73.少女は淑女教育を受ける
少女は1カ月間の淑女教育を告げられます。
ーーー 場面はアリースソン伯爵領主館
ユリアはナリアに起こされて洗顔と体調管理を終えた。ナリアはユリアの着替えを手伝いながら言う。
「ユリア様。おはようございます。今朝はお顔がどんよりと曇っておられますよ。何かご心配なことでもお有りですか?」
ユリアは言う。
「あ。ナリアさん。おはようございます。またそんな変な顔になっていますか?今日はここで初めての淑女教育を受ける予定ですの。心配というより憂鬱な気持ちですね。どんな教育なのでしょう?」
ナリアが言う。
「今日は、わたくしナリアが講師を務めさせていただきます。内容はこのフランソワール帝国国内の地理と貴族家と領地配置及び派閥と力関係でございます。」
ユリアが言う。
「ナリアさんは随分とお堅い分野を担当されるのですね。伯爵夫人の侍女というだけでなく、情報関係を束ねるアリースソン伯爵家の幹部さんなのですね。いえ、帝国幹部の役職も兼ねているでしょう?」
ナリアが言う。
「ユリア様には隠し事など無意味なようでございますね。確かにおっしゃる通りでございます。ユリア様が思いのほか手のかからないお子様でしたので、わたくしの裏の仕事の時間も十分に取れています。」
ユリアが言う。
「でも、以前から家の中のことはご担当ではなかったのですね。あの前筆頭執事がほとんどを取り仕切っていたのでしょう?外見的にすぐわかるような横領もしていなかった。依頼主がいる以外は単独の犯行だったから尻尾も出さなかった。
しかし、ガスゴーシュ様からの縁談斡旋に応じて伯爵様が縁談書を出されてから、筆頭執事の挙動がおかしくなった。でしょう?」
ナリアが言う。
「そうです。でも現場を押さえることに失敗しました。それで、伯爵様が最後の賭けに出られたのです。縁談相手の青年が6歳の少女を伴って駆けてくるから、領主家使用人一堂で待望のお二人を笑顔で歓迎するようにと示達されました。なぜ待望なのか、なぜ笑顔で歓迎なのかは、皆分かり切ったことなので敢えて知らされませんでした。あの前筆頭執事にとっては恐怖の数日間だったことでしょう。」
ユリアが言う。
「はい。その布石がものを言って、前筆頭執事はわたくし達に会った時から精神状態がおかしかったです。ちょっと揺さぶったらすぐに尻尾を出しましたね。伯爵様は真っ直ぐなお方ですから、伯爵様に最後の賭けを進言されたのはナリアさんですよね。そして見事な勝ちを収めました。さすが情報担当者の面目躍如ですね。」
ナリアが言う。
「わたくしは自分では何も出来ませんでした。でも、ユリア様の胆力と周到な言葉や仕掛けの誘導に、虫が蜘蛛の糸に掛かるように筆頭執事が絡め捕られていきました。わたくしも情報担当者として、そうありたいものだと思いました。」
ユリアが言う。
「ナリアさんが、前筆頭執事や真剣襲撃騎士見習いの家族を尋問されたのですね。それで、早期解決に至ったのも合点がいきました。今回の淑女教育もそのような視点と心構えで受けて欲しいと言うことですね。」
ナリアが言う。
「おっしゃる意味がよく分かりません。わたくしはただ淡々と講義をするだけですよ。理解して覚えていただければ、わたくしの目的は達成です。」
ユリアは言う。
「いいえ。その次の段階、すなわち、社交の場や実務での活用が隠されているはずです。貴族世界の栄枯盛衰の要因、つまり、領地の位置や地政学的条件、生産力や財政力、縁故関係、組織力、そして民や貴族個人の資質などを正しく把握し、それらを絡み合わせて自分の目的達成に活用せよということですよね。」
ナリアが言う。
「ユリア様。すばらしい洞察力です。わたくし自身、わたくしの講義にそのような高尚な段階が隠されていたとは知りませんでした。この講義をご一緒に受講されるほかのご子息様、ご令嬢様方を是非とも感化いただきたく存じます。」
ユリアが言う。
「えっ。講義には、どなたかご一緒されるのですか?」
ナリアが言う。
「3名のお子様達が、もうすぐ帝都レパルナスからこのアリースソン伯爵領主館に到着されます。皇太子殿下のお孫さんフランクル様9歳、大公殿下のお孫さんケイトリン様8歳、ガスゴーシュ様のお子様エルリック様8歳の合計3名様でございます。」
ユリアがうんざりした顔で言う。
「えーっ。聞いてないよぅ。そんな話。そんな偉い人達のお子様と一緒に淑女教育を受けるのぉ。しかも、お二人は男の子じゃない。あっ。でもさっきの講義内容なら、むしろ男の子向きではあるね。そうだった。さっきの講義内容は私が勝手に想定しただけだけど、ナリアさんが最初に言った講義内容をベースにしたものだったから的外れでもないわね。ナリアさん。男の子と女の子の共通科目と別科目は何ですか?」
ナリアが言う。
「先ほど申し上げた座学はすべて共通科目でございます。他に共通科目は外国語とダンスと音楽です。男の子の専門科目は剣術または槍術と自己の適性魔法と身体強化魔法です。女の子の専門科目は護身術と護身用身体強化魔法と刺繍です。期間は1カ月でございます。」
ユリアが言う。
「えっ。わたくしは、もうあと2週間しかいませんよ。」
ナリアが言う。
「いいえ。皇帝陛下からのご下命がありました。ユリア様が帝都に来るのは10年先だとおっしゃったので、子供たちをこちらに行かせたそうです。それに伴い、ユリア様も1カ月間は共に学ぶようにとのことでございます。」
ユリアが言う。
「ありゃー。わたくしは、まだこの国の国民ではないけれど、一応従うしかないね。ところで、教育レベルはどのあたりをターゲットにしているのですか?」
ナリアが言う。
「今日来られるお子様方は、皆さん進度が速くていらっしゃるそうで、皇帝陛下のご指示で12歳くらいの標準レベルで予定しています。フランクル様はまだしも、エルリック様とケイトリン様はついていくのが難しいかもしれません。」
ユリアが言う。
「なるほど。わたくしはそのレベルでは眠ってしまうかもしれませんね。でも、そういうことですか。分かりました。わたくしが彼らを鍛えます。お三方がわたくしを幼児と馬鹿にせずについてこられるならば、の話ですけど。初めにガツンと噛ませないとだめですかね?」
ナリアが言う。
「外国語でガツンとやるのはいかがでしょう?お三方の習っている外国語は今はまだシングラーツ王国語だけのはずですから。ユリア様の母国語で噛ませるのです。」
ユリアが言う。
「ナリアさん。ごめんなさい。わたくしの言い方を矯正しようとしてくれたんですよね。ガツンと噛ませるではなく、呆気に取らせるとか尊敬の念を抱かせるとか軟らかい言い方に変えます。そうだ。ハンター資格1級の会員証を見せるのはどうでしょう。エルリック様の伯母様にあたるスサーナ様と同じ資格ですから、その資格の物凄さを知る人ならば必ず一目置くはずです。」
ナリアが言う。
「たぶん、そこまでなさらなくても大丈夫でしょう。お三方ともすぐにユリア様の実力をお認めになるでしょう。座学の講義の中でわたくしが難しい内容の質問をしたり、ユリア様が質問すればいいのです。それに、二人一組とか四人一組のグループで課題に取り組んで検討結果を発表し合う場を設けますので、その検討の場や発表内容で皆さん呆気にとられるはずと見込んでいます。」
ユリアが言う。
「なるほど。ナリアさんは講師の鑑ですね。グループで話し合う中で、わたくしが示唆してお三方に考えさせる誘導方式で、自分で考えついたような気にさせるわけですね。わたくしの責任も重大ですね。皇帝陛下はわたくしに過大な期待と過重な責任を負わせている自覚をお持ちなのですかね。どこで間違えたらそんなことになるのかしら。まだお会いしてもいないのに。もうこれは大公殿下しかいらっしゃいませんね。でも、大公殿下は、お名前で呼ぶことをお許しくださったお友達ですから、お友達を悪く言うことはありません。」
ナリアが言う。
「ユリア様。結構な心構えでございます。これからしばらく、よろしくお願いいたします。遅くなってしまいましたが、食堂で朝食をいただきましょう。」
昼食時間の少し前に、皇帝家の紋章の入った馬車3台がアリースソン伯爵家の本館前広場に入って来て、次々にエントランス前で停車した。1台の馬車の中から、初めにフランクル9歳、次にエルリック8歳、最後にケイトリン8歳が騎士にエスコートされて石畳に降り立った。
アリースソン伯爵は自らエントランス前まで出迎えて簡単な挨拶をした。子供たち3人とそれぞれの侍女たちは筆頭執事クレメンテに導かれて応接室に通された。ここでお茶を一服して休憩したのち、小宴会場で昼食を取ってもらった。その後、子供たちはそれぞれ客室が宛がわれ、浴室で湯あみ洗浄され部屋でしばらく寛いだ。
子供たち3人がフランクルの部屋に集まって寛いでいるところへ、伯爵と伯爵夫人とソルフィーナが挨拶に入ってきた。伯爵たちは簡単な挨拶だけで退室し、代わりに、メイド長のルシェールと講師のナリアと同じく講師のソルジエンと学友枠のユリアが入って来て各自簡単に自己紹介した。これで一応の顔つなぎが終わり、小宴会場での立食晩餐会を待つばかりとなった。
フランクルが2人に言った。
「僕たちの学友だというユリアは6歳だそうだ。随分小さいが僕たちの学習についてこれるのか心配だな。エルリックやケイトリンはどう思う?」
エルリックが先に言う。
「わたくしの父上からの手紙には、ユリアは父上が狼の群れに襲われて危険な状態のときに現れて狼たちをバッタバッタと倒したと書いてあり、武術は相当なものと伺われます。一般知識についても蝗害の被害で我が国の税収減や穀物収穫減を正確に当てたと書いてありました。見かけ通りの子供とは思わない方がよいとアドバイスされています。」
ケイトリンが言う。
「わたくしも、祖父からユリアの話を聞いています。祖父とのお茶会でユリアが、隣国オスムール帝国がボスべニア火山の大噴火で大被害を受けたとの推測を披露したそうです。祖父はその推測が正しいと信じて、急遽帝都に戻り皇帝陛下に奏上したと聞きました。祖父を動かすなんて、ただものではない気がします。侮らない方が賢明かと存じます。」
フランクルが言う。
「二人の意見は分かった。どうやら、僕たちの方がユリアについていけるか怪しくなってきたな。しっかり気を引き締めていこう。」
小宴会場に主だった者たちが集められ、子供たち3名がお客様として紹介された。その後は、まだ挨拶していなかった幹部達が次々と簡単に自己紹介していった。挨拶が一通り終わった後、伯爵が歓迎の晩餐会の開会を宣言した。皆近くのテーブルから料理を皿に取り飲み物のコップを取って談笑を始めた。
3人の子供たちの中からケイトリンが離れてユリアの側にやって来た。ユリアとソルフィーナとデイビードはみんな目と軽い頷きで挨拶した。
ケイトリンが言う。
「ユリア。わたくしはケイトリン・フランソワールよ。呼び捨ての名前で呼んで頂戴ね。ユリアは、ちょっと前におじい様においしいお茶を煎れてくださったそうね。わたくしもぜひいただきたいですわ。」
ユリアが言う。
「もちろんですわ。お互い名前で呼び合うお友達としてよろしくお願いいたします。お茶の時間については、この教育の進行管理をしているナリアさんにお願いしておきますね。ところで、ケイトリンのお召し物は到着された時とは違っていますね。こちらの方も、ふんわり包み込むような薄手の生地で暖かい色合いが全体の雰囲気とよく調和してとてもお似合いですわ。センスの良さがにじみ出ています。」
ケイトリンが言う。
「まあ。ユリアが最初にドレスのことを話題にするとは思いませんでしたわ。おじいさまにお茶を煎れる女性らしい一面と、おじいさまを手玉に取る男勝りの一面とをお持ちのようで、どのように対応したらいいのか迷っていましたの。でも、どちらもユリアであることには間違いなさそうですわね。」
ユリアが言う。
「ケイトリン。わたくしも初めの話題に迷っていたのですよ。ケイトリンの関心が果たしてドレスのセンスにあるのか分からなかったですしね。でも、到着時と今とでドレスの雰囲気が全く変わったのを見て確信したのです。」
ケイトリンが言う。
「そうなのね。一応確認させてね。何を確信したのでしょう。」
ユリアが言う。
「それはもう、ケイトリンの自己演出術のすばらしさですわ。つまり、今回は、たまたまドレスを小道具にしてご自分の暖かくも気高い雰囲気を見事に演出されました。わたくしに、呼び捨ての名前呼びを許してくださったのも、ドレスの雰囲気が気高さと暖かさを引き立てていました。」
ケイトリンが言う。
「まあ。その通りです。ユリアにはわたくしの最大の関心事を初対面でいきなり見抜かれてしまいましたわ。いずれ、わたくしもどこかの貴族家に輿入れする身ですから、自分をどのように見せるかということに腐心していましたの。でも、ここでの淑女教育は表面的な淑女らしさとは無縁そうですわね。領地経営などの頭を鍛える座学や自分の人間性の幅を広げる音楽や刺繍など、ダンスを除けばわたくしの不得手とするものばかりですわ。」
ユリアが言う。
「問題ありません。ケイトリン。たったの1カ月間ですけど、わたくしと一緒に考える方法を学んで身に付けましょう。そうすれば、この教育期間が過ぎた後でも、身に着いた考える方法が生活の随所に出るようになりますよ。」
ケイトリンが言う。
「そうなるように頑張るしかなさそうね。ユリア。よろしく頼むわね。」
次に、ユリアに近づいてきたのはエルリックだった。
「やあ。ユリア。わたくしはエルリック・ガスゴーシュだ。呼び捨ての名前で呼んでくれ。ちょっと前に父上の危ないところを助けてくれたと聞いた。君のような小さい子供が狼の群れに飛び込むなんて、命知らずにもほどがあると思っていたよ。だけどそれ以上に驚いたのは、君が蝗幼虫殲滅作戦の骨子を立案して、2国共同体交渉団の進捗のカギを握っていると書いてあったことだ。幼児の身で大人の政治の世界に口を出して、よく聞き入れてもらえたものだと感心しているのだよ。」
ユリアが言う。
「エルリック。よろしくお願いいたします。もちろん、幼児のわたくしが一人で何を言っても大人たちは聞いてもくれないでしょう。でも、わたくしにはデイビードお父さんが付いてるのです。幼児の言うことは聞かなくても大人のデイビード父さんが言うことには耳を貸すでしょう。実際、わたくしが言うことは多くありません。やって見せるのです。百聞は一見に如かずですよ。」
エルリックが言う。
「なるほどそうか。狼をバッタバッタと倒す実力と大怪我をたちどころに消し去るポーションもその一例というわけか。一度でも君のやることなすことを見たことがある大人は、その後の君の言うことも無視はしまいよ。」
また一人、フランクルが近づいて来て言った。
「やあ。ユリア。お話し中失礼するよ。僕はフランクル・フランソワールだ。既に自己紹介済みだが、呼び捨ての名前で呼んでほしい。ユリア。僕も君の話をよく聞かされた。大叔父のクリューソス大公の孫娘ソルフィーナの病状を3日で全快させたという、超特級ポーションを調合できるってね。大公が報奨をほのめかす前に受け取らないと断ってしまったそうじゃないか。全く命知らずの幼児がいたものだ。その上、騎士団への斥候術伝授の実践では大公に計時役をやらせたそうではないか。僕でもそんな恐ろしいことはしたことがないよ。」
ユリアが言う。
「フランクル。よろしくお願いいたします。この際、誤解のないように申し上げます。全快の件では、御殿医師ラルグレン様が、わたくしが持参したポーションを鑑定の上で処方された結果です。この件に関しましてはわたくしの関与はポーションを持ってきたということのみでございます。それと、報奨をわたくしが断るのは事前に予想されていたようですよ。あと、計時役についてもご自分から名乗り出てくださったのです。わたくしも大公殿下に名前呼びを許された友人として振る舞っただけでございます。」
フランクルが言う。
「なるほど分かったよ。だがまだあるぞ。皇帝専属薬師メリデリンの超特級ポーションの業績を真っ向から否定する意見を、本人の目の前で堂々と述べたそうではないか。僕でもそんなことはしたことがない。ユリアは目上の者や大人を敬う心を持たないのか?」
ユリアが言う。
「そんなこともありましたね。でもそれは本人の目の前で二人きりだったから言えたことです。相手の名誉は守っているつもりです。メリデリン様も曲げ様のない事実を突きつけられても、逆上することなく落ち着いて対処できる大人でございました。」
フランクルが言う。
「ふむ。ユリアが僕に対して言う言葉は、一瞬にして僕の問い詰める性格を見抜いて選んだ言葉なのだな。いいだろう。これから1月間たっぷり議論できそうだ。明日からの淑女教育を楽しみにしているよ。教育名称はちょっと気に入らないがね。」
ユリアが言う。
「フランクル。こちらこそ楽しみでございます。わたくしは相手を非難する言葉は使いませんが、批評めいた表現は出るかと思います。大人のご対応でよろしくお願いいたします。」
((確かに淑女教育は名称が悪いわね。議論が白熱すると淑女ぶってもいられないかもね。でも、3人とも現皇帝様や先の皇帝様の直系だけどいい子たちでよかった。なんて、早くも上から目線になっているわ。気を付けないと。))
少女は3人の皇族の子供たちと淑女教育を受けることになりました。皇族の子供たちとの顔合わせと人物把握も済んで少しやりやすさを感じたようです。淑女教育はどうなるんでしょう。それではまたお会いしましょう。




