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Given No Name  作者: 真白しょう太
序章:中原透真
5/9

第5話:ここにいさせてください

翌々日、透真(とうま)は退院することになった。


まだ鎮痛剤を手放せないほど痛むのに、こんな状態で退院していいなんて、完全にどうかしてる。

そう思いながらふらふらと建物の外へ出ると、(みやび)が待っていた。


「退院おめでと~」

「……っす」


目を細めて拍手をする雅にどう答えるべきか迷って、透真は小さく返事をした。


「さ、乗って乗って」


隣に停まっていたジムニーノマドの後部座席のドアを開けて、雅は透真を促した。


「……雅さんが運転するんですか?」

「ううん。私は人を乗せて運転するなってきつ~く言われてるからダメなの」


透真が車に乗り込むと、そう言って雅はドアを閉めて、助手席へ乗り込んだ。

運転席には、見覚えのある白衣の男が座っていた。


「……え」

「お願いしますっ!ヤブ先生♪」


それは、病院にいる間、何度か様子を見に来てくれた先生だった。

というか、身の回りを見てくれたのは、この先生とやけに貫禄のある年配の看護師くらいで、他のスタッフは見かけなかったのだが。


「……なんで東雲先生が」

「東雲?」


雅がきょとんとして振り返った。


「俺の苗字ですけど?」

「……いつもヤブ先生って呼んでるから忘れちゃった☆」


てへ、と舌を出す雅に特に反応もせず、ヤブ先生と呼ばれた男は車のエンジンをかけた。


「シートベルトしてくださ~い。んじゃ、しゅっぱ~つ」


彼の気だるげな声を合図に、車は動き出した。


少しだけ道路を走ったかと思えば、車はすぐ林道に入った。

振動が傷に響いて、透真は顔を(しか)めた。


「はは、まだ痛いよねぇ。ゆっくり走るけど、がんばれ」

「…っす」


透真は運転席の男に目をやった。


タバコの匂いのする車内に、無精ひげ。

太めの黒ぶち眼鏡は、目元のクマを隠すためだろうか。


(なんか、あんまり普通の先生って感じじゃないな……)


そう思いながら、透真は脇腹を押さえた。


振動に耐えながら山道を進むこと十分、車は学校のグラウンドに出た。

東雲は昇降口前にゆっくりと車を停車させた。


「先生ありがと~」

「ありがとうございました」

「はいよ~」


透真はできるだけ背中を動かさないように、ゆっくりと車を降りた。

雅も車を降りると、東雲はグラウンドで車を転回させ、透真たちの前で停まって窓を開けた。


「じゃあ透真くん、安静にしときなさいね」

「はい、ありがとうございました」

「雅ちゃん。あいつにも、怪我すんなよって言っといて」

「いつも言ってるんだけどね~」


東雲は少し苦い顔をして頭を掻き、あいさつの代わりに手をあげて、来た道を戻っていった。







「ここ、透真くんの部屋ね。好きに使って」

「自分の部屋……!?」


学校に戻ると、一階の奥の部屋に、透真の部屋が準備されていた。

ベッドと簡易な机と椅子。

ただそれだけの部屋なのに、透真はしばらく入口から動けなかった。


自分の部屋など、持ったことがなかった。

まるで、一国一城の主になった心地だった。


「必要なものがあれば言ってね。ちゃんと治ったら、買い物に行こうよ」


さも当たり前のように、雅は言った。

透真は、治療を受けている間ずっと考えていたことを、伝える決心をした。


「雅さん」

「……自分、本当に感謝してます」

「迷惑、いっぱいかけちゃったんすけど」

「……しばらく、お世話になります」


たどたどしく、透真はそう言って頭を下げた。


「……うん」

「こっちこそ、ごめんね」


透真は、雅が何に対して謝ったのかわからなかった。


「……でも、もう放っておけないし。まずは怪我、ちゃんと治そう」


雅は、固く握られた透真の拳をそっと包んで、優しい声でそう言った。







退院してから一週間が経ち、透真は鎮痛剤に頼らなくても、どうにか動けるようになっていた。

手すりに体重を預けながら、なんとか校舎の二階に上がる。

廊下の先にある部屋の前で立ち止まり、透真は小さく息を整えてから、扉をノックした。


「あの……」


(らん)ちゃん、と雅が呼んでいる女の部屋だ。

場所は教えてもらっていたし、中にいるのもわかっている。


それでも、彼女は出てきてくれなかった。


彼女にも、ちゃんと謝らないといけない。

そうじゃないと、自分のせいで嫌な思いをさせたままになってしまう。


退院してからというもの、彼女とはろくに言葉を交わせなかった。

ダイニングキッチンで透真が食事をしている時、彼女は絶対に来なかった。


たまたま廊下で顔を合わせれば、露骨に不機嫌そうな顔をする。

視線を逸らされ、何か言おうとすればどこかへ行ってしまう。


あからさまに避けられていた。


言われたことを守れず迷惑をかけてしまった自分に、赤髪の女は怒っているのだ。

透真はそう思っていた。


透真はため息をついて、ゆっくり階段を降りた。







さらに一週間ほど経って、ようやく透真の包帯は取れた。


三日前に経過を見てもらった際、あと数日で外していいと東雲にお墨付きをもらっていた。

ただし、「自由に動き回っていいわけじゃないからね」と、何度も念を押されたのだが。


「うん、だいぶきれいになってきたね」

「そっすね。まだ、引き攣れる感じはあるっすけど」

「もうちょっと無理は禁物だね~」


そう言うと、雅は外した包帯をまとめ、立ち上がった。

透真は雅を引き留めるように口を開いた。


「雅さん」

「なあに?」

「……自分、あの人にちゃんと謝りたくて」


雅は、赤髪の女が透真を避けているとわかっていても、普通に接してくれたし、透真の前では彼女を咎める様子もなかった。

おそらく、彼女が何を考えているのか、雅には心当たりがあるのだろう。


「でも、ずっと……避けられちゃってるじゃないすか」

「う~ん……乱ちゃんも思うところがあるみたいでね。あれで悪気はないのよ、ごめんね」

「いや、そもそも自分が悪いんで」


雅は少しだけ視線を落とし、言葉を選ぶように答えた。


「……乱ちゃんはね、本当にいやなことは、いやだってはっきり言うタイプなの」


透真は、ただ頷いた。


「透真くんが診療所にいるとき、乱ちゃんに、うちで透真くんの面倒をみたいって言ったのね」

「……なんて、言われたんすか」

「乱ちゃん、何も言わなかった。……迷ってるんだと思う」


雅の本心は、透真には読み取れなかった。


「……怒ってるんじゃないんすか」

「怒ってるだけなら、とっくに追い出されてるよ~」


ふふっ、と雅は笑った。


「……正直に言うとね、私は透真くんにこのままずっといてほしいと思ってる」

「……ずっと?」

「透真くんのためだけに、そう言ってるわけじゃないの」


透真は答えることができず、ただ雅の話を聞いていた。

雅は、困ったように笑った。


「透真くん。乱ちゃん、校舎裏にいるから」


「もう少しだけ、粘ってみて」


そう言い残して、雅は部屋を出て行った。







校舎裏の洗い場で、赤髪の女はひとり刀を手入れしていた。

夕暮れの薄い光が、刃に淡く反射している。


「あの!」


透真は、息を整えてから声をかけた。

しかし、彼女は振り向かない。


「……」


女は何も言わず、刀を鞘に戻し、道具を片づけて立ち上がった。

そのまま去ろうとする背中に、透真は一歩踏み出して叫んだ。


「待ってください!」


彼女の足が、わずかに止まった。

声を張り上げたせいか、脇腹のあたりが少しだけ引きつった。


「……ちゃんと謝りたくて」


背を向けたまま、彼女は大きく息を吐いた。

それだけで、面倒くさがられているのが分かる。


「出てくるなって言われたのに、飛び出して、迷惑かけて――」


透真はぐっと手のひらを握り、声を張った。


「本当に、すいませんでした!」


彼女はしばらく黙ったあと、ようやく口を開いた。


「……お前が俺を助けられるとでも、思ったのか」


低い声だった。


やはり、怒っているのだと思った。

けれど、ただ責められているのとは少し違う気がした。


透真は言葉に詰まった。


「……自分でも、理由がわからなくて」

「……」

「気づいたら、体が勝手に動いてて」


女は返事をしなかった。

夕暮れの洗い場に、沈黙だけが残る。

やがて、吐き捨てるように言った。


「治ったら出てけ」

「……それは、できないっす」

「……は?」


そこで初めて彼女が振り向いた。

赤い瞳が、まっすぐ透真を射抜く。


「帰る場所、もうないんすよ」

「それに、助けてもらったのに――なにも、返せてないっす」


彼女の眉間に深く皺が寄る。


「んなのどーでもいいわ。普通に生きろ」

「普通ってなんすか?」


言った瞬間、女の目がわずかに揺れた。

透真は唇を噛み、それでも続ける。


「自分ん家、普通じゃなかったんで。普通って言われてもわかんないっすよ」


無理やり笑顔を作って、透真は続けた。


「十八歳ならもう成人だし、好きに生きろって言われるかもしれないけど」

「出てけって言われたら、たぶん、また――」


そこから先が出なかった。

言葉にしたら、本当にそれをやってしまいそうで怖かった。


「……ここにいさせてください」


透真は拳を握った。


「家事でも雑用でも、なんでもします。だから」


――追い出さないでほしい。


その一言だけが、どうしても声にならなかった。

喉の奥が熱くなって、涙まで出そうになって、ぐっと堪える。


赤髪の女は舌打ちした。

深く、長く息を吐く。

まるで自分の中の何かを無理やり押し殺すみたいに。


それから、睨むように透真を見た。


「……ひとつだけ条件がある」


透真は息を止めた。


「二度と、俺より前に出るな」


「……できないなら、すぐに叩き出す」


思っていたよりずっと冷たい声だった。

それでも、その声音には、怒りだけではない何かが滲んでいるようにも聞こえた。


「……!」


透真は小さく頷いた。

そのまま終わるはずだったのに、なぜかもう一言、口をついて出る。


「……あの、自分からもひとついいっすか」

「あ?」


彼女の眉がぴくりと動く。


「名前。教えてくれませんか」


彼女は、透真に背を向けた。

もう、彼女がどんな表情なのかはわからなかった。


「……乱珠」


短く、小さく、彼女は答えた。

それが、透真にはたまらなく嬉しかった。


「……乱珠さんも、無茶しないでほしいっす」


おもわず、本音が漏れてしまった。

沈黙があって、乱珠は心底うんざりしたように目を細めて振り返った。


「……もうひとつ追加」

「俺のやることに口出しするな」

「……っす」


透真は素直に頷くしかなかった。

それでも透真は、その背中が完全には自分を拒絶しなかったことを、ちゃんと分かっていた。


死ぬために樹海へ入ったはずだった。

なのに今は、追い出されたくないと思っている。

その事実が、どうしようもなく苦しくて、少しだけ温かかった。







ここまでお読みいただきありがとうございます。


これにて、序章「中原透真」は完結です。

次章「望月雅」からは、透真と校舎の住人たちの生活が少しずつ始まっていきます。

引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。


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