、しばらく動かなかった。それから、つづけた。
「うちの盾役が——世間で『尻もちの人』って呼ばれてるあいつが、あんたの動画を毎晩見てから寝てる。本人は、尻もちを気にしてる。いつか、直接あやまりたいそうだ」
「あやまることは、何も。尻もちは、だれでもつきます。あの層は、床が滑るので」
「……床が滑る」
「排水の関係です。長靴だと、平気なんですが」
客は、天井を見て、それから、ひざを打った。
「長靴か。次は長靴で行く」
S級の装備の話を、おれとしているのが正しいのかは、分からない。だが、滑らないことは、いいことだ。
◇
帰りぎわ、客は戸口で振り向いた。
「灰田さん。最後に、ひとつ頼みがある」
「はい」
「あんたの職場を、俺に見せてくれ。観光じゃない。……俺は、自分がどこを歩いてたのか、ちゃんと知りたい」
おれは、考えた。考えるまでもなく、答えはひとつしかない。
「規程の範囲で、上が許せば」
「その申請、俺が出す。何枚でも書く」
客は、はじめて探索者の顔で笑った。
若い背広が、ものすごい速さで、何かを書き取っていた。あれはたぶん、今夜のうちに上へ行く紙だ。
客が出ていってから、課長がひとことだけ言った。
「……長引かなかったな」
「はい」
課長は、湯のみをふたつ下げて、それ以上は何も言わなかった。
15時10分、応接終了。
伝票の完了欄に、丸をつけた。応接、1件。異常なし。
使わなかった工具袋を、肩にかけ直した。持ってきてよかった。持っているだけで、仕事の顔になれる。
次は、工具の要る仕事になりそうだ。




