第5話:ここにいさせてください
翌々日、透真は退院することになった。
まだ鎮痛剤を手放せないほど痛むのに、こんな状態で退院していいなんて、完全にどうかしてる。
そう思いながらふらふらと建物の外へ出ると、雅が待っていた。
「退院おめでと~」
「……っす」
目を細めて拍手をする雅にどう答えるべきか迷って、透真は小さく返事をした。
「さ、乗って乗って」
隣に停まっていたジムニーノマドの後部座席のドアを開けて、雅は透真を促した。
「……雅さんが運転するんですか?」
「ううん。私は人を乗せて運転するなってきつ~く言われてるからダメなの」
透真が車に乗り込むと、そう言って雅はドアを閉めて、助手席へ乗り込んだ。
運転席には、見覚えのある白衣の男が座っていた。
「……え」
「お願いしますっ!ヤブ先生♪」
それは、病院にいる間、何度か様子を見に来てくれた先生だった。
というか、身の回りを見てくれたのは、この先生とやけに貫禄のある年配の看護師くらいで、他のスタッフは見かけなかったのだが。
「……なんで東雲先生が」
「東雲?」
雅がきょとんとして振り返った。
「俺の苗字ですけど?」
「……いつもヤブ先生って呼んでるから忘れちゃった☆」
てへ、と舌を出す雅に特に反応もせず、ヤブ先生と呼ばれた男は車のエンジンをかけた。
「シートベルトしてくださ~い。んじゃ、しゅっぱ~つ」
彼の気だるげな声を合図に、車は動き出した。
少しだけ道路を走ったかと思えば、車はすぐ林道に入った。
振動が傷に響いて、透真は顔を顰めた。
「はは、まだ痛いよねぇ。ゆっくり走るけど、がんばれ」
「…っす」
透真は運転席の男に目をやった。
タバコの匂いのする車内に、無精ひげ。
太めの黒ぶち眼鏡は、目元のクマを隠すためだろうか。
(なんか、あんまり普通の先生って感じじゃないな……)
そう思いながら、透真は脇腹を押さえた。
振動に耐えながら山道を進むこと十分、車は学校のグラウンドに出た。
東雲は昇降口前にゆっくりと車を停車させた。
「先生ありがと~」
「ありがとうございました」
「はいよ~」
透真はできるだけ背中を動かさないように、ゆっくりと車を降りた。
雅も車を降りると、東雲はグラウンドで車を転回させ、透真たちの前で停まって窓を開けた。
「じゃあ透真くん、安静にしときなさいね」
「はい、ありがとうございました」
「雅ちゃん。あいつにも、怪我すんなよって言っといて」
「いつも言ってるんだけどね~」
東雲は少し苦い顔をして頭を掻き、あいさつの代わりに手をあげて、来た道を戻っていった。
*
「ここ、透真くんの部屋ね。好きに使って」
「自分の部屋……!?」
学校に戻ると、一階の奥の部屋に、透真の部屋が準備されていた。
ベッドと簡易な机と椅子。
ただそれだけの部屋なのに、透真はしばらく入口から動けなかった。
自分の部屋など、持ったことがなかった。
まるで、一国一城の主になった心地だった。
「必要なものがあれば言ってね。ちゃんと治ったら、買い物に行こうよ」
さも当たり前のように、雅は言った。
透真は、治療を受けている間ずっと考えていたことを、伝える決心をした。
「雅さん」
「……自分、本当に感謝してます」
「迷惑、いっぱいかけちゃったんすけど」
「……しばらく、お世話になります」
たどたどしく、透真はそう言って頭を下げた。
「……うん」
「こっちこそ、ごめんね」
透真は、雅が何に対して謝ったのかわからなかった。
「……でも、もう放っておけないし。まずは怪我、ちゃんと治そう」
雅は、固く握られた透真の拳をそっと包んで、優しい声でそう言った。
*
退院してから一週間が経ち、透真は鎮痛剤に頼らなくても、どうにか動けるようになっていた。
手すりに体重を預けながら、なんとか校舎の二階に上がる。
廊下の先にある部屋の前で立ち止まり、透真は小さく息を整えてから、扉をノックした。
「あの……」
乱ちゃん、と雅が呼んでいる女の部屋だ。
場所は教えてもらっていたし、中にいるのもわかっている。
それでも、彼女は出てきてくれなかった。
彼女にも、ちゃんと謝らないといけない。
そうじゃないと、自分のせいで嫌な思いをさせたままになってしまう。
退院してからというもの、彼女とはろくに言葉を交わせなかった。
ダイニングキッチンで透真が食事をしている時、彼女は絶対に来なかった。
たまたま廊下で顔を合わせれば、露骨に不機嫌そうな顔をする。
視線を逸らされ、何か言おうとすればどこかへ行ってしまう。
あからさまに避けられていた。
言われたことを守れず迷惑をかけてしまった自分に、赤髪の女は怒っているのだ。
透真はそう思っていた。
透真はため息をついて、ゆっくり階段を降りた。
*
さらに一週間ほど経って、ようやく透真の包帯は取れた。
三日前に経過を見てもらった際、あと数日で外していいと東雲にお墨付きをもらっていた。
ただし、「自由に動き回っていいわけじゃないからね」と、何度も念を押されたのだが。
「うん、だいぶきれいになってきたね」
「そっすね。まだ、引き攣れる感じはあるっすけど」
「もうちょっと無理は禁物だね~」
そう言うと、雅は外した包帯をまとめ、立ち上がった。
透真は雅を引き留めるように口を開いた。
「雅さん」
「なあに?」
「……自分、あの人にちゃんと謝りたくて」
雅は、赤髪の女が透真を避けているとわかっていても、普通に接してくれたし、透真の前では彼女を咎める様子もなかった。
おそらく、彼女が何を考えているのか、雅には心当たりがあるのだろう。
「でも、ずっと……避けられちゃってるじゃないすか」
「う~ん……乱ちゃんも思うところがあるみたいでね。あれで悪気はないのよ、ごめんね」
「いや、そもそも自分が悪いんで」
雅は少しだけ視線を落とし、言葉を選ぶように答えた。
「……乱ちゃんはね、本当にいやなことは、いやだってはっきり言うタイプなの」
透真は、ただ頷いた。
「透真くんが診療所にいるとき、乱ちゃんに、うちで透真くんの面倒をみたいって言ったのね」
「……なんて、言われたんすか」
「乱ちゃん、何も言わなかった。……迷ってるんだと思う」
雅の本心は、透真には読み取れなかった。
「……怒ってるんじゃないんすか」
「怒ってるだけなら、とっくに追い出されてるよ~」
ふふっ、と雅は笑った。
「……正直に言うとね、私は透真くんにこのままずっといてほしいと思ってる」
「……ずっと?」
「透真くんのためだけに、そう言ってるわけじゃないの」
透真は答えることができず、ただ雅の話を聞いていた。
雅は、困ったように笑った。
「透真くん。乱ちゃん、校舎裏にいるから」
「もう少しだけ、粘ってみて」
そう言い残して、雅は部屋を出て行った。
*
校舎裏の洗い場で、赤髪の女はひとり刀を手入れしていた。
夕暮れの薄い光が、刃に淡く反射している。
「あの!」
透真は、息を整えてから声をかけた。
しかし、彼女は振り向かない。
「……」
女は何も言わず、刀を鞘に戻し、道具を片づけて立ち上がった。
そのまま去ろうとする背中に、透真は一歩踏み出して叫んだ。
「待ってください!」
彼女の足が、わずかに止まった。
声を張り上げたせいか、脇腹のあたりが少しだけ引きつった。
「……ちゃんと謝りたくて」
背を向けたまま、彼女は大きく息を吐いた。
それだけで、面倒くさがられているのが分かる。
「出てくるなって言われたのに、飛び出して、迷惑かけて――」
透真はぐっと手のひらを握り、声を張った。
「本当に、すいませんでした!」
彼女はしばらく黙ったあと、ようやく口を開いた。
「……お前が俺を助けられるとでも、思ったのか」
低い声だった。
やはり、怒っているのだと思った。
けれど、ただ責められているのとは少し違う気がした。
透真は言葉に詰まった。
「……自分でも、理由がわからなくて」
「……」
「気づいたら、体が勝手に動いてて」
女は返事をしなかった。
夕暮れの洗い場に、沈黙だけが残る。
やがて、吐き捨てるように言った。
「治ったら出てけ」
「……それは、できないっす」
「……は?」
そこで初めて彼女が振り向いた。
赤い瞳が、まっすぐ透真を射抜く。
「帰る場所、もうないんすよ」
「それに、助けてもらったのに――なにも、返せてないっす」
彼女の眉間に深く皺が寄る。
「んなのどーでもいいわ。普通に生きろ」
「普通ってなんすか?」
言った瞬間、女の目がわずかに揺れた。
透真は唇を噛み、それでも続ける。
「自分ん家、普通じゃなかったんで。普通って言われてもわかんないっすよ」
無理やり笑顔を作って、透真は続けた。
「十八歳ならもう成人だし、好きに生きろって言われるかもしれないけど」
「出てけって言われたら、たぶん、また――」
そこから先が出なかった。
言葉にしたら、本当にそれをやってしまいそうで怖かった。
「……ここにいさせてください」
透真は拳を握った。
「家事でも雑用でも、なんでもします。だから」
――追い出さないでほしい。
その一言だけが、どうしても声にならなかった。
喉の奥が熱くなって、涙まで出そうになって、ぐっと堪える。
赤髪の女は舌打ちした。
深く、長く息を吐く。
まるで自分の中の何かを無理やり押し殺すみたいに。
それから、睨むように透真を見た。
「……ひとつだけ条件がある」
透真は息を止めた。
「二度と、俺より前に出るな」
「……できないなら、すぐに叩き出す」
思っていたよりずっと冷たい声だった。
それでも、その声音には、怒りだけではない何かが滲んでいるようにも聞こえた。
「……!」
透真は小さく頷いた。
そのまま終わるはずだったのに、なぜかもう一言、口をついて出る。
「……あの、自分からもひとついいっすか」
「あ?」
彼女の眉がぴくりと動く。
「名前。教えてくれませんか」
彼女は、透真に背を向けた。
もう、彼女がどんな表情なのかはわからなかった。
「……乱珠」
短く、小さく、彼女は答えた。
それが、透真にはたまらなく嬉しかった。
「……乱珠さんも、無茶しないでほしいっす」
おもわず、本音が漏れてしまった。
沈黙があって、乱珠は心底うんざりしたように目を細めて振り返った。
「……もうひとつ追加」
「俺のやることに口出しするな」
「……っす」
透真は素直に頷くしかなかった。
それでも透真は、その背中が完全には自分を拒絶しなかったことを、ちゃんと分かっていた。
死ぬために樹海へ入ったはずだった。
なのに今は、追い出されたくないと思っている。
その事実が、どうしようもなく苦しくて、少しだけ温かかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
これにて、序章「中原透真」は完結です。
次章「望月雅」からは、透真と校舎の住人たちの生活が少しずつ始まっていきます。
引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。
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