62.少女はエコールを視察し楽器を購入する
少女の今日の予定はエコール見学?視察?と楽器関連です。
ーーー 場面はアリースソン伯爵領主館
ユリアは今朝は自ら目覚めて、洗顔や体調を整えていた。すぐにメイドのナリアが部屋に入ってきて挨拶をして、身仕度を手伝いながら話す。
「ユリア様。今日は一日予定が入っております。デイビード様に依頼された件でございます。午前中は、基礎教育エコールで座学と楽器演奏の現場見学と、主任教諭との会談でございます。午後は、楽器製作工房の見学と楽器店での買い物でございます。」
ユリアは盛りだくさんの予定を聞いて言った。
「ありがとうございます。ナリアさん。盛りだくさんで、ちょっと忙しい一日になりそうだわ。だけど、エコールの主任教諭との会談は面白そうね。あと、楽器店での買い物って何かしら?」
ナリアは期待を持たせるように言う。
「はい。それは伯爵様ご夫妻が入れ込まれたもので、ユリア様への感謝の意味も兼ねて好きな楽器をプレゼントされるそうです。」
ユリアは少し首を傾げて言う。
「そうなのですね。でも、感謝の方はソルフィーナ様向けのポーションの件だと思いますが、兼ねる方は何なのでしょう?」
ナリアは、少しはっきりしない口調で言う。
「わたくしも、言われた通りをお伝えしただけなのですが、たぶん、ご婚約に関係したものかと推測いたします。」
ユリアは合点がいった様子で言う。
「なるほど。二人が婚姻なったら、わたくしはデイビードの連れ子として伯爵様ご夫妻の孫になるから、誕生祝いのような意味ですね。仮の娘だしちょっと複雑な気持ちはあるけど、ありがたくいただきます。」
ナリアはほっとしたように言う。
「はい。それが宜しいかと存じます。ご案内役の、文教部門責任者エドケラスの部下ストーンワルドと、商工部門責任者マージェリルの部下インドリーが終日お供します。今日は、わたくしもついて回ります。」
ユリアは納得したように言う。
「分かりました。いつもお手配いただきありがとう存じます。それでは朝食を食べに参りましょう。」
朝食後、ユリアは、部屋でナリアに外出着に着せ替えられて案内役を待った。程なくして、二人の案内役が来て、各々自己紹介をした。
4人は、伯爵家本館の出入口前で伯爵家専用の2頭立て馬車に乗り込み、アルーゾンの街中に出かけた。街の広さや人口は辺境伯領都より少し大きな規模のようだ。
ユリアは、馬車の中で案内役に聞く。
「この街は人口はどのくらいですか?交通の要衝というのはどの街を繋いでいるのでしょう?」
案内役のひとりインドリーが答える。
「はい。アルーゾンの人口は、およそ15万人で、帝都レパルナスの約20万人に次ぐ規模を誇ります。街道は、国内では穀倉地帯と帝都を繋ぎ、鉱業地域や林業地域とも繋がり、一大消費地であるとともに帝都への中継地でもあります。シングラーツ王国とも1本の街道で繋がっています。」
ユリアは謝意を込めて言う。
「インドリー様。詳しいご説明ありがとう存じます。少し得心がいきました。失礼ですが、中領地にすぎない伯爵家に大公様ご令嬢が嫁がれた理由は、この街と帝都の関係にあったのですね。」
ストーンワルドが補足して言う。
「確かに政略結婚とみればそれが大きな理由ですが、伯爵様が帝都の大学に通われていた頃から、お二人は熱々で将来を誓い合った仲だったと聞いております。」
ユリアは少し揶揄うように言う。
「まあ。そうでしたのね。でも、幼児のわたくしには、そちらの理由の方がピンと来ませんわ。」
ストーンワルドが反論するように言う。
「そうですね。でも、普通の幼児は、伯爵様ご夫妻のご婚姻の理由や背景なんかには関心など持ちませんよ。男女の結びつきには恋愛要素も大きいと、いまから覚えておくのはいい事だと思います。」
ユリアは、それを聞いて、思いついたように言う。
「はい。ご忠告ありがとう存じます。でも、デイビードお父さんは、お相手を見ないうちから心を決めていましたよ。まあ、ガスゴーシュ様のご推薦と知った時点で、お相手の事情は推測出来ましたから、あとは受けるか否かの決断だけでしたね。特殊な理由で決まった婚約だけどお二人には幸せになってほしいわ。」
ナリアが注意するように言う。
「ユリア様。どうも、話しぶりが上から目線になっている気がしますよ。案内役のお二人が引いていらっしゃいます。」
ユリアは調子に乗り過ぎたと反省するように言う。
「あっ。ごめんなさい。気をつけます。」
案内役のストーンワルドが言う。
「着きました。これから主任教諭の部屋に寄って案内してもらいましょう。」
主任教諭の部屋に着くと、会議ソファに案内され、自己紹介のあと少し概要説明を受けた。
「初めまして。基礎教育エコール主任教諭のアンジェルマンと言います。今日はご見学いただきありがとうございます。初めに、教室での座学の様子と音楽室での楽器演奏の授業をご覧いただき、そのあと、会議室でわたくしとの会談の予定となっています。それでは、さっそく教室の方からご案内します。」
アンジェルマンは歩きながら説明する。
「 教室は1学年に6教室、各教室25名の全150名、5学年全体で750名が学んでいます。
この教室は第1学年の最速進度クラスAです。教諭の指示した単元やその先を自主学習して、時々質問しながら進んで行きます。
こちらの教室は第1学年の最遅進度クラスFです。教諭は二人で生徒個人の進度や問題点に応じた指導方法で個別引き上げを図っています。」
ユリアが主任教諭に許可をもらって教室内に入っていった。
ユリアは、初めに教諭の指導を受けている生徒の近くで様子を見た。次に教諭がついていないがペンを動かして何か書いている生徒を観察した。最後にひとりで何もせずにぼうっとしている生徒を観察した。
ユリアは、最後の生徒に小声で声をかけた。
「ねえ。私はユリアよ。あなたは?」
話しかけられた生徒が、胡散臭そうにしながらも答えて言う。
「僕はマルコス。」
ユリアが聞く。
「マルコス。なぜ、いまなにもしてないの?」
マルコスが答える。
「僕はもうこの単元覚えたからすることないんだ。」
ユリアが確認する。
「じゃあ、確かめるわね。43引く19はいくらかな?」
マルコスがニヤリと笑って答える。
「そんなの簡単だ。24だろ。」
ユリアは言う。
「大正解。じゃあ、今言った計算式を書いてみて。」
マルコスは、グズグズして言う。
「僕は文字が書けないんだ。ペンも書字盤も持ってない。」
ユリアは訝しげに聞く。
「どうして?ほかの子はみんな持ってるのに。」
マルコスは泣きそうな顔をして言う。
「最初みんなに支給されたけど、僕だけ落としてしまって壊しちゃったんだ。それからは新しく支給されていない。」
ユリアが、回りを窺って教諭を含めたほかの生徒達の反応を確認して言う。
「ペンと書字盤があれば文字は書けるのね?私が借りて来るからちゃんと書いて見せてよ。」
マルコスは、おどおどしなからも書けると請け合った。
ユリアは、教諭机の上にあるペンと書字盤を取りに行き、それらに手を掛けてから二人の教諭にさっと視線を向けた。
そのとき、二人の教諭は、ユリアの行動を咎める目をして声を上げようとしたが、そのままの状態で身体全体が固まった。
((金縛り魔法を掛けちゃった。これは秘密だよ。))
ユリアは、何ごともなかったようにペンと書字盤を取ってマルコスに渡した。マルコスは、それを受け取って、先ほどの計算式をスラスラと整った文字で書いた。
二人の教諭は、3秒ほど後に覚醒したが、ユリアの位置を見失ってキョロキョロした。ユリアがマルコスの傍にいるのを見つけて近寄ろうとするところを、主任教諭のアンジェルマンに止められて、しぶしぶと引き下がった。
ユリアはマルコスに確認する。
「落として壊したというのは、本当ではないでしょう。誰かに壊されたか、初めから支給されなかったのよね?」
マルコスは言う。
「うん。初めから支給されなかったんだ。」
((うーん。考えたくないけどあの教諭たちに差別されているみたいね。))
二人の教諭は、マルコスを黙らせようと動き出したが、またもアンジェルマンに止められた。
ユリアはアンジェルマンを見ながら言う。
「アンジェルマン様。このマルコスが言うことの真偽如何に関わらず、こちらの二人の教諭様には何か問題がありそうですね。わたくしは、今、文教部門の視察代弁者として申し上げました。先ほど見学から視察に切り替えましたので。
勝手ながら、この後の会談は中止させていただきます。ただ今指摘した問題点以外にも、正常な教育環境を阻害する問題点をそちらで掘り起こして、全ての改善策を立案の上で文教部門に提出してください。文教部門は、その改善策に必要に応じて修正を求め、承認したものについて実施を促します。後日改善策の実施状況を文教部門が査察いたします。」
文教部門の案内役ストーンワルドは、想定外の事態に唖然として驚いた。しかし、部門責任者のエドケラスからはユリアを自由にさせるよう指示されていた。このため結果的にユリアの言葉は、文教部門が発令した正式行政指導となった。
ストーンワルドは、どよーんと肩を落として言う。
「ユリア様。わたくし共の監督不行き届きで、お見苦しい所をお見せして大変申し訳ございません。アンジェルマン殿。あのマルコスなる子供が、この出来事のために不利益を被る事がなきよう、厳しく管理監督願います。」
((あーあ。やっちゃったー。ちょっと頭を冷やさないと。でも、あの二人の教諭は意図的で確信犯だね。マルコス少年にどんな咎があるというのよ。主任教諭との会談は面白そうと思ったけど、この状況ではやる意味ないね。次は、楽器演奏の授業か。少しは楽しめるかな。))
アンジェルマン主任教諭は、ユリア一行を音楽室に案内した。アンジェルマン主任教諭は言う。
「授業では、生徒達の希望した楽器の指導と合奏曲の演奏の指導の双方を、前半と後半で切り替える方式で行っています。人気の楽器はバイオリンですね。不人気の楽器は、シンプルな打楽器類のようですよ。演奏会では、希望楽器のソロ演奏は、第4学年と第5学年の各3名の選抜者のみです。合奏は各学年の選抜者が演奏できます。
合奏曲の楽器割り振りは、演奏技術の巧拙で決められています。それだけに、授業前半の希望楽器の練習はみんな真剣そのものですよ。ユリア様はどんな楽器を演奏なさるのですか?」
((なんだか、疑い出すと怪しそうなところ満載だね。演奏技術の巧拙なんて誰がどう評価するのよ。))
「はい。わたくしは、横笛とバイオリンと鍵盤楽器の演奏が少しできます。手指が小さいので子供向けの曲がほとんどです。」
アンジェルマン主任教諭は、ユリアに提案する。
「そうなんですね。横笛はあまり人気のない楽器のひとつなのです。じつは、今授業中の第1学年で合奏に参加できる技量をもつ横笛奏者がいないのです。よろしければ、現在暫定参加させている横笛奏者と実力比べをして見られませんか?」
ユリアは、一応、軟らかく辞退をする。
「皆さんの授業中にそのようなことはお邪魔だと思いますので、またの機会にいたしましょう。」
アンジェルマンは、少し食い下がってくる。
「いえいえ。今はちょうど前半と後半の入れ替え時のようですから、さほどの邪魔にはならないでしょう。いかがですか?」
ユリアは言う。
「それでは、相手の奏者が了承されればやってみましょう。」
相手の奏者は第1学年の8歳の男の生徒で、本来バイオリン希望らしいが、いま、合奏の練習のため横笛を持っている。彼はユリアとの演奏比べに応じて先に演奏を始めた。ユリアの知らない曲であった。暫定奏者に選抜されるだけあって演奏技量は結構高かった。ユリアは控えめな音で拍手した。
次にユリアは初見の楽譜を見ながら横笛を演奏する。
((うん。これなら指使いも素直な感じで早いパッセージもなんとか行けそう。ここは、楽譜通りで装飾音なしで行くのが無難ね。))
ユリアが演奏し終わって、関係者はメイドのナリアを除いて皆口をポカーンと開けてしばらく呆けていた。ナリアが気が付いて、控えめな拍手をしたことでほかの関係者の呆けがとけて、皆が控えめな拍手をした。相手の暫定奏者も同様、ユリアの洗練された演奏技術を湛えて拍手した。
暫定奏者はユリアに感化されて、今まで練習に身が入らなかったことを恥じた。結局、真剣に練習することで暫定奏者への残留を認められた。
((ふーん。ここはアンジェルマン主任教諭の勝ちですね。私は出しに使われましたです。はい。))
ユリア一行は、少し合奏練習を聞いてから、見学兼視察の予定を終えた。宣言の通り、アンジェルマン主任教諭との会談は中止した。
ユリア一行は、街の食堂まで馬車で移動し、予定より少し早い昼食を取った。穀類の収穫が多く見込まれないためか、各メニューとも値段が上がっているとのことであった。
ユリア一行は、商工部門のインドリーの案内で次の目的地である楽器製作工房へ馬車で移動した。工房は街はずれに近い位置にあり、敷地内に大きな建物が複数ある大規模工房であった。案内者のインドリーによれば、この工房は帝国内最大規模の楽器工房とのことである。
案内者のインドリーは、ユリアの得意楽器を考慮してバイオリンの製作区画を順路に沿って見せて回った。
ユリアは見学しながら言う。
「製作順序がよく考えられていますね。部品加工工程では、複数種類の部品を同時並列的に素材から部品に加工していくんだね。組み立て工程では、組み立てが進むにつれてバイオリンが徐々に全貌を表していく様が感動的だわ。」
ユリアは、インドリーに尋ねる。
「インドリー様。こんなに大量に作っても、需要と供給の関係は大丈夫なのでしょうか。これを買って演奏してくれる人って、ちゃんと育っているんですか?」
インドリーは答える。
「楽器を製作できる工房は世界に数えるほどしかありません。この工房の製品も世界中に販路を持っていますので、需要と供給の関係はバランスが取れていますので、ご心配には及びません。」
((ヴィルダー辺境伯家にあった楽器もここで作られたものなのね、きっと。アンジェリカ様やレスターニャ様は今頃どうしてるかな。))
ユリア一行は、見学予定を終えて馬車で街に戻ってきた。街の中心部に近い場所にある大型の楽器店の前で馬車が止まった。ユリアはここで楽器を何か買ってもらう予定となっている。
ユリアは、案内のインドリーにエスコートされて馬車を下りた。ナリアはストーンワルドにエスコートされて下りた。一行は楽器店に入って行った。
ユリアは言う。
「すごーい。いろいろな楽器がたくさん並べてある。何か買ってもらえるなら、やっぱりバイオリンかな。インドリー様。バイオリンがあるところに行きたいです。ご案内いただけますか?」
インドリーは言う。
「承知いたしました。こちらへどうぞ」
ユリアがインドリーについていくと壁にずらりとならんでいるバイオリンたちが目に入った。
「うわー。すごい数が揃えてありますね。これらは何がどう違うんでしょう?」
インドリーが店員を呼んで疑問に答えてもらう。
「お嬢様。ようこそおいで下さいました。お話は伺っております。これらは、使う木材の種類や切り取る場所とか、加工や組み立ての職人の腕前ランクによって、値段が1000倍以上も変わってきます。」
ユリアは感心したように言う。
「そうなのですね。わたくしは、バイオリン演奏に関して未熟な段階ですので、安価なものから選択したいと思います。わたくしの手指や体格に対して少し大きめのものを選んでいただけますか?」
店員は言う。
「それでは、これなどはいかがでしょうか?」
ユリアは店員から受け取って確かめながら言う。
「先に確認させてください。これは安価な部類ですか?高価なものはいりませんので。」
店員は言う。
「このサイズのものでは、中級クラスの価格です。でも通常サイズも含めると一番低価格に近いものです。」
ユリアは店員に礼を言う。
「ありがとう存じます。試しに弾いてみて良いですか?」
店員はもちろんとユリアに試し弾きを奨める。ユリアは、自分の絶対音感をベースに調律してから知っている練習曲を弾いてみた。周りの人たちは、ユリアの手慣れた調律動作と、その後の正確でよい音色を響かせる演奏技術に感嘆の声を上げた。
「なるほど。これはヴィルダー辺境伯家にあったものよりわずかに小さくて弾きやすいわね。音色も結構いいわ。気に入りました。店員さんのチョイスを信じましょう。これをいただきます。」
店員は気にってもらえてうれしそうに言った。
「はい。承知いたしました。ただ、お嬢様の演奏技術は、未熟どころか、既にジュニアの中級クラスに達していると判定いたしました。これではすぐに不足に感じられると思いますが、よろしいでしょうか?」
ユリアは端的に答える。
「わたくしは全然かまいません。大きくなってもこれを末永く愛用したいと思っています。」
((あまり販売促進に貢献しない顧客でごめんなさい。))
店員は購入手続き書類を出し、インドリーがサインをした。
これで、今日の予定行事はすべて終了した。ユリアは、自分の所有する楽器が2つになって、気分によって使い分けられると喜んだ。
((確かに、この街は楽器の製造が主要産業のひとつであるとの説明に嘘はなかったわね。一大産地に間違いないわ。でも、演奏者の増産に瑕疵があると需要が伸びないからね。教諭の皆さん、しっかりお願いしますよ。))
少女はエコール見学を視察に切り替えるほど怒っていましたね。でも、帰りに楽器を買ってもらって機嫌を直しました。次は何をするのでしょうか。楽しみです。それではまたお会いしましょう。




